2018年8月29日水曜日

学而 第一 11

【その11】

老先生が言われた。父の存命中は志を観なさい。父が没するなら行いを観なさい。3年父の道を改めないならば、孝子と言えよう。




【解説】

真心をもって父に仕える。そういう人柄にあっては、自然とその志を観るようになる。父が没するならば、その行いを思い出し、自分でもやってみるだろう。そうすると、周りから見ているだけでは分からなかった父の大変さが身に染みるし、自分の至らなさにも気づく。そうこうしている内に3年くらいは経つものだという話である。真心さえ忘れなければ、後はついてくると確認したい。




今回は孝がテーマと言う事で、中国人の死生観を踏まえると良いのかもしれない。中国人の場合、日本人とは異なり、死んでも個性は失われず、死後も地下の世界で生きていると考えるようだ。だから、父の没後の扱いが極めて大切になるし、自然と孝が尊ばれる環境が整うのだろう。




父の存命中に志を観る理由は、何をしているかより、何故しているかを観ると考えればスッキリしている。大本となる理由を察することができるなら、先回りして準備しておく事も可能となるし、何をして欲しいのか、何をしてはダメなのかもハッキリしてくる。諫言も真を得たものになり、理解を得られやすくなる。



父の没後に行動を観る理由は、没後は何故そういう行動をとったかを冷静に観ることができるようになると言う部分もある。生前は親子ゆえ素直になれないと言う事もあるから、父の思いを勘違いをして受け取ってしまい親子喧嘩に発展するケースもある。しかし、没後ならば、冷静に観ることができるもの。子を持って知る親の恩、亡くして分かる有難みと言う言葉があるが、要はそういう部分がある。



3年は父の道を改めない理由は、勿論志を継いでこそという部分があると思うが、死生観的には、そうしないと地下で生きている父に怒られて不吉な事が起きると考えるのも自然だろう。要は、「お父さん、言う事を聞くから、どうか祟らないでね」と言うわけだ。こういった話に科学的な根拠はないが、不思議とそう見えるものだから妙に説得力があるものだ。



何故3年かと言うと、当時の慣習だったようだ。孔子の生きた時代には、単にそういう慣習があったから3年と言っている。孔子は葬儀屋であったから、葬儀に関する風習や、父の死後はどうしたら良いか等、こういった質問をされる事が多かったのだろう。余談だが、最初は祟られるのが怖くて初めた3年喪に服すという風習も、みんなの間で当り前となると話は変わってくる。最初は本当に父を忍んで喪に服していたはずが、みんなが3年喪に服すようになると、3年というルールを守らない者は親不孝者というレッテルを張られるようになる。このレッテルは反社会的人間を意味するから大変だ。最初は自然なかたちで出来上がったであろう3年喪に服すという風習も、一度ルールとして認知されてしまうと人々を束縛するもので、その頃には3年というルールが別の意味合いを持つようになる。3年喪に服すなら、確かに親孝行に見える。だが、本来孝に時間は関係ないはずだ。にも関わらず、親孝行に見えると言う部分が大切となり、3年を境にして孝子を決定してしまうのが面白い。





【参考】

1、この部位は他にも「父は子の志を良く見ているものだ。例え亡くなっても、子の行いを草葉の陰からしっかり見ている。少なくとも3年は喪に服し、父の歩んだ道に沿って歩きなさい。それが孝行というものだ。」と訳せる。こう訳すと中国人の死生観が良く出る。


2、3年喪に服すと言っても、実際は満2年だったようだ。中国では死を遠ざけると言う意味で、死んだ日の前日を死亡日とする。そうすると3年目の開始日が調度、本当の死亡日となるため、2年後の死亡日をもって3年喪に服したと言っているようだ。


3、孔子は父の道を改めるなかれと言っているが、家の風習を継承すると言った軽い意味という説がある。極端な例だが、儒教の家だったはずが、死んだ途端に息子がキリスト教に改宗し、キリスト教ではない父親は地獄送りとなったでは、流石に父親が浮かばれない。少なくとも3年はよく考えろと言えば分かりやすいか。





【まとめ】

親孝行に理由をつけてるな。






------  仏教の立場からの考察  ------

やはり仏になる事が一番の孝行だろうか。


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