2019年12月31日火曜日

観音経 普門偈 その16

【原文】

無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間



【和訳】

無垢なる清浄の光があり、慧日は諸々の闇を破り、能く災いの風火を伏せて、普く明かに世間を照らす。



【解説】

観音様を無垢なる清浄の光と例えている。朝の日の出を想像すると良い。暗闇がだんだんと優しい光に包まれて夜が明けると、まさに普く明らかに世間は照らされる。夜の暗がりで感じる不安が夜明けと共に無くなるように、人の悩みや苦しみも観音様に照らされて無くなると言う話になる。

例え話としては、無垢清浄は物事を良い悪いと選り好みしないという事、諸々の闇は悩みや苦しみを表す。つまり、選り好みしない心が、悩み苦しみを破り、心を平安に導く。これが無垢清浄の光が諸々の闇を破るイメージだ。人は悪い時に、良い時と比べるから気を病む。タラレバをするから苦しくなる。だが、選り好みをやめれば、そもそも悪いとか良いとかに興味がなくなる。興味がなくなれば、心乱される事はなくなるから、気に病むこともなくなる。ただ淡々と起きたことに対応できるようになる。

さて、次は災いの風火になるが、これを言葉通り解釈すれば台風であったり、火事になろう。では、仮に大きな台風に見舞われたとしよう。すると、例えば、家の瓦が落ちてしまったり、酷い場合は雨漏りしたりして酷い目に会う。結果、台風は招かれざる客となるだろう。それが普通である。だが、台風を招かれざる客にしているのは、実は台風自身では無いと言ったら驚くだろうか。と言うのも、台風自身には善悪は無い。ただの自然現象である。だが、人の選り好みする心にかかると、台風被害を受ける前と被害を受けた後を比べて、台風は不幸な出来事だったとなる。単なる自然現象を、不幸な災害にしたのは自分の心なのである。だから、選り好みを止めれば、台風は不幸な災害ではなくなり、自然現象以上でも、それ以下でも無いものになる。心も乱される事なく、ただ淡々と受けた被害に対応できるようになるわけだ。これが能く災いの風火を伏せるイメージとなる。日本に居れば、台風は年に数回は来る。だから、幾ら観音様に願ったからと言って、台風自体が無くなるわけでは無い。だが、台風が不幸な災害から、ただの自然現象に変わる。不幸で苦しむはずだった心が、平安に保たれるわけだ。これが観音様の霊験である。台風に限らず、人には様々な災いが降りかかってくる。だが、その災いを不幸なものにしているのは、結局は自分の心である。普く明かに世間を照らすとは、選り好みしなければ、悩みや苦しみは自然と無くなるという事だ。心が明るくなるから照らすと言うのだろう。なお、具体的には、今起きている事は全て最善と考える癖をつけると良い。最善なれば、選り好みしても今が最善である。タラレバする余地はない。



【語句の説明】

1、慧日は、智慧の太陽の意味で、観音様の事。


2019年12月29日日曜日

観音経 普門偈 その15

【原文】

真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰



【和訳】

真観、清浄観、広大智慧観、悲観及び慈観を常に願い、常に瞻仰する。



【解説】

真観は、空の概念の事である。空は一言で言えば、空気の事を言っている。空気は不思議なもので、一見無いようでいて全てを含んでいる。例えば、水を鍋で沸騰させたとしよう。すると、水は水蒸気となり何処かへ飛んでいき、鍋の中の水はやがてなくなる。だが、水自体がなくなったわけでは無い。鍋の中にあった水は水蒸気として空気中に含まれ湿気になっただけだ。これが空気が全てを含むというイメージとなる。普段、我々は空気と水を別の物として扱っているが、実は空気の中に水は含まれていて、ある時それが雲となり雨をふらせ水としての形を得る事があるだけだ。ならば、空気と水に違いなどあるのだろうか。この事は何も水に限った話では無い。植物だって石だって長い年月をかけて風化し、空気中に溶け込んでいく。生き物だって死ねばそうなる。空気は形がないようでいて、あらゆる物を含んでいるのである。そして、形がないからこそ、ある時形を得る時がある。元から形のあるものは、形が無くなるという事は無い。だが、この世の有りようを観れば、みな一様に風化をし、形が無くならないものは無い。形が無いからこそある時形を得て、だが元々は形が無いのだから、やがて形は無くなって元の姿に戻っていく。これがこの世の有りようだとするのが空の概念である。

そして、この事が分かると、物事に差をつける事自体が可笑しい事になる。人間はあれが良い、これは駄目、あれは素敵、これは醜いと差をつけてばかりいるが、すべては空から生じているのだから、すべては空の一部にすぎない。それが綺麗だとしても、それが汚いとしても何方も空と言う意味において変わりはない。本質的に差など無いのである。そして、こう考える事を清浄観と言う。清浄観はその名の示す通り、単に清く浄らかと言うのでは無い。清浄や、不浄に執着しない平等な観方という意味だ。これが仏の目線となる。仏は差をとって物事を観れる事から、差とりを開いている。悟りとは差とりなのだ。ただ、とは言っても、普通の人間にこれは難しい。理屈は分かっても、実践するとなると極めて困難である。ついつい差をつけてしまうのが普通の人間だ。だから、無理はしなくて良いと、観音様は歩み寄ってくれる。これが広大智慧観である。広大智慧観は真観や清浄観に固執することなく、現実の常識観にとらわれる事もなく、中道を行く。そうして悩み苦しむ者に寄り添ってくれるのだ。その具体的な在り方が慈悲であり、ある時は苦しみを抜いてくれ、ある時は楽を与えてくれる。これが悲観と慈観である。

真観、清浄観、広大智慧観、悲観及び慈観を観音の五観と言い、釈迦が積まれた観想の内容となる。釈迦は悟りを開いた後、弟子を悟りに導いたわけだが、その順番を意識して理解すると良い気がする。と言うのも、真観と清浄観は理屈は分かっても、実際に行うのは難しい。だから、これを弟子に身に着けさせようにも、いきなりでは無理だ。だから、とりあえず、弟子の状況に合わせながら少しづつレベルアップを図ることになる。この釈迦が弟子に歩み寄って育てる状況が広大智慧観だ。だから、広大智慧観は弟子を悟りに導くために真観と清浄観は踏まえつつも、弟子の状況に合わせながら少しづつと言う話になり、時には実際に苦しみを抜いてあげ、時には楽を与える事で成長を促す事になる。

常願常瞻仰は、以上を常に意識し尊ぶ事で、観音様の教えを忘れないという事だ。観音経を学ぶのだから、勿論そうありたいものである。




【語句の説明】

1、瞻仰は、仰ぎ見る。慕い敬うと言う意味。

2019年12月27日金曜日

観音行 普門偈 その14

【原文】

種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅



【和訳】

種々諸々の悪趣、地獄、餓鬼、畜生、生老病死の苦しみも、漸く悉く令を以って滅される。



【解説】

まず悪趣の説明からすると、悪趣とは六趣の事で、六趣は六道とも言う。では、六道とは何かと言うと、生まれ変わりに関する話となる。生まれ変わりはその名の通りの意味で、人間は死後に生まれ変わって別の生を受けると言う話になるが、単に生まれ変わるとだけ言われると、来世も人間に生まれ変わると思ってしまうかも知れない。だが、実際は少しだけ複雑になる。と言うのも、生まれ変わりは、人は生前の行いの良し悪しによって死後生まれ変わる先が変わるとする考え方である。その生まれ変わり先が六つある事から六道と言う。そして、その中でも特に行いが悪かった者が行くとされるのが、お経で名指しされている地獄界、餓鬼界、畜生界だ。とは言え、実際に地獄界や餓鬼界、畜生界があるかは死んでみないと分からない所だ。もしかしたら無いかも知れないし、死んで帰ってきた人間がいない以上、空想と言われても否定できない。ただ、これだけは言える。それは、心の中には地獄があり、餓鬼が住み、畜生が養われていると言う事である。

例えば、人の事が憎くててしょうがない。恨みつらみで夜も眠れない。そう言う人がいるが、その人の心中はまさに地獄であろう。忘れればそれで終わりなものを、恨んでしまったが故に憎い相手が忘れられなくなってしまい苦しむ。これが地獄の鬼による責め苦である。所謂地獄絵図と言うのは、こういった心にある地獄を絵として書き表したに過ぎない。では、次は餓鬼だが、餓鬼は喉が細すぎて何も喉が通らないため、常に餓えている鬼だ。しかも、餓鬼が食べ物を口元に運ぼうとすると、食べ物が燃えてしまうという二重の嫌がらせを受けている。だから、餓鬼は苦しみのあまりうめき声をあげているのだ。何とも恐ろしい餓鬼界であるが、これは何も想像の話という訳では無い。心の中にこそ餓鬼は住んでいるのだ。例えば、人の好意を好意として受け取れず、何か裏があるんじゃないかと勘繰ってばかりいる。挙句は好意を悪意に感じてしまう。そういう人がいる。これが心が餓鬼に支配された状態である。こうなっては餓鬼の細い喉が例えているように、人の好意は全く通らない。餓鬼が常に餓え苦しむように、常に裏があると疑って苦しむのである。では、次は畜生だ。畜生は分別が無い。恥を知らない。本能で動く。だから、畜生に心で養っている畜生がでてくるとそうなる。例えば、性を考えると良い。性の問題は生き物として本能に根差した部分であるので制御が難しいものだが、だからと言って性衝動のまかせるままに行動しているだけでは本当の充実感は得られない。軽蔑の対象となってしまうし、本人としてもどこか空虚感を感じるという悩みを抱える事になる。

さて、次は生老病死についてだ。生老病死は人間が生きる上で避ける事ができない四つ苦しみの事で、ことわざにある四苦八苦の四苦である。人間、若ければ若いほどお金や権力があれば人生で怖いものは無いと思うものだが、人生ではそんなものが全く役に立たない時がくる。これが生老病死という苦しみの言わんとする所だ。実際、お金をかければ老いる事を止められるかと言うとそうはいかないし、権力があるからと言って特別に病を免れる事も無い。死に至ってはいわんやである。生老病死の苦しみは皆に平等に訪れるのである。では、どうしたらこの苦しみから逃れられるかになるが、その答えは観音様となる。全ての不安は観音様に預ければ良い。観音様を信頼すればするほど、観音様は応えてくれる。何時不安がなくなるとは言えないが、半信半疑だった心がちょっとづつ、ちょっとづつ確信に近づくにつれ、不安も解消されていく。観音様にお任せしたから大丈夫、すべては必要な事と心から思えた時、安心のなかで老いる事ができ、病の不安から解放され、死すら安らかに受け入れられるのである。これが観音妙智力である。




【語句の説明】

1、漸くは、ようやく。

2、悉くは、ことごとく。

3、令は、おきてと言う意味なので、ここでは観音様を信じる事だと思われる。

2019年12月24日火曜日

観音行 普門偈 その13

【原文】

具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身



【和訳】

神通力を具足し、広く智方便を修め、十方諸々の国土において、その身を現わさない刹は無い。



【解説】

今回は、神通力と叡智を兼ね備えた観音様は、私達を苦しみから救うために、方便を携えてあらゆる所に現われると言う話となる。叡智については前回説明したので、ここでは神通力の説明をする。神通力は、人々を苦しみから救うために必要な能力と考えると良い。人々を苦しみから救うには、まず何で苦しんでいるのかを知る必要がある。だから、人々の様子を窺う目が必要となるし、実際に苦しんでいる声を聴くための耳が必要になる。これが天眼通、天耳通と言われる神通力で、何処にいても見えるし聞こえると言う性能を誇る。だが、正確さを求めるなら、目と耳だけでは足りない。悩んでいる者がどういう性格の人間かによって、求められる方便は変わる。そこで、悩む者の性格を知る必要が出てくる。では、どうやって性格を知るかになるが、過去どういう風に生きて来たのかを知り、これからどういう風に生きていきそうなのかを見通せれば良い。さらに言えば、心の中すら見通せるならば言う事がない。これが宿命通、他心通と言われる神通力となる。ここまで全ての神通力を使いこなせれば、適切な方便によって悩む者に必要なアドバイスを過不足なく出来る。だが、まだ問題がある。それは悩む者が話を聞いてくれるか分からないという事だ。幾ら当を得たアドバイスであっても、話を聞いてくれないのでは救いようが無い。そこで、まずは信頼を勝ち取るために、模範を示す必要がでてくる。模範によって尊敬されるなら、人は尊敬している人の言う事ならば、その信頼からやってみようとなる。では、どういった模範を示すかになるが、人々を苦しみから救うのが目的であるから、本人がまず苦しんでいない事を示すのが良い。苦しみは何かに囚われた心から生まれるため、何にも囚われていない自由な心が必要となる。これが神境通と言われる神通力だ。そして、普通なら悩んで然るべき場面でも、自分はそういった悩みを消すことが出来ると実際に示す事も大切だ。これが漏神通と言われる神通力で、これが備わると悟りに達する。ちなみに漏は煩悩と言う意味だ。

さて、本文に戻ろう。要はこういった優れた神通力と叡智を具え、テクニックとしての方便を身に着けた観音様だからこそ、人々の苦しみを救えるとお経は言うのである。十方諸々の国土はありとあらゆる場所と言う意味で、世界の何処にいても望めば其処に観音様は現れると言うのがお経の趣旨となる。何時も観音様は見守っている事を忘れるなという訳だ。また、十方諸々の国土は地理的な意味だけでなく、様々な悩みの例えともなる。つまり、どんな悩みであれ観音様は見捨てない。なお、望めば観音様は現れるとは、観音様は何時も目の前にいるという事だ。それは人に限らない。天地自然全てが観音様となる。何故なら、世界は自分の心の投影して作られるから。観音様は心に住んでおり、その心が投影された世界は全て観音様の化身だ。だから、意識しようとしまいと、観音様はすでに目の前なのである。そういう意味では、観音様が現れると言うよりは、すでにいると言ったほうが良い。望むとは、ラジオの周波数を合わせるようなものだ。ラジオの電波は、自分の意識とは関係なく常に流されている。ただ、意識してキャッチした時にだけ、つまり、ラジオの周波数を合わせた時にだけ音声が流れる。観音様も同じである。常に見守っているのだが、それを意識しない人には分からない。




【語句の説明】

1、方便は仏が衆生を悟りに導くための手段。

2、十方は、あらゆる所。上下東西南北と北東、北西、南東、南西。

3、刹は、所。

2019年12月23日月曜日

観音行 普門偈 その12

【原文】

衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦



【和訳】

衆生が困厄を被り、量れ無いほどの苦しみが身に逼っても、観音の妙なる智の力は、能く世間の苦しみを救う。



【解説】

観音様の妙なる智の力とは何かを探るに、まずはこの世は心の映し鏡である事を知ると良い。どういう事かと言うと、人は世界と自分を別個に考えがちだが、世界とは心の投影であると言う話だ。例えば、旅だ。旅は何処へ行くかより、誰と行くかと言われる。実際、気の合う仲間と行くから楽しいのであって、嫌いな奴と行ったのでは楽しいはずの旅行も苦痛となってしまうだろう。旅が楽しいか、そうでないかは旅先で決まるのではなく、自分の心が決めている。さらに言えば、一緒に旅をする人が気の合う奴か、嫌いな奴かも心が決めている。考えて見て欲しい。貴方が嫌いな奴にも家族があり、恋人がいて、友人がいるだろう。彼の家族からすれば、貴方の嫌いな奴は可愛い孫かも知れない。彼の恋人からすれば、かけがえのない人だ。彼の友人からすれば、気の合う仲間になる。このように貴方の嫌いな奴も、見る人によって色々な顔を見せるのである。だから、貴方の嫌いな奴は、公平に見れば貴方は嫌いと言うだけに過ぎず、つまるところ、貴方の心を投影している鏡のようなものに過ぎないのだ。なお、今回は人で説明したが、人を状況に変えれば同じ事が言える。嫌いな状況も、所詮は貴方が嫌いと思っているに過ぎず、同じ状況を楽しんでいる人もいると言う話になる。世界は心の映し鏡なのである。そして、世界が自分の心が投影されているだけに過ぎないという事は、世界は自分の心掛け次第でどうとでもなるという事になる。世界の良し悪しは、全て自分が決めているのだから。これが観音様の叡智であり、だからこそ能く世間の苦しみを救う事が叶う。

この事が分かれば、前回まで紹介してきた例え話の意味も総括できるだろう。何故、火の穴が池に変わってしまうのか、それは火の穴か池かは自分の心の問題だからである。何故、轟音鳴り響く雷が直に治まると分かるのか、雷を作り出したのは自分の心だからである。心で作られたものは、当然に心で消す事も出来る。人間の苦しみは、元から苦しみとして存在するのではない。心が間違った解釈をしてしまったが故に、苦しみとなっている。ならば、間違った解釈を修正し、正しい解釈をすれば良いのである。具体的な方法については前回までの解説を参考にしてもらうとして、ここでは要点だけまとめておく。



再解釈のコツ
  • 観音様だったらどうするかと考えれば、間違いに気づく。
  • 観音様が何時も見ていると思えば、道を踏み外さない。
  • 観音様に全てお任せすれば、不安に思う必要は無い。
  • 目の前の人は観音様と思えば、学ぶべき時が来た。




【語句の説明】

1、衆生は、生きとし生けるもの。

2、困厄は、困難。

3、逼は、せまる。

2019年12月22日日曜日

観音経 普門偈 その11

【原文】

雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散



【和訳】

雲雷が鼓を鳴らし掣電し、雹を降らして澍ぐような大雨となろうとも、彼の観音の力を念ずるならば、時に応じて消え散る事を得るだろう。



【解説】

轟音が鳴り響く空を見れば雷が煌めき、雹が降ってきたと思ったら、大雨が注ぐように降ってくる。要は時雨であるが、そんな時でも観音様を念ずるならば、直に空は静けさを取り戻すとある。人間いくつになっても雷は怖かったりする。特に何処かに落ちた時の轟音には本能的な恐怖を感じるのだろう。大丈夫とは分かりつつも、気持ちのよいものでは無い。そんな時雨を観音様がどこかにやってくれると言うなら、こんな有難いことは無い。

では、時雨は何の例えか考えていく。思うに、人は轟音鳴り響く時雨を恐れつつも、心の中は時雨みたいだと言うのだろう。と言うのも、人は常に平常心な訳では無い。時には雷のごとく怒る事もあるし、曇り空のように悶々としてしまったり、雨が降るように涙を流す事もある。出来るなら常に晴れやかでいたい所だが、心の中の天気はちょっとした事で変わりやすい。幾ら注意していても怒ってしまう時はあるし、悲しい時は悲しい。悶々としたくなくても、せずにいられるかと言うと簡単では無い。理屈では割り切れない部分があるのだ。だから、そういう時は観音様の力を借りなさいと言うのがお経の趣旨となる。つまり、心の天気が荒れたならば観音様を思い出し、観音様ならどうするかと考えて、その通りにする。そうすれば生き方の根本がしっかり定まる。一時は心が荒れ模様となっても、その一時の感情に流されて道を踏み外す事がなくなる。心の天気は自由にはならないが、止まない雨は無い。道さえ踏み外さないならば、後は時間が解決してくれるのだ。なんせ時雨はすぐ止むと相場が決まっている。




