2019年11月14日木曜日

里仁 第四 16

【口語訳16】

孔子先生がおっしゃった。君子は道理をさとり、小人は損得をさとる。



【解説】

人生の勝ち負けにこだわるわけでは無いが、あえて人生全体を一つの勝負と考えてみると、君子が万事道理を大切にするのは、それが負けづらい手であるからと考えても良い。損得のみを考えた言動はその場限りでは良い思いをする事もあるだろう。だが、後々咎められる可能性も高く、後顧に憂いを残すとも言える。人生を近視眼的に考えるのではなく、雄大に長い目で捉えるなら、後顧に憂いを残す事は極力するべきでは無い。長い時間の中では、必ず咎められるときが来るのだから。これは例えば、政治家の汚職など良い例となる。彼らは賄賂を受け取ってその場では良い思いをしたはずだし、その時はバレないと思っているはずだが、しばしばTVや新聞を騒がすようなニュースに発展している。こうなって見れば、賄賂を受け取った事は馬鹿だったとさえ言える。ルールを破ったらいけないは子供でも知っている道理だが、道理をきちんと実践しているかは、長い時間のなかでは効いてくるのである。勿論、道理に従っていれば必ず成功できると言ったものでは無く、損得のみを考えては必ず失敗すると言うものでも無い。なかには損得のみで成功している者もいる。ただ、どちらが勝ちやすいかと考えた時に、君子は道理を重んじ、小人は損得に走る傾向があると考えて見たい。要は勝ち安さの問題である。

なお、君子を立派な官僚という意味で解釈するなら、君子でなければ国を潰す。小人には安心して政治は任せられないと言える。また、単純に考えて、道理をさとらねば応用がきかず、目先の損得に走るは実質的に損と考えても良い。経験を経験として活かすには、道理を把握しなければならないのも、また道理なのだから。





【参考】

将棋の世界にはプロとアマチュアがいるわけだが、プロとアマチュアで何が決定的に異なるかと言えば、将棋の腕の他に持ち時間がある。アマチュアの対局では精々数十分の持ち時間の処、プロになると数時間に増え、タイトル戦などは2日にわたり対局がされたりする。この持ち時間の差が、将棋の指し手の発想に決定的な差を生む事になるという話がある。アマチュアは相手の持ち時間が短いため、その短い持ち時間をついた手も有力な選択肢となる。実力者が見ると無理筋の手であっても、考えられる時間が短い中では実戦的なのである。詰み将棋もかける時間によって正答率は変わるように、考える時間が無ければ受けを間違うからだ。そのため、ただ局面を複雑にすれば、読みが追い付かないため勝負になる。

プロにこういった発想が無いかと言われれば、勿論ある。将棋は間違ったほうが負けるゲームという性質上、劣勢の祭は局面を複雑にして難しくしておくという事は一つの勝負術となる。故・米長永世棋聖などはそういった事が得意だったような気がする。だが、こういった発想は劣勢だからこそする事なので、プロのレベルではアマチュアほどの効果は期待できない。プロは腕もさることながら持ち時間も長いため、無理筋な手はきちんと受けられてしまう事が多いからだ。そのため、プロは持ち時間があっても関係が無い手、言い換えれば、棋理に沿った手を指そうと心がける。棋理にそった手なれば相手に咎められる心配なく、勝率に直結するからだ。君子の発想もここらへんに由来するのではないか。





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