2019年7月27日土曜日

里仁 第四 3

【口語訳3】

孔子先生がおっしゃいました。ただ仁者のみが公平に人を好み、公平に人を憎む。



【解説】

仁者、つまり思いやり深い人はどうしても公平になっていく。例えば、相手が一人の場合ならば、その相手の心に寄り添うだけで良い。だが、相手が二人の場合はどうだろう?二人の利害が対立したケースで片方に肩入れしては、もう片方の心に寄り添った事にならない。二人のどちらにも寄り添うとすると、どうしても折衷案で折り合いをつける事になり、例えばお互い半分だけ得をするようなバランスのとり方になる。二人の間の利害調整ならばまだ良いが、では百人の場合はどうなるだろう?まさか公平に1%づつ得をすれば良いじゃないかと言っても誰も納得しないだろう。流石に1%では取り分が無さすぎる。そのため、百人が利害を対立した際は、それぞれの意見を聞きながら利害を調整していては何時まで経っても折り合いはつかないし、そもそも各人の意見を聞くだけでも一苦労である。このように人数が多くなると、結局、予め基準を作っておき、その基準に百人のほうで合わせてもらう他まとめようがない。中国ではそれが例えば天子となるのだが、天子のように昔から公正とされる基準に、百人のほうで合わせてもらうのが一番争いが少ない妥当な落としどころなのである。天子というルールのもとでは、各人が公平だからだ。このように多くの人の心に寄り添おうとするにつれ、例えば天子に寄り添うような自然と公正にならざる得ない。公正が結局は公平だから。仁者は自然と公正な基準に合わせて人物を観るため、好き嫌いに私情を挟む事なく、公平に良い者は良い、悪い者は悪いとする。

逆に不仁者、つまり私利私欲の人はどうしても自分の利益が中心になるため、人の選り好みにも私情が介入する。この手の人間は自分にとって利益がある時は良くしてくれるが、利益が無いとなったらバッサリと切る事があり、長く付き合うと損をする事に注意が必要だ。学而編では、孔子はこの手の輩を友人としてはならないと説く(学而編8番)。



1、公平は長生きの秘訣

君子として考えると、公平な付き合いは処世術として大切だと思われる。と言うのも、公平な人間には無茶苦茶はしないだろう安心感がある。この周りに与える安心感がとても大切なのだ。人間を追い詰めるのは猜疑心である事が多い。猜疑心が不安を呼び、不安がさらに不安を呼んで、例えば国と国なら戦争になったりする。何を考えているか分からないと言う評判は、周りの人の敵意を誘うと知っておくべきだろう。逆に公平は敵を作りづらい。故に長生きである。



2、陥りやすい落とし穴

人間生き方が定まると、自分の価値観がはっきりするから、自然と好き嫌いもハッキリしてくる。例えば、仁を大切と思えば思うほど、不仁の者が鼻につくようになる。そうすると、不仁の者を見ると、見過ごせなくなって怒りを覚えるようにすらなる。ここら辺が人を好み、憎むと孔子は言う所以かも知れない。だが、これは落とし穴と言えば、落とし穴だ。怒って良い事は無い。そこで、抜け道を紹介しておく。仏教的な回答になるが、嫌いな相手がいたら、その嫌いな相手も何かに苦しんでいるのだと考えてみると良い。そうすると、その嫌いな相手も実は哀れな存在であると気づける。気づけば、その嫌いな相手の印象も変わってくるだろう。





【参考】

怒りへの対処法になるかも。


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