【語句の説明】

1、掣電は、きらめく稲妻の事。掣は、引き留めると言う意味。

2、澍は、そそぐ。

2019年12月21日土曜日

観音経 普門偈 その10

【原文】

蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去



【和訳】

蚖蛇や蝮蠍の気毒が煙り、火のごとく燃えたとしても、彼の観音の力を念ずるならば、声に尋いで自ら回り去る。



【解説】

毒蛇や毒サソリが明らかに威嚇の姿勢をとっていても、観音様を心に念ずれば、毒蛇や毒サソリが戦意を無くし何処かに行ってしまうと言う話となる。基本的に野生の生き物は狩りの時以外は相互不干渉だ。そのため、毒蛇や毒サソリを恐ろしいものにしているのは、実は自分の側の問題とも言える。此方が干渉するから威嚇してくるのであって、こちらが干渉しなければまず干渉してこない。こちらが無害だと分かれば、野生の生き物は自ずと何処かに行ってしまうのである。だから、観音様のように生きようとしている人間の前では、その無害さ故に、毒蛇や毒サソリが何処かへ行ってしまうのも当然と言う話にも思えてくる。ただ、毒蛇や毒サソリを日常の些細なイザコザの例えだとすれば、日々を観音様のように生きる事でイザコザのほうが何処かにいってしまうと言う解釈もできる。イザコザが起きないのではない。どんなに人格的に優れた人であれ多少のイザコザは起きる。だが、観音様のように無害化された者の前では、毒蛇や毒サソリが何処かへ行ってしまうようにイザコザが解消してしまう。イザコザをイザコザたらしめるのは、実は自分の性格の問題だったりするのである。

では、どんな性格が問題となるのかと言うと、例えば、毒蛇は執念深い嫉妬心の例えでもある。他人の成功を妬み、どうにか足を引っ張ってやりたい。そういう気持ちである。嫉妬心に執着して離れられないのでは、苦しい思いをするだけで良いことはない。イライラがつのるだけだ。そこで処方箋が必要になるわけだが、その処方箋として有力なのが観音の行を心に念じなさいという話になる。つまり、貴方を嫉妬させているのは観音様という事を忘れてはいけないという事である。相手が他人ではなく観音様という事になれば、自然と頭が下がるだろう。そして、どうしたらそうなれるのか教えを乞うても恥ずかしく無い。だから、そのようにすれば良いのである。教えを乞われて悪い気はしないものだ。きちんと礼を正すならば、きっと貴方を気に入り良くしてくれるようになる。嫉妬していた相手が嫌な奴から良い奴に変わる。これが観音様の霊験である。

なお、毒サソリは油断の例えとなる。毒サソリのような小さな生き物の場合、気付かない内に服の隙間に忍び込んでいたりして、刺されてから痛みで気づく事が多い。まさに不注意が招く害だ。実際、油断は気付かぬ内に侵入してくる毒サソリのように恐ろしい。例えば、人が大きな失敗をしやすいのは仕事に慣れてきた頃だ。初心のうちは不慣れな事もあって慎重に仕事をするわけだが、慣れてきて余裕ができ始めると自信がついてきて、自信が心の隙を生む。この心の隙こそ毒サソリなのだ。自信が出てくるとどういう事をしがちかと言うと、例えば、普段は機械を止めてからするはずの作業を、止めずにやっても大丈夫となる。そして腕を失うなどの大怪我をするのだ。魔がさしたとしか言いようがないかも知れないが、慣れてきた頃こそ危ないのである。だが、不注意が原因の失敗ならば、ハッと気づくだけで良い。油断している事を自覚さえできれば、毒サソリは何処かに行ってしまうのである。そこで、もし自分の心に油断が生じたら、観音様に見られていると思うと良い。尊敬する観音様に見られているならば、失敗はできない。自然と慎重に仕事するようになるはずだ。失敗を未然に防いでくれるのも観音様の霊験である。




【語句の説明】

1、蚖は、いもり。蝮は、まむし。蠍は、さそり。

2019年12月19日木曜日

観音経 普門偈 その9

【原文】

若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方



【和訳】

若し悪獣に囲饒され、利い牙や爪を怖がる可きも、彼の観音の力を念ずるならば、無辺の方へ疾走してしまう。



【解説】

例えば、飢えたライオンの群れに囲まれてしまったと言う状況を考えると良い。ライオンが牙や爪で襲い掛かろうとする刹那、観音様と心に念じると、ライオンが急に何処かへ走り去ってしまった。そういう霊験である。人間は絶対絶命の時になると、思わず神様と言ってしまうと言われるが、その観音様版と考えると自然だ。

では、悪獣に牙や爪で襲われる事は何の例え話か考えていく。思うに、欲望が膨れ上がってしまい、居ても立ってもいられないような状況だろう。例えば、買い物で物色していたら、目に留まったアクセサリーが魅力的で、衝動的に欲しくなった。そこで、幾らだろうと値札を見るのだが、あまりに良い値段をしていてどうにも手が出そうにない。でも、欲しくてたまらない。頭がどうにかなりそう。これが悪獣に襲われている状況である。まさに恐ろしき獣と言えよう。では、どうしたら良いのかになるが、こういう時は観音様が見てると思うと良い。観音様が人々の役に立とうとしている時に、自分はアクセサリーが欲しくて身もだえるという訳にはいかない。だから、自制心が戻ってくる。完全に納得はできないかも知れないが、間を空ける事は出来るだろう。すると不思議なもので、時間が薬となって解決してくれる。欲は衝動的な場合が多いから、例えば一晩寝ると、全然欲しくなくなったりする。案外とあきらめが着くのだ。お経にある通り、襲ってきた悪獣は何処かに行ってしまうのである。こう考えて見ると、確かに欲望は何処からか来て、気付くと何処かに行ってしまっている。疾走無辺方と気づく。

なお、悪獣は何処かに行ってしまっただけで、いなくなった訳では無い。またひょっこり出くわす事もあるだろう。悪獣は決していなくなるわけでは無く、常に心の森林に潜んでいる。だが、それは悪い事では無く、悪獣も自分にとって必要だから存在している。中には悪獣を消そうと思う人もいるが、悪獣を消そうと思えば、その気持ちがまた新たな悪獣を生むと知れ。




【語句の説明】

1、若は、もしと言う意味。

2、利や、切れ味が良いと言う意味。

3、無辺は、広々として果てしないと言う意味。

2019年12月18日水曜日

観音経 普門偈 その8

【原文】

或遇悪羅刹 毒竜諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害



【和訳】

或いは悪羅刹、毒竜、諸々の鬼等に遇おうとも、彼の観音の力を念ずるならば、時に悉く敢えて害とならない。



【解説】

観音様に従って生きているような人は、自然と日頃の行いが良くなる。すると、不思議ともめごとの蚊帳の外に置かれる事が多くなる。悪人(悪羅刹、毒竜、諸々の鬼等)も絡む人は選ぶ。わざわざ日頃の行いの良い人を選んで絡んだりはしないものだ。だから、悉く敢えて害とならない。

また、悪羅刹は人を喰らう喰人鬼の意味で転じて人を食ったような態度の例え、毒竜や諸々の鬼は色欲や名利欲の例えでもある。生きていれば小馬鹿にされて嫌な思いをする時もあるし、時には色欲や名利欲にかられ心が揺れるときもある。だが、生き方の根本にしっかりとした信心があるならば、小馬鹿にされても治すべき欠点を教わったとなるし、色欲や名利欲にかられても慎ましく羽目を外す事は無い。そのような人物にあっては、時に悉く敢えて害とならないのは当然となる。彼の観音の力を念ずるとは、つまり、常に観音様ならどうするかと考え、それに従う事に他ならない。





【語句の説明】

1、悉は、ことごとく。

2、敢は、あえて。

観音経 普門偈 その7

【原文】

呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人



【和訳】

呪詛や諸々の毒薬で、身を害そうと欲する所の者がいたとしても、彼の観音の力を念ずるならば、還って本人に於いて著される。



【解説】

まず内容を整理すると、例え呪いや毒薬で身に危険が迫っても、観音の力を念ずれば助かると言う話になる。しかも、呪いや毒薬は仕掛けた本人に還っていくと言うから驚きだが、呪いや毒薬を悪口や陰口の例えと思えばさもありなん。彼の観音の力を念ずるとは、日ごろの行いを良い事の例えなのだろう。日頃の行いが良く、評判の良い人の悪口を言えば、必ず周りの人を敵に回す。悪口を言うはずが、言われてしまう側に回るのも納得である。観音様のように人々の役に立とうと生きるなら、自然と味方が増えて身を助ける訳だ。

なお、悪口や陰口には努々気を付ける事だ。悪口を言う場に居合わせたら距離を取る。悪口を言われても言い返えさずに距離を取る。悪口を言えば、還著於本人とあるように、言った自分に還ってくる。人を呪わば穴二つ。



【語句の説明】

1、呪詛は、相手の不幸を願う儀式。

2、還著は、もとに帰着すると言う意味。

3、於は、おいて。

2019年12月17日火曜日

観音経 普門偈 その6

【原文】

禁枷鎖 手足被杻械 念彼觀音力 釋然得解脱



【和訳】

或いは囚われ枷や鎖で禁じられ、手足に杻械を被っても、彼の観音の力を念ずるならば、釋然として解脱を得る。



【解説】

囚われて手足を枷と鎖で拘束されても、枷と鎖のほうから壊れて解き放たれると言うのだから凄いが、手足を拘束している枷と鎖は執着と読み替えると良さそうである。と言うのも、人は何かに囚われているものだ。例えば、お金が大事だと言う人は、お金に囚われていると言える。お金に執着する事で、お金は手枷となり自由を束縛する。例えば、地位を失うのが怖い人は、地位に囚われていると言える。地位に執着する事で、地位は足枷となり自由を奪う。囚われても楽しくやれているならば気にする事もないが、もし苦しいと感じているなら、一度立ち止まって観音様を念じれば、そういった苦しみから解放されるというのがお経の趣旨である。では、その心はとなるが、心は観音様だったらどうするかと考えなさいという事だ。そして、その通りにすると良い。人は利己心によって苦しむもの。例えば、お金で苦しいならば、お金が欲しいと執着しているからである。お金を譲ってしまえば、何も苦しむ事は無い。例えば、地位を失う事で苦しむのは、地位に執着しているからである。地位に綿々としなければ、特に苦しいことは無い。だから、観音様がお金に執着するだろうかと考えて見る。地位に拘泥するだろうかと考えて見る。すると、観音様はそんな事はしないとなる。だから、観音様のように生きれば、苦しみからも解放されてしまうのである。

なお、今回はお金と地位に絞って説明したが、人によって何に執着し囚われるかは異なる。財や異性かも知れないし、権力や名誉かも知れない。怒りや怨みに囚われる人もいるし、嫉妬や悲しみに囚われる人もいよう。だが、どんな場合であっても、観音様だったらどうするかと考える事で、苦しみを脱するヒントが得られるはずだ。




【語句の説明】

4、枷鎖(かさ)は、刑具のかせとくさり。

5、杻械(ちゅうかい)は、刑具の手かせと足かせ。

6、釋然(しゃくねん)は、疑いが晴れて心が晴れ晴れする様。

2019年12月15日日曜日

観音経 普門偈 その5

【原文】

或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊


【和訳】

或いは王難に遭い苦しめられ、刑に臨んで寿が終わるのを欲するも、彼の観音の力を念ずるならば、刀は尋いで段々に壊れる。



【解説】

王の迫害にあって死刑となったにも関わらず、実際に刑が執行されよう時には刀のほうが壊れてしまうと言うのだから、まさに奇跡であるが、王の迫害は理不尽の例えと読み替えて良いように思う。そうすれば、王の迫害という例え話から活きた教訓が得られそうである。生きていれば、王の迫害とまではいかなくても、理不尽としか言いようがない事に遭遇するものだ。そして残念な事に、理不尽な事に限って嫌だと言えない雰囲気があったりするから非常に困る。とは言え、あるものはあり無くはならないのだから、めげてても仕方ない。理不尽な事を気に病むことなく、どう前向きに付き合っていくかを考えるのが現実的だ。そこで、理不尽の極致とも言うべき王の迫害からの死刑判決を例にとって、観音様の霊験を感じようと言うのがお経の趣旨だ。理不尽に最も効果的なのは、お経に彼の観音の力を念ずればとある通り、観音様を一点の曇りもなく信頼する事だ。つまり、自分に起きる事は、すべて観音様に頼んであるから悪くなりようが無いという確信が霊験を起こす。なぜなら、結果が悪くなりようのない理不尽は、もはや理不尽とは呼べなくなるどころか、良い結果を招く事が分かっているなら、それは幸事で喜ぶべき事だ。こう考えて見ると、確かにお経の通りで、観音様は理不尽という刀を次々と壊してくれる。

なお、王難の例えは死刑を回避できたと言う話であるため、死についても触れて置く。考えて見れば、死とは不思議なものである。人は実際に死を間近なものとして感じると、えも言われぬ不安に心を乱される。にもかかわらず、死んだ後の事は誰にも分からないというのだから変な話で、結局人間は分からないものを勝手に想像して、自分の想像したものに降りまわれて苦しんでいると言える。だから、死への不安を乗り越えるには大きく2つの方法がある。一つはいくら考えても分からないものは分からないのだから考えても仕方ないと割り切る事だ。実際、死後の世界とされる地獄等の話はあくまで説にすぎず、本当だという確証はない。確証がない以上、死後の世界は無いかも知れないし、逆に死後の世界のほうが生きやすい可能性だってある。無駄に怖がる必要は無いのである。しかし、そうは言っても割り切れ無い人もいよう。死は生物としての本能的な拒否反応でもありそうだから、頭では分かっても体はついてこないかも知れない。そこで2つ目の方法がある。それは観音様にすがる事である。死後の事は観音様にお願いしようと心から願えば、観音様は必ず応えてくれ、不思議と大丈夫なような気がして来る。観音様により死への不安は払拭され、安心して死んで行けるはずだ。ここに信心の起こす霊験がある。




【語句の説明】

1、遭(そう)は、遭遇。ばったり会う。

2、寿は、命の意味。

3、尋は、尋(次)いで。次々と。


2019年12月12日木曜日

観音経 普門偈 その4

【原文】

或値怨賊遶 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心



【和訳】

或いは怨賊に値(会)い遶(囲)まれ、各々刀を執り害を加えようとしても、彼の観音の力を念ずるならば、咸(皆)が即ち慈心を起こす。



【解説】

前回と同様に観音様の有難い霊験を紹介している。今回は、怨賊に斬りつけられるような場面でも、賊のほうが改心してしまうと言うのだから有難い。この怨賊は要は追いはぎの事だが、刀でおどして金品を巻き上げようとした輩が、あろうことか急に改心し出して慈心まで起こす。考えて見れば、真に不思議な話である。そこで、この怨賊は何の例えだろうかとなるが、誰しもが心に持つ利己心を言っていると思えば自然だ。例えば、自分さえ良ければ他人を騙しても良いとする心は、まさに心に住む怨賊と言える。だいたいが自分さえ良ければと思ってした行動は、後でしっぺ返しを受けると相場は決まっている。結果として高くつくのだから止めといたほうが良いのだが、人間欲に目がくらむと都合の良い事しか考えられなくなる。そうして痛い目を見るのである。ここで気づけばまだ良いが、人によっては痛い目を見ても気づけず、業が深いとしか言いようがない者もいる。業の深い事の何が問題かと言うと、他人に迷惑をかける事は勿論として、当人も悩みや苦しみが尽きなくなる点だ。自分の事ばかり考えていても、そうそう上手く行くものでは無い。上手くいかないのに欲は深いものだから、何故自分ばかりこんな目に会うんだと卑屈な自分が首をもたげてくる。何もこうなってしまうのは貧乏人だけでは無い。一見お金持ちに見えて不満がなさそうでも、心に住む怨賊に襲われれば誰しもこうなるのである。そして、この状態を地獄と言うのだ。と言う訳で、観音様を心に念じればこの地獄からも救ってくださると言うのがお経の趣旨である。

では、観音様がどう救ってくださるかになるが、目の前にいる人は観音様というのがその答えである。心に我欲が出る事は悪い事では無い。人間とはそういう生き物である。だが、どうにもこうにも欲が制御できず心が欲望で満たされてしまうならば、相手は観音様だと思うと良い。観音様を目の前にして、どうして自分の事ばかり考えられようか。どちらかと言えば、喜捨したくなる。これを以って怨賊が慈心を起こすと言うのだ。なお、喜ばす者が喜ばされるという言葉の通り、喜んで喜捨する貴方は、必ず喜ばされる側になるものである。自分の事ばかり考えてもうまく行かなかったのに、与える事を学ぶとうまく行ってしまう。これも観音様の霊験である。




【語句の説明】

1、値は、値遇の意味。仏縁のある者と出会う事。

2、遶(にょう)は、囲遶の意味。坊さんが囲みながらする礼拝。

3、咸(げん)は、あまねくや皆と言う意味。

2019年12月10日火曜日

観音経 普門偈 その3

【原文】

或在須弥峰 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住

或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛


【和訳】

或いは須弥の峰にあって、人が為に推し堕とされた所であっても、彼の観音の力を念ずるならば、日の如く虚空に住む。或いは悪人に逐(追)われる事になって、金剛山より堕落させられるとしても、彼の観音の力を念ずるならば、一つの毛すら損なうには能わない。



【解説】

まず話を整理すると、要は観音の力を念ずると奇跡が起きると言う話をしている。須弥の峰や金剛山と言う高山から堕とされても無事だという言うのだから、何とも有難い霊験である。

最初にでてくる須弥の峰は極めて高い山だ。これは須弥山の事で、須弥山は古代インドの宇宙観において中心にそびえる山となる。勿論、実在しない山だが、この山の回りを太陽や月が回ると考えていたようなので、空想上とは言えその大きさには恐れ入る。そんな山から突き落とされても、観音の力を念ずるなら、太陽のごとく空中に浮んで助かってしまうと言っている。これは一体どういう事だろう。事釈は前回説明した通りなので、今回からは理釈に絞って説明する。理釈という事で、まず須弥の峰は何の例えかという事になるが、これは人間の驕り高ぶりの象徴と考えると良い。その驕り高ぶりの程度が山の高さとなって現れている。驕り高ぶった人間は、知らず知らずのうちに敵を作る。しかも、自分では中々気づけないものだから、結局は高くなっている鼻をへし折られる事になる。これぞ人が為に須弥の峰から堕とされた雰囲気だろう。そうなっては様は無いが、しかし、そういう時であっても観音様は助けてくれると言う。これがお経の趣旨である。では、どうやって観音様が助けてくれるかだが、高くなっている鼻を折ってくれたのは観音様と言うのがその答えである。観音様が間違った生き方をしているぞと伝えるために、わざわざ鼻をへし折ってくれたのである。そうして鼻をへし折られた時に謙虚な気持ちを思い出すならば、思いあがっていた自分に眼が覚める。目が覚めれば鼻を折られた事を恨む事もないし、良い経験をさせてもらったと思えるのである。だから、太陽のごとく浮いて助かるわけだ。とは言え、わざわざ鼻を折らなくてもと思う方もいるかも知れないが、植木でも剪定を怠れば愛される木とはならないだろう。人もそれと同じである。ちなみに何故太陽のごとく浮くのかは、人は謙虚さと共に自信も大切だからだろう。自尊心は高すぎず、低すぎず、浮くくらいが調度良い。

次は金剛山の例えを考えて見よう。金剛は最も堅い金属と言う意味で、仏教では絶対堅固の象徴として使われる言葉となる。だから、文字通り解釈すれば、金剛山とはそういう堅い金属で作られた山となるから、そんな所から転がり落ちるなら体はズタズタに傷がつく。なれど、観音の力を念ずれば毛の一本も傷がつかないと言うわけだから凄い。では、金剛山は何の例えかとなるが、答えは堕とした犯人である悪人は何かと考えると良い気がする。と言うのも、この悪人は自分の心の弱さであろう。例えば、さぼりたいとか、ちょっとくらいズルしても大丈夫とか、そういう心の弱さが自分の心に住む悪人となる。今はしっかりやっているから大丈夫と思っていても(絶対堅固)、内面の悪人に身を任せればたちまち堕落するもの。今まで積み上げてきた善行もなくなる時は早い。これが悪人に金剛山から堕とされるという雰囲気だろう。こう考えると、堕落金剛山とわざわざ堕落と言う言葉使っている事も分かる。堕落は、倫理的に身を持ち崩す時に使われる言葉だから。では、毛一本も損なわないように観音様が助けてくれるとはどういう事かになるが、堕落しそうな時にここで負けてはいけないと思う事が出来たなら、人は踏ん張れるという事だろう。踏ん張れるなら、毛一本も損なわれない。観音様は心にすむ悪人を諭してくれるのである。






