2017年9月27日水曜日

孫子の兵法 虚実編その3

3、虚を衝く。

孫子曰く。「進みて防ぐべからざるは、その虚を衝けばなり。退きて追うべからざるは、速かにして及ぶべからざればなり。故に我戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすといえども、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり。我戦いを欲せざれば、地に画してこれを守るも、敵、我と戦うを得ざるは、その行く所に背けばなり。」


【解説】

進軍を防げないのは、その無防備な状態(=虚)をつけばこそ。退却して追いつかれないのは、速さにて勝るからこそ。用意周到な準備の結果である。故に我の前で敵の意思など関係なくなる。

我が戦いを欲すれば、敵が塁を高くし溝を深くしようとも、そこから出てこざる得ない。我が敵の必ず救う所を攻めるからである。我が戦いを欲しないなら、地に線を引いて守っていても、敵は攻めてはこれない。敵の進功目標を他にずらすからである。




この部分で大切なのは、用意周到に戦う前に不敗の態勢を築いている点だろう。敵の虚を衝けと言っても、準備無しで実現は出来ない。退却が成功するのは速さ故と言っても、予め逃げ道を確保していなければ無理である。事前準備にこそ、成功の秘訣があるのである。

また、相手の狙いをはずす事が勝利の秘訣であるという教えを、徹底して守っているのが後段の部分となる。考えてもみて欲しい。敵の首を獲るという指令を受け、敵のもとに駆けつけたら塁や溝があり、野戦用の即席の城が出来上がっていた。普通の人間なら、どう攻めたら良いかと頭を抱える事だろう。そして、考えたあげく、指令だからと城ごと攻略に入り、甚大な被害を被るのが常である。

しかし、孫子にかかれば、相手が城を作ったなら、城から出てきて貰えば良いと相手の必ず救う所に矛先を変えてしまうのである。これは実際には凄い事である。敵の立場になって考えて見れば、何て戦いにくい相手だと思うに違いない。

守る場合も、敵が攻めてくるのは何か狙いがあるのだから、その狙いを他にずらせば攻められる道理が無いと言っている。実際の中国の歴史を見てみよう。例えば、単に攻める意思をくじくというケースがある。諸葛亮の空城の計が有名で、三国志ファンならご存知だろう。

諸葛亮が2千あまりの手勢である城にとどまっている時、司馬仲達が15万の大軍を率いてやってきた。流石に兵力差がありすぎて勝負にならないと、みんな慌てたのだが、諸葛亮と来たら良い考えがあると言った動じないでは無いか。諸葛亮は数人選び、司馬仲達に分かるように城の掃除をさせた。そして、自分はやはり見えるように、優雅に琴をひき始めたのだ。

見えるようにしたのだから、勿論、司馬仲達の目に入る事になる。それを見た司馬仲達は、驚いた行動に出る事になる。2千弱対15万の闘いで、何と15万側の司馬仲達が撤退をしてしまったのだ。司馬仲達から見れば、こうだ。諸葛亮は大変用心深い男である。その用心深い男が、15万の手勢を目の前にして優雅に琴を弾いているではないか。これは何か罠が仕掛けてあるのか?石橋と叩いても渡らない司馬仲達の性格からすれば、状況が分からない中で無理して損害を被る必要は無いと撤退するのである。

諸葛亮は司馬仲達の性格なら、自分が琴を弾いて挑発するなら、必ずやそれを疑問に思い攻めれないだろうと確信していたのである。それは自分の常勝というイメージや、司馬仲達の性格、恐らくは司馬仲達のおかれている政治的な状況をも計算していたと推測する。何にせよ、2千弱の兵で15万を撤退させたわけだから、その智謀にみんな驚嘆し、空城の計として今に伝わっているのだ。

将棋に棋は会話なりと言う言葉があるが、熟練者になると、将棋を指せば相手の性格がなんとなく伝わってくるもの。諸葛亮と司馬仲達も、相手の用兵を通して会話していたに違いない。だからこそ、こういった大胆に見え、計算ずくの計略が浮かぶのである。

仕事でも、虚を衝く事は大切だ。よくオンリーワンになれと言われるが、オンリーワンはつまり相手の無防備な場所を攻める事に他ならない。何も相手の得意な土俵で勝つ必要は無い。相手が得意ならば相手にやってもらうのが合理的なのだから、君が其処が得意なら僕は此処を抑えるくらいの感覚が良い。

仕事で大切なのは、集団としての勢である。集団としての勢を出す時に、何も同じ人間だけが集まる必要は無い。お互いの不得意な分野を補いあってこそ、状況によって左右されない真の勢いが出る事だろう。得意な人がいれば、その人にやってもらい、自分はその人を活かすように、またはその人に足りない部分で腕を磨く。こういう利他の精神こそが、結局は重宝されるのである。

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