2019年12月19日木曜日

観音経 普門偈 その9

【原文】

若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方



【和訳】

若し悪獣に囲饒され、利い牙や爪を怖がる可きも、彼の観音の力を念ずるならば、無辺の方へ疾走してしまう。



【解説】

例えば、飢えたライオンの群れに囲まれてしまったと言う状況を考えると良い。ライオンが牙や爪で襲い掛かろうとする刹那、観音様と心に念じると、ライオンが急に何処かへ走り去ってしまった。そういう霊験である。人間は絶対絶命の時になると、思わず神様と言ってしまうと言われるが、その観音様版と考えると自然だ。

では、悪獣に牙や爪で襲われる事は何の例え話か考えていく。思うに、欲望が膨れ上がってしまい、居ても立ってもいられないような状況だろう。例えば、買い物で物色していたら、目に留まったアクセサリーが魅力的で、衝動的に欲しくなった。そこで、幾らだろうと値札を見るのだが、あまりに良い値段をしていてどうにも手が出そうにない。でも、欲しくてたまらない。頭がどうにかなりそう。これが悪獣に襲われている状況である。まさに恐ろしき獣と言えよう。では、どうしたら良いのかになるが、こういう時は観音様が見てると思うと良い。観音様が人々の役に立とうとしている時に、自分はアクセサリーが欲しくて身もだえるという訳にはいかない。だから、自制心が戻ってくる。完全に納得はできないかも知れないが、間を空ける事は出来るだろう。すると不思議なもので、時間が薬となって解決してくれる。欲は衝動的な場合が多いから、例えば一晩寝ると、全然欲しくなくなったりする。案外とあきらめが着くのだ。お経にある通り、襲ってきた悪獣は何処かに行ってしまうのである。こう考えて見ると、確かに欲望は何処からか来て、気付くと何処かに行ってしまっている。疾走無辺方と気づく。

なお、悪獣は何処かに行ってしまっただけで、いなくなった訳では無い。またひょっこり出くわす事もあるだろう。悪獣は決していなくなるわけでは無く、常に心の森林に潜んでいる。だが、それは悪い事では無く、悪獣も自分にとって必要だから存在している。中には悪獣を消そうと思う人もいるが、悪獣を消そうと思えば、その気持ちがまた新たな悪獣を生むと知れ。




【語句の説明】

1、若は、もしと言う意味。

2、利や、切れ味が良いと言う意味。

3、無辺は、広々として果てしないと言う意味。

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