【語句の説明】

1、逐(ちく)は、追いかける、追い払うの意味。

2019年12月9日月曜日

観音経 普門偈 その2

【原文】

仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池

或漂流巨海 竜魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没



【和訳】

仮使、害意を興されて、大きな火の坑に推し落とされたとしても、彼の観音の力を念ずるならば、火の坑は変じて池と成る。或いは巨海を漂流し、龍、魚、諸々の鬼の難に会ったとしても、彼の観音の力を念ずるならば、波浪も没する事は能わない。


【解説】

まず要点を整理すると、巨大な火の穴はマグマ煮えたぎる火山口、龍魚と諸々の鬼の難は台風などの大シケと思えば良いのだろう。つまり、観音の力を念ずるなら、マグマ煮えたぎる火山口に落とされても火山口のほうが池と変わるし、大シケの海で漂流しても船は波浪から守られて沈没しないと言う話になる。まさに観音様を称えるにふさわしいエピソードである。

さて、この話を解説する前に、お経には読み方が大きく2つある事から説明しよう。一つは事釈と言い、もう一つは理釈と言う。事釈はお経を文字通りに解釈する読み方だ。マグマが池に変わるはずが無いとか、龍や鬼は空想上の生き物だとか、そう言う事は一切考えない。観音様にはそういう力があると理解する。理釈は逆に、マグマが急に池に変わるはずが無いし、龍や鬼がいるはずが無いのだから、これは例え話をしていると考える読み方だ。理釈する場合、文字通り言葉の裏に潜む理を読むわけだ。どちらの読み方も釈迦の教えには違い無いのだから、事理両面から読むのが良い。

では、まず事釈から解説しよう。マグマが池に変わる事は勿論、昔の小さな木造船を考えれば、大シケの海で漂流して助かるというのは奇跡としか言いようがない。そういう人智を超える力を持つ観音様と共にあるのだ。全てを観音様にお任せすれば良い。例え今、何かしらの不安の中にあったとしても、何も自分があれこれと不安に思う事は無いのだ。すべては観音様の手の中なのだから、安心してただお任せするが良い。すると、心は晴れていく。これが疑わずに信じる事釈が推奨される理由である。また、マグマや大シケの海は貴方の心の状態の例えであると考えれば、確かに燃え盛るマグマは池となり、船は沈まずに助かったと言える。観音様が苦しみを滅してくれたのだ。こう考えれば理釈となる。

理釈の場合、火とは何か、海に漂流した際に遭遇した龍魚や諸鬼の難とは何の例えかと言う話になる。まず火だが、火は煩悩や怒りの象徴だ。それは煩と言う字に火が使われている事や、烈火のごとく怒ると言う言葉からもそれは感じ取れる。そして、まさに烈火のごとく怒る事を大きな火の穴に落とされると言うのである。火事とは怖いものである。今まで時間をかけて作ってきたものを簡単に燃やしてしまう。怒りの炎もそれと似た処があって、善行を積んでいた人が一度怒ってしまったが故に全てを失う何てことがある。だから、もし怒りそうになったならば、観音様にお願いせよと言うのがお経の趣旨である。ただ、とは言っても、普通に考えて怒っている時に単に観音様を心に念じるだけでは自信が無いだろう。多少のブレーキにはなるだろうが、マグマが池に変わるような変化までは見込めない。では、お経の言わんとする観音様の力を念ずるとは何を意味するのだろうか。思うにそれは、相手を観音様の化身だと思えという事だろう。相手を観音様だと思うなら、果たして怒れるものだろうか。打って変わって背筋を正したくなる。故に、観音様はマグマを池に変えると言うのだろう。

さて、海の話に入ろう。まず海は何の例えかだが、欲に溺れるという言葉があるように、水は欲望の象徴でもある。世間は様々な誘惑で溢れている。そして、誘惑は欲望を刺激するのだから、世間は欲望の巨海ともなる。海で漂流した際に遭遇した龍魚や諸鬼は、貴方を誘惑する様々な欲望の例えである。特に愛欲を考えると良い。愛欲は誰もが経験するが、愛に溺れるという言葉があるように、打ち勝つのは難しい。この難しさを表した言葉が、龍魚であり諸鬼となる。愛欲に溺れれば、正常な判断が出来なくなりやすい。略奪、借金、泥棒、人殺しに至るまで普通ならしない事でも、溺れる人間は藁をもつかむと言った体で行う事すらある。だからこそ溺れる前に観音様のお力を借りよと言うのがお経の趣旨であるが、此方も火の場合と同じで、心に観音様を単に念じるだけでは少し弱い。簡単に愛欲の海に飲まれてしまう事だろう。だから、相手を観音様の化身だと思うと良い。人は人が見ていないと思えばこそハメを外すものである。逆に人の見ている所ではしゃんとする。それがよりによって、観音様が見ている前を選んでハメを外せるはずもない。きちんと自制心が働くようになるはずだ。とは言え、愛欲は本能が故に、愛欲の海のシケは続くかも知れない。故に、シケが止むとは言わずに、波浪も没する事は能わないとだけ言うのだろう。




【語句の説明】

1、仮使は、たといと読む。仮にという事。

2、坑は地面に掘った穴の事で、火坑は燃え盛る火の穴を意味する。

3、能わないとは、字の通り、その能力が無いという事。この場合は、波が舟を沈める事には絶対にならないという意味。

4、龍魚は一般的に龍と言って思い浮かぶ空を飛ぶ大蛇。ただ、海なのだから、巨大な魚がいても何の不思議はないため、龍と魚分けても良いだろう。


2019年12月7日土曜日

観音経 普門偈 その1



観音経の偈を解説してみる。

図書は故・松原泰道氏の「私の観音経」を参考にする。
















【原文】

1、世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名爲觀世音

  具足妙相尊 偈答無盡意 汝聽觀音行 善應諸方所

  弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 發大清淨願

  我爲汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦



【和訳】

妙相を具えし世尊よ。我は今、重ねて彼を問いたいです。仏の子は何を因縁として、観世音と名づけられたのでしょうか?妙相を具足する尊(仏)は、偈をもって答えられた。無盡意菩薩よ、汝は観音の行を聴くが良い。善く諸々の方所に応じている。その弘き誓いは海の如く深く、歴劫を経ても思議する事は出来ないだろう。多千億の仏に侍えて、大清浄願を発したのだ。我はそれを汝がために略説しよう。名を聞き及びその身を見て、心に念じ空しく過ごさないなら、能く諸々有る苦しみを滅するだろう。



【解説】

まず話の流れを説明すると、釈迦に対し、無盡意菩薩が観世音菩薩の名の由来を聞いたという話から始まる。そして、釈迦が答えるに、観世音菩薩のいつ、いかなる時も人々の役に立とうという願いは、海よりも深く、無限と言える時間を経ても理解されないかも知れないが、彼は膨大な数の仏について学び、その願いを起こしたのだと言う。釈迦が言うに、観世音菩薩の名を聞き、御姿を拝見し、心を同化し、空しく過ごさないならば、あらゆる苦しみから解放してくれるのだとか。

と、大変有難い話が書いてあるのだが、ではあらゆる苦しみからの解放とはどういう意味かを考えて見よう。まずこう言っては何だが、苦しみはどう頑張っても無くせるものではなく、無くなる事は無いと受け入れる事が大切だ。そもそも苦しみは一種の生理現象である。だから、苦しみが無くなってしまった人間は実は欠陥商品になってしまう。苦しみはなるべくなら避けたいとしても、生きる上で必要だから起きている事をまず知らねばならない。例えば、真夏の暑い日は堪えるが、もし暑さを感じなかったら、人は熱中症で倒れてしまう。そうなれば死ぬかも知れないし、回復しても脳障害が残る可能性もあって暑いどころの騒ぎでは無くなる。真冬の寒さは堪えるが、もし寒さを感じなかったら、人は凍傷から壊疽し手足を失う事だろう。寒さは苦しいものだが、寒いから手足を失う前に対処できるのである。では、痛みや悲しみはどうかと言うと、痛みは体に対する動かすなという合図であるから、痛みがあるからこそ無理に体を動かす事ができなくなり、結果として快方に向かいやすくなる。悲しみは涙を誘発し、涙は脳のストレスを緩和して脳が壊れないように助ける。こう考えて見ると、苦しみは様々あれど、そのどれもが生きるために必要不可欠な部分がある事が分かってくる。苦しみは、最悪の事態に陥る前のストッパーの役目を果たす有難いものなのである。どちらかと言えば、無くすなんてとんでもない。

だが、観世音菩薩はその苦しみから解放してくれると言う。しかも、苦しみは無くせないものにもかかわらずだ。だから、苦しみからの解放とはどういう意味かが気になるわけだが、苦しみは無くせないと受け入れる事が解放だと言うのなら良く分かる。と言うのも、苦しみから逃れたいと思っている内は、苦しみは苦しみとして厳然と存在する事になる。だが、苦しみは無くせないと受け入れて、苦しみと上手く付き合っていくのが人生と思えば、気持が前を向く。頑張ろうとなる。これぞまさに苦しみからの解放と言えよう。実際、苦しみはその状態で出来うる最善の選択肢という側面がある。そう嫌がる事も無い。





【語句の説明】

1、妙相とは、古代インドで考えられていた偉人の持つ特徴の事で、例えば、広長舌相というものがあり、その舌は顔を覆うほどだったとか、広くはこの世界を覆うほどだったという言い伝えがある。これは嘘偽りが無い事の比喩となるらしい。という訳で、妙相を具えたる世尊とは、つまりは世尊の素晴らしさを称えた言い回しとなる。なお、世尊は釈迦の別名である。

2、具足とは、十分に備わっていること。

3、方所は、方向と場所の意味で、諸方所は何時いかなる時もと言う意味。

4、弘誓は、大いなる誓願の意味。弘は広い、大きい。

5、歴劫は、無限の時間の意味。歴は経過、劫は非常に長い時間を意味。

6、侍は目上の者に仕えるという意味で、古くは貴族のすぐ下に仕える者を侍と言ったようだ。仏の気品を称えて侍という事を使ったのだろう。

7、略説は要約の意味。




2019年12月6日金曜日

里仁 第四 26

【口語訳26】

訳文を2つ示す。

1、子游がおっしゃった。君主とすぐ親しくなろうとすると、嫌われて恥をかく。友人とすぐ親しくなろうとすると、返って疎まれる。

2、子游がおっしゃった。君主への忠言もしばしばするなら、嫌われて恥をかく。友人への忠告もしばしばするなら、返って疎まれる。



【解説】

例えば、こちらは親しくなりたいと思っていても、相手がそう思っているかは分からない。相手がそう思っていないならば、親しくなろうとするほど嫌われるし、疎まれるのは当然だ。この点を無視してはいけない。故にすぐに親しくなろうとすると急がば回れになると言うのが今回の話の趣旨である。特に初対面の内は手探りの部分があり、相手も多少の警戒心を持っている。そこをすぐに親しくなろうとすれば、相手は警戒するばかりで、親しくなるばかりか無礼と思う事だろう。だから、相手と親しくなりたいならば、まずは礼儀を正す。そして、徐々に相手との呼吸を合わせ打ち解けていくのが王道だ。また、後段の忠言、忠告は言わば駄目だしであるから、駄目をだされて気持ちの良い人間はいない。しばしば出すならば、嫌われて疎まれるのは当然である。

なお、孔子一向が目指していた官僚と言う視点で言うと、特に王との関係には注意が必要で、王とすぐに親しくなろうとすれば、他の官僚の鼻につく。王に嫌われるという視点だけでなく、他の官僚にも嫌われる事に注意しなければならない。仲間内で嫌われればある事ない事吹聴されるし、足を引っ張られ出世はおぼつかない。これは現代社会でも応用の効く知恵ではなかろうか?やはり抜け駆けなど考えず、筋を通すのが一番良いのである。




【参考】

人間関係でまず礼儀を正すのは、正さずに恥をかく事はあっても、正して恥をかくことは無いから。学而13が参考になる。

2019年12月4日水曜日

里仁 第四 25

【口語訳25】

孔子先生がおっしゃった。徳のある人に孤立は無い。必ず理解者が有る。



【解説】

孔子が何故このような話をしたかと言う部分に注目して見ると、孔子の言葉は弟子達の不安を和らげるための言葉とも捉えたくなる。と言うのも、孔子は50代中ごろから60代にかけて士官先を求めて放浪していたわけだが、士官先が一向に決まらない事を弟子たちは不安に思っていた姿が八佾24に描かれている。その弟子たちを勇気づけるために、有徳の道を歩むならば理解者は必ず現れると言ったと考えると臨場感がある。なお、数式で説明するとこうなる。



徳のある人 = 人気のある人 (A)

人気のある人 = 孤立しない  (B)

とすると、


(A)、(B)により、

徳のある人 = 孤立しない 

孤立しないのだから、当然理解者はある。

故に孔子の言葉は道理となる。



実際、孔子の晩年は士官こそ叶わなかったが、

理解者は絶えず、2000年を経てなお賛同者がいる。


里仁 第四 24

【口語訳24】

孔子先生がおっしゃった。君子は口下手であっても、行いは機敏にと願う。



【解説】

具体的に考えて見よう。例えば、部屋が散らかっていたとする。すると掃除しなければとなるわけだが、その掃除は何時始めるかと言う問題がある。どういう事かと言うと、今すぐに掃除を始めたほうが良い事は誰しも分かるはずだし、もし他人の部屋が散らかっているならば直ぐ掃除したほうが良いと言うだろう。だが、自分の部屋だと打って変わって、明日やれば良いと後回しにしてしまう人が意外に多いと思うのだ。しかも、明日になったらなったで、やらなくても良い用事を作りだしてしまう。掃除しなければならないはずだったのに、色々理由をつけては掃除をせず、結局何時まで経っても片付かない。人間らしいと言えば人間らしいのだが、出来る事なら掃除をしてしまいたい。そういう気持ちを表して「行いは機敏にと願う」と言う。そして、それが出来る人が君子なわけだ。

また、君子が口下手でも良い理由は、いくら掃除しなければならない理由を上手く取り繕っても、実際に掃除しなければ部屋は片付かないから。口を動かす暇があったら、掃除したほうが早い。なお、今回は掃除を例に説明したが、仁であれ、孝であれ、同じ事である。人の道に沿う行いは、やらない理由を探さずに行いたいものだ。



【参考】

立派な官僚という視点では、学而14の解説が参考になるだろう。

2019年12月3日火曜日

里仁 第四 23

【口語訳23】

訳文を2つ示す。

1、孔子先生がおっしゃった。つつましくして、失敗する者は少ない。

2、孔子先生がおっしゃった。貧困なれば、それ以上失うものは無い。




【解説】

1、つつましくして、失敗する者は少ない。

陽徳よりは陰徳が良く、有償よりは無償の愛が好ましいように、思いやりも慎ましさの中にあってこそ気持ちが純粋に伝わりやすい。逆に思いやりを無遠慮に行うなら、厚かましいと思われるかも知れないし、巧言令色などの誤解をうけるかも知れない。他人の為と書いて偽と言うくらいだから。と言うの訳で、仁の人を志すならば、つつましさを身につけると良い。また、博打で財を成した者がいないように、派手な生活を好む者は借金などで困窮する場合が多い。一方、地味なようだが、つつましい人間が破綻したという話は聞かない。金銭的な面に注目しても、確かにつつましい人間は失敗が少ない。

なお、中国人は博打好きと聞くので、孔子は博打ばかり打ってると金は貯まらないと諭したのかも知れない。



2、貧困なれば、それ以上失うものは無い。

貧困にあっては、卑屈にならず、盗みを働かず。卑屈な人間には近寄り難い。盗みを働く人間では油断できない。だから、この手の人間に甘んじていては良い出会いは訪れず運は向いてこない。だから、貧困にあればこそ、ただ己の人格を磨く事に専念する。そう腹をくくった時、貧困は最良の先生となる。貧困は、お金の大切さを身に染みるほど教えてくれる。人の嫌な部分を散々見せて、世間の厳しさを教えてくれる。そして、どの種の人間が信用でき、どの種の人間が信用できないか体験させてくれ、人を見る目を養ってくれる。もしこれら艱難辛苦に負けず人格を磨けたなら、徳器は成就し、必ずや人生を変える出会いを引き寄せるだろう。

なお、これらは程度の差こそあれ、誰しものが人生の何処かで味わう苦い経験となる。それ故、出世してから教わっては上手くないとも言える。地位や豊かな生活を犠牲にするかも知れないから。だが、貧困の時に経験するならば失うものは無い。貧困で良かったという事もあるのである。出世すれば、嫌でもしがらみがつきまとう。しがらみを考えなくて良い貧困にあるからこそ、自由に伸びやかに人格を磨けるのだ。

2019年12月2日月曜日

里仁 第四 22

【口語訳22】

孔子先生がおっしゃった。古の時代、軽々しく物を言わなかったのは、言葉に及ばない自分を恥じたからだ。



【解説】

親孝行にこれで十分と言う話はない。例えその時は孝行したと思っていても、後々になってみると、自分の至らなさが目につき、もっとやれたと思えてくる。そういう経験をすると、とても自分を孝行息子と言う気にはなれなくなる。そんな言葉を言ってしまったなら、言葉に及ばない自分が恥ずかしくなるからだ。故に、古人は軽々しく物を言わなかった。例えばこういう話と考えると良い。

一般的に、人は頑張れば頑張るほど、自分の至らなさも分かるようになる。自分の至らなさを感じつつ、大きな事を言えるものでは無い。勿論、頑張るほどに周りの評価は上がる。だが、それとは裏腹に、本人の心情としては謙虚になる他ない。未熟な自分を知りつつ、どうして不遜になれようか。人の成長は稲穂のようのもので、人も稲穂も実るほど頭を垂れる。




【参考】

為政13にても、君子は不言実行とある。

2019年11月28日木曜日

里仁 第四 21

【口語訳21】

孔子先生がおっしゃった。父母の年齢は知っておきなさい。長寿を喜ぶためにも、老い先を気遣うためにも。



【解説】

親の年齢を知っておけば、親が高齢から体が不自由になってきている事を意識しやすい。自然と老い先を気遣え、孝行にも身が入りやすくなる。また、長寿を喜べば、可愛げのある子となろう。人間は老いは嫌がる傾向があるが、長寿は好む傾向があるから。

なお、孔子の言葉を逆から読むと赴きが変わる。例えば、長寿を喜んでいる事を親に伝えるにはどうしたら良いかと考える。すると、まずは父母の年齢を知らねばとなる。故に、孔子は先ずは父母の年齢を知っておきなさいと言っている。例えば、老い先を気遣いたいと考えて見る。すると、まずは父母の年齢を正確に把握したほうのが良いとなる。そこで、孔子は先ずは父母の年齢を知っておきなさいと言っている。孔子は倒置法を使って父母の年齢を知る事を強調しているわけだが、倒置法を外してみると、また景色が違って見えるのだ。孝の根本は親を気遣う心にある。長寿を喜びたい、老い先を気遣いたいと言う気持ちこそが孝の根である事を確認して欲しい。その気持ちが先ずあって、その具体的な方法の一つに年齢を知るというアドバイスがある。この順番が大切だ。



