2019年12月23日月曜日

観音行 普門偈 その12

【原文】

衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦



【和訳】

衆生が困厄を被り、量れ無いほどの苦しみが身に逼っても、観音の妙なる智の力は、能く世間の苦しみを救う。



【解説】

観音様の妙なる智の力とは何かを探るに、まずはこの世は心の映し鏡である事を知ると良い。どういう事かと言うと、人は世界と自分を別個に考えがちだが、世界とは心の投影であると言う話だ。例えば、旅だ。旅は何処へ行くかより、誰と行くかと言われる。実際、気の合う仲間と行くから楽しいのであって、嫌いな奴と行ったのでは楽しいはずの旅行も苦痛となってしまうだろう。旅が楽しいか、そうでないかは旅先で決まるのではなく、自分の心が決めている。さらに言えば、一緒に旅をする人が気の合う奴か、嫌いな奴かも心が決めている。考えて見て欲しい。貴方が嫌いな奴にも家族があり、恋人がいて、友人がいるだろう。彼の家族からすれば、貴方の嫌いな奴は可愛い孫かも知れない。彼の恋人からすれば、かけがえのない人だ。彼の友人からすれば、気の合う仲間になる。このように貴方の嫌いな奴も、見る人によって色々な顔を見せるのである。だから、貴方の嫌いな奴は、公平に見れば貴方は嫌いと言うだけに過ぎず、つまるところ、貴方の心を投影している鏡のようなものに過ぎないのだ。なお、今回は人で説明したが、人を状況に変えれば同じ事が言える。嫌いな状況も、所詮は貴方が嫌いと思っているに過ぎず、同じ状況を楽しんでいる人もいると言う話になる。世界は心の映し鏡なのである。そして、世界が自分の心が投影されているだけに過ぎないという事は、世界は自分の心掛け次第でどうとでもなるという事になる。世界の良し悪しは、全て自分が決めているのだから。これが観音様の叡智であり、だからこそ能く世間の苦しみを救う事が叶う。

この事が分かれば、前回まで紹介してきた例え話の意味も総括できるだろう。何故、火の穴が池に変わってしまうのか、それは火の穴か池かは自分の心の問題だからである。何故、轟音鳴り響く雷が直に治まると分かるのか、雷を作り出したのは自分の心だからである。心で作られたものは、当然に心で消す事も出来る。人間の苦しみは、元から苦しみとして存在するのではない。心が間違った解釈をしてしまったが故に、苦しみとなっている。ならば、間違った解釈を修正し、正しい解釈をすれば良いのである。具体的な方法については前回までの解説を参考にしてもらうとして、ここでは要点だけまとめておく。



再解釈のコツ
  • 観音様だったらどうするかと考えれば、間違いに気づく。
  • 観音様が何時も見ていると思えば、道を踏み外さない。
  • 観音様に全てお任せすれば、不安に思う必要は無い。
  • 目の前の人は観音様と思えば、学ぶべき時が来た。




【語句の説明】

1、衆生は、生きとし生けるもの。

2、困厄は、困難。

3、逼は、せまる。

0 件のコメント:

コメントを投稿