【その16】
子曰く、射は主皮 せず。力を為すや科を同じくせず。古 の道なり。
【口語訳】
孔子先生がおっしゃった。礼射は的に当てるだけが主ではない。労役では力の異なる者は区別して扱う。これが古のやり方である。
【解説】
1、射について
射は弓の事だが、弓と一言に言っても、礼射と武射がある。礼射は名の通り礼儀作法であるから、的に当てる云々だけでなく、作法としての一連の流れが大切となる。故に、矢を的に当てる事は評価の一つに過ぎず、礼射の主目的ではない。逆に武射のほうは実戦的で、的を射抜く事や、力強さが評価の対象となる。
さて、そもそもの話をすると、弓は武器であるから、狙う対象が獣であれ、人間であれ相手を殺すための道具である。そのため、弓の使われ方を考えるならば、殺傷能力が最も尊ばれて然るべきだだろう。狩りをするなら獲物が獲れるかどうかが最も重要だし、戦場ならば相手を殺せるかが最も重要なのだから。こう考えて見ると、弓を競うならば礼射よりは武射が自然だし、古代に弓の技を競い始めた頃はそうだっただろうと察しがつく。しかし、ある時から、弓に作法という考え方が出てきて、それを礼射と称し始めたわけだ。これを孔子は古のやり方と言っている。
では、何故古の人は弓という殺傷する武器に礼を取り入れたのかになるが、最も大切な理由は血気盛んで乱暴になりがちな武官たちを鎮めたかったと言う事では無いだろうか?これは例えば、むき出しの刀は危ないから、礼と言う鞘に刀をしまわせるという話だ。単に乱暴だった者達も礼が身につけば、自然と抑えが効くようになる。何故礼を身につけさせねばならないかは、王の視点で考えれば良く分かる。単に乱暴なだけの者は、部下とは言え謀反が怖い。だから、礼を身につけさせ、刀を鞘に納めさせたいと王は考えるものである。そして、礼を身に付けた武官たちには、刀を鞘に納める以上の効果がもたらされる。彼らは秩序だって行動するようになるから、敵から見るとより一層強そうに見えるのだ。これは、孫子の兵法に威風堂々とした軍には近寄るなとある通りである。故に、礼射は古の王が辿った道となる。
2、労役について
労役では力の異なる者を区別して扱うと言われれば、そのほうが合理的と誰しも考えるだろうが、加地伸行氏によれば、孔子の時代は人の力の差を考慮せず、一緒くたに労役につかせていたようだ。理由を考えるに、恐らく縁故主義と賄賂が原因だろう。誰が考えても能力によって仕事を分けたほうが良いのだが、それがなされなかったという事は、縁故主義がはびこっていたたか、賄賂の多寡で仕事を分けたかのどちらかと考えるのが自然だ。これは中国では常識的な行為だが、縁故主義や賄賂が行き過ぎれば国は傾くものだ。縁故主義は不平不満の温床となるし、賄賂は自分の懐ばかりで国益を省みない人を作り上げるから。孔子はその辺を考慮して、能力によって仕事を分けた古のやり方を褒めたのかも知れない。
現代の会社組織でも、こういった悩みはつきもので、会社が大きくなるにつれ自然発生する。あの息子さんは大事な取引先の跡取りだから入社させなさいとか、そのお嬢さんはこの前退職した専務のお嬢さんで、専務は大変功績があった方なので入社させなさいとか、そっちのお嬢さんは退職した社員の娘さんだが、あまり功績が無い人だから何方でも良いとか。こういった事は珍しい話では無いが、縁故採用が徒となって会社が傾く事も珍しくは無い。より強い組織を作るなら人材は広く一般に求めたほうが良いに決まっているが、色々なしがらみがあるため、そうも言えない。能力によって人を使い分けると言う古のやり方は、簡単なようで難しい。
3、朱子の解釈
朱子学の朱子は、上記とは異なり、全体を弓の事として訳している。彼によれば、弓が的に当てる事を主目的としないのは、人は生来の能力に差があるためだと訳す。原文を見て確認して欲しい。自然な訳だと思う。
原文 : 射不主皮、為力不同科
こう訳した場合、日本人は朱子が平等主義者のように感じるかも知れない。弱き者のために能力の差を考慮する、と。だが、朱子は中国人であるから、その言っている意味は逆と考えたほうが良い。つまり、自分より力が秀でた者の能力を制限するために、生来の能力の差を危惧している。中国では基本的に平等という言葉はない。彼らに言わせれば、生まれながらにしてお金持ちがいると思えば、生まれながらにして貧乏人がいる。平等なはずが無いというわけだ。彼らは日本人の惻隠の情的な平等感は持っていないので、文化の差を把握して欲しい。文官は武官の力をそぎたいものと考えたほうが、朱子の言わんとする事がしっくりくるだろう。現代で言うならば、シビリアンコントロールだ。
【参考】
科は区別という意味。科を同じくせずとは、例えば上・中・下と分ける事を言う。
【まとめ】
古の知恵は過去の失敗の教訓。
子曰く、射は