【参考】

為政6為政8も孔子が孝行について触れているので、参考までに。


2019年11月25日月曜日

里仁 第四 20

【口語訳20】

孔子先生がおっしゃった。父の死後、3年そのしきたりを改めないならば、孝子と言っても良いだろう。



【解説】

父の面子に注目してみると良い。例えば、父の死後すぐにしきたりを変えた息子がいたとする。すると、この息子は父とうまく行ってなかったのだろうかと言う疑いをもたれても文句は言えない。父のしきたりを変えるという事は父を否定する面があるから、生前は親子仲が悪かったと考えたほうが自然だからだ。となると、家族をまとめられなかった家長という事で父の面子が潰れる。父の面子を潰しておいて孝子とは言えまい。逆に、3年もの間父の言いつけを守っている息子がいたとしよう。すると、どう見えるかと言うと、父は生前しっかりと世話をしていたから、息子は父が死んだ後になっても慕って言いつけをきちんと守っているとなる。家長として立派だったとなろう。故に孝子と言っても良いと言う。

3年という期間については諸説あるが、ポイントは死後も十分に長い期間という理解にある。何故なら、くどいほど長く時間をかけねば、周りの人には伝わらないから。人間、例えば1か月のような短い期間なら、孝行している振りができる。本当はそんな気持ちはないが、体裁だけ整えるわけだ。だが、3年もの間振りが続くなら、それはもう振りと言えず本物と言って差し支えない。

また、孔子は為政7において、食わせるだけならば犬や馬にだって食わせている。親を敬わずに孝と言えるものかと指摘している。この視点で考えても良い。というのも、人は尊敬している人の言う事しか聞かないし、逆に尊敬している人の言っている事ならばやってみるかとなるもの。こう考えて見ると、父の死後すぐにしきたりを改めた息子は、父を尊敬していたようには見えない。故に孝子とは言い難い。しきたりを改める、改めないなどのちょっとした事からも人間性は垣間見えるのだ。



【参考】

なお、今回は学而11と同じ内容のようなので、学而11の解説も参考になるだろう。こちらは中国人を意識して書いてある。為政7も合わせてどうぞ。

2019年11月23日土曜日

里仁 第四 19

【口語訳19】

孔子先生がおっしゃった。父母の存命中は、遠くへ遊びに出かけてはいけない。仮に出かけるにしても、必ず行く先は告げる事だ。



【解説】

子の年齢によって多少のニュアンスの変化がありそうだが、総論で言えば、子が遠くへ遊びにいけば親は心配する。行く先すら分からないなら、親の心配は如何ほどのものになるか。その親心を察っせれないようでは、とても孝子とは言えないというアドバイスとなろう。孝の根本は、親に心配をかけまいとする心の有り方にある。だから、遠くへ遊びに行ってはいけないと単に言葉通り理解してはいけない。寝ても醒めても子の帰りを心配する親心に心を配るならば、とても遠くへ遊びに行けるはずが無いという順番で理解したほうが良い。そう考えるなら、行先を伝えずに遠出するなど論外だと分かる。特に中国人の場合、現代でも世界中に中華系の出稼ぎ労働者がいるように、歴史的に遠くへ出稼ぎに出かける事も苦にしない傾向がある。また、治安も良いとは言えず、特に子共は誘拐される危険性もある。この辺の事情に孔子は心を痛めたのかも知れない。

なお、他の解釈として、遠くに遊びに行っている内に両親に何かあれば申し訳が立たない、もしくは遠出している間は両親の世話ができないからとも考えられるが、やはり上記のように心の有り方を軸に解釈するのが筋だろう。君子なれば道理を抑えるべし。




【参考】

中国と日本では多少文化の違いがあると思うが、親心を理解するに最適な「感恩の歌」を紹介する。




感恩の歌      竹内浦次 作

あわれ同胞心せよ  山より高き父の恩
海より深き母の恩  知るこそ道の始めなれ

児を守る母のまめやかに  わが懐中を寝床とし
かよわき腕を枕とし    骨身を削る哀れさよ

美しかりし若妻も  幼児一人育つれば
花の顔いつしかに  衰えゆくこそ悲しけれ

身を切る如き雪の夜も  骨さす霜のあかつきも
乾ける処に子を廻し   湿れる処に己れ伏す

幼きものの頑是なく   懐中汚し背をぬらす
不浄をいとう色もなく  洗うも日々に幾度ぞ

己は寒さに凍えつつ   着たるを脱ぎて子を包み
甘きは吐きて子に与え  苦きは自ら食うなり

幼児乳をふくむこと    百八十斛を越すとかや
まことに父母の恵みこそ  天の極まりなき如し

若し子の遠く行くあらば  帰りてその面みるまでは
出ても入りても子を憶い  寝ても覚めても子を念う

髪くしけずり顔ぬぐい  衣を求めて帯を買い
美しきもの子に与え   古きを父母は選ぶなり

己れの生あるそのうちは  子の身にかわらんこと思う
己れ死にゆくその後は   子の身を護らんこと願う

よる年波の重なりて  いつか頭の霜しろく
衰えませる父母を   仰げば落つる涙かな

ああ有難き父の恩  子は如何にして酬ゆべき
ああ有難き母の恩  子は如何にして報ずべき

はえば立て立てば歩めの親心 わが身につもる老いをわすれて

世を救う御代の仏の心にも似たるは親の心なりけり




2019年11月19日火曜日

里仁 第四 18

【口語訳18】

孔子先生がおっしゃった。親に仕えては、それとなく諫めるが良い。親が聞いてくれない場合も、また元の通り敬って逆らわない事だ。苦労させられたとて恨むでないぞ。



【解説】

他人は自分の思い通りにはならない。それは例え親であっても同じである。大切なのは操縦から、導くに意識を変える事だ。第一、そのほうが労が少ない。故に、親に仕えては、それとなく諫めると言う。それとなくと言う言葉に、導くと言う意識を感じると理解しやすいだろう。逆に普通に諫めてしまっては何が問題になるかと言うと、親が感情的になってしまうかも知れないという事だ。本当は子の言う事にも一理あると思っていても、面子を気にして素直になれなくなる。これが相手を操縦しようという意識では上手くいかない理由で、この場合、貴方は何故言う事を聞いてくれないとストレスを抱えるのが落ちとなる。

親が諫めを聞いてくれない場合、他人は自分の思い通りにならないのが普通なのだから、本来聞いてくれないからと言ってどうという事もない。それを感情的になって逆らってしまえば、親も感情的になってしまって余計に聞いてもらえなくなる。苦労させられたと恨むものなら、育てた恩を忘れた親不孝な子を持ったと嘆かれるのが関の山となる。だから、親が諫めを聞いてくれなくても敬って接するほうが良い。親を敬い逆らわずに従っていれば、親も子が可愛くなるし、感心する。そうなれば、少しは子の言う事も聞いてやるかとなるのが人情だ。親に言う事を聞いて欲しければ、逆らわず孝行に励むのが最善なのである。故に、親が諫めを聞いてくれない場合であっても、元通り敬って逆らわず、苦労させられたとて恨まないと言う。

なお、立派な官僚という視点で考えると、親不孝の疑いをかけられないためにも細心の注意を払うという理解でも実利に適っている。官僚ともなれば、親を敬まえない者に他人を敬えるはずが無いと言われては、非常にまずい事もあろう。そう考えれば、逆らうのはご法度、恨むのはご法度、親の面子を潰さないためにそれとなくと諫めるのも当然となる。個人主義的に考えれば、このほうがスッキリするかも知れない。




【参考】






2019年11月18日月曜日

里仁 第四 17

【口語訳17】

孔子先生がおっしゃった。賢者を見ては、見習う。愚者を見ては、内省する。



【解説】

一言で言えば、人の振り見て我が振り直せという話だが、何故そう言われるのかを少し掘り下げて説明しよう。優れた人になるには、優れた人の真似をするのが早い。出来れば優れた人と行動を共にし、その方の思考のパターン、所作を出来るだけ真似をする。そうしている内に優れた人とどんどん似通っていくから、当然ながら自分も優れた人にどんどん近づいていく。これを波長が合うと言う。優れた人と波長があうと、恐らく人間関係も変わり始める。人は波長の合わない人と一緒にいても居心地が悪いため、以前付き合っていた友人達とは疎遠になっていくのだ。以前付き合っていた友人達は、自分が変わる前の波長と合う友人達なので、自分が変わってしまえば考え方のあわない人達になるからだ。逆に言えば、友人が一新するような状況にならねば、自分が本当に変わったとは言えないと思っても良い。少々極端に感じるかも知れないが、普通の人が優れた人と波長を合わせればそういう結果を招くはずなのだ。そして、優れた人と同じ波長になった貴方には、同じく波長のすぐれた人達が新しい友人になってくれるようになる。優れた友人達に囲まれた貴方は、チャンスにも恵まれるようになり、自然と人生が好転していくだろう。

次に愚者を見て内省する理由だが、愚者と波長を合わせないためと考えても良いかも知れない。愚者の愚者たる所以は、波長が愚かであるにつきる。そのような者と行動を共にし同じ波長になってしまうなら、自分も愚者になってしまう。そうすると上記とは逆に、優れた友人達は去り、代わりに愚者の友人達が集まってくる。水は低きに流れ人は易きに流れるというように、賢者になるよりも愚者になるほうが簡単であるため、孔子が君子になるはずの貴方に警告を発したとも言えよう。愚者にならないための秘訣は、愚者を見た時、自分にも同じ部分がないかと内省する事に尽きる。そうする事で愚者は他山の石となり、ある意味では師とさえなるのである。優れた者だけでなく、愚者さえも師とできたなら、まさに盤石となろう。

なお、君子を立派な官僚として解釈するなら、賢者とは出世の糸口をつかんだ者、もしくは出世している者だ。実利で考えるなら見習うのは当然となる。愚者は逆に出世コースから外れた者、もしくは出世の糸口をつかめなかった者になるから、我が身の事として内省するのも当然となる。

2019年11月14日木曜日

里仁 第四 16

【口語訳16】

孔子先生がおっしゃった。君子は道理をさとり、小人は損得をさとる。



【解説】

人生の勝ち負けにこだわるわけでは無いが、あえて人生全体を一つの勝負と考えてみると、君子が万事道理を大切にするのは、それが負けづらい手であるからと考えても良い。損得のみを考えた言動はその場限りでは良い思いをする事もあるだろう。だが、後々咎められる可能性も高く、後顧に憂いを残すとも言える。人生を近視眼的に考えるのではなく、雄大に長い目で捉えるなら、後顧に憂いを残す事は極力するべきでは無い。長い時間の中では、必ず咎められるときが来るのだから。これは例えば、政治家の汚職など良い例となる。彼らは賄賂を受け取ってその場では良い思いをしたはずだし、その時はバレないと思っているはずだが、しばしばTVや新聞を騒がすようなニュースに発展している。こうなって見れば、賄賂を受け取った事は馬鹿だったとさえ言える。ルールを破ったらいけないは子供でも知っている道理だが、道理をきちんと実践しているかは、長い時間のなかでは効いてくるのである。勿論、道理に従っていれば必ず成功できると言ったものでは無く、損得のみを考えては必ず失敗すると言うものでも無い。なかには損得のみで成功している者もいる。ただ、どちらが勝ちやすいかと考えた時に、君子は道理を重んじ、小人は損得に走る傾向があると考えて見たい。要は勝ち安さの問題である。

なお、君子を立派な官僚という意味で解釈するなら、君子でなければ国を潰す。小人には安心して政治は任せられないと言える。また、単純に考えて、道理をさとらねば応用がきかず、目先の損得に走るは実質的に損と考えても良い。経験を経験として活かすには、道理を把握しなければならないのも、また道理なのだから。





【参考】

将棋の世界にはプロとアマチュアがいるわけだが、プロとアマチュアで何が決定的に異なるかと言えば、将棋の腕の他に持ち時間がある。アマチュアの対局では精々数十分の持ち時間の処、プロになると数時間に増え、タイトル戦などは2日にわたり対局がされたりする。この持ち時間の差が、将棋の指し手の発想に決定的な差を生む事になるという話がある。アマチュアは相手の持ち時間が短いため、その短い持ち時間をついた手も有力な選択肢となる。実力者が見ると無理筋の手であっても、考えられる時間が短い中では実戦的なのである。詰み将棋もかける時間によって正答率は変わるように、考える時間が無ければ受けを間違うからだ。そのため、ただ局面を複雑にすれば、読みが追い付かないため勝負になる。

プロにこういった発想が無いかと言われれば、勿論ある。将棋は間違ったほうが負けるゲームという性質上、劣勢の祭は局面を複雑にして難しくしておくという事は一つの勝負術となる。故・米長永世棋聖などはそういった事が得意だったような気がする。だが、こういった発想は劣勢だからこそする事なので、プロのレベルではアマチュアほどの効果は期待できない。プロは腕もさることながら持ち時間も長いため、無理筋な手はきちんと受けられてしまう事が多いからだ。そのため、プロは持ち時間があっても関係が無い手、言い換えれば、棋理に沿った手を指そうと心がける。棋理にそった手なれば相手に咎められる心配なく、勝率に直結するからだ。君子の発想もここらへんに由来するのではないか。





2019年11月12日火曜日

里仁 第四 15

【口語訳15】

孔子先生がおっしゃった。参くんや。我が道は一つの道理を貫いてきたのだ。曾子が答える。さようでございます、と。孔子が去ると、他の門人達が曾子に尋ねた。どういう意味ですか、と。曾子が答える。師の道は忠恕に尽きると言えましょう。



【解説】

今回は後に孔子直系の後継者となる曾参の若かりし頃と、晩年の孔子のやり取りの一コマと考えると自然だ。年齢差46歳らしいので、この会話がなされた時、孔子は70前後だったと考えられる。孔子からすれば孫ほどの年齢である曾参に対し、自分の人生を語りたくなった。そう考えると、どこにでもありそうな日常の風景になる。

さて、まずは話の流れを整理しよう。孔子が自分の人生は一つの道理を貫いてきたと言うと、曾参はすぐに同意した。さようでございます、と。さすがに後に儒家の中心的人物となる曾参だけあって、心得たものと言えよう。その事に安心したのか、孔子は満足して部屋を後にした。だが、このやり取りを傍目で見ていた他の門人たちには、孔子が何故満足して部屋を後にしたのか分からないかったらしい。そこで曾参に孔子の貫いてきた道理は何かと聞いた。すると曾参は、師の道は忠恕の一語に尽きると答えたというのが話の流れとなる。

というわけで、孔子が貫いてきたという忠恕とは何かになるが、忠は偽りのない心と言う意味で、真心と訳される。忠の字を見ると中にある心と書くくらいだから、最も中にある心の部分と考えれば、忠=真心というニュアンスが感じ取れ理解の助けになるだろう。次は恕だが、恕は相手の心を察すると言う意味で、思いやりと訳される。恕は女の口に心と書くだろう。女と言うのは相手の心を察するのが得意な生き物である。表情、しぐさ、声色の微妙な変化に敏感で、ちょっとした変化から相手の心情を推し量る。そして優しい言葉を話す。こういったニュアンスが恕という字に現われていると考えれば、恕が思いやりという意味になるのも分かるような気がする。まさに心の如くである。なお、こういった女の能力は、生まれたばかりで言葉を全く話せない我が子を育てる時、我が子のちょっとした変化から、我が子の状態を察する事ができるように備わったのではないかという説がある。話が脇道にそれたが、忠恕の道は真心と思いやりの道であり、つまり孔子が歩んできたのは仁の道というのが結論になる。孔子は孫くらいの年齢の子に、先生は真心と思いやりの人生を歩まれてきましたと褒められて気持を良くしたわけだ。まさに我が意を得たりであっただろう。

なお、この話を教訓として活かすなら、以下3つの質問を考えて欲しい。全てYESなら君子の素養が備わっている。


  •  自らの人生を貫く道理はあるか?
  •  忠恕の道を歩んでいるか?
  •  曾参くらいに上司を理解しているか?




【参考】

女性の特徴の段は、以下の本を参考にした。


2019年11月10日日曜日

里仁 第四 14

【口語訳14】

孔子先生がおっしゃった。地位が無いからと言って嘆かない。地位にふさわしい実力があるかを心配する。知られないからと言って嘆かない。知られるような実力をつける事を求める。



【解説】

地位は結局のところ、運否天賦の世界である。地位にふさわしい実力があれば地位を得られるかと言うと、その実力を妬む者が上にいれば、邪魔をされて不遇に追いやられる。逆に、実力が無くても、その実力が無い事を上が気に入れば、厚遇されて出世してしまう。それが世の中だ。上がどのような人物であるかは巡り合わせとしか言いようがなく、まさに天のみぞ知る世界であるから、地位が無い事を嘆いても仕方がない。人間に出来る事は、少なくても地位が与えられた時に、その地位にふさわしい実力が備わっているようにして置くに尽きる。そうしている内に、上が変わってしまうというのも世の中なのだから。故に、地位を嘆くより、地位にふさわしい実力を心配したほうが良いと言う。

知られないからと言って嘆かないのは、世の中は知られれば良いと決まったものでもないから。実力が無いうちに世に知られれば、あるいは名折れとなる事も考えられる。名折れとなっては、失った信用を取り戻さなければならないと言う意味で、零どころかマイナスからのスタートとなってしまう。知られないから良かったという事もあるのである。大切な事は、自分に都合の良い事だけを考えず、公平に都合の悪い事も想定する事である。そうすれば、知られない事を嘆いても仕方ないと分かる。世に知られるかどうかは、やはり天の範疇であるから、人事を尽くして天命を待つが最良の選択肢なのである。故に、知られないからと言って嘆かず、実力をつける事に専念すると言う。

また、他の解釈として、君子は愚痴を言わないと考えても良いだろう。



【参考】

学而16と同じ内容の模様。学而16の解説も合わせてどうぞ。

2019年11月9日土曜日

里仁 第四 13

【口語訳13】

孔子先生がおっしゃった。礼制と謙譲の精神のもとで国を治めるなら、何の難しい事があろうか。礼制と謙譲の精神のもとで国を治められないなら、礼制は何の役に立とうか。



【解説】

礼制が必要な理由は、要は便利だからだ。どういう事かと言うと、例えば、いくら心で敬意を示しても、心で思うだけでは相手に敬意は伝わらないという問題がある。そのため、相手に敬意を伝えるためには、相手にも分かる形で具体的に敬意を示さなければならないとなる。そうすると敬意を示すための共通の所作があったほうが良いとなり、それが社会規範として発達する事になる。そして、そういった社会規範が洗練されると礼制と呼ぶようになるわけだ。礼制に則ることにより、相手にあらぬ誤解を与えてしまうリスクも避けられるため、誤解から喧嘩になる事もなくなり、言わば高いレベルでの非言語コミュニケーションも可能になる。

このように礼はコミュニケーション手段が増えると言う意味で便利であるのだが、一方で、良くも悪くも形式に過ぎず、言わば化粧のように見た目を整えたに過ぎないと言う問題もある。いくら見た目を整えても、お互いが自分の利益を主張するばかりで実質的な折り合いがつかなければ、それはそれで喧嘩になってしまうものだ。そこで必要になってくるのが謙譲の精神と考えるとスッキリするだろう。つまり、利害が対立しても、お互いが相手を尊重して譲り合うならば喧嘩にならないと言うわけだ。故に、礼制と謙譲の精神のもとで国を治めるなら、国を治めるのに何の困難も無くなる。相手を侮辱せず、その誤解をうけず、相手を尊重し利益を譲るなら、どうして喧嘩になろうか。喧嘩にならないなら、何の困難があろうか。いや、無いというわけだ。

また、礼制と謙譲の精神のもとで国を治められないなら、礼制が役に立たない理由も上記の通りである。謙譲の精神ぬきでは、利害対立した場合に喧嘩になってしまう。これは、お互いが礼儀に則りながら皮肉を言い合う姿を想像すれば分かりやすいだろう。笑顔で皮肉を言い合う姿などグッタリするのでは無いだろうか。



