【その20】
季康殿が尋ねられた。「民が私を敬愛し、進んで善行に励むようになる。そのような方法はないだろうか」と。老先生が答えられた。「堂々としている事です。そうすれば敬われます。親が子を慈しみ、子は孝に励む。そういう家庭の民は忠実なものです。自ら範を示されるのも良いでしょう。加えて、善人を登用し能力の乏しい者を教育させるのです。善行をするようになります」と。
季康殿が尋ねられた。「民が私を敬愛し、進んで善行に励むようになる。そのような方法はないだろうか」と。老先生が答えられた。「堂々としている事です。そうすれば敬われます。親が子を慈しみ、子は孝に励む。そういう家庭の民は忠実なものです。自ら範を示されるのも良いでしょう。加えて、善人を登用し能力の乏しい者を教育させるのです。善行をするようになります」と。
【解説】
①
真心で生きていれば、自然と背筋が伸びる。この様を壮と言う。真心は親子の情愛のなかで確認しやすい。ゆえに孝慈が則忠となる。何事もまずは知ることから。教育なしでは始まらない。善を挙げて不能を教える所以である。
②
おおよそ人から敬愛され続けるには、力と人柄の両方が必要である。力だけでは反感を呼ぶ事はあっても敬われるのは難しい。人柄が良ければ敬われるかも知れないが、力に対し脆弱であり、敬われた状態の維持に難点がある。壮だけでもいけない、忠だけでも足らない。不能を教育するのは、共通の価値観を持つためである。何が善で、何が悪かを合わせなければ、何をもって敬愛したら良いかすら分からない。
③
敵ながら天晴と思う国を作れば、民も天晴と思うに違いない。
④
ビクビクしてたら舐められる。家庭が荒んでいたら人も荒む。荒んだ人に善行は期待できない。だから、その逆が良い。
⑤
葬儀屋として考えると、儀式が荘厳なれば民も敬いやすい。そこに孝慈があれば、その人柄を感じ民は忠実になる。自分もそうありたいと思うなら、人の心が芽生え善行をするようになる。
⑥
減点方式も分かりやすい。おどおどして何かやましい事があるのかと思われてはいけない。先祖供養ができなくても、親子関係がうまくいかなくても噂がたつ。善人を登用しなければ、自分まで不能と思われる。
⑦
孝慈には二つの意味がある。一つは季康子自身が先祖供養をし民を慈しむという意味、もう一つは民の家庭が円満と言う意味である。口語訳は民自身の利を重くみて後者を採用しているが、両面捉えたほうが妙味がある。
----- 以下、別解説
魯国の大貴族である季康子が、孔子に政治の妙について質問した際のエピソードとなるが、見た目や風評を意識したアドバイスと捉えるとスッキリする。要は季康子が尊敬や忠義に値する立派な人だという風評を起こす事に成功すれば、自ずとそうなると言っている。ある種の情報戦と捉えても良いかも知れない。
1、威厳によって敬いが生まれる理由
利で考えると、民が敬うと言うより、敬わせるというニュアンスが適当だろう。民が敬わねばならない雰囲気があるから、民は敬う。人は見た目が9割という言葉があるが、人は見た目に影響されるから、実際に偉いかどうかより偉そうに見えるかで判断しやすい。だから、敬われたければ、偉そうに振る舞えとなる。例えば、いくら貴族とは言え、みすぼらしい恰好をして従者も従えなかったら、人は乞食と思い軽視する。本当は乞食でも、立派な服をまとい従者をしたがえた馬車に乗るなら、人はどこぞの貴族様が来たと思って平伏する。威厳によって敬いが生まれたのだ。民と大貴族では普段接点はなく、当時は今みたいに写真でどうこうという時代では無い。貴族の顔すら知らない民のほうが多いわけだから、民が敬うかどうかは初対面での印象か、立派だと言う風評による所が大きかったと考えてどうか。
2、親孝行はコミュニケーション
