2019年11月19日火曜日

里仁 第四 18

【口語訳18】

孔子先生がおっしゃった。親に仕えては、それとなく諫めるが良い。親が聞いてくれない場合も、また元の通り敬って逆らわない事だ。苦労させられたとて恨むでないぞ。



【解説】

他人は自分の思い通りにはならない。それは例え親であっても同じである。大切なのは操縦から、導くに意識を変える事だ。第一、そのほうが労が少ない。故に、親に仕えては、それとなく諫めると言う。それとなくと言う言葉に、導くと言う意識を感じると理解しやすいだろう。逆に普通に諫めてしまっては何が問題になるかと言うと、親が感情的になってしまうかも知れないという事だ。本当は子の言う事にも一理あると思っていても、面子を気にして素直になれなくなる。これが相手を操縦しようという意識では上手くいかない理由で、この場合、貴方は何故言う事を聞いてくれないとストレスを抱えるのが落ちとなる。

親が諫めを聞いてくれない場合、他人は自分の思い通りにならないのが普通なのだから、本来聞いてくれないからと言ってどうという事もない。それを感情的になって逆らってしまえば、親も感情的になってしまって余計に聞いてもらえなくなる。苦労させられたと恨むものなら、育てた恩を忘れた親不孝な子を持ったと嘆かれるのが関の山となる。だから、親が諫めを聞いてくれなくても敬って接するほうが良い。親を敬い逆らわずに従っていれば、親も子が可愛くなるし、感心する。そうなれば、少しは子の言う事も聞いてやるかとなるのが人情だ。親に言う事を聞いて欲しければ、逆らわず孝行に励むのが最善なのである。故に、親が諫めを聞いてくれない場合であっても、元通り敬って逆らわず、苦労させられたとて恨まないと言う。

なお、立派な官僚という視点で考えると、親不孝の疑いをかけられないためにも細心の注意を払うという理解でも実利に適っている。官僚ともなれば、親を敬まえない者に他人を敬えるはずが無いと言われては、非常にまずい事もあろう。そう考えれば、逆らうのはご法度、恨むのはご法度、親の面子を潰さないためにそれとなくと諫めるのも当然となる。個人主義的に考えれば、このほうがスッキリするかも知れない。




【参考】






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