1、礼に通ずる事こそエリートの証

君子を立派な官僚として考えると、円滑に仕事を行うために喧嘩を避けたいという実務上の理由のほかに、礼に通ずる事で生じるエリート意識も抑えておきたいポイントとなろう。と言うのも、一般人は礼に通じてはいないし、知っていてもおぼろげに知っているだけだ。そのため、礼に通じる事で自ずとエリート意識が芽生えるし、礼に通じた者同志の仲間意識を強める事にもなる。エリートは嫉妬され仲間外れになりやすい事を考えると、この仲間意識は処世術として大変重要となる。ここら辺の事情が孔子が仁を説く一端でもある気がする。

2019年10月31日木曜日

里仁 第四 12

【口語訳12】

孔子先生がおっしゃった。自分の利益本位の行動は、恨まれやすい。



【解説】

打算は当然なれど、過ぎれば鼻につくもの。処世術として踏まえるべきは、自らの利益と周りの利益の調和を取る事だ。調和を逸すれば敵を作り、結局は碌な事にならない。目の前の利益だけを考えるのではなく、敵を作ってしまう事で将来に生じるコストもきちんと評価したほうが無難だ。実際、恨まれても釣りがくると言う話などまずお目にかかれ無い。恨まれれば将来仕返しされる可能性が生じ、それは恨んだ相手が納得するまで消えないのだから、不吉な事この上ない。とは言え、恨む人間が少なければ生活に支障はでないかも知れないが、自分の事ばかり考えるような人間が作るであろう敵が、果たして少なくて済むかという問題がある。なんせ日に日に敵を作ってしまう性格なのだから、多くの敵に囲まれるようになると考えたほうが自然と言うものだ。そして、多くの敵を囲まれるようになるとどうなるかと言えば、何をするにも邪魔が入るようになり、とても生きにくい状況に追い込まれる。自分の利益本位の生き方は、時間が経つごとに生きにくくなるのが道理なのだ。君子ならば、時間が経つごとに生きやすくなるような生き方をすべきだし、また、そうでなければ君子とは言えまいと考えたい処だ。

なお、一方で、生きにくくなったら逃げれば良いと言うのも現実的な考え方ではある。ただ、性格のほうを是正せずに逃げるだけでは、本質的な解決にはならない事が難点となる。



1、物をくれる人が最上の友人

君子を立派な官僚として考えると、物をくれる人が有難い友人と考えると現実の政治に即してる。賄賂は受け取るだけではダメ、配ってこそ活きるのだ。

2019年10月29日火曜日

里仁 第四 11

【口語訳11】

孔子先生がおっしゃった。君子は有徳を願い、小人は安楽を願う。君子は責任を取る覚悟をするが、小人は責任を逃れる事を願う。



【解説】

君子と単なる知識人の興味関心事の違いが出ている言葉だと思う。君子と知識人は似て非なるもので、人間としての根本にハッキリとした差がある。君子にとって大切な事は、一にも二にも有徳者らしい振る舞いである。そのため、例えば、自らの言行が仁者にふさわしいものであったかに重きがおかれる。一方、知識人の場合、徳の高い人間になるよりも良い暮らしがしたいという欲求から知識を身に着けているため、自然と安楽こそが大切になる。安楽を願う事が悪いわけではないが、君子と単なる知識人では格が違う。

こういった人間としての根本の違いは、責任をとらねばならない場合にも良く現れ、有徳者たらんとする君子にとっては言行一致が大切であるため、責任逃れは恥ずべき行為になる。言行不一致になるからだ。故に責任をとる覚悟をする。一方、安楽のために書物を読んだ知識人は、安楽こそが大切なのだから、安楽を得るために責任を回避しようとお目こぼしを願うのは自然な成り行きとなろう。



1、三十六計逃げるに如かず

君子を立派な官僚として考えて見よう。官僚と言えば、出世こそが生きがいと相場が決まっているが、出世は所詮は確率論の世界である事を知っておきたい。世間は実力があれば評価されるかと言えば、そう簡単でも無い。例えば、実力が裏目にでてしまうと、嫉妬されて不遇に追いやられるなどは良くある話だし、王関連で言えば、戦争での活躍が王の猜疑心を煽ってしまい命を失ったと言う話もある。実力は大切なれど、それは出世の確率があがるだろうと言う意味で、と冷静に抑えておきたい処だ。

今回、君子は有徳者たらんと欲し、その結果責任を取る覚悟をするという流れで説明したが、有徳者になるのは少しでも出世の確率をあげるため、責任を取る覚悟をするのは、今が逃げ時の可能性もあるからという捉え方をして見ると面白いかも知れない。処世術として役に立つ事もあろう。実際、責任をとったとしても、その者が人材として惜しいならば必ず再度声がかかるものだから、責任を取ったからと言ってチャンスが無くなるわけでは無い。逆に、生き残りをかけて責任逃れを画策した結果、潔くないとなり、より厳しい処罰になってしまったなんて事もある。こう考えて見ると、三十六計逃げるに如かずと言うのも道理かも知れない。

2019年9月18日水曜日

里仁 第四 10

【口語訳10】

君子の天下における有り方は、好む、好まないでは無い。ただ道理に従う。



【解説】

君子は公平な性格ゆえに、物事を好む、好まないでは判断しない。道理に従うのは、当たり前の事を当たり前にするのが合理的で無理がないから。当たり前の事を当たり前にするのは当たり前なれど、人間は情の生き物ゆえに、これがなかなか難しい。分かっているけど出来ないという性が人間にはある。そこで今回の孔子の言葉になるのであろう。物事を好き嫌いで判断しやすい小人と比べ、君子は好き嫌いで物事を判断する事はない。当たり前の事を当たり前にできる人間なのだ、と。そして、当たり前の事を当たり前にできる事で、人は立派と評されるようになり、君子と呼ぶにふさわしくなる。当たり前の事は行うとなると難しいから、当たり前の事が常にできると、それはもはや普通ではないからだ。



1、君子は物事を好き嫌いでは判断しない

物事を好き嫌いで判断する事は、一見当然のように感じるし、えこひいきして何が悪いと言われれば、別に悪くない。だが、君子が物事を好き嫌いで判断しないなら、物事を好き嫌いで判断する事のメリットより、デメリットを重く見るのが君子という事になる。そこで、まずメリットを考えると、メリットは自分のやりたいように出来る事だろう。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、これで上手くいくなら越した事は無い。ではデメリットは何だと考えると、恐らくそれでは上手くいかないという事なのだろう。こう言ってしまっては話が終わってしまうが、実際、経験を積むうちに自分の好き嫌いでやって失敗する事にでくわすはず。また、そもそもの話、自分の好き嫌いは言えないような場面などしょっちゅうある。すると、道理を重んじるのが早い事に気づく。道理は無理が無いゆえに道理と言うのだから、道理に従えば周りの納得も得られやすく、邪魔が入りづらいからだ。こう考えて見ると、君子が道理に従うのも当然と言えば当然と言えよう。道理に従わねば、物事はうまく行かないのだから。道理に反するとは、言わば奇をてらうという事だ。奇をてらえば、周りの理解を得られない。結果として、反発を受けると言う話になる。



2、道理に従うのは存外難しい

道理に従うとは一体どういう事かと言うと、故・松下幸之助翁の言葉にあやかれば、雨が降ったら傘をさすと言うような話だ。雨が降ったら傘をさす。当たり前である。これくらいなら誰でもやっているが、では孝となったどうだろう?孝とは本来は先祖供養を指す言葉だから、先祖供養を考えると、きちんとお墓や仏壇を管理できているかと言うと、仏教離れが叫ばれるくらいだから疎かになっている人も多い気もする。こう書きながら筆者自身も自信はないが、孝が大切なのは誰でも知っている道理だが、実際にやるとなると色々理由をつけてはやらないのも人間だ。そして、孝を疎かにする者が多いからこそ、当たり前に孝をできる人間が立派に見えるのである。

なお、余談だが、孝は孔子が一等の徳目として考えているものだ。これは孔子が葬儀屋であった事を差し引いても、さもありなんと感じる。と言うのも、中国では人の死後は地下の世界で生き続けるという死生観があるため、孝はその地下で生き続けているはずの先祖の生活の面倒を見る事に他ならない。この話が本当かどうかは確かめようがないが、そういう死生観である以上、孝を疎かにする行為は先祖を見捨てる事を意味する。自分勝手な性格を如実に表す事になろう。自分の先祖の死後の面倒を見れない者に、他人には仁を以って接せれるかと言うと、推して知るべしと言わざる得ない。孝を以って人を判断するという孔子の基準は秀逸かも知れない。



3、嫌な仕事もある

君子を立派な官僚として考えると、参考にしたい言葉がある。故・山本五十六元帥の言葉を紹介する。彼曰く、「苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが、男の修行である」との事だ。名言であるが、この男と言う部分を君子と言い換えれば、君子が好き嫌いでは仕事はできず、無理がない道理に従うのも納得いく気がする。















なお、孔子は54歳の時に今でいう司法大臣の位に出世しているが、その時代に好む好まないより道理に従うと言ったと考えるなら、誠に法の番人らしい言葉にも見える。





【参考】

故・松下幸之助翁の雨が降ったら傘をさすの件が、孔子の言葉の助けになるだろう。名著である。





2019年9月6日金曜日

里仁 第四 9

【口語訳9】

孔子先生がおっしゃった。道を志すと言いながら粗末な服装や食事を恥と気にするなら、まだ共に語りあう同志としては足らない。



【解説】

粗末な服装や食事を気にする者は同志としては足らない理由は、具体的に考えて見ると分かりやすい。例えば、金と引き換えに、同志を売れと迫られた状況を考えて欲しい。この時、仁の人ならば、金では同志は売れないと言って断るだろう。仁の人にとって最も大切なのは、自分が不仁な行為を犯さない事だから。だが、粗末な服装や食事を恥と感じている者に、同じ事が言えるかと言うと、私には自信が無い。何故なら、粗末な服装や食事を恥と気にする事は心の迷いの現れであり、心に迷いがある時点で、まだ仁の道を本当に志しているとは言えない。故に、孔子は語り合う同志としては足りないと言う評価を下すのだろう。

同志の条件を示唆した今回の孔子の言葉は、若ければ若いなりの赴きのある言葉になるが、特に孔子が政争に敗れ、魯を追われて漂浪する事になった50代の半ばからの境遇を考えると良いかも知れない。孔子の言葉に切実さを感じれる。この頃を孔子は耳順と評しているが、耳順う相手が仁の人でなければ、とても信頼が置けなかったはず。頼る相手が粗末な服装や食事を気にしているようでは、いつ裏切られるか分かったものでは無いのだから。こう考えて見れば、粗末な服装や食事を恥と気にするなら、まだ共に語りあう同志として足らないのは当然となる。



(以下、他の解釈)


1、学徒にあっては

学問修養をしている者にとっては、余計な事を考えている暇があるのかという激励の言葉になろう。学業に専念すべき時分に、服装や食事に気がいくようでは、中途半端に終わるのは目に見えている。これを現代で例えるなら、彼女のできた高校生の成績が落ちるようなもので、彼女とトップクラスの成績の両立は難しい。道を志すならば、まずは道のみに専念する。他の事には興味関心がないくらいでなければ、とても覚束ないもの。当然に語り合う同志としては足りない。




2、官僚として

官僚として考えると、粗末な服装や食事になるようでは、賄賂が集まっていない事を意味するから、純粋に能力的にどうかという問題もある。中国の場合、日本とは違い賄賂は悪い事と考えられていないため、特に求めなくても勝手に持ってくる。したがって、賄賂も集められない官僚は融通が利かない官僚と言うべきか、人間的に何か問題がある疑いもでて然るべきだ。賄賂のために道を志すのであれば君子とは言えず、小人という事になるが、君子なれば賄賂は集まって然るべき土壌が中国にはある。そもそも仁の人ならば助けたくなるのが人情だし、利にさとい人ほど、仁の人を盛り立てて後ろ盾になってもらいたいと考える。これをどう考えるかだが、語り合う同志としては足りないという見方も一興だろう。

また、孔子の50代のように、道を貫いた結果として粗末な服装や食事に甘んじる事になった場合ならば、本来は本望とも言うべき状況のはずだ。それを後になって粗末な服装や食事になってしまった事を恥るのでは、道に対する信念が足らないと言わざる得ない。これは人としての言行一致が見られないと言っても良く、当然、語り合うべき同志として足りなくなる。言行が一致しない人間と語り合っても仕方ない。




3、教訓として

君子たるは難く、小人たるは易しい。常日頃から心の置き方には注意しなさい。ふとした瞬間にそれが出てしまうから。






2019年8月29日木曜日

里仁 第四 8

【口語訳8】

孔子先生がおっしゃった。朝に道を聞きけたなら、夕に死んでも悔いはない。



【解説】

「朝に道を聞けたなら、夕に死んでも悔いはない」、覚悟を感じる良い言葉だと思う。この言葉を教訓として読めば、読者それぞれが思う道が正解であり、死んでも悔いは無いくらいに打ち込めたら充実した日々を送れる事だろう。人間かくありたいものだが、孔子が説く道であるから、道は仁の道が本筋である気がする。そこで、孔子は仁の道を想定しているとして話を進めて見る。

この場合、朝に道を聞くとは、自分の進むべき道を知るという事で、仁の道を本気で志すという意味になるのが自然だが、仁の道に本気になるほどに困った問題が生じる。それは、仁の道を意識する分、自然と逆の不仁が思いのほか鼻につくようになるのだ。すると鼻についている事は相手にも伝わるものだから、その相手から敵だと思われやすく、結果として災いに会いやすくなる。だからと言って、不仁の輩と同じように振る舞って相手にあわせるなら、とても仁の人とは言えない。仁の人たるには、仁の道を踏みはずすくらいなら死をも厭わないといった覚悟で臨まななければという部分があるのだ。そうでなければ、不仁の者の同調圧力に屈して、朝に仁の道を志したはずの者が、夕には不仁の者に戻っていたという事になるだろう。まるで根無し草である。しっかり地面に根をはった人間になるという意味において、孔子の言葉はまさに至言である。

さて、死をも厭わない覚悟で仁の道を志すとどうなるか、順をおって考察してみよう。まず志してからしばらくの間は虐められるかも知れない。不仁の者にはあわせず、自分は仁を貫くのであるから、不仁の者との間には自然と軋轢が生じる。不仁の者は往々にして攻撃的だったりするので、最初の数か月から長ければ数年はその攻撃に耐える時期となる。この時期は自分の志の強さを試される時期となるだろう。だが、そうやって耐えたり、攻撃をかわしたりしている内に、必ず変化が訪れる。その変化が何時訪れるかは分からないのが難点だが、これだけは言える。必ず不仁の者の攻撃が止む瞬間はくる。その時が仁の者を志しているという自分の志が周りに受け入れられ始めた瞬間であり、恐らく味方が出現した瞬間でもある。そもそも不仁の者は根っから仁の者が嫌いで攻撃するわけでは無い。貴方の仁の行為に何か裏があると勘ぐって誤解していたり、周りの者も魯迅の打落水狗で、溺れた犬に追い打ちをかける事で同調して自らの身を守っているに過ぎない。基本的に仁の者を嫌うなどで出来ようもないのだから、誤解が解ければ必ず攻撃は止むし、仁の者には必ず味方も現れるのである。この攻撃が止む頃合いを以って、仁の道における初心者から中級者になったと言えるだろう。習い事で言えば初段と言った処で、君子と言う意味では、ここからが本当のスタートとも言えるも知れない。

さて、仁の人として中級者になったという事は、要は仁の人としての印象を周りの者から持たれているという事なので、この頃には貴方を攻撃する者も基本的にいなくなっている。勿論、全くいなくなるわけではないが、かなり限られてくるのは間違いない。まず味方が出来ているし、貴方自身も不仁の者からの攻撃にさらされるなかで鍛えられている。また、仁の人は要は良い奴の事だ。人間、良い奴を攻撃するのは気が引けるもの。何が憎くて攻撃しなければならないのか分からないし、攻撃すべき嫌な奴なら他にいる。仁の人として認められた時に敵がいなくなるのは、道理と言えば道理なのだ。しかし、問題が無いわけでは無い。と言うのは、単に良い奴というだけでは万全では無いからだ。どういう事と言うと、良い奴である事で敵とみなされにくく攻撃を受けにくいのは間違いないが、それでも例えばお金がらみになれば、良い奴だけど金のためには仕方がないと考える輩もいる。この時に有効な防御手段がなければ、身を守れないのだ。そこで重要となるのが力だ。この力は単に腕っぷしと理解しても良い。腕っぷしの強い奴に絡むやつはいないから。だが、孔子は君子たろうとしていた人物であるから、立派な官僚らしく権力と理解したほうがしっくりくるだろう。良い奴に権力が備わるとどうなるかと言えば、もともと憎めず気乗りしないのに力も敵わないとなって、敵対する者が全く無い状態となる。まさに文字通りの無敵であり、こういう人物こそ君子とよぶにふさわしい人物ともなろう。これが「朝に道を聞きけたなら、夕に死んでも悔いはない」という言葉の最終的に至る境地である。君子に敵対する者達は、仲間割れして離散するのが落ちなのだ。以下、余談となるが、他の解釈を示す。




1、道をこの世の真理として

道がこの世の真理を意味するならば、「朝に道を聞く」は、この世の真理を知るという事になる。この場合、孔子はこの世の真理を悟る事ができたならば、もう夕に死んだとしても本望であると言っている事になろう。孔子の言葉は、全ての謎を解き明かそうとしている学者を彷彿とさせるような言葉となり、孔子が古典を編纂していた際に話した言葉という印象になる。参考個所は、八佾編の9番と11番あたりが良いだろう。

八佾9八佾11




2、死生観に注目すると

中国の死生観は日本のそれとは全く違う。日本の死生観は根本に古代インドの影響か、輪廻転生を前提にしたものとなっているため、生まれ変わり死に変わりという話が一般的になる。だが、中国の死生観は全く独自のものらしく、彼らは死後も個性は失われず、地下の世界で生き続けると考える。そこで中国では孝という考え方が広く支持された。孝と言うと、現代では親孝行を指す言葉だが、昔は先祖に仕えるという意味だった。先祖は死後も地下の世界で生き続けていると考えているのだから、孝行が大切なのは当然である。

さて、この中国の死生観を前提に孔子の言葉を考えると、また違ったニュアンスに見えるのではないだろうか。なぜ朝に道を聞かば、夕に死んでも悔いはないのか?死後も地下の世界で生きるだけなのだから、生死よりも道を知っているかどうかのほうが重要だからである。死生観から考えると、孔子の有難い言葉もそれはそうだねってアッサリしてしまうが、スッキリしている分、意外に真理かも知れない。




2019年8月24日土曜日

里仁 第四 7

【口語訳7】

孔子先生がおっしゃった。人の過ちは、その人柄によるものだ。過ちを観察すれば、その者の人柄(仁)も自ずと分かるよ。



【解説】

過ちを見るとその者の人柄が分かるという孔子の指摘は、過ちをどう反省するのかに特に現れるのではないだろうか?例えば、過ちを人のせいにする人にその典型が見れる気がする。過ちを人のせいにしてどうなるものでも無いが、過ちを人のせいにする人は毎回人のせいにしてその場を取り繕おうとする。本人はうまくやったと誤魔化せた気でいるのだろうが、人はその姿に見苦しさを感じこそすれ、立派と感心する者はいないもの。当人には残念だが、これが立派であるべき君子が取るべき行為でない事は明らかだろう。では、どうしたら君子らしい人柄の反省になるかだが、まずは自らの非を認め、特に自分が仁に背いてしまったかどうかを反省すると良い。この際、言い訳はしない事が大切で、言い訳をしてしまうと自らの非を認めていない事になってしまう。反省する時は真摯に仁の人となるべく反省するのである。それでこそ飛躍を遂げられるというものだ。具体的に考えて見よう。




