2019年11月12日火曜日

里仁 第四 15

【口語訳15】

孔子先生がおっしゃった。参くんや。我が道は一つの道理を貫いてきたのだ。曾子が答える。さようでございます、と。孔子が去ると、他の門人達が曾子に尋ねた。どういう意味ですか、と。曾子が答える。師の道は忠恕に尽きると言えましょう。



【解説】

今回は後に孔子直系の後継者となる曾参の若かりし頃と、晩年の孔子のやり取りの一コマと考えると自然だ。年齢差46歳らしいので、この会話がなされた時、孔子は70前後だったと考えられる。孔子からすれば孫ほどの年齢である曾参に対し、自分の人生を語りたくなった。そう考えると、どこにでもありそうな日常の風景になる。

さて、まずは話の流れを整理しよう。孔子が自分の人生は一つの道理を貫いてきたと言うと、曾参はすぐに同意した。さようでございます、と。さすがに後に儒家の中心的人物となる曾参だけあって、心得たものと言えよう。その事に安心したのか、孔子は満足して部屋を後にした。だが、このやり取りを傍目で見ていた他の門人たちには、孔子が何故満足して部屋を後にしたのか分からないかったらしい。そこで曾参に孔子の貫いてきた道理は何かと聞いた。すると曾参は、師の道は忠恕の一語に尽きると答えたというのが話の流れとなる。

というわけで、孔子が貫いてきたという忠恕とは何かになるが、忠は偽りのない心と言う意味で、真心と訳される。忠の字を見ると中にある心と書くくらいだから、最も中にある心の部分と考えれば、忠=真心というニュアンスが感じ取れ理解の助けになるだろう。次は恕だが、恕は相手の心を察すると言う意味で、思いやりと訳される。恕は女の口に心と書くだろう。女と言うのは相手の心を察するのが得意な生き物である。表情、しぐさ、声色の微妙な変化に敏感で、ちょっとした変化から相手の心情を推し量る。そして優しい言葉を話す。こういったニュアンスが恕という字に現われていると考えれば、恕が思いやりという意味になるのも分かるような気がする。まさに心の如くである。なお、こういった女の能力は、生まれたばかりで言葉を全く話せない我が子を育てる時、我が子のちょっとした変化から、我が子の状態を察する事ができるように備わったのではないかという説がある。話が脇道にそれたが、忠恕の道は真心と思いやりの道であり、つまり孔子が歩んできたのは仁の道というのが結論になる。孔子は孫くらいの年齢の子に、先生は真心と思いやりの人生を歩まれてきましたと褒められて気持を良くしたわけだ。まさに我が意を得たりであっただろう。

なお、この話を教訓として活かすなら、以下3つの質問を考えて欲しい。全てYESなら君子の素養が備わっている。


  •  自らの人生を貫く道理はあるか?
  •  忠恕の道を歩んでいるか?
  •  曾参くらいに上司を理解しているか?




【参考】

女性の特徴の段は、以下の本を参考にした。


0 件のコメント:

コメントを投稿