2018年10月13日土曜日

為政 第二 8

【その8】

子夏が孝を尋ねると、老先生は言われた。「態度が難しい。仕事があれば弟子はその労に服す。食事があれば先生に差し上げる。同じように接したとして、それで孝と言えるだろうか」と。




【解説】

楽しめるなら上、戒めなら良い調子、真心に気づいて初心としたい。




真心 ⇒ 形式  真

形式 ⇒ 真心  偽

真心 ⊂ 形式



同じ事をしているはずなのに、かたや立派と評され、かたや全然と評される。同じ行動をしても、人によってその印象は変わるものだ。では、それは何故かとなるが、つまるところ、日々の心がけを観られている。何をするかより、どのようにするかが肝なのだ。



弟子に求められるものと、子に求められるものは違う。



君子としての親孝行を考えて見る。例えば、親の仕事の手伝いをし、食事の世話をする子共がいたとしよう。普通は親孝行で感心な子となるはずだ。だが、これが子共では無く、君子だったらどうなるかと言えば、仕事の手つだいや身の回りの世話は召使や女中にやらせるべき仕事となる。だが、身の回りの世話を他人に任せているだけだと、ほったらかしにされていると親は不満を持つかも知れない。かと言って、官僚である自分に身の回りの世話をする時間もない。そこで、態度が難しいともなる。官僚としての親孝行を考えるに、恐らく出世が第一となるのだろう。たまに故郷に錦を飾る瞬間が最高の親孝行だ。そう考えて見ると、弟子が先生の世話をするように親に仕えるようでは、親孝行と言わないのも当然となる。




態度が悪ければ意味が無いという視点で考えて見る。例えば、つまらなそうに仕事の手伝いをしたり、面倒くさそうに食事の支度をしても、親から見れば感じが悪いと言うほかない。だから、親への態度をしっかりしなければ、何をしても親孝行にならないとなる。親の仕事を手伝い、食事の世話をするのは結構な事なれど、嫌な顔せずにとか、さりげなくと言う言葉を忘れては元も子もない。




して欲しい事をしないと意味が無いという視点で考えて見る。例えば、お受験ママだ。彼女にとっては、子を良い学校に入れる事こそ本願である。となれば、子に仕事の手伝いを求めるかという問題がでてくる。親の手伝いをしていたら志望校に合格できないとなれば、彼女はそんな事しなくて良いから勉強して欲しいと言うだろう。すると、親の手伝いをする傍目には感心な子が、彼女からは不良息子に見えてしまう。




余談だが、弟子が先生に対してするように奉仕できれば、孝行と言って良かろうと訳す人もいる。世の中は不思議なの物で、他人だと簡単なのに、親子だと難しいという事がある。先生だと簡単にできても、親となるとそうはいかない。意地を張ってしまったり、恥ずかしかったり、中々素直になれないもの。だから、素直に孝行出来た時、大人と言うのかも知れない。親子は縁が深いだけに色々あるものだ。





【参考】

1、「色難し」の色は見た目の事として、顔つきより広く意味をとって態度と訳した。理由は、体全体のしぐさも意味に含めたかったから。ただ、顔つきとする訳文も多い。また、個人的には、印象を整えるのが難しいと訳したい気持ちもある。


2、「色難し」は主語がないため、誰にとって色難しなのか分からない。そのため、主語が君子の場合、子の場合、親の場合と分けて解釈を示した。





【まとめ】

錯覚いけない、よく見るよろし

by 升田幸三






------  仏教の立場からの考察  ----

本物になると、鐘をつく音で和尚に呼ばれるという話を思い出した。





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