(ケース1)

朝寝坊をした時を考えて見る。上中下の3段階で評価するとして、まず下の人を考えて見ると、下の人は朝寝坊した時に例えば親のせいにする。朝7時に起こしてって頼んだのに何で起こしてくれなかったの、と。お陰で遅刻してしまうと怒るのである。子共のいる家ではありそうな光景で普通と言えば普通だが、残念ながら落第点と言う他ない。では、中の人はどうかと言うと、朝7時に起きれなかった自分が悪いと考え、決して親のせいにはしない。中の人は親のせいにせずに自分が寝坊したのが悪いと考えられるのだから、立派と言えば立派かも知れない。だが、これも普通と言えば普通である。では、上の人はどうかと言うと、起きれなかった自分を反省するだけでなく、起こせなかった親に気苦労をかけているのではないかとまで心が配られる。親の体調を心配するのである。そして、もう親に心配をかけまいと心に誓うのだ。これが上の人であり、君子らしい人柄を備えた人間となる。



(ケース2)

上司に怒られた時を考えて見る。上中下の3段階で評価するとして、まず下の人を考えて見ると、下の人は怒られればふてくされるか、又は右から左に聞き流し何ら反省する事は無い。そして、問い詰められるなら人のせいにする。これでは何の成長も見込めず、将来の伸びしろも無い。落第点である。では、中の人はどうかと言うと、上司の言う事はきちんと聞くし、怒られた点は正そうと努力する。人のせいにせずに自分の非を改める姿勢は立派だが、普通と言えば普通である。では、上の人はどうかと言うと、上の人は自らの非を改めるのは勿論として、上司の気苦労まで配慮する。そして、次からは少なくとも自分の事では上司に気苦労をかけまいと決心するのだ。この気持ちこそが仁であり、君子らしい人柄となる。こういう者とならば、よい信頼関係を築けるというものだ。




さて、次は過ちをどう反省するかとは逆に、過ち自体から人柄が垣間見える場合を紹介する。この具体例は実は八佾編にたびたび出ている。八佾編では孔子が季氏の不遜を度々嘆いていただろう。この嘆きがそのまま過ちから人柄を垣間見た状態となる。人間の行為には必ず動機があるもの。その動機をおもんばかる事で、その者の人柄が見えてくると孔子は言うのである。まさに人物観察の基本のキとなる。では、他の具体例を考えて見る。




(ケース3)

掃除を考えて見よう。掃除などで何が分かると侮ってはいけない。掃除のやり方一つで、その者の人柄がにじみ出るのだから。面白いもので、掃除の出来不出来がその者の心の有り方を如実に示す。何故なら心がまとまっている人ほど汚い場所に居心地の悪さを感じるものだし、心がまとまってない人ほど汚い場所を汚いとは考えない傾向があるからだ。掃除は心のバロメーターなのである。ただ、何も自分で掃除する必要はない。昔で言う下男下女がいるならば、彼らに掃除をさせるのでも良い。とにかく心がまとまってくると、自然と汚い場所には居られなくなるものと抑えて欲しい。このように一見なんでもない汚い部屋に住んでいるという事からも、人柄がにじみ出るものなのである。なお、靴も同様である。脱いだ靴を揃えるかどうかも、そのまま人柄を示す。靴が揃わないのではない。心が揃っていないのである。心が揃っていないから、靴を揃えずとも気にならないと評価されるのだ。

とは言え、掃除や靴を揃えるかが過ちとは思えないという人もいるだろう。だが、少なくとも君子たらんとする者にとっては、十分な過ちである。汚い部屋に住み、靴は脱ぎっぱなしの人を、誰も立派とは思わないのだから。




1、仁は人の為ならず

君子を立派な官僚として考えると、情けは人の為ならずならぬ、仁は人の為ならずと考えると実利に適う。孔子は中国人であるから、過ちを過ちと素直に認める事が面子の問題に直結し、過ちを認めるという事が則ち面子をつぶされたとなっても可笑しくは無い。だが、実利にさといと中国にあっては、自分が役に立つ人間である事を相手に印象付けたほうが理に適っている。

過ちを犯した際、大きく二つの選択肢がある。一つは素直に過ちを認め反省する事、もう一つは面子が潰れる事を重く見て過ちを認めない事だ。このどちらを良しとするかになるわけだが、孔子は恐らく前者を重く見たのであろう。中国的には面子が潰れるというデメリットは大きそうだが、素直に過ちを認める事で相手にとって自分は敵では無いという事を印象づけるという将来につながるメリットがある。と言うのも、過ちから間抜けな奴と思われても頭が切れすぎる人間となって嫌われるよりは大分良いし、もし双方で意見が食い違っているような場合でも相手の面子を立てた事になるからだ。こう考えて見ると、仁を軸に生きる事がどれだけ処世に適うかも理解できるだろう。反省する時、仁に反したかどうかを悩む事で、自分が敵にはなりえないという印象を確固たるものにするのである。



【参考】

学而編8為政編10八佾1


2019年8月13日火曜日

里仁 第四 6

【口語訳6】

孔子先生がおっしゃった。私はまだ仁を好む者、不仁をにくむ者を見た事がない。仁を好む者は申し分ない。一方、不仁をにくむ者も仁者たろうと努めるし、不仁者の影響を被るのを避ける。せめてそのように一日でも仁者たろうとして見よ。その力も無い者には会った事がない。あるいは、あるのかも知れないが、私はまだ見た事が無い。



【解説】

仁者を志す者にとって、指針とすべき言葉だろう。仁者たらんとするなら、まずは今日一日を仁者として過ごす事を心がける事から始める他ない。今日一日過ごせたら、明日も仁者として過ごす事を目指す。明日も仁者として過ごせたなら、明後日も仁者として過ごす事を心がける。千里の道も一歩から、まずは今日一日をどう過ごすかから始まるのである。この際大切なのは、見返りを求めない事である。見返りを求めると、例えば親切にしてあげたのだから、相手も自分に何かしてくれるだろうと考えてしまう。しかし、相手は一通り何で自分を良くしてくれるのか考えたあと、何も理由が見つからないと、恐らく親切な人と思われたいんだろうと下心を勝手に察して終わりだったりする。この時、相手に見返りを求めているとがっかりして嫌になってしまうだろう。だが、見返りを求めなければ、相手がどう考えようが知った事では無い。自分は自分の信条に従っただけである。そして、自分の都合で勝手に仁者たらんと生きれば良いのだ。

客家は言う。幸運は親切にした相手の背中からやってくる、と。仁者たらんとする事は、長い目でみれば決して無駄にはならないものだ。ただ、この事が分からない者が多いから、孔子は最初に仁を好む者も、不仁をにくむ者も見た事がないと言っているような気もする。中国のような永遠と陸地が続く土地柄では、悪さをして居づらくなれば逃げれば良いという考えが浸透しやすいため、どうしても騙された方が悪いとなって、騙す事が正当化される。この点が島国で逃げようと思っても海にぶつかって逃げきれない日本とは事情が異なる事をハッキリ認識すると良い。日本は逃げきれない状況にあるから、騙すほうが悪いとなる。逃げきれない以上、騙して恨みを買うと生きづらくなるからだ。さて、中国の話に戻るが、中国では騙して問題になったら逃げれば良いのだから、騙して稼いだほうが楽な商売に見えるわけだ。だが、そんな中国という土地柄であっても、幸運は親切にした相手の背中からやってくるのである。騙されるのが常だから、信用できる人を探すのも常になるという事なのだろう。



1、地獄の沙汰も金次第

君子という立派な官僚として考えた場合、恐らく孔子が望むのは不仁をにくむことだろう。仁のために好んで仁を行う者は君子というより聖人の類だ。だが、聖人レベルはともかくとして、君子たる者も見当たらないと嘆いているのが今回になる。では、その理由は何かになるが、結局のところ地獄の沙汰も金次第という事だろう。官僚として出世を考えた場合、血縁などの先天的なものを除けば、身に着けたい能力は3つある。まずは有力者を嗅ぎ分ける嗅覚、次にYESマンに徹する事が出来る事、そして賄賂を用意出来る事だ。この能力を前にしたら、仁を好むとか、不仁をにくむと言うのはあまりに2次的だ。よって、重要視されず孔子は嘆くのであろう。そう考えて見ると、仁を好む者も、不尽をにくむ者も見たことが無い、一日だけでも仁者を志して見よと言う孔子の言葉が自然につながる。



2、馬と鹿と趙高と

史記列伝より趙高のエピソードを紹介しよう。時は秦の時代、始皇帝の死後に趙高は愚鈍な2世皇帝を擁立し、秦の実権を握っていた。ある時、その2世皇帝の前に鹿を連れてきて、趙高が皇帝様これが馬でございますと言った。しかし、2世皇帝も愚鈍とは言え、流石に馬と鹿の違いは分かったらしい。2世皇帝は反論した。これは馬ではなく鹿であろう、と。すると、周りにいた者達は2世皇帝に従うべきか、趙高に従うべきか大変困った事になった。普通に考えれば鹿を馬だと言い張っている趙高が無茶苦茶なわけだが、現実はそう簡単ではない。皇帝に従って、つまり趙高に逆らって鹿だと言った者は、後になって趙高に一人残らず処断されしまったのである。何の事はない。趙高は鹿を利用して自分の敵か味方かを判別していたのだ。

このエピソードには官僚の処世術が詰まっている。まず趙高と2世皇帝の力関係を見抜く嗅覚が必要な事が分かる。次に本当かどうかは重要ではなく、とりあえず強者たる趙高が白と言えば黒いものも白と言わねばならない事が分かる。そして、趙高に気に入られるように賄賂を用意出来れば尚良い事が分かる。史記列伝は以下の本を参考にした。
















【参考】

幸運は親切にした相手の背中からやってくるとは、幸運は親切にした相手から返ってくるのでない。その相手に親切にしてあげた事を見ていた他の誰かから返ってくるのだという意味となる。例えば、その相手の親族であるとか、まわりで見ていた者とか。


2019年8月10日土曜日

里仁 第四 5

【口語訳5】

(正道は仁のこと)

孔子先生がおっしゃった。富と地位を人は欲する。だが、正道を外れているならば、例え得たとしても私はそこにはいない。貧乏と卑しい身分を人は嫌がる。だが、正道を外れているならば、例えそうであっても私はそこにいる。君子が正道を外れて、どうして君子と言えようか。君子は食事の時でさえ正道を外れはしない。いや、慌ただしい時ですら正道にある。いや、倒れる瞬間のような時ですらそうなのだ。



【解説】

富と地位を手に入れても、正道に外れて手にした場合は拘泥すべきでない理由は、孔子が為政編で語っている通り、君子は公平であり、知識人は利害で取り入るという視点で考えると分かりやすい。君子が公平なのは何も他人に対してだけでは無い。勿論、自分に対しても公平のはずである。正道に外れていながら自分だけは富と地位に拘泥すると言うのでは、明らかに公平さを欠き、君子ならばそう言う状況に気持ち悪さを感じて然るべきとなる。故に、富や地位を手に入れても、正道を外れている場合は孔子はそこにはいない。

貧乏と卑しい身分にあっても、正道に外れてまで逃れるべきではない理由は、逆に考えて、例えば盗みや詐欺を働いてまで貧乏や卑しい身分を脱した者を君子と呼べるだろうかと考えてはどうか。その者が君子と言えるどうかは、自分ではなく他人が決める部分がある。周りから見て恥ずかしくない振る舞いをしなければ、とても君子にはなりえない。では、どうしたら恥ずかしくない振る舞いと言えるかとなるが、孔子は貧しい時分には人間としての生き方を探すのが良いと学而編で語っている。この人間としての生き方を探す道こそ正道であり、仁の道である。

君子が短い食事の間や、慌ただしい時、倒れる瞬間に至るまで正道にある理由は、習熟度の問題であろう。最初に君子を目指したころは、意識しなければ君子らしく仁の人としての振る舞いができない。しかし、時が経ち仁が自分の血と肉になったころ、意識せずとも仁の人として恥ずかしくない立ち居振る舞いができるようになる。その頃になれば、何時いかなる時も正道を外れはしないと言っている。また、無意識にでも仁の人になってなければ君子とは言えないとも言える。

なお、君子は仁の人である事を軸に説明するとよりスッキリするかも知れない。仁の人が仁に背いてまで富や地位に拘泥するはずが無いし、拘泥するならばその人は仁の人では無い。また、例え貧しくても、卑しい身分にあっても仁を施す事はできるから、無理に貧乏や卑しい身分から逃れる理由もない。仁を貫くなら、自然と細部にこだわるようになるから、食事中から倒れるようなとっさの時ですら仁の人となるべく努力し、習熟度があがるにつれ自然と如何なる時も仁の人となろう。



1、安全面

君子を立派な官僚として考える。官僚の世界は政争の中にある世界であるから、富と地位を得た理由がやましい場合、何とも心許ない。いつ後ろから刺されるか分からないからだ。まだこれから官僚を目指すという貧しい時分にあって、盗みや詐欺などに勤しんでいたら官僚になるなど及びもつくまい。立派な官僚としての素養を身に着くるべく過ごさずに誰が声をかけてくれようか。

官僚として出世し、また足を引っ張られないようにするには、常に悪い噂が立たないようにするのが理想である。そういう視点で考えれば、食事中にも気をつかうのが良く分かる。あいつの食べ方は汚くお粗末だとなっては、それをネタに足を引っ張られるからだ。なればこそ立派な官僚らしい食事をしなければならないし、慌ただしい時も同様でピンチに弱いと言われぬように振る舞わねばならないし、倒れる瞬間のようなとっさの時ですら機転が利くとなるように心がけねばならない。



【参考】

為政編14学而編15



2019年7月28日日曜日

里仁 第四 4

【口語訳4】

誠に仁の人となるべく志すなら、悪を行う事は無い。



【解説】

誠に仁の人となる事を志すなら、事あるごとに自分の行動が仁に相応しいものだったかを反省しなければならない。言行に恥ずる事が無かったか、と。そういう人間がどうして悪を行うだろうか?いや、無いと言うのだろう。故に悪を行う事は無いとなる。この具体的な例としては、学而編の4番が恰好の例となる。(学而編4

なお、単純な話、誠に仁の人になろうと決意した人間には、そもそも悪に興味が無いという側面もある。悪に興味が無い故に、悪を行う事は無い。意外に真理かも知れない。



1、君子として

君子と呼ばれる立派な官僚として、人民を管理するという視点で考えて見る。仁を志せば悪を行う事がないなら、人民に仁を志してもらえれば管理がしやすい。悪は行われず、世の中が安定するからだ。では、どうしたら人民に仁を誠に志してもらえるかになるが、この答えとして孔子は仁の者を重用せよと言っている。そして刑罰を以ってではなく、道徳をもって統治するのが良い、と。為政編の3番、19番、20番が参考になるだろう。(為政編3為政編19為政編20







2019年7月27日土曜日

里仁 第四 3

【口語訳3】

孔子先生がおっしゃいました。ただ仁者のみが公平に人を好み、公平に人を憎む。



【解説】

仁者、つまり思いやり深い人はどうしても公平になっていく。例えば、相手が一人の場合ならば、その相手の心に寄り添うだけで良い。だが、相手が二人の場合はどうだろう?二人の利害が対立したケースで片方に肩入れしては、もう片方の心に寄り添った事にならない。二人のどちらにも寄り添うとすると、どうしても折衷案で折り合いをつける事になり、例えばお互い半分だけ得をするようなバランスのとり方になる。二人の間の利害調整ならばまだ良いが、では百人の場合はどうなるだろう?まさか公平に1%づつ得をすれば良いじゃないかと言っても誰も納得しないだろう。流石に1%では取り分が無さすぎる。そのため、百人が利害を対立した際は、それぞれの意見を聞きながら利害を調整していては何時まで経っても折り合いはつかないし、そもそも各人の意見を聞くだけでも一苦労である。このように人数が多くなると、結局、予め基準を作っておき、その基準に百人のほうで合わせてもらう他まとめようがない。中国ではそれが例えば天子となるのだが、天子のように昔から公正とされる基準に、百人のほうで合わせてもらうのが一番争いが少ない妥当な落としどころなのである。天子というルールのもとでは、各人が公平だからだ。このように多くの人の心に寄り添おうとするにつれ、例えば天子に寄り添うような自然と公正にならざる得ない。公正が結局は公平だから。仁者は自然と公正な基準に合わせて人物を観るため、好き嫌いに私情を挟む事なく、公平に良い者は良い、悪い者は悪いとする。

逆に不仁者、つまり私利私欲の人はどうしても自分の利益が中心になるため、人の選り好みにも私情が介入する。この手の人間は自分にとって利益がある時は良くしてくれるが、利益が無いとなったらバッサリと切る事があり、長く付き合うと損をする事に注意が必要だ。学而編では、孔子はこの手の輩を友人としてはならないと説く(学而編8番)。



1、公平は長生きの秘訣

君子として考えると、公平な付き合いは処世術として大切だと思われる。と言うのも、公平な人間には無茶苦茶はしないだろう安心感がある。この周りに与える安心感がとても大切なのだ。人間を追い詰めるのは猜疑心である事が多い。猜疑心が不安を呼び、不安がさらに不安を呼んで、例えば国と国なら戦争になったりする。何を考えているか分からないと言う評判は、周りの人の敵意を誘うと知っておくべきだろう。逆に公平は敵を作りづらい。故に長生きである。



2、陥りやすい落とし穴

人間生き方が定まると、自分の価値観がはっきりするから、自然と好き嫌いもハッキリしてくる。例えば、仁を大切と思えば思うほど、不仁の者が鼻につくようになる。そうすると、不仁の者を見ると、見過ごせなくなって怒りを覚えるようにすらなる。ここら辺が人を好み、憎むと孔子は言う所以かも知れない。だが、これは落とし穴と言えば、落とし穴だ。怒って良い事は無い。そこで、抜け道を紹介しておく。仏教的な回答になるが、嫌いな相手がいたら、その嫌いな相手も何かに苦しんでいるのだと考えてみると良い。そうすると、その嫌いな相手も実は哀れな存在であると気づける。気づけば、その嫌いな相手の印象も変わってくるだろう。





【参考】

怒りへの対処法になるかも。


2019年7月23日火曜日

里仁 第四 2

【口語訳2】

孔子先生がおっしゃった。不仁な者を久しく貧乏にしておくべきでない。かと言って豊かな生活を長く続けさせるべきでもない。だが同様の状況にあっても、仁の者は仁を以って安らぎ、知ある者は仁たらんと精進するものだ。



【解説】

不仁な者は思いやりが無い者の意味で、つまり利己的の人間の事だ。利己的な人間は基本的にろくなことにならない。欲が強いためで、欲は結局自分の身をも焦がし始めるが、利己的な人間はその事に気付くことは少ない。事は貴賤の問題では無い。利己的な人間は貴賤どちらの状況に置かれても、自分の欲の強さで失敗するのである。例えば貧しい時分には、盗みを働いてはばからず恥とも思わない。例えば豊かな時分には、驕り高ぶり知らず知らずの内に周りに敵を作りながらの生活になる。盗みを働いたり、周りに敵を作り続ければどうなるか?結局は、自分の蒔いた種を自分で刈り取る時が来るのである。そうなっては可愛そうだと思えば、不仁な者を久しく貧乏にしておくべきでなく、かと言って豊かな生活を長く続けさせるべきでもない理由も納得がいく。こう考えてあげるのが人としての思いやりなのである。そして、人としての思いやりを学ばせるのだ。

