2019年11月25日月曜日

里仁 第四 20

【口語訳20】

孔子先生がおっしゃった。父の死後、3年そのしきたりを改めないならば、孝子と言っても良いだろう。



【解説】

父の面子に注目してみると良い。例えば、父の死後すぐにしきたりを変えた息子がいたとする。すると、この息子は父とうまく行ってなかったのだろうかと言う疑いをもたれても文句は言えない。父のしきたりを変えるという事は父を否定する面があるから、生前は親子仲が悪かったと考えたほうが自然だからだ。となると、家族をまとめられなかった家長という事で父の面子が潰れる。父の面子を潰しておいて孝子とは言えまい。逆に、3年もの間父の言いつけを守っている息子がいたとしよう。すると、どう見えるかと言うと、父は生前しっかりと世話をしていたから、息子は父が死んだ後になっても慕って言いつけをきちんと守っているとなる。家長として立派だったとなろう。故に孝子と言っても良いと言う。

3年という期間については諸説あるが、ポイントは死後も十分に長い期間という理解にある。何故なら、くどいほど長く時間をかけねば、周りの人には伝わらないから。人間、例えば1か月のような短い期間なら、孝行している振りができる。本当はそんな気持ちはないが、体裁だけ整えるわけだ。だが、3年もの間振りが続くなら、それはもう振りと言えず本物と言って差し支えない。

また、孔子は為政7において、食わせるだけならば犬や馬にだって食わせている。親を敬わずに孝と言えるものかと指摘している。この視点で考えても良い。というのも、人は尊敬している人の言う事しか聞かないし、逆に尊敬している人の言っている事ならばやってみるかとなるもの。こう考えて見ると、父の死後すぐにしきたりを改めた息子は、父を尊敬していたようには見えない。故に孝子とは言い難い。しきたりを改める、改めないなどのちょっとした事からも人間性は垣間見えるのだ。



【参考】

なお、今回は学而11と同じ内容のようなので、学而11の解説も参考になるだろう。こちらは中国人を意識して書いてある。為政7も合わせてどうぞ。

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