1、軍の編成、指揮、奇正、虚実
孫子曰く。「大軍団を小部隊のように統制するには、分数これなり。大軍団を小部隊のように戦わすには、形名これなり。敵を受けて絶対不敗なるは、奇正これなり。卵を石で割るがごとく敵を撃破するには、虚実これなり。」
例えば、貴方に2人の部下がついて、3人で戦う事を考えて欲しい。貴方はどうするだろうか?3人のチームで戦うなら、貴方は1人1人に命令できるし、特にルールを決めなくても部下をまるで両腕のように扱う事はできると思わないだろうか?
では、部下の数を増やして、10倍の30人にしたらどうだろうか?今度は3人のチームのようにはいかないので、役割分担なり副リーダーを選出するなりしなければ、チームをまとめにくくなってくる。チームの簡単なルールくらいは取り決めるはず。
では、さらに部下の数を増やして、300人にしたらどうだろうか?もう一人では個人個人を管理しきれない。この人数になると名前を覚えるのも一苦労だし、何かしら全体を管理する方法を考えなくてはならない。つまり、孫子はこういう話をしている。
中国の戦争を見れば、兵は10万にもなるわけで、その軍を自分の手足のように動かしたいなら、しっかり軍編制をし、指揮命令系統を確立しなけらばならない。大軍を小分けするという事で分数。形名とは臣下の言葉と実績の事だが、転じて小部隊(=臣下)の動きを管理する事を指す。つまり、指揮命令系統と伝達手段を指すわけだが、孫子の時代は旗や音などを利用していたようだ。
奇正は次回説明するが、正は一般的なもの、奇はそこから外れた特殊なものと言うイメージだ。「敵を受けて絶対不敗なるは、奇正これなり」とは、正に気をとられるから奇が活き、奇に気をとられるから正が活きるという事。奇正を駆使するなら、絶対不敗であると言っている。
虚実は虚実編で紹介する。虚を突くという言葉があるように、虚は相手の無防備な部分というイメージとなる。実は逆で防備のある部分だ。「卵を石で割るがごとく敵を撃破するには、虚実これなり」とは、敵の無防備の部分を突けば簡単に倒せると言っている。ただ、敵だって守っているわけだから、現実に無防備を突くためには、実に目を向けさせる必要がある。虚実これなりとなるわけだ。
会社で言えば、どういう組織にするが良いかと言う組織論の話となる。やる気のある社員が増える組織形態は何だろう?頭を悩ませる課題である。組織を考える上で有名な法則が2:6:2の法則だ。どんな組織も利益を稼ぐ人間が2割、可もなく不可もない人間が6割、お荷物が2割でる。
特に株式会社の場合、営利団体という性質上、利益を稼ぐ2割の人に如何に気持ちよく働いてもらうかが大事と考えられてきた。しかし、最近はお荷物だと思われていた2割の人が、他の人のモチベーションを高めていると言う意見もあり、利益を稼ぐ2割の人はお荷物の人と比べて自信を得るわけだし、可もなく不可もない人がいるから安心して休暇をとり英気を養う事が出来るとも言われている。
どんな組織形態にしようとも、2:6:2の原則が成り立ってしまうのだし、特にお荷物2割を首にして切り捨てるような事に意味があるのかは検討の余地があろう。出来る人だけ入社させれば全員が出来る人になるかと言えば、何故かお荷物となる人が自然発生してしまう所に組織作りの難しい面があるのだ。少人数チームを複数作るのが良いとは言われている様子だが、実際はどうだろうか?要は堂々巡りなのだ。
また、組織の運用面においてスムーズに事を運ぶには、社員教育を徹底しなければならない。ルールを決めても社員が理解徹底しなければ、全く意味が無いのだから。社員教育も頭を悩ませる問題かも知れないが、結局は自分の背中を見せる事が肝要だろう。
部下は上司の真似をするものである。上司がさぼって会社の金で遊んでいれば、部下が上司になった時に必ず真似をする。それを注意しても説得力がでないし、徹底させようとすれば不公平感から忠誠心がなくなってしまう。では、どうしたら良いか?それは上司の背中を見て部下が育つ事を肝に銘じる事である。
例えば、部下が上役になった時は、下の者には懇切丁寧に説明するようにして欲しいとする。ならば、先ずは自分が部下にそういう姿勢で教えるのだ。部下は一度教えても出来ないかも知れない。出来ないと怒る人間もいるが、そもそも一度いって出来れば苦労はしないわけで、そうそう怒ってはいけない。そうではなく、「俺の言い方が悪かった。俺は教えるのが仕事だから、もう一度教えるな。」と言うのである。
2回教えても出来ないかも知れないが、その時は「俺の教え方が悪いだけだ。俺の仕事だから気にしないでくれ。出来るまで付き合うよ。良いか、よく聞いてくれ。」と根気を持って部下に付き合うのである。そうやって育てられて部下が上司になった時、同じように部下に接してくれるのだ。子は親の背中を見て育つと言うが、部下も上司の背中を見て育つのである。
孫子曰く。「大軍団を小部隊のように統制するには、分数これなり。大軍団を小部隊のように戦わすには、形名これなり。敵を受けて絶対不敗なるは、奇正これなり。卵を石で割るがごとく敵を撃破するには、虚実これなり。」
例えば、貴方に2人の部下がついて、3人で戦う事を考えて欲しい。貴方はどうするだろうか?3人のチームで戦うなら、貴方は1人1人に命令できるし、特にルールを決めなくても部下をまるで両腕のように扱う事はできると思わないだろうか?