では、何故思いやりが大切かになるが、端的に言えば、その者の価値観が変わるからである。欲深い時は特に金にばかり目が行きやすいが、お金よりも思いやりの方が大切だと知れば、日々を思いやりを軸にして生きるようになる。そうなると、お金にあまり意識がいかなくなるため、貴賤にとらわれる事なく日々を安らかに生きられるようになるのである。故に、仁の人は仁を以って安らぐとなる。そして、この道理に通じている事が知恵本来の意味である。お金のある無しはある程度は努力の結果だが、大金と言う意味では貴賤は天が決めるもの。要は、単なる運だ。ならばお金の事を考えて暮らしても仕方が無い。この道理を知るならば、人間がすべきことはすべからく人格を磨く事に尽きる。よって、知ある者は仁たらんと精進するとなる。



1、君子の視点

立派な官僚と言う君子の視点で見ると、人民はあまり貧しくしても反乱を起こすし、あまり富ませても反乱を起こす。だから、ほどほどにせよという教えとなる。そして、貴賤で人を判断するのではなく、仁なる人を1等、知ある人を2等として雇いなさいという事だ。理由は貴賤で人を判断すると裏切られる事が多く、結局は痛い目を見るからだ。



【参考】

1、欲が焦がす例を紹介すると、まずは因果応報で、具体的には敵を作りしっぺ返しを受ける。これだけでも大変だが、運よくしっぺ返しを受けなくてもお天道様は見ているもので、大概は病気になる。欲はストレスの裏返しで切っても切り離せない。欲深いければ、それだけストレスに溢れた生活を送る事になる。しかし、ストレスは万病のもとだ。欲が強ければ比例してストレスも強くなるから、それだけ病気になりやすいのは道理。幾らお金を稼いでも、病気になってしまっては片手落ちと考えてはどうか?自分の欲をコントロールする事は、健やかに生きる上でとても大切と思う。


2、学而編の15番との兼ね合いがあると思われる。

学而編15番


2019年7月20日土曜日

里仁 第四 1

【口語訳1】

孔子先生がおっしゃった。住む場所は仁なる処にかぎる。仁の無い場所を選んで住む者を、どうして知恵者と呼べるだろうか。



【解説】

まず語句の説明をすると、仁は人が二人いると書くように、人が二人いる時に必要な事という意味だ。つまり、思いやりとなる。今回、孔子は仁なる所、言い換えれば思いやり深い人が多い集落に住むのが良く、思いやりの無い人達ばかりの集落に住んでも何も良い事は無い。思いやり深い集落を選んで住まないで、どうして知恵者と呼べようかと言っているが、確かに周りを逆の薄情者で固めてしまっては、生きにくいかも知れない。人は一人では生きていけない。誰かの助けを借りなければという時に、その者が薄情であっては何とも心許ない。出来るなら、思いやり深い人達に囲まれて生きたいものである。

ただ、現実の問題として、周りに住む人間を選べるのかと言う疑問がある。周りにどんな人間が住んでいるかは引っ越して見ないと分からないし、まさか事前調査をしてから引っ越すわけでもあるまいし、例え事前に調査したとしても実際にどんな人間が住んでいるかは幾ら調べても住んでみなければ分からない部分がある。そこで問題になってくるのが、引っ越した先が薄情者の集まりでどうにも馬が合わない場合どうするのかという事だ。仕事等の都合で引っ越しをした場合、個人的に馬が合わないからと言って仕事を辞めて引っ越すわけにもいくまい。こう考えて見ると、中国で成功した親類を頼って尋ねる理由も分かってくる。成功した親類ならば思いやり深い人として信頼でき失敗が少ないのだろう。これぞ処世の知恵なわけだ。



1、朱に交われば赤くなる

君子として仁の徳を身に着けると言う視点で考えると、その最も良い方法は思いやり深い人に囲まれて生きる事だろう。と言うのも、誰かを思いやって得をした経験が無ければ、仁が大事だと言われても実感が沸かない。相手を思いやったのに、その相手からそっけなくされた経験ばかりでは、他人を思いやっても意味がないと刷り込まれてしまう。思いやった相手から親切にされるからこそ、仁の徳が大事だと実感できる部分がある気がする。君子として仁の徳を身に着けたいと考えた時、思いやり深い人に囲まれたほうが良いか、薄情者に囲まれて生きたほうが良いかは言わずもがなであろう。薄情者に囲まれていては、仁の徳を身に付けようにも難しいのだ。




【参考】

1、仏教に「地獄と極楽」という法話があるが、地獄ではなく、選んで極楽に住むのが知恵者と考えれば、孔子の言わんとするニュアンスに近いのではないか?






2、親族に権力者がいるなど、特権を享受できる時に大きく稼いでいくのが中国人らしいと考えれば以下の本も参考になるかも知れない。



2019年7月18日木曜日

八佾 第三 26

【口語訳26】

孔子先生がおっしゃった。人の上に立ちながら寛容でなく、礼儀に敬意がこもらない、喪礼に臨んで哀しまない様では、私は何処を観たらよいのやら。



【解説】

孔子の言う通りだと思われる。人の上に立って寛容でなければ下の者は叱られまいとばかり考えるようになって、場がギスギスして空気が悪くなる。礼儀は形式ばかりで心がこもってなければ気味が悪い。葬式に来て悲しむ様子も見えないようでは無情というものだ。このような人間では、確かに何処を評価したら良いか分からない。


1、葬儀屋として

孔子は今でいえば葬儀屋だったのだから、葬儀屋としての視点で考えて見よう。葬儀の際、上の者に寛容さがなければ周りの者は叱られない事にばかりに意識がいって、葬儀に集中できなくなる。そうなれば葬儀は台無しである。葬儀にはマナーがあるものだが、形ばかりで心がこもっていなければ、人はそこに人間性を垣間見るものだし、悲しんだ様子もないなら薄情と言われても文句は言えない。孔子は葬儀屋だったため、こういった姿に出くわす事が多かったのかも知れない。なんせ中国人は親が亡くなっても平然としているが、金が無くなったら大騒ぎすると評する者もいる。



2、君子として

君子と言う立派な官僚の視点で考える。官僚と言う視点で考えた場合、ここがきちんとできないと足を引っ張られる、もしくは逆に、ここで足を引っ張れるという教訓になる。下の者にやさしくしているか、礼儀がお座なりになっていないか、葬儀では故人を忍び心を尽くしているか。幾ら仕事ができても、このポイントを抑えておかないと評価につながらないと知ろう。




【参考】

孔子は今回、当たり前と言えば当たり前のことを言っているが、実はこの当たり前のことを言っているという事が孔子の凄さという視点を紹介しておく。孔子という2500年も前に存在したとされる人物が語った事を、現代人が聞いても分かる。孔子は難しい話をしているわけでは無い。誰にでも分かる当たり前のことを言っているに過ぎない。にも関わらず、いや、だからこそ孔子は歴史に名をとどめたと言ったら驚くだろうか?

考えて見れば不思議では無いか?歴史に名前を残すには何か特別な事をしなければならないと考えたほうが普通に思える。恐らくそう考える人の方が多いのではないか?何か特別な事をしなければ歴史には名前は残せない、と。だが、答えはその逆だ。大多数の人は特別な事をしてばかりいて、とても個性的な人間だから孔子のような評価をされないのである。孔子は当たり前の事ばかり言っていたために、後世になっても評価された。こういう視点を知っておくと、普段の生活で役に立つ事もあるだろう。頭の体操になれば幸いだ。なお、【参考】は養老猛司氏を参考に書いた。






2019年7月7日日曜日

八佾 第三 25

【口語訳25】

孔子先生が楽曲「韶」を評して言った。美を尽くし、善を尽くしている。楽曲「武」は、美を尽くしてはおるが、善を尽くしているとは言い難い。



【解説】

「韶」は神話上の名君である舜を称えた楽曲で、「武」は周王朝の始祖となる武王を称えた楽曲とされるが、どちらもすでに失われていて現在残っていないようだ。楽曲を直接聞けない以上解説のしようもないが、孔子の言葉づかいから彼の意図を察してみたい。今回、孔子は楽曲を美と善という2つのチェックポイントで評している。なかなかにユニークな評価基準ではないだろうか?と言うのも、美は分かる。曲調が美しいと感じたのだろう。ただ、善はどうだろう?楽曲を聞いて善、つまり、道徳的に優れているかを評価するのは自分には斬新に思える。この辺が孔子らしさなのであろう。

では、舜と武王の道徳的な側面を評価してみる。まず舜の逸話は孝の一字に尽きる。舜は親孝行な男だった。しかし、親はと言うと、継母だったせいだろう。我が子可愛さに実子ではない舜を疎ましく思うばかりで、舜は命を狙われる場面に度々あった。親孝行しているのに命を狙われるのだから、普通なら嫌気がさしてしまいそうな境遇だが、舜はへこたれなかった。そして、自分を殺そうとする親にすら、親には変わりないと親孝行に励むのであった。その姿に感動したのが時の天子であった堯だった。そして、舜は堯に見出され、出世し、果ては禅譲を受け次の天子になったとされる。舜の逸話は確かに善を尽くしていると言えよう。親に命を狙われながらも親孝行に励むのであるから。

次に武王だが、武王は殷王朝の紂王を破り、周王朝を建国したとされる。この建国の逸話には、助演として悪女名高い妲己が登場する。妲己は紂王の寵愛を受けている事を良い事に、酒池肉林や炮烙など好き放題していた。そうしている内に人心が殷王朝から離れてしまい、天にも見放された。そこを武王が殷王朝を攻め滅ぼすというのが武王の逸話となる。当時から3000年経った今でさえ、妲己と言えば悪女として通るくらいだから、その悪女ぶりは筆舌に尽くし難いものがある。そして、そんな悪い女に騙され世を乱した殷の紂王を倒したのだから、普通なら武王は善を尽くしていると言いたい所だ。だが、話はそう簡単ではない。と言うのも、この妲己を幼い頃から育て、紂王が気に入るように教育しあてがったのは武王の弟である周公旦だからだ。つまり、世を乱したのは妲己なれど、妲己をそういう女に育てたのは武王の弟である。この点に注目すると、世が乱れたのは殷王朝が亡ぶように仕掛けられた謀略の結果とも言え、妲己によって殺された者達は単にその犠牲者でもあるから、実情は武王一族が自分で乱した世を自分で正しただけになる。よって、孔子は善を尽くしているとは言えないと言っているのだろう。




【参考】



孔子の美なれど善を尽くしているとは言い難いという評価を理解するに、アメイジング・グレイスが調度良いのでは無いかと思って紹介する。アメリジング・グレイスは名曲なれど、作詞をしたイギリス人牧師のジョン・ニュートンには一癖ある。と言うのも、彼は黒人の奴隷貿易で財を成した人物で、アメイジング・グレイスはその奴隷貿易を悔やむ彼を神が許された事への感謝の歌である。となると、あくまで奴隷を良しとしない現代の価値観においてだが、美なれど善を尽くしているとは言い難い。好き放題に奴隷貿易をした人間が、勝手に悔い改めたら神が許されたと言うのだ。それでは黒人が困る。ただ、当時の常識では、まさにジェントルマンだったと想像する。

アメイジング・グレイスに関するウィキ

2019年7月2日火曜日

八佾 第三 24

【口語訳24】

衛国の儀に差し掛かった際、門番をしていた役人が謁見を申し出てきた。私は君子がここを通られた際、未だお目にかかれなかった事がありません、と。従者はその役人を孔子先生に会わせてあげた。謁見後、役人は言う。従者の方々、先生が職を失ったことは嘆くに値しません。天下が乱れてから久しい。天はまさに先生を木鐸に選んだのです。



【解説】

孔子の人徳が良く伝わるエピソードだと思う。門番の役人は孔子を天下の木鐸と評しているが、木鐸とは法令などを人民に知らせる際に使用した鈴の事で、転じて教育的指導者を意味する。つまり、門番の役人は孔子を天下の教育的指導者と言うのだから、大変な褒めようである。世の中には色々な人間がいるが、会った者を感動させてしまうほどの人間はそういない。孔子にはそういった魅力があったようだ。これも孔子の説く仁義礼智信の為せる技だったのだろうか?そう考えて徳器を磨くと素晴らしい教訓が得られそうだ。

ただ、中国人が崇めるのは福禄寿の現世利益と相場が決まっていると考えれば、中国人に仁義礼智信を説いても糠に釘な気もする。あくまで想像だが、孔子はひとしきり語らった後に一言、もし自分が要職に返り咲く事があるならば尋ねて来なさいと言ったか、もしくは自分の弟子に要職についている者がいるから紹介してあげようと言ったのでは無いだろうか?そうならば門番の役人にとって崇めるべき現世利益があり自然かも知れない。



1、門番の立場から

視点を変えて門番の役人に注目してみると、彼もトゲの多い門松を通ってきた人間のようだ。彼は門番なのだから孔子の従者にも単に調べると言えば良いような気もするが、きちんと孔子の面子を立てて、未だ君子にお目にかかれなかった事はないと言っている。これなら孔子も会いやすいし、従者も紹介しやすい。逆に、偽物かも知れないから一応調べると言われては、孔子達は多少なりとも歯がゆい思いをしたかも知れない。また、孔子との会話が終わってからの褒め方も琴線に触れた事だろう。孔子のような君子という立派な官僚を目指し放浪する身にとって、最も言って欲しい事を言っているでは無いか。孔子達もまんざらではなく、彼の心象を良くしたことだろう。しっかり門番の仕事をこなしつつ、敵をつくらない技術に学ぶべき点があるかも知れない。




【参考】







2019年6月28日金曜日

八佾 第三 23

【口語訳23】

孔子先生が魯の楽長に語られた。音楽は、大方こういう物であろう。始めは鳥が羽をあわせて飛び立つように音が盛んになっていく。それが放たれると、音色は混じりけの無い絹糸のように調和がとれ、各楽器が織りなす世界は純白の絹のように明瞭となる。そして、糸を引くように続いて完成する。



【解説】



孔子の時代の音楽が残っていないらしく、今となっては孔子が何を言わんとしたかを直接感じ取る事は出来ない。だが、動画の音を聞くと、孔子が言いたい事も分かるような気がする。




【参考】

子語魯大師樂曰。樂其可知也。始作翕如也。從之純如也。皦如也。繹如也以成。

これが原文となるが、何故上の口語訳としたかを追記しておく。端的に言えば、漢字の成り立ちを直訳した。翕如の翕は鳥が飛び立つ様を表現した漢字であり、純如の純は混じりけの無い絹糸を表し、皦如の皦は純白と言う意味、繹如の繹は糸を引く様を言う。孔子は音楽をまず鳥が飛び立つ様に例え、飛び立ってからは絹の糸に例えたのでは無いかと推察した。



2019年6月24日月曜日

八佾 第三 22

ここからは書き下し文は省き、口語訳から入る。


【口語訳22】

孔子先生が管仲は器が小さいと言うので、ある人が尋ねた。それは管仲が倹約家という意味ですか?、と。先生が答える。管仲は3つの邸宅を構え、使用人にも仕事を兼務させない。どうして倹約家と言えようか、と。すると管仲は臣下の礼を知っていたのですか?とある人が尋ねると、先生が答えた。

国君の場合、門の内側に目隠しの塀を建てるのが習わしだが、管仲もまた同じく目隠しの塀を建てておった。国君の場合、諸侯同士の好みを深めるに、反坫という土製の台を設け、献酬の済んだ盃はそこに置くのが習わしだが、管仲もその真似をして反坫を設けていた。管仲が臣下の礼を知っているならば、臣下の礼を知らぬ者などおらぬわ。



【解説】

今回、孔子から非難されている管仲は、管鮑の交わりで名高い斉の名宰相の管仲である。言わば歴史上の偉人である管仲に対し、孔子は器が小さいと評価している事になる。歴史に名を刻むほどの名宰相を捕まえて器が小さいと言うのだから、孔子は中々攻めた事を言っている。さて、器が小さいと言われれば、通常、ケチな人間に器が小さい奴との評判が立つものだから、管仲はケチだったのかも知れないと考えるのは当然だ。そこで、ある人もそう考えたと言う話となる。しかし、ある人が管仲はケチだったのですかと尋ねてみると、尋ねられた孔子はそうでは無いと言う。管仲はケチどころか浪費家であり、邸宅は3つを構え、使用人には仕事を色々と兼務させるのが通例なところ、管仲は兼務をさせずに使用人を贅沢に使っていた、と。

では、管仲はケチな訳では無いとなると、その逆で、贅沢ぶりが度が過ぎていたのかとなる。例えば、昔は日本でも上司より良い車に乗ってはいけないと言うルールがあったりした。その手の輩は生意気な礼儀を知らずとなって、決して良い評価はもらえないもの。要はこれである。こう考えて見れば、ある人が管仲は臣下の礼を知っていたのかと尋ねるのも納得がいく。そして、それがビンゴだったと言うのが今回の話の流れとなる。国君は門の内側に目隠しとなるように土や板で塀を作るのが習わしで、管仲の階級では簾を置くのが通例であった。そこを管仲は国君の真似をして塀を作っっていた。国君同士の酒宴は反坫という特製の台を設けて行うが、管仲はこれも真似して使っていた。国君にのみ許された行為を行うのは、自らが国君と言っているようなもの。礼節を重んじる孔子からすれば、生意気な限りなのであろう。

なお、孔子が器が小さいと評する理由は、彼の虚栄心が鼻につくからだろう。逆に器の大きいと言われる人物は、きちんと相手の面子を立てるもの。例えば、道で昔の先輩に会ったとしよう。今は自分の方が出世して成功していたとしても、先輩の前ではおくびにも出さず、きちんと後輩の礼を尽くす。そういう姿を周りの人が見た時、カッコイイ人とか、相手を立てる人とか、器が大きいという評判がたつ。逆に、今は俺のほうが上だと威張っていると、嫌な奴とか、小さい奴となるもの。孔子が管仲を器が小さいと評するのも一理ある。



1、臣下の礼の難しさ

今回、孔子は管仲が臣下の礼を軽んじて生意気だと非難しているわけだが、管仲にしても、臣下としての功労を称えられて国君なみの待遇を許されているわけである。それを生意気だと言われても困るだろう。これを官僚としてみた場合、とても難しい問題である。と言うのも、国君が臣下に国君なみの待遇を匂わせる場合、臣下の謀反を疑っているケースがある。謀反を気にしているから、探りを入れるために、心にもない言葉で臣下を試すのである。うっかり鵜呑みにすると、疑われて殺されるのが官僚の世界である。こういう場合、暇を頂くのが生き残るための定石だが、管仲にはよほど力があったらしい。国君なみの待遇を享受してはばからなかった管仲は、裏を返せば、それだけ力があったという事が感じとれる。



2、政治的な側面

君子という立派な官僚を目指す孔子は、間違っても謀反を疑われてはならない。そういう視点で見ると、管仲を非難する孔子の発言には政治的な側面も考えて置きたい。つまり、孔子は謀反には興味が無いとも言っている。



【参考】




2019年1月22日火曜日

八佾 第三 21

【その21】

哀公あいこうしゃ宰我さいがに問う。宰我こたえていわく、夏后氏かこうしは松を以ってし、殷人いんひとは柏を以ってし、周人しゅうひとは栗を以ってす、と。曰く、民を使戦栗せんりつせしむ、と。子之を聞きて曰く、成事せいじかず。遂事すいじいさめず。既往きおうとがめず、と。



【口語訳】

哀公が社について宰我に尋ねた。宰我が答える。夏では松を、殷では柏を、周では栗を植えており、栗には民を戦慄せしむるという意味があります、と。この話を耳にした孔子が言った。成った事は仕方あるまい、すんだ事は諫めまい、過ぎ去った事は咎めまい、と。



【解説】

まず社の意味を説明すると、社とは土地神を降ろす祭壇のことである。社では土を盛って祭壇をつくり、その上に土地神を降ろす木を植えた。その木が夏王朝なら松だったし、殷王朝なら柏であり、周代に入ってからは栗を植えるようになったと言う話をしている。では、何故周代では栗の木を植えているのかになるが、栗の字と戦慄の慄をかけて、民を戦栗(戦慄)せしめる為と宰我は言う。思わず納得してしまう説明だが、この話を耳にした孔子は何故か嘆いた。済んだ事をとやかく言っても仕方ない、と。これが今回の一節である。では、孔子が嘆いた理由は何だろうか?

