2019年1月14日月曜日

八佾 第三 17

【その17】

子貢告朔こくさく餼羊きようを去らんと欲す。子曰く、や、なんじは其の羊をしむ。我は其の礼を愛しむ、と。



【口語訳】

子貢が告朔の儀式において、犠牲として捧げる羊を取りやめる事を希望すると、孔子が言った。賜君、君は羊を惜しく思うのだろうが、私は礼が廃れる事が惜しい、と。



【解説】

まず告朔の説明をすると、告朔とは朔を告げるという儀式となる。では、朔とは何かと言うと、陰暦の一日であり、古代中国では暦を意味した。したがって、告朔とは暦の上での一日を告げる儀式となる。周代では、12月になると天子が諸侯に対し翌年の暦を知らせ、諸侯は天子から知らされた暦を祖廟に保管していた。そして、一日に祖廟から一か月分の暦を取り出し、今日が一日である事を告げると共に、羊を生贄として供えたのである。故に、告朔と言う。

周王朝が勢いがあった時代は、この告朔の儀は周王朝の力を象徴する役割を担ったわけだが、孔子の生きた時代になると周王朝の力には陰りが見えており、その権威だけがかろうじて残っている状況だった。そういう状況では諸侯への強制力があろうはずもなく、孔子のいた魯でも告朔の儀は形骸化されていたらしい。具体的には、告朔の儀は執り行われずに羊だけが供される有様だった。そこで、告朔の儀を執り行わないのに、羊だけを供するのは無駄と考えた子貢が、羊は無駄だから省きましょうと言ったというのが今回の状況となる。孔子は周王朝の礼を復興する事こそ天命と生きていたのだから、弟子が周王朝の礼の一環でもある羊を省こうと願いでた時に、私は羊よりも礼が廃れる事が惜しいと言ったのは良く分かる。



【参考】

余談だが、羊が無駄と思うなら、供えた後に食べると言う選択肢は無かったのかと思う。日本なら新嘗祭然り、喜んで食べただろう。だが、子貢が無駄と判断するからには、当時の中国では食べなかったのだろう。四つ足は何でも食べると言われる中国にあって、羊を食べなかったのは不自然である。そう考えて見ると、見栄を張っていたと考えるのが妥当かも知れない。中国では食べきれないほどの食べ物を並べる事がステータスで、かつ食べ残す事が自慢となるため、見栄をはって貴重な羊を捨てていたとすれば自然ではある。そうならば、確かに無駄であり、子貢の気持も良く分かる。

また、儀式において羊を供物にするという事は、リターンはリスクなしでは得られないと言えば良いか、何の犠牲もなく見返りは得られないと言う発想がある事が分かる。この場合、犠牲となった羊は天に対する賄賂、もしくは税金のようなニュアンスになるわけだが、それを無駄だから省くと言うのは凄い発想な気がする。信心深い人ならば、それだけで不吉な事が起きると騒ぐくらいに。日本ならば、そう言う事をすれば霊障が起きても文句が言えない。くわばら、くわばらである。

なお、餼羊は、告朔の儀で捧げられた羊を意味する。



【まとめ】

続ける事に意義がある。


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