2019年12月17日火曜日

観音経 普門偈 その6

【原文】

禁枷鎖 手足被杻械 念彼觀音力 釋然得解脱



【和訳】

或いは囚われ枷や鎖で禁じられ、手足に杻械を被っても、彼の観音の力を念ずるならば、釋然として解脱を得る。



【解説】

囚われて手足を枷と鎖で拘束されても、枷と鎖のほうから壊れて解き放たれると言うのだから凄いが、手足を拘束している枷と鎖は執着と読み替えると良さそうである。と言うのも、人は何かに囚われているものだ。例えば、お金が大事だと言う人は、お金に囚われていると言える。お金に執着する事で、お金は手枷となり自由を束縛する。例えば、地位を失うのが怖い人は、地位に囚われていると言える。地位に執着する事で、地位は足枷となり自由を奪う。囚われても楽しくやれているならば気にする事もないが、もし苦しいと感じているなら、一度立ち止まって観音様を念じれば、そういった苦しみから解放されるというのがお経の趣旨である。では、その心はとなるが、心は観音様だったらどうするかと考えなさいという事だ。そして、その通りにすると良い。人は利己心によって苦しむもの。例えば、お金で苦しいならば、お金が欲しいと執着しているからである。お金を譲ってしまえば、何も苦しむ事は無い。例えば、地位を失う事で苦しむのは、地位に執着しているからである。地位に綿々としなければ、特に苦しいことは無い。だから、観音様がお金に執着するだろうかと考えて見る。地位に拘泥するだろうかと考えて見る。すると、観音様はそんな事はしないとなる。だから、観音様のように生きれば、苦しみからも解放されてしまうのである。

なお、今回はお金と地位に絞って説明したが、人によって何に執着し囚われるかは異なる。財や異性かも知れないし、権力や名誉かも知れない。怒りや怨みに囚われる人もいるし、嫉妬や悲しみに囚われる人もいよう。だが、どんな場合であっても、観音様だったらどうするかと考える事で、苦しみを脱するヒントが得られるはずだ。




【語句の説明】

4、枷鎖(かさ)は、刑具のかせとくさり。

5、杻械(ちゅうかい)は、刑具の手かせと足かせ。

6、釋然(しゃくねん)は、疑いが晴れて心が晴れ晴れする様。

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