思うに、その理由は為政編の3番目に顕著に表れていると思う。為政編によると、孔子は政治の要諦は道徳にあり、治安を刑罰に頼るなら、民は法令や刑罰を逃れれば何をしても良いと考えて恥じる事が無いと言う。この考え方に立てば、栗の木を戦慄にかけて民を脅かすなどもっての外である。脅かせば脅かすほど、民は刑罰の抜け穴ばかりを探して恥じる事もなくなるのだから。こうなっては政治が安定するどころか、抜け穴を探す民とのイタチごっこに終始するだけになる。故に、済んだ事は仕方ないとなる。



1、孔子は何故道徳にこだわるのか?

「育てたオオカミに襲われた老人」という中国民話を知ると良く分かる。この話はこうだ。ある山で岩の割れ目にはさまった子共の狼がいた。親からはぐれたのだろう。不憫におもった老人が助けてやった。老人は子共の狼を家に連れ帰ると、鈴をつけ、肉を食わせて大変可愛がったそうな。動物が成長するのは早いもの。そうこうしている内に、子共だった狼も大きくなり、牙も立派になった。そうすると、体が成長したせいで、狼もその獣の本性を現す事になる。与えられる餌だけでは満足できず、老人にまで襲い掛かってしまうのだ。老人の手は、狼に牙をたてられて血がでるまで噛まれてしまう。こうなってはもう老人の手には負えない。だから、老人は言った。お前を不憫に思って育てたが、どうやら心までは育てられなかったらしい、と。老人は狼を山に放した。

二日後、老人が市場に行った帰りに川で休んでいると、聞きなれた鈴の音と共に大きな狼が現れた。老人は情が移っていたのだろう。お前か、と呼んでみた。狼が走って駈け寄ってくる。老人は狼がじゃれていると思ったのだろう。だが、狼はじゃれたわけでは無い。自分が餌としてマークしていた老人に襲い掛かったのである。押し倒され、無防備になった老人の腹は恰好の餌だ。狼は牙を立てると、食い破り、はらわたを美味そうに食すのである。この狼こそ中国の民である。



【参考】

1、哀公は、孔子晩年の魯君である。


2、宰我は孔子十哲の一人だが、問題児であり、孔子から不仁と評されている。道徳よりも実利を重んじる性格で、孔子から度々叱責されていたようだ。


3、中国民話は竹内康雄氏を参考。














【まとめ】

真心を忘れずに。

2019年1月21日月曜日

八佾 第三 20

【其の20】

子曰く、関雎かんしょは楽しみて淫せず、かなしみてやぶらず。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。関雎は楽しみの中にも節度があり、せつなさの度が過ぎて傷つくほどでは無い。



【解説】

関雎は詩経に収められている詩の名前である。その詩を読んだ感想を述べているのが今回の一節である。加地伸行氏によれば、この詩は周の文王を謡ったものとの事だ。大まかな内容はこうだ。ある時、文王は花嫁を探していたが、なかなか見つからず、悶々とした日々を送っていた。その気持ちに皆が共感しのだろう。いつしか皆が文王に早く良い伴侶が現れてくれることを願っていた。そうすると、その願いが天に届いたのであろうか?次に文王を見かけると、伴侶と楽し気に暮らしているでは無いか。ああ、良かった。これで天下は安泰だ。こういう流れの詩であるため、古来中国では結婚式で良く謡われたようだ。詩の内容は、以下にリンクを這っておく。


日本語で楽しむ漢詩



■関雎の日本語訳(文王視点)


ミサゴが鳴いている。

河の中州に巣を作り。

しとやかな淑女よ、早く来ておくれ。

君こそ君子の良き伴侶さ。


長短ふぞろいのアサザ。

農夫が右に左にと掻き分ける。

しとやかな淑女よ、どこにいるんだい?

寝ても醒めても求めてしまうよ。


幾ら求めても現れない君に、

寝ても醒めても思いが募る。

ああ、どれくらい時間が経ったんだろう?

ああ、どれくらい時間が経ったんだろう?

僕に出来るのは寝返りだけさ。



長短ふぞろいのアサザ。

農夫が右に左に掴み取る。

しとやかな淑女よ、さぁ聞かせておくれ。

かたわらで琴と瑟を。


長短ふぞろいのアサザ。

農夫が右に左にむしり取る。

しとやかな淑女よ、さぁ楽しませておくれ。

君の太鼓は心地よい。






【参考】

1、関雎はミサゴの事。



ミサゴは夫婦仲が良い事から、結婚式では縁起が良い詩とされる。

夫婦仲が良い事が関関雎鳩と言う四字熟語になっている。



2、琴瑟相和すと言って、琴と瑟の音が良く合う事から、夫婦仲が良い事を琴瑟と言う。




上の画像が琴で、下の画像が古代の楽器である瑟となる。



【まとめ】

関雎はウフフが良く似合う。

2019年1月16日水曜日

八佾 第三 19

【その19】

定公ていこう問う、君臣きみしんを使い、臣君につかうること、之を如何いかん、と。孔子こたえて曰く、君は臣を使うに礼を以ってし、臣は君に事うるに忠を以てす、と。



【口語訳】

定公が孔子に尋ねた。君主はどう臣下を使えば良いのだろうか?臣下はどう君主に仕えれば良いだろうか?、と。孔子が答える。君主は臣下を礼を以って遇するが良く、臣下は君主に真心をもって仕えるのが良いでしょう、と。



【解説】

定公は孔子が40代から50代の頃の魯の君主で、孔子を最終的には宰相代理にまで抜擢してくれた君主である。当時の魯は陽貨の反乱によって、長らく専横してきた三桓氏の力に衰えが見えた時期ではあったが、依然として三桓氏が実権を握っており、定公には実権がなかった。だから、定公はその事を憂慮したはずだ。三桓氏の力に陰りが見えてきたわけだし、この機会に自分に実権を戻せないかと考えたとしても、政治力学的に不思議は無い。今回の一節は、そういう状況でなされた会話の記録と思われる。そう考えて見ると、主従関係のあるべき姿を問うた定公に対し、君主は臣下を礼を以って遇し、臣下は真心をもって仕えるのが良いという孔子の答えは、定公の琴線に触れる答えだったのでは無いだろうか?よくぞ言ってくれたと、気を良くしたに違いない。



1、君主は臣下を礼を以って遇すべき理由

君主に礼をもって遇されれば、それは自慢の種になる。自慢の種になれば、臣下は競ってでも厚く遇されたいと願う。そうすると、君主から何をしてもらったかで、臣下の中に自然と序列ができあがる。その序列の中心は、勿論君主となる。ここまでくると、臣下は自分の栄誉のために君主を守ったほうが良くなっているから、自然と結束が出来上がり、国がまとまる。例えば、こういった理由が考えられる。

逆に、礼を以って遇しなければ、臣下は小馬鹿にされた思いを抱くから、役に立たなくなるばかりか、裏切りのリスクすら高まってしまう。



2、裏切らせない事が尊敬を呼ぶ文化

礼を以って遇すると裏切られるリスクが低くなるわけだが、中国にあっては、この事は日本人が思う以上に大切かも知れない。裏切らせないという事は、ともすると、尊敬すら呼ぶのが中国という土地柄である。宮崎正弘氏の関帝廟に関するエピソードを紹介しよう。

中国人は関羽が好きな人が多く神格化までされているが、冷静に考えれば、関羽は腕っぷしの強い暴れん坊に過ぎないとも言える。彼は特に天下をとったわけでもないのだし、神格化してまで祭るほどなのだろうか?そう考えて、氏は中国人に何でそんなに関羽が好きなのかと理由を尋ねたのだそうだ。そうしたら、返ってきた答えが凄かった。関羽には裏切る部下がいなかったから、あやかりたいと崇拝しているんだそうだ。騙し騙されが当然とされる中国にあっては、裏切る部下がいなかったという事が神業としか思えない。故に、関羽は神となった。性善説の日本では、部下が裏切らないことは当然であるため、裏切られた事が無いからといって神格化はされない。比べると、日本と中国の文化の差が良く分かる。



3、臣下が真心を以って仕えるべき理由

真心を持った誠実な臣下は安心だ。裏切られる心配をしなくて済む。立場柄、謀反にも警戒しなければならない君主にとって、こんな有難い事は無い。君主の心の平安は、真心を持つ臣下によって達成されるのだ。この意味で、孔子は定公の求めている臣下の姿を言葉にしている。関帝廟のエピソードの通りである。

なお、状況的には専横する三桓氏への当てつけの言葉だ。



【参考】

関帝廟のエピソードは此方から。















【まとめ】

自分がされて嫌な事は、相手にしない事。

2019年1月15日火曜日

八佾 第三 18

【その18】

子曰く、君につかうるに礼を尽くせば、人を以ってへつらいと為す。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。君主に仕えるに礼を尽くすのは当然だが、人にはそれが諂いに見えるらしい。



【解説】

誰しも上の者には気に入られたい。その気持ちの裏返しなのだろう。礼を正して上と接する者を見ると、つい悪態をつきたくなる。人によっては先を越されたくないと思い、日ごろ心にもないおべっかを使っている者などは、どうせお前も心の中ではベロだしてるんだろと、ペコペコする姿に卑しさや狡猾さを感じるのだろう。中には、そういう下心は分かっていると居丈高になる者もいる。褒められた話では無いかも知れないが、良くも悪くもこれが世間様である。孔子は礼の先生でもあるから、礼を重んじるのは当然と言える。礼を重んじない礼の先生など滑稽である。だが、その礼の先生ですら、礼を正すと太鼓持ちとそしられるのである。これが孔子の言葉を素直に読んだ場合の解釈となる。

さて、次はこの話を逆から読んでみよう。そうすると、孔子の言葉がより味わい深いものになる。上に礼を正すと太鼓持ちとそしる者が出てくるという事は、逆に言えば、それだけ太鼓持ちは気に入られるという事である。つまり、太鼓持ちは出世する。出世するからこそ、周りの者はそしりたくなるのである。では、具体的にどうすれば太鼓持ちとしてやっていけるかだが、あえて一つあげるとするなら、ありがとうございますを口癖にする事だろう。上に常に感謝を告げるようにすると良い。何時もありがとうございますと言われて気分を害する者はいないし、上としての面子が立ちやすい。あの人は下の者にそれほど尊敬されているのか、と。評判になれば鼻が高いものだ。

ただ、太鼓持ちが何時も気持ちよく太鼓を叩けるかと言うと、最初に書いたようにそう簡単ではない。太鼓持ちには邪魔が入るのだ。そのため、太鼓持ちは太鼓をたたくだけでなく、入る邪魔をいなす技術も持たねばならない事が分かる。そう考えて、孔子の言葉を眺めて欲しい。そうすると、答えが書いてある。つまり、孔子は太鼓持ちとそしられた時にこう切り返したわけだ。上に仕えるに礼を尽くすのは当然だが、人にはそれが諂いに見えるらしい、と。何とも見事な切り返しである。



【参考】

礼を正せば太鼓持ちとそしられ、礼を失すれば礼儀知らずとそしられる。君子を目指す孔子は前者を選んだと言う話である。もし孔子が荒くれ者だったならば、後者を選んだだろう。

なお、事は仕えると言う意味。



【まとめ】

礼は最高の処世術。

2019年1月14日月曜日

八佾 第三 17

【その17】

子貢告朔こくさく餼羊きようを去らんと欲す。子曰く、や、なんじは其の羊をしむ。我は其の礼を愛しむ、と。



【口語訳】

子貢が告朔の儀式において、犠牲として捧げる羊を取りやめる事を希望すると、孔子が言った。賜君、君は羊を惜しく思うのだろうが、私は礼が廃れる事が惜しい、と。



【解説】

まず告朔の説明をすると、告朔とは朔を告げるという儀式となる。では、朔とは何かと言うと、陰暦の一日であり、古代中国では暦を意味した。したがって、告朔とは暦の上での一日を告げる儀式となる。周代では、12月になると天子が諸侯に対し翌年の暦を知らせ、諸侯は天子から知らされた暦を祖廟に保管していた。そして、一日に祖廟から一か月分の暦を取り出し、今日が一日である事を告げると共に、羊を生贄として供えたのである。故に、告朔と言う。

周王朝が勢いがあった時代は、この告朔の儀は周王朝の力を象徴する役割を担ったわけだが、孔子の生きた時代になると周王朝の力には陰りが見えており、その権威だけがかろうじて残っている状況だった。そういう状況では諸侯への強制力があろうはずもなく、孔子のいた魯でも告朔の儀は形骸化されていたらしい。具体的には、告朔の儀は執り行われずに羊だけが供される有様だった。そこで、告朔の儀を執り行わないのに、羊だけを供するのは無駄と考えた子貢が、羊は無駄だから省きましょうと言ったというのが今回の状況となる。孔子は周王朝の礼を復興する事こそ天命と生きていたのだから、弟子が周王朝の礼の一環でもある羊を省こうと願いでた時に、私は羊よりも礼が廃れる事が惜しいと言ったのは良く分かる。



【参考】

余談だが、羊が無駄と思うなら、供えた後に食べると言う選択肢は無かったのかと思う。日本なら新嘗祭然り、喜んで食べただろう。だが、子貢が無駄と判断するからには、当時の中国では食べなかったのだろう。四つ足は何でも食べると言われる中国にあって、羊を食べなかったのは不自然である。そう考えて見ると、見栄を張っていたと考えるのが妥当かも知れない。中国では食べきれないほどの食べ物を並べる事がステータスで、かつ食べ残す事が自慢となるため、見栄をはって貴重な羊を捨てていたとすれば自然ではある。そうならば、確かに無駄であり、子貢の気持も良く分かる。

また、儀式において羊を供物にするという事は、リターンはリスクなしでは得られないと言えば良いか、何の犠牲もなく見返りは得られないと言う発想がある事が分かる。この場合、犠牲となった羊は天に対する賄賂、もしくは税金のようなニュアンスになるわけだが、それを無駄だから省くと言うのは凄い発想な気がする。信心深い人ならば、それだけで不吉な事が起きると騒ぐくらいに。日本ならば、そう言う事をすれば霊障が起きても文句が言えない。くわばら、くわばらである。

なお、餼羊は、告朔の儀で捧げられた羊を意味する。



【まとめ】

続ける事に意義がある。


2019年1月13日日曜日

八佾 第三 16

【その16】

子曰く、射は主皮しゅひせず。力を為すや科を同じくせず。いにしえの道なり。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。礼射は的に当てるだけが主ではない。労役では力の異なる者は区別して扱う。これが古のやり方である。



【解説】

1、射について

射は弓の事だが、弓と一言に言っても、礼射と武射がある。礼射は名の通り礼儀作法であるから、的に当てる云々だけでなく、作法としての一連の流れが大切となる。故に、矢を的に当てる事は評価の一つに過ぎず、礼射の主目的ではない。逆に武射のほうは実戦的で、的を射抜く事や、力強さが評価の対象となる。

さて、そもそもの話をすると、弓は武器であるから、狙う対象が獣であれ、人間であれ相手を殺すための道具である。そのため、弓の使われ方を考えるならば、殺傷能力が最も尊ばれて然るべきだだろう。狩りをするなら獲物が獲れるかどうかが最も重要だし、戦場ならば相手を殺せるかが最も重要なのだから。こう考えて見ると、弓を競うならば礼射よりは武射が自然だし、古代に弓の技を競い始めた頃はそうだっただろうと察しがつく。しかし、ある時から、弓に作法という考え方が出てきて、それを礼射と称し始めたわけだ。これを孔子は古のやり方と言っている。

では、何故古の人は弓という殺傷する武器に礼を取り入れたのかになるが、最も大切な理由は血気盛んで乱暴になりがちな武官たちを鎮めたかったと言う事では無いだろうか?これは例えば、むき出しの刀は危ないから、礼と言う鞘に刀をしまわせるという話だ。単に乱暴だった者達も礼が身につけば、自然と抑えが効くようになる。何故礼を身につけさせねばならないかは、王の視点で考えれば良く分かる。単に乱暴なだけの者は、部下とは言え謀反が怖い。だから、礼を身につけさせ、刀を鞘に納めさせたいと王は考えるものである。そして、礼を身に付けた武官たちには、刀を鞘に納める以上の効果がもたらされる。彼らは秩序だって行動するようになるから、敵から見るとより一層強そうに見えるのだ。これは、孫子の兵法に威風堂々とした軍には近寄るなとある通りである。故に、礼射は古の王が辿った道となる。






2、労役について

労役では力の異なる者を区別して扱うと言われれば、そのほうが合理的と誰しも考えるだろうが、加地伸行氏によれば、孔子の時代は人の力の差を考慮せず、一緒くたに労役につかせていたようだ。理由を考えるに、恐らく縁故主義と賄賂が原因だろう。誰が考えても能力によって仕事を分けたほうが良いのだが、それがなされなかったという事は、縁故主義がはびこっていたたか、賄賂の多寡で仕事を分けたかのどちらかと考えるのが自然だ。これは中国では常識的な行為だが、縁故主義や賄賂が行き過ぎれば国は傾くものだ。縁故主義は不平不満の温床となるし、賄賂は自分の懐ばかりで国益を省みない人を作り上げるから。孔子はその辺を考慮して、能力によって仕事を分けた古のやり方を褒めたのかも知れない。

現代の会社組織でも、こういった悩みはつきもので、会社が大きくなるにつれ自然発生する。あの息子さんは大事な取引先の跡取りだから入社させなさいとか、そのお嬢さんはこの前退職した専務のお嬢さんで、専務は大変功績があった方なので入社させなさいとか、そっちのお嬢さんは退職した社員の娘さんだが、あまり功績が無い人だから何方でも良いとか。こういった事は珍しい話では無いが、縁故採用が徒となって会社が傾く事も珍しくは無い。より強い組織を作るなら人材は広く一般に求めたほうが良いに決まっているが、色々なしがらみがあるため、そうも言えない。能力によって人を使い分けると言う古のやり方は、簡単なようで難しい。





3、朱子の解釈

朱子学の朱子は、上記とは異なり、全体を弓の事として訳している。彼によれば、弓が的に当てる事を主目的としないのは、人は生来の能力に差があるためだと訳す。原文を見て確認して欲しい。自然な訳だと思う。

原文 : 射不主皮、為力不同科


こう訳した場合、日本人は朱子が平等主義者のように感じるかも知れない。弱き者のために能力の差を考慮する、と。だが、朱子は中国人であるから、その言っている意味は逆と考えたほうが良い。つまり、自分より力が秀でた者の能力を制限するために、生来の能力の差を危惧している。中国では基本的に平等という言葉はない。彼らに言わせれば、生まれながらにしてお金持ちがいると思えば、生まれながらにして貧乏人がいる。平等なはずが無いというわけだ。彼らは日本人の惻隠の情的な平等感は持っていないので、文化の差を把握して欲しい。文官は武官の力をそぎたいものと考えたほうが、朱子の言わんとする事がしっくりくるだろう。現代で言うならば、シビリアンコントロールだ。



【参考】

科は区別という意味。科を同じくせずとは、例えば上・中・下と分ける事を言う。



【まとめ】

古の知恵は過去の失敗の教訓。