2018年10月19日金曜日

為政 第二 10

【その10】

孔子先生がおっしゃった。何をしているのかを視て、何故しているのかを観る。どこで心が安らぐのかまで察するなら、どうして隠し事ができようか。いや、できまい。


老先生が言われた。現在は注意深く、過去は広く、未来は細かく、このように心がけるならば、どうしてその人となりを隠せようか。いや、隠せまい。




【解説】

一言で言えば、人を見るときのコツとなるが、この精度をあげるのが真心である。人は欲目があると、自分にとって都合の良い状況を、客観的な状況と混同させやすい。こうであったらと思いたいがために、そう思える根拠として都合の良い情報ばかりが目につき、自分にとって不都合な情報は軽視しやすいのだ。こういった事は恋人関係で考えると分かりやすい。例えば、あばたもえくぼと言う言葉があるが、恋愛真っ盛りのとき、恋人は何をしても可愛らしく見えるものである。だが、客観的に、あばたはあばた、えくぼはえくぼであろう。恋愛ならば甘酸っぱい経験として微笑ましい部分もあるが、人を見るときにこれでは判断を誤ってしまう。



仮に自分が相手を把握した部分を、

自分 ∩ 相手 

と表すとする。これをXとするならば、

X ⊆ 相手 

よって、

X = 相手 

の時、Xは最大値となる。この時、

自分 = 0 ⇔ 真心




例えば、泣いている子で考えて見よう。子供が泣いていると一言にいっても、泣いている理由は様々で、玩具を買ってもらえずに泣く子もいれば、転んで泣いている子もいる。だから、泣き止まそうにも、まずは泣いている経緯を知らなければとなる。経緯さえ分かれば、どうしたら心が安まるのか察する事ができるから。玩具が欲しければ買ってあげれば良いかも知れないし、転んで擦り傷があるなら治療してあげれば良い。これで子共の考えている事は大よそ検討がついたわけだ。



中国では騙されたほうが悪いと言う話がある。日本では騙す方が悪く、騙されれば被害者と言うのが一般的だが、中国ではその常識が逆だと言う。中国では騙すのは当然で、騙されたほうが間抜けなのだ。そんな調子だから、中国で生きるには、日本以上に相手の嘘を見抜かなくてはならない。基本的に相手はだますのだから、相手がどのように嘘をついているのか見抜く知恵が必須となる。




人は利によって動くと言うが、嘘を見抜く場合も利が決め手となる。例えば、ブランド物が定価の半額だと思って喜んで買ったら、実はまがい物だった何てことがある。残念なかぎりであるが、本来なら何故半額で売れるのかと疑ってかからねばならなかったはずだ。それは、店側に利が無いからで、店は素人ではないのだから、そんなミスをするはずが無い。利で考えれば、半額で売れる事はとても疑わしい状況だが、多くの人は値段の誘惑に負けて、まがい物を掴まされるのである。

では、どんな時も半額で買ってはいけないかと言うと、そうでは無い。店側に半値で売りたい理由、つまり、利があれば良い。例えば、貴方が役人だったとしよう。店側も商売の邪魔をされたくない。役人との揉めごとだけは避けたいとなれば、特別に貴方との取引は半値でお受けしたいとなる場合もある。この場合、店側は少々の事は見逃して欲しいと言っているわけだが、確かに半値で売っても利があるのである。役人である貴方にまがい物を掴ませては目的を達成できないから、本物での取引になりやすい事も大きい。




利が分かれば取引ができる。例えば、玩具を買って欲しくて泣いている子ならば、玩具を買ってあげる代わりにテストで100点を取ったらと条件を付けて見る。そうすると、子は玩具で釣られて勉強を頑張るかも知れない。例えば、ブランド物を半額で譲る代わりに、何かお願いをする。ブランド物が欲しい人ならば、引き受けるだろう。人生は人にお願いしなければならない時もある。騙されないためにと言うだけでなく、相手にお願いするためにと言う方向でも理解しておきたい。




今回、口語訳を2つ示したが、慎重をきすならば過去、現在、未来としっかり抑えたほうが間違いが少ない。点で捉えるのではなく、線で捉えるイメージだ。




【参考】

視は注目、観は広く、察は細かく見ると言う意味。





【まとめ】

相手と一つになると良くわかる。





------  仏教の立場からの考察  ------

欲がなくなってくると、我に邪魔される事が少なくなり、その分相手の欲している事をそのまま受け取れる気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