2019年12月31日火曜日

観音経 普門偈 その16

【原文】

無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間



【和訳】

無垢なる清浄の光があり、慧日は諸々の闇を破り、能く災いの風火を伏せて、普く明かに世間を照らす。



【解説】

観音様を無垢なる清浄の光と例えている。朝の日の出を想像すると良い。暗闇がだんだんと優しい光に包まれて夜が明けると、まさに普く明らかに世間は照らされる。夜の暗がりで感じる不安が夜明けと共に無くなるように、人の悩みや苦しみも観音様に照らされて無くなると言う話になる。

例え話としては、無垢清浄は物事を良い悪いと選り好みしないという事、諸々の闇は悩みや苦しみを表す。つまり、選り好みしない心が、悩み苦しみを破り、心を平安に導く。これが無垢清浄の光が諸々の闇を破るイメージだ。人は悪い時に、良い時と比べるから気を病む。タラレバをするから苦しくなる。だが、選り好みをやめれば、そもそも悪いとか良いとかに興味がなくなる。興味がなくなれば、心乱される事はなくなるから、気に病むこともなくなる。ただ淡々と起きたことに対応できるようになる。

さて、次は災いの風火になるが、これを言葉通り解釈すれば台風であったり、火事になろう。では、仮に大きな台風に見舞われたとしよう。すると、例えば、家の瓦が落ちてしまったり、酷い場合は雨漏りしたりして酷い目に会う。結果、台風は招かれざる客となるだろう。それが普通である。だが、台風を招かれざる客にしているのは、実は台風自身では無いと言ったら驚くだろうか。と言うのも、台風自身には善悪は無い。ただの自然現象である。だが、人の選り好みする心にかかると、台風被害を受ける前と被害を受けた後を比べて、台風は不幸な出来事だったとなる。単なる自然現象を、不幸な災害にしたのは自分の心なのである。だから、選り好みを止めれば、台風は不幸な災害ではなくなり、自然現象以上でも、それ以下でも無いものになる。心も乱される事なく、ただ淡々と受けた被害に対応できるようになるわけだ。これが能く災いの風火を伏せるイメージとなる。日本に居れば、台風は年に数回は来る。だから、幾ら観音様に願ったからと言って、台風自体が無くなるわけでは無い。だが、台風が不幸な災害から、ただの自然現象に変わる。不幸で苦しむはずだった心が、平安に保たれるわけだ。これが観音様の霊験である。台風に限らず、人には様々な災いが降りかかってくる。だが、その災いを不幸なものにしているのは、結局は自分の心である。普く明かに世間を照らすとは、選り好みしなければ、悩みや苦しみは自然と無くなるという事だ。心が明るくなるから照らすと言うのだろう。なお、具体的には、今起きている事は全て最善と考える癖をつけると良い。最善なれば、選り好みしても今が最善である。タラレバする余地はない。



【語句の説明】

1、慧日は、智慧の太陽の意味で、観音様の事。


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