2019年7月2日火曜日

八佾 第三 24

【口語訳24】

衛国の儀に差し掛かった際、門番をしていた役人が謁見を申し出てきた。私は君子がここを通られた際、未だお目にかかれなかった事がありません、と。従者はその役人を孔子先生に会わせてあげた。謁見後、役人は言う。従者の方々、先生が職を失ったことは嘆くに値しません。天下が乱れてから久しい。天はまさに先生を木鐸に選んだのです。



【解説】

孔子の人徳が良く伝わるエピソードだと思う。門番の役人は孔子を天下の木鐸と評しているが、木鐸とは法令などを人民に知らせる際に使用した鈴の事で、転じて教育的指導者を意味する。つまり、門番の役人は孔子を天下の教育的指導者と言うのだから、大変な褒めようである。世の中には色々な人間がいるが、会った者を感動させてしまうほどの人間はそういない。孔子にはそういった魅力があったようだ。これも孔子の説く仁義礼智信の為せる技だったのだろうか?そう考えて徳器を磨くと素晴らしい教訓が得られそうだ。

ただ、中国人が崇めるのは福禄寿の現世利益と相場が決まっていると考えれば、中国人に仁義礼智信を説いても糠に釘な気もする。あくまで想像だが、孔子はひとしきり語らった後に一言、もし自分が要職に返り咲く事があるならば尋ねて来なさいと言ったか、もしくは自分の弟子に要職についている者がいるから紹介してあげようと言ったのでは無いだろうか?そうならば門番の役人にとって崇めるべき現世利益があり自然かも知れない。



1、門番の立場から

視点を変えて門番の役人に注目してみると、彼もトゲの多い門松を通ってきた人間のようだ。彼は門番なのだから孔子の従者にも単に調べると言えば良いような気もするが、きちんと孔子の面子を立てて、未だ君子にお目にかかれなかった事はないと言っている。これなら孔子も会いやすいし、従者も紹介しやすい。逆に、偽物かも知れないから一応調べると言われては、孔子達は多少なりとも歯がゆい思いをしたかも知れない。また、孔子との会話が終わってからの褒め方も琴線に触れた事だろう。孔子のような君子という立派な官僚を目指し放浪する身にとって、最も言って欲しい事を言っているでは無いか。孔子達もまんざらではなく、彼の心象を良くしたことだろう。しっかり門番の仕事をこなしつつ、敵をつくらない技術に学ぶべき点があるかも知れない。




【参考】







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