2018年11月3日土曜日

為政 第二 14

【その14】

1、老先生の教え。君子は周を好み、小人は比を好む。

周 = あまねく、公平、平等
比 = ならべる、仲間内、閥



2、老先生が言われた。君子の付き合いは満遍ないものだ。かえって小人は利害損得で仲間を作る。





【解説】

その発想の根本にあるものを見つめよう。それは真心か、それとも利害損得か、是非諸君には真心のある人間になって欲しい。



「君子は周して比せず」と言うと、なにか周と比という選択肢があって何方かを選ぶように見えてしまうが、その発想は比そのものである事に注意がいる。比と周はコインの裏表の関係にあり、周は裏からみると不比であり、不比だからこそ周である。孔子が不と強く否定した理由はここにあると思われる。「小人は比して周せず」もこれと同じである。比という発想を脱却しなければ、周とはならない。比ゆえに不周と理解したほうが良い。

周 = 不比  ⇔  周 ∩ 比 = ∅  ⇔  比 = 不周



歴史的に国が民を守らなかった中華では、民は自分の利を守るために閥を作った。閥は利によって結びつき、もし出世などで立場が変わり利の勘定が合わなくなれば、今所属している閥を抜け新しい閥に所属する。これを繰り返して生きているのが中華の民となる。こういう背景を「小人は比して周せず」と考えると自然かも知れない。閥に所属して自分の利を守っているのだから、利の対立する他の閥とは仲良くしづらい。競り合って当然となる。

 

葬儀屋が選り好みしては、商売に差しさわりがでる。満遍なく付き合い、なるべく敵を作らないようにしなさい。




例え苦手な相手であっても尊敬の念を持って交わりなさい。苦手な人に助けられ、仲良かったはずの人に裏切られる。そういう事もあるのだから。




多くの人と交われば、自然と色々な情報が集まる。




人脈は自慢の種である。





【まとめ】

無為自然




------  仏教の立場からの考察  ------

1、真心には周と言う性質があり、そこには比の及ばない唯一絶対がある。


2、君子は真心に付けられた尊称である。真心は無心であり、無心は自己が無い状態を自己とするという事だ。これはすべてが自己であることを意味し、ゆえに君子は周となる。このとき比を離れる。

君子 = 真心 = 無心 = 周 = 不比





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