【口語訳】
孔子先生がおっしゃった。礼射は的に当てるだけが主ではない。労役では力の異なる者は区別して扱う。これが古のやり方である。
【解説】
1、射について
射は弓の事だが、弓と一言に言っても、礼射と武射がある。礼射は名の通り礼儀作法であるから、的に当てる云々だけでなく、作法としての一連の流れが大切となる。故に、矢を的に当てる事は評価の一つに過ぎず、礼射の主目的ではない。逆に武射のほうは実戦的で、的を射抜く事や、力強さが評価の対象となる。
さて、そもそもの話をすると、弓は武器であるから、狙う対象が獣であれ、人間であれ相手を殺すための道具である。そのため、弓の使われ方を考えるならば、殺傷能力が最も尊ばれて然るべきだだろう。狩りをするなら獲物が獲れるかどうかが最も重要だし、戦場ならば相手を殺せるかが最も重要なのだから。こう考えて見ると、弓を競うならば礼射よりは武射が自然だし、古代に弓の技を競い始めた頃はそうだっただろうと察しがつく。しかし、ある時から、弓に作法という考え方が出てきて、それを礼射と称し始めたわけだ。これを孔子は古のやり方と言っている。
では、何故古の人は弓という殺傷する武器に礼を取り入れたのかになるが、最も大切な理由は血気盛んで乱暴になりがちな武官たちを鎮めたかったと言う事では無いだろうか?これは例えば、むき出しの刀は危ないから、礼と言う鞘に刀をしまわせるという話だ。単に乱暴だった者達も礼が身につけば、自然と抑えが効くようになる。何故礼を身につけさせねばならないかは、王の視点で考えれば良く分かる。単に乱暴なだけの者は、部下とは言え謀反が怖い。だから、礼を身につけさせ、刀を鞘に納めさせたいと王は考えるものである。そして、礼を身に付けた武官たちには、刀を鞘に納める以上の効果がもたらされる。彼らは秩序だって行動するようになるから、敵から見るとより一層強そうに見えるのだ。これは、孫子の兵法に威風堂々とした軍には近寄るなとある通りである。故に、礼射は古の王が辿った道となる。
2、労役について
労役では力の異なる者を区別して扱うと言われれば、そのほうが合理的と誰しも考えるだろうが、加地伸行氏によれば、孔子の時代は人の力の差を考慮せず、一緒くたに労役につかせていたようだ。理由を考えるに、恐らく縁故主義と賄賂が原因だろう。誰が考えても能力によって仕事を分けたほうが良いのだが、それがなされなかったという事は、縁故主義がはびこっていたたか、賄賂の多寡で仕事を分けたかのどちらかと考えるのが自然だ。これは中国では常識的な行為だが、縁故主義や賄賂が行き過ぎれば国は傾くものだ。縁故主義は不平不満の温床となるし、賄賂は自分の懐ばかりで国益を省みない人を作り上げるから。孔子はその辺を考慮して、能力によって仕事を分けた古のやり方を褒めたのかも知れない。
現代の会社組織でも、こういった悩みはつきもので、会社が大きくなるにつれ自然発生する。あの息子さんは大事な取引先の跡取りだから入社させなさいとか、そのお嬢さんはこの前退職した専務のお嬢さんで、専務は大変功績があった方なので入社させなさいとか、そっちのお嬢さんは退職した社員の娘さんだが、あまり功績が無い人だから何方でも良いとか。こういった事は珍しい話では無いが、縁故採用が徒となって会社が傾く事も珍しくは無い。より強い組織を作るなら人材は広く一般に求めたほうが良いに決まっているが、色々なしがらみがあるため、そうも言えない。能力によって人を使い分けると言う古のやり方は、簡単なようで難しい。
3、朱子の解釈
朱子学の朱子は、上記とは異なり、全体を弓の事として訳している。彼によれば、弓が的に当てる事を主目的としないのは、人は生来の能力に差があるためだと訳す。原文を見て確認して欲しい。自然な訳だと思う。
原文 : 射不主皮、為力不同科
こう訳した場合、日本人は朱子が平等主義者のように感じるかも知れない。弱き者のために能力の差を考慮する、と。だが、朱子は中国人であるから、その言っている意味は逆と考えたほうが良い。つまり、自分より力が秀でた者の能力を制限するために、生来の能力の差を危惧している。中国では基本的に平等という言葉はない。彼らに言わせれば、生まれながらにしてお金持ちがいると思えば、生まれながらにして貧乏人がいる。平等なはずが無いというわけだ。彼らは日本人の惻隠の情的な平等感は持っていないので、文化の差を把握して欲しい。文官は武官の力をそぎたいものと考えたほうが、朱子の言わんとする事がしっくりくるだろう。現代で言うならば、シビリアンコントロールだ。
【参考】
科は区別という意味。科を同じくせずとは、例えば上・中・下と分ける事を言う。
【まとめ】
古の知恵は過去の失敗の教訓。
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