2019年11月9日土曜日

里仁 第四 13

【口語訳13】

孔子先生がおっしゃった。礼制と謙譲の精神のもとで国を治めるなら、何の難しい事があろうか。礼制と謙譲の精神のもとで国を治められないなら、礼制は何の役に立とうか。



【解説】

礼制が必要な理由は、要は便利だからだ。どういう事かと言うと、例えば、いくら心で敬意を示しても、心で思うだけでは相手に敬意は伝わらないという問題がある。そのため、相手に敬意を伝えるためには、相手にも分かる形で具体的に敬意を示さなければならないとなる。そうすると敬意を示すための共通の所作があったほうが良いとなり、それが社会規範として発達する事になる。そして、そういった社会規範が洗練されると礼制と呼ぶようになるわけだ。礼制に則ることにより、相手にあらぬ誤解を与えてしまうリスクも避けられるため、誤解から喧嘩になる事もなくなり、言わば高いレベルでの非言語コミュニケーションも可能になる。

このように礼はコミュニケーション手段が増えると言う意味で便利であるのだが、一方で、良くも悪くも形式に過ぎず、言わば化粧のように見た目を整えたに過ぎないと言う問題もある。いくら見た目を整えても、お互いが自分の利益を主張するばかりで実質的な折り合いがつかなければ、それはそれで喧嘩になってしまうものだ。そこで必要になってくるのが謙譲の精神と考えるとスッキリするだろう。つまり、利害が対立しても、お互いが相手を尊重して譲り合うならば喧嘩にならないと言うわけだ。故に、礼制と謙譲の精神のもとで国を治めるなら、国を治めるのに何の困難も無くなる。相手を侮辱せず、その誤解をうけず、相手を尊重し利益を譲るなら、どうして喧嘩になろうか。喧嘩にならないなら、何の困難があろうか。いや、無いというわけだ。

また、礼制と謙譲の精神のもとで国を治められないなら、礼制が役に立たない理由も上記の通りである。謙譲の精神ぬきでは、利害対立した場合に喧嘩になってしまう。これは、お互いが礼儀に則りながら皮肉を言い合う姿を想像すれば分かりやすいだろう。笑顔で皮肉を言い合う姿などグッタリするのでは無いだろうか。



1、礼に通ずる事こそエリートの証

君子を立派な官僚として考えると、円滑に仕事を行うために喧嘩を避けたいという実務上の理由のほかに、礼に通ずる事で生じるエリート意識も抑えておきたいポイントとなろう。と言うのも、一般人は礼に通じてはいないし、知っていてもおぼろげに知っているだけだ。そのため、礼に通じる事で自ずとエリート意識が芽生えるし、礼に通じた者同志の仲間意識を強める事にもなる。エリートは嫉妬され仲間外れになりやすい事を考えると、この仲間意識は処世術として大変重要となる。ここら辺の事情が孔子が仁を説く一端でもある気がする。

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