2019年1月22日火曜日

八佾 第三 21

【その21】

哀公あいこうしゃ宰我さいがに問う。宰我こたえていわく、夏后氏かこうしは松を以ってし、殷人いんひとは柏を以ってし、周人しゅうひとは栗を以ってす、と。曰く、民を使戦栗せんりつせしむ、と。子之を聞きて曰く、成事せいじかず。遂事すいじいさめず。既往きおうとがめず、と。



【口語訳】

哀公が社について宰我に尋ねた。宰我が答える。夏では松を、殷では柏を、周では栗を植えており、栗には民を戦慄せしむるという意味があります、と。この話を耳にした孔子が言った。成った事は仕方あるまい、すんだ事は諫めまい、過ぎ去った事は咎めまい、と。



【解説】

まず社の意味を説明すると、社とは土地神を降ろす祭壇のことである。社では土を盛って祭壇をつくり、その上に土地神を降ろす木を植えた。その木が夏王朝なら松だったし、殷王朝なら柏であり、周代に入ってからは栗を植えるようになったと言う話をしている。では、何故周代では栗の木を植えているのかになるが、栗の字と戦慄の慄をかけて、民を戦栗(戦慄)せしめる為と宰我は言う。思わず納得してしまう説明だが、この話を耳にした孔子は何故か嘆いた。済んだ事をとやかく言っても仕方ない、と。これが今回の一節である。では、孔子が嘆いた理由は何だろうか?

思うに、その理由は為政編の3番目に顕著に表れていると思う。為政編によると、孔子は政治の要諦は道徳にあり、治安を刑罰に頼るなら、民は法令や刑罰を逃れれば何をしても良いと考えて恥じる事が無いと言う。この考え方に立てば、栗の木を戦慄にかけて民を脅かすなどもっての外である。脅かせば脅かすほど、民は刑罰の抜け穴ばかりを探して恥じる事もなくなるのだから。こうなっては政治が安定するどころか、抜け穴を探す民とのイタチごっこに終始するだけになる。故に、済んだ事は仕方ないとなる。



1、孔子は何故道徳にこだわるのか?

「育てたオオカミに襲われた老人」という中国民話を知ると良く分かる。この話はこうだ。ある山で岩の割れ目にはさまった子共の狼がいた。親からはぐれたのだろう。不憫におもった老人が助けてやった。老人は子共の狼を家に連れ帰ると、鈴をつけ、肉を食わせて大変可愛がったそうな。動物が成長するのは早いもの。そうこうしている内に、子共だった狼も大きくなり、牙も立派になった。そうすると、体が成長したせいで、狼もその獣の本性を現す事になる。与えられる餌だけでは満足できず、老人にまで襲い掛かってしまうのだ。老人の手は、狼に牙をたてられて血がでるまで噛まれてしまう。こうなってはもう老人の手には負えない。だから、老人は言った。お前を不憫に思って育てたが、どうやら心までは育てられなかったらしい、と。老人は狼を山に放した。

二日後、老人が市場に行った帰りに川で休んでいると、聞きなれた鈴の音と共に大きな狼が現れた。老人は情が移っていたのだろう。お前か、と呼んでみた。狼が走って駈け寄ってくる。老人は狼がじゃれていると思ったのだろう。だが、狼はじゃれたわけでは無い。自分が餌としてマークしていた老人に襲い掛かったのである。押し倒され、無防備になった老人の腹は恰好の餌だ。狼は牙を立てると、食い破り、はらわたを美味そうに食すのである。この狼こそ中国の民である。



【参考】

1、哀公は、孔子晩年の魯君である。


2、宰我は孔子十哲の一人だが、問題児であり、孔子から不仁と評されている。道徳よりも実利を重んじる性格で、孔子から度々叱責されていたようだ。


3、中国民話は竹内康雄氏を参考。














【まとめ】

真心を忘れずに。

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