2017年9月1日金曜日

般若心経の解釈 その9

衣般若波羅密多故 心無罣礙

「般若波羅密多によるがゆえに、心に罣礙が無し」と訳せる。罣礙とは心にひっかかる事で、悩みや苦しみの事。要は般若波羅密多という知恵を知れば、心に引っかかる事など無くなると言っている。人間が悩み苦しむのは、般若波羅密多を知らぬが故だったのだという事。



無罣礙故 無有恐怖

意訳すれば「心に悩み苦しみがが無いのだから、恐怖すらなくなるのである」と言う事。全ては空であるのに、何を恐れる事が有ろうか?恐怖もすべて自らの心が作っているのだという事に気づこう。



遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

「一切の顛倒夢想から遠く離れて、涅槃を究竟す」と訳せる。顛倒とは、聞きなれない言葉だが、ひっくり返った物の観方や考え方の事だ。一切の顛倒夢想から遠く離れるとは、ひっくり返った物の考え方をしているのではなく、夢や想像の話をしているのではないという意味となる。そこから遠く離れて、涅槃にたどり着くのであるというイメージになる。

涅槃とは、ニルヴァーナを指す。ニルヴァーナとは炎が鎮火した様を言い、煩悩の炎がなくなったという事で悟りの境地を意味する。人間は何でも欲しがる。お金が欲しい、宝石が欲しい、食べ物が欲しいと。そういった欲望を炎になぞらえ、その炎が消えた様のことだ。欲望がなければ悩みも生まれない。よって、悩みからも解放されるわけだ。

お坊さんの一番偉い人の位を究竟位と言うらしく、究竟涅槃とは要は悟りを開いたというイメージでは無いだろうか?般若心経の流れからも涅槃にたどり着くと言うイメージでピッタリくる。



三世諸仏 衣般若波羅密多故 得阿耨多羅三藐三菩提

三世とは過去世、現世、来世の事。三世諸仏は、過去世において仏と呼ばれた方、現世において仏となられた方、来世に仏と呼ばれる方という意味となる。訳すと、「三世諸仏は般若波羅密多によるが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得るのである」と書いてある。

阿耨多羅三藐三菩提は、サンスクリッド語のアヌッタラ・サンミャク・サンボーディの当て字なため漢字には意味が無い。そう聞こえるように漢字を当てはめただけである。意味は、色々な事を経験した上で辿り着く、最高の理想的な悟りを指す。般若心経を知る事でそこに辿りつくのだから、般若心経は大変ありがたいお経と言うわけだ。





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