2018年11月27日火曜日

八佾 第三 1

【その1】

孔子、季氏を謂う。八佾(はちいつ)庭に舞わしむ。是れ忍ぶ可くんば、敦(いず)れをか忍ぶ可からざらん、と。



【口語訳】

孔子が季氏について批評した。季氏は八佾(はちいつ)を庭で舞わせている。これが平気ならば、何が平気でないと言うのだろう。



【解説】

孔子が問題にしている八佾(はちいつ)は、天子だけに許された舞の名称である。その天子の舞を季氏が庭で舞わせるという事は、天子に比べればはるか格下であるはずの季氏が自分が天子だと主張してる事になる。故に、これが平気ならば何が平気で無いと言うのだろうと孔子は言っている。

現代で例えれば、平社員が社長と同じ待遇を要求したと言う話で、それを端から見ていた孔子が、お前は平社員だろと憤ったいう状況だと思えば良い。






1、舞楽で使える人数が序列を表す

八佾(はちいつ)の佾は舞の列を意味し、八佾(はちいつ)は縦横8列の舞を意味する。具体的に言うと、八佾(はちいつ)は8列×8列で64人の舞である。当時は舞に使える人数が序列を示したため、64人は天子のみに許され、これが諸侯になると6列×6列で36人となり、大夫になると4列×4列で16人までしか許されなかった。季氏は大夫であったから、当時の常識からすれば16人の舞が相応しく、大夫が64人も舞わせるなどとんでもない話なのである。



2、季氏が八佾(はちいつ)に至る経緯

魯の初代は周王朝建国の功績もある周公旦の子であったためだろう。周王朝から特別な待遇を受け、祖霊を祭るに八佾(はちいつ)を許されていた。そのため、季氏の祖先にあたる15代目の桓公も、国廟で八佾(はちいつ)によって祭られる。

だが、孔子の時代になると、すでに宗家から力が失われ分家の季氏が権勢を誇るようになっていた。そこで、季氏からすれば、今は此方のほうが力があるという事なのだろう。自らの祖先である桓公を祭るのに、庭で八佾(はちいつ)を舞わせたわけだ。王のもとに臣下が集う姿が美しいと考える孔子からすれば、季氏は許されるはずのない行為をしたと言える。

なお、季氏は単独で八佾(はちいつ)をしたわけでは無く、同じく桓公を祖先にもつ孟孫氏、叔孫氏と合同でしたようだ。季氏は桓公の正妻の流れ、孟孫氏と叔孫氏は側室の流れであったため、季氏が筆頭として取り仕切った。政治的には分家同士で結束を強める意味合いがあり、宗家である王に対抗する狙いもあったと思われる。



【参考】

1、忍は容認の意味する。

2、庭(てい)は舞が行えるような庭で、植木や池がある観賞用の庭ではない。季氏は、庭に桓公の廟(墓)をつくり祭っていた。



【まとめ】

礼を失すると綾が付く。

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