2017年9月1日金曜日

般若心経の解説 その7

無色無受想行識

訳は「色も無く、受想行識も無く」。ここは人によっては大変疑問を持つ場所のようだ。今まで色即是空と話していたのに、急に色は無いとはどういう事だ?と。だが、書いてある通りに理解していけば良いと思う。

空は有るようで無いものだ。普段、空気に対し、お邪魔にならないようにと生活してはいないが、みんな空気がある事は知っている。有るようで無く、無いようで全てを含むのが空なのである。色即是空なのであるから、色も空の性質を持ち、無いとも言えるのだ。普段あると思っている色は、実は無いとも言えるのだと言ってるのだろう。

受想行識は人間存在が色であり、それが空で無いとも言えるのだから、勿論受想行識も無いとも言える。自分たちはあると思っている物が、実は無いとも言えるという感覚を語っているのだろう。



無眼耳鼻舌身意

所謂、六根が無いと言っている。六根とは、人間を悩み苦しませる原因は六つあるし、その六つの原因から悩み苦しみが育つため、植物が根っこから養分を得て育つ事にならえて、悩み苦しみを育てる六つの根っこという事で六根と言う。

嫌なものを見るから悩む、嫌な話を聞いたから苦しむ、嫌な臭いを嗅いだから、嫌な味がした又は悪口を言ったから、嫌なものに触れた、嫉妬や恨みが頭に浮かんだからと、人間を悩み苦しませるのは六つに集約されるという事。

無眼耳鼻舌身意とは、それすら無いのだという事。勿論、人間自体が無いとも言えるからだ。人間の器官である六根も無いのは当然となる。



無色声香味触法

漢字のままである。眼が無いのだから色を見る事はなく、舌がないのだから声を出すことも、味わう事もない。鼻が無いのだから香を感じる事はできないし、身が無いのだから触るという事もない。意(こころ)が無いのだから、自然の有りようを味わう事もできないと言っている。例えば、紅葉を楽しめるのも、意が有ればこそという事。

法 = 自然のありようの事で、紅葉、草花、雪などをイメージして欲しい。



無限界乃至無意識界

「限界も無ければ、意識界すら無いのである」と言っている。自分からすれば、勿論限界もあるし、意識界もある。だが、空と言う観点で見ればと言う事。空と言う観点で見れば、すべてが空の一部であり、その中で何か変化が起きても、それは空が一時姿を変えただけに過ぎない。そのため、限界という概念すらないのだという事だと思う。意識の世界は人間が空ゆえに無とも言えるのだから、意識も当然無となる。

乃至は、4kgないし5kgと言う時のないしで、またはと言う意味。





空の概念を、懇切丁寧に確認していると思って見ていくと良いと思う。

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