中国は50を超える多民族が入り混じる地域であり、言葉の統一が難しい。すると言語によるコミュケーションは期待できないから、言語外の手段で自分が敬愛するにふさわしいことを伝える必要がでてくる。そこでどうしたら良いかとなるが、孝行を示すのが良さそうというのが今回の趣旨である。中国では孝行が何よりも大切にされているため、孝行を実践して見せる事は民の感心を呼ぶと期待できる。言葉は分からなくても、孝行は感心となるから、まずは孝行を見せて反応を見るのが良い。立派な服装をして、従者を従えた馬車に乗り、堂々とすれば民は頭を下げる。だが、それだけでは冷酷な人間に違いないと思われるかも知れない。そこで親孝行なのだ。もし共感を得られるならば、逆らう気にならないのが人情である。
1、威厳によって敬いが生まれる理由
利で考えると、民が敬うと言うより、敬わせるというニュアンスが適当だろう。民が敬わねばならない雰囲気があるから、民は敬う。人は見た目が9割という言葉があるが、人は見た目に影響されるから、実際に偉いかどうかより偉そうに見えるかで判断しやすい。だから、敬われたければ、偉そうに振る舞えとなる。例えば、いくら貴族とは言え、みすぼらしい恰好をして従者も従えなかったら、人は乞食と思い軽視する。本当は乞食でも、立派な服をまとい従者をしたがえた馬車に乗るなら、人はどこぞの貴族様が来たと思って平伏する。威厳によって敬いが生まれたのだ。民と大貴族では普段接点はなく、当時は今みたいに写真でどうこうという時代では無い。貴族の顔すら知らない民のほうが多いわけだから、民が敬うかどうかは初対面での印象か、立派だと言う風評による所が大きかったと考えてどうか。
2、親孝行はコミュニケーション
中国は50を超える多民族が入り混じる地域であり、言葉の統一が難しい。すると言語によるコミュケーションは期待できないから、言語外の手段で自分が敬愛するにふさわしいことを伝える必要がでてくる。そこでどうしたら良いかとなるが、孝行を示すのが良さそうというのが今回の趣旨である。中国では孝行が何よりも大切にされているため、孝行を実践して見せる事は民の感心を呼ぶと期待できる。言葉は分からなくても、孝行は感心となるから、まずは孝行を見せて反応を見るのが良い。立派な服装をして、従者を従えた馬車に乗り、堂々とすれば民は頭を下げる。だが、それだけでは冷酷な人間に違いないと思われるかも知れない。そこで親孝行なのだ。もし共感を得られるならば、逆らう気にならないのが人情である。
3、慈しみは実利
威厳によって逆らえない雰囲気ができ、孝行で共感が得られたとしても、実利に乏しければ盤石とは言えない。民自身の家庭生活が円満であればこそ、忠実であることに強い利が働く。そこで慈しみとなる。では、民を慈しむとは具体的に何かとなるが、鼓腹撃壌の故事の通り、結局は民の生活に干渉しない政治に尽きるのだろう。例えば、仕事があれば農閑期を選んで頼むとか、無下に戦争に駆り出さないとか、税は約束の額以上は取らないと言った配慮が喜ばれる。当然と言えば当然だが、中国では戦乱は普通の事であり平和は70年も続けば長いと言われる土地柄なため、干渉されない事がとても有難いのだ。そして、そういう統治であれば民は暮らしやすいと感じるから、この主の下で生きようとなり、忠実になるのが自然である。
4、利で釣る
善人を登用して、能力に乏しい者を教育させる理由は、利で釣ると考えるとスッキリする。要はどのような人間が良い思いするのかを登用によって示し、能力の乏しい者をそちらの方向に誘うのである。善行に励む者が増えるのは道理である。
【参考】
1、季康子は魯の大貴族であった季孫氏の当主で、康はおくり名。孔子が60歳の頃、父の季桓子の後を継いだようだ。
2、不能の者の訳には2通りあり、能力に乏しい者と訳す場合と、不善の者と訳す場合がある。
【まとめ】
風評は情報戦だ。
------ 仏教の立場からの考察 ----
すべての原因は欲である。
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