では、部下の数を増やして、10倍の30人にしたらどうだろうか?今度は3人のチームのようにはいかないので、役割分担なり副リーダーを選出するなりしなければ、チームをまとめにくくなってくる。チームの簡単なルールくらいは取り決めるはず。
では、さらに部下の数を増やして、300人にしたらどうだろうか?もう一人では個人個人を管理しきれない。この人数になると名前を覚えるのも一苦労だし、何かしら全体を管理する方法を考えなくてはならない。つまり、孫子はこういう話をしている。
中国の戦争を見れば、兵は10万にもなるわけで、その軍を自分の手足のように動かしたいなら、しっかり軍編制をし、指揮命令系統を確立しなけらばならない。大軍を小分けするという事で分数。形名とは臣下の言葉と実績の事だが、転じて小部隊(=臣下)の動きを管理する事を指す。つまり、指揮命令系統と伝達手段を指すわけだが、孫子の時代は旗や音などを利用していたようだ。
奇正は次回説明するが、正は一般的なもの、奇はそこから外れた特殊なものと言うイメージだ。「敵を受けて絶対不敗なるは、奇正これなり」とは、正に気をとられるから奇が活き、奇に気をとられるから正が活きるという事。奇正を駆使するなら、絶対不敗であると言っている。
虚実は虚実編で紹介する。虚を突くという言葉があるように、虚は相手の無防備な部分というイメージとなる。実は逆で防備のある部分だ。「卵を石で割るがごとく敵を撃破するには、虚実これなり」とは、敵の無防備の部分を突けば簡単に倒せると言っている。ただ、敵だって守っているわけだから、現実に無防備を突くためには、実に目を向けさせる必要がある。虚実これなりとなるわけだ。
会社で言えば、どういう組織にするが良いかと言う組織論の話となる。やる気のある社員が増える組織形態は何だろう?頭を悩ませる課題である。組織を考える上で有名な法則が2:6:2の法則だ。どんな組織も利益を稼ぐ人間が2割、可もなく不可もない人間が6割、お荷物が2割でる。
特に株式会社の場合、営利団体という性質上、利益を稼ぐ2割の人に如何に気持ちよく働いてもらうかが大事と考えられてきた。しかし、最近はお荷物だと思われていた2割の人が、他の人のモチベーションを高めていると言う意見もあり、利益を稼ぐ2割の人はお荷物の人と比べて自信を得るわけだし、可もなく不可もない人がいるから安心して休暇をとり英気を養う事が出来るとも言われている。
どんな組織形態にしようとも、2:6:2の原則が成り立ってしまうのだし、特にお荷物2割を首にして切り捨てるような事に意味があるのかは検討の余地があろう。出来る人だけ入社させれば全員が出来る人になるかと言えば、何故かお荷物となる人が自然発生してしまう所に組織作りの難しい面があるのだ。少人数チームを複数作るのが良いとは言われている様子だが、実際はどうだろうか?要は堂々巡りなのだ。
また、組織の運用面においてスムーズに事を運ぶには、社員教育を徹底しなければならない。ルールを決めても社員が理解徹底しなければ、全く意味が無いのだから。社員教育も頭を悩ませる問題かも知れないが、結局は自分の背中を見せる事が肝要だろう。
部下は上司の真似をするものである。上司がさぼって会社の金で遊んでいれば、部下が上司になった時に必ず真似をする。それを注意しても説得力がでないし、徹底させようとすれば不公平感から忠誠心がなくなってしまう。では、どうしたら良いか?それは上司の背中を見て部下が育つ事を肝に銘じる事である。
例えば、部下が上役になった時は、下の者には懇切丁寧に説明するようにして欲しいとする。ならば、先ずは自分が部下にそういう姿勢で教えるのだ。部下は一度教えても出来ないかも知れない。出来ないと怒る人間もいるが、そもそも一度いって出来れば苦労はしないわけで、そうそう怒ってはいけない。そうではなく、「俺の言い方が悪かった。俺は教えるのが仕事だから、もう一度教えるな。」と言うのである。
2回教えても出来ないかも知れないが、その時は「俺の教え方が悪いだけだ。俺の仕事だから気にしないでくれ。出来るまで付き合うよ。良いか、よく聞いてくれ。」と根気を持って部下に付き合うのである。そうやって育てられて部下が上司になった時、同じように部下に接してくれるのだ。子は親の背中を見て育つと言うが、部下も上司の背中を見て育つのである。
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