2019年12月9日月曜日

観音経 普門偈 その2

【原文】

仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池

或漂流巨海 竜魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没



【和訳】

仮使、害意を興されて、大きな火の坑に推し落とされたとしても、彼の観音の力を念ずるならば、火の坑は変じて池と成る。或いは巨海を漂流し、龍、魚、諸々の鬼の難に会ったとしても、彼の観音の力を念ずるならば、波浪も没する事は能わない。


【解説】

まず要点を整理すると、巨大な火の穴はマグマ煮えたぎる火山口、龍魚と諸々の鬼の難は台風などの大シケと思えば良いのだろう。つまり、観音の力を念ずるなら、マグマ煮えたぎる火山口に落とされても火山口のほうが池と変わるし、大シケの海で漂流しても船は波浪から守られて沈没しないと言う話になる。まさに観音様を称えるにふさわしいエピソードである。

さて、この話を解説する前に、お経には読み方が大きく2つある事から説明しよう。一つは事釈と言い、もう一つは理釈と言う。事釈はお経を文字通りに解釈する読み方だ。マグマが池に変わるはずが無いとか、龍や鬼は空想上の生き物だとか、そう言う事は一切考えない。観音様にはそういう力があると理解する。理釈は逆に、マグマが急に池に変わるはずが無いし、龍や鬼がいるはずが無いのだから、これは例え話をしていると考える読み方だ。理釈する場合、文字通り言葉の裏に潜む理を読むわけだ。どちらの読み方も釈迦の教えには違い無いのだから、事理両面から読むのが良い。

では、まず事釈から解説しよう。マグマが池に変わる事は勿論、昔の小さな木造船を考えれば、大シケの海で漂流して助かるというのは奇跡としか言いようがない。そういう人智を超える力を持つ観音様と共にあるのだ。全てを観音様にお任せすれば良い。例え今、何かしらの不安の中にあったとしても、何も自分があれこれと不安に思う事は無いのだ。すべては観音様の手の中なのだから、安心してただお任せするが良い。すると、心は晴れていく。これが疑わずに信じる事釈が推奨される理由である。また、マグマや大シケの海は貴方の心の状態の例えであると考えれば、確かに燃え盛るマグマは池となり、船は沈まずに助かったと言える。観音様が苦しみを滅してくれたのだ。こう考えれば理釈となる。

理釈の場合、火とは何か、海に漂流した際に遭遇した龍魚や諸鬼の難とは何の例えかと言う話になる。まず火だが、火は煩悩や怒りの象徴だ。それは煩と言う字に火が使われている事や、烈火のごとく怒ると言う言葉からもそれは感じ取れる。そして、まさに烈火のごとく怒る事を大きな火の穴に落とされると言うのである。火事とは怖いものである。今まで時間をかけて作ってきたものを簡単に燃やしてしまう。怒りの炎もそれと似た処があって、善行を積んでいた人が一度怒ってしまったが故に全てを失う何てことがある。だから、もし怒りそうになったならば、観音様にお願いせよと言うのがお経の趣旨である。ただ、とは言っても、普通に考えて怒っている時に単に観音様を心に念じるだけでは自信が無いだろう。多少のブレーキにはなるだろうが、マグマが池に変わるような変化までは見込めない。では、お経の言わんとする観音様の力を念ずるとは何を意味するのだろうか。思うにそれは、相手を観音様の化身だと思えという事だろう。相手を観音様だと思うなら、果たして怒れるものだろうか。打って変わって背筋を正したくなる。故に、観音様はマグマを池に変えると言うのだろう。

さて、海の話に入ろう。まず海は何の例えかだが、欲に溺れるという言葉があるように、水は欲望の象徴でもある。世間は様々な誘惑で溢れている。そして、誘惑は欲望を刺激するのだから、世間は欲望の巨海ともなる。海で漂流した際に遭遇した龍魚や諸鬼は、貴方を誘惑する様々な欲望の例えである。特に愛欲を考えると良い。愛欲は誰もが経験するが、愛に溺れるという言葉があるように、打ち勝つのは難しい。この難しさを表した言葉が、龍魚であり諸鬼となる。愛欲に溺れれば、正常な判断が出来なくなりやすい。略奪、借金、泥棒、人殺しに至るまで普通ならしない事でも、溺れる人間は藁をもつかむと言った体で行う事すらある。だからこそ溺れる前に観音様のお力を借りよと言うのがお経の趣旨であるが、此方も火の場合と同じで、心に観音様を単に念じるだけでは少し弱い。簡単に愛欲の海に飲まれてしまう事だろう。だから、相手を観音様の化身だと思うと良い。人は人が見ていないと思えばこそハメを外すものである。逆に人の見ている所ではしゃんとする。それがよりによって、観音様が見ている前を選んでハメを外せるはずもない。きちんと自制心が働くようになるはずだ。とは言え、愛欲は本能が故に、愛欲の海のシケは続くかも知れない。故に、シケが止むとは言わずに、波浪も没する事は能わないとだけ言うのだろう。




【語句の説明】

1、仮使は、たといと読む。仮にという事。

2、坑は地面に掘った穴の事で、火坑は燃え盛る火の穴を意味する。

3、能わないとは、字の通り、その能力が無いという事。この場合は、波が舟を沈める事には絶対にならないという意味。

4、龍魚は一般的に龍と言って思い浮かぶ空を飛ぶ大蛇。ただ、海なのだから、巨大な魚がいても何の不思議はないため、龍と魚分けても良いだろう。


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