2018年12月23日日曜日

八佾 第三 9

【その9】

子曰く、の礼は吾能われよく之を言えども、杞徴きちょうするに足らざるなり。いんの礼は吾能く之を言えども、宋徴するに足らざるなり。文献足らざるが故なり。足らば則ち吾能く之を徴せん。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。私は夏の礼に通じているつもりだが、杞にはそれを証明する十分なものが無い。私は殷の礼に通じているつもりだが、宋にはそれを証明する十分なものが無い。文献が足りないからだ。足りていれば私の理解はより深まったはずだ。



【解説】

まず言葉の説明をすると、夏は中国最古の王朝の名で、その子孫が封じられた国が杞である。夏を滅ぼしたのが殷であり、その子孫が封じられた国が宋という関係にある。孔子は夏と殷の礼制に通じているつもりなのだが、それを証明するに十分なものが後継国である杞と宋には残っていないと嘆いている一節となる。孔子は古典の編纂もしていた事を考えると、資料として文献が無い事はさぞ嘆かわしかっただろう。



1、中国に文献が残らない理由

文化は辺境の地に残ると言う言葉通り、中国は文化が残りづらい土地柄である。理由は大きく2つ考えられる。まずは戦争が多く、平和が長く続かないからだ。特に負け戦では文献を保護する余裕もないため、文献が消失する事も多くなる。そして、中国人の歴史に対する考え方も大きい。彼らは歴史は時の支配者が自由に作り変えるものと考えている。故に、支配者にとって都合が悪い歴史は消される傾向にあり、当然その証拠となる文献も消される事も多くなる。歴史は作る物だから、客観的事実としての文献は重要でないと考えてもスッキリするだろう。



【参考】

文献の文は竹簡などの文物、献は賢人を意味する。



【まとめ】

失ってから気づく事もある。


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