5、戦いの日、戦いの時は知らざれば・・。
孫子曰く。「故に戦いの地を知り、戦いの日を知れば、即ち千里にして会戦すべし。戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、即ち左、右を救う能わず、右、左を救う能わず、前、後を救う能わず、後、前を救う能わず。然るを況や遠きは数十里、近きは数里なるおや。
吾を以ってこれを度るに、越人の兵多しといえども、また何ぞ勝敗に益せんや。故に曰く。勝は為すべきなり。敵多しといえども、戦う事なからしむべし。」
【解説】
(敵が十分に分散され、少なき状態になっているとして)
孫子曰く。「故に戦うべき場所、時間が分かるならば、例え千里先でも会戦するべきである。逆に、戦うべき場所も時間も分からないとすれば、左軍が右軍を救う事も、右軍が左軍を救う事も、前衛が後衛を救う事も、後衛が前衛を救う事もできない。それぞれが遠くは数十里、近くて数里離れた状況なら尚更である。
吾が考えるに、越国の兵が如何に多かろうとも、勝敗には何ら影響を与えない。故に言うのである。勝ちは為すべき事だと。敵が多いならば、戦えないようにしてしまえば良い。」
逆から読むとこうなる。相手が大軍だからといって負ける理由にならない。相手が大軍ならば、それを分散させるなど大軍として機能しなくすれば良いのだから。勝敗の行方は、兵の数ではなく、戦う前の情報戦によって決まるのである。
情報戦の結果、敵が十分な情報を得られなかったために兵力を分散したなら、後は勝機を探るだけである。その結果、もし勝機を見出せるなら、どんなに遠くの敵であろうと会戦に踏み切るべきだ。だが、逆に勝機を見出せないなら、絶対に戦線を開いてはならない。勝機も無いのに戦っては無駄な犠牲を払うだけであるし、むやみに戦線を開かれては友軍が援軍に駆けつける事も難しい。友軍とは言え、近くて数里、遠ければ数十里の距離があるのだ。
情報戦の勝利 ⇒ 敵の兵力分散 ⇒ 勝機を探る ⇒ 会戦
プロセスを書けば上の順序となる。ここで注目すべきは、会戦に踏み切るまでの準備こそが勝敗の行方を左右すると、孫子が言っている点である。誰でも勝てる状況を作った上で会戦すれば勝てるのは当然だ。ならば、まずは誰がやっても勝てる状況を作りだす。
戦争はまずは情報戦から始まる。情報戦で勝利した場合、つまり相手に情報を与えず相手の情報を一方的に得るならば、相手は四方八方に備えるために兵力分散する事になる。兵力分散をもって情報戦の勝利を確認できるのだ。ただ、兵力分散したからと言って、浮かれてはいけない。ここで浮かれて攻め急いでは、情報戦の勝利が水の泡となってしまう。
敵の兵力が分散された事を確認したら、次は綿密に勝機を探るのである。戦うべき時間はいつか?戦うべき場所は何処か?全ての条件をみて勝機を探るのだ。そして、勝機に確からしさを感じた時、そこで会戦に踏み切ると孫子は言っているのである。
ここで学ばねばならない事は、一つ一つのプロセスをしっかり踏めば、勝利は約束されるという構図である。初心の内は会戦でどうこうして勝利をもぎ取ろうと考えるものだが、孫子はそういう事をしてはいけないと言っている。勝敗は会戦に踏み切る前に決しているのだから、会戦に踏み切る前の準備をしっかりすれば、自ずと勝ちは転がってくると彼は説いているのである。そのため、勝機を探っても見つからないなら、会戦に踏み切るべきでは無い。そう援軍のくだりで説明しているのである。大切なのは情報戦の勝利が全てをもたらすという構図で理解する事だ。
将棋の話を紹介する。故・大山康晴永世名人は、一度目のチャンスは見送ると言う言葉を残している。名人の真意は自分には計りかねるが、恐らくチャンスに見える局面は、同時に罠である可能性も高いと言っているのだろう。ここが勝負の難しい処だ。
自分ではチャンスと思っても、それは相手がそう見せかけているだけかも知れない。何せ相手は日々研究に余念のない百戦錬磨なのだ。そこで、大山名人は一度目は見送って相手の様子をみるわけだが、こういった勝負巧者の技も見習いたいものだ。孫子は勝機を見出してから戦えと言っているが、勝機が本当に勝機なのかの判断もまた大変となるのである。
孫子曰く。「故に戦いの地を知り、戦いの日を知れば、即ち千里にして会戦すべし。戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、即ち左、右を救う能わず、右、左を救う能わず、前、後を救う能わず、後、前を救う能わず。然るを況や遠きは数十里、近きは数里なるおや。
吾を以ってこれを度るに、越人の兵多しといえども、また何ぞ勝敗に益せんや。故に曰く。勝は為すべきなり。敵多しといえども、戦う事なからしむべし。」
【解説】
(敵が十分に分散され、少なき状態になっているとして)
孫子曰く。「故に戦うべき場所、時間が分かるならば、例え千里先でも会戦するべきである。逆に、戦うべき場所も時間も分からないとすれば、左軍が右軍を救う事も、右軍が左軍を救う事も、前衛が後衛を救う事も、後衛が前衛を救う事もできない。それぞれが遠くは数十里、近くて数里離れた状況なら尚更である。
吾が考えるに、越国の兵が如何に多かろうとも、勝敗には何ら影響を与えない。故に言うのである。勝ちは為すべき事だと。敵が多いならば、戦えないようにしてしまえば良い。」
逆から読むとこうなる。相手が大軍だからといって負ける理由にならない。相手が大軍ならば、それを分散させるなど大軍として機能しなくすれば良いのだから。勝敗の行方は、兵の数ではなく、戦う前の情報戦によって決まるのである。
情報戦の結果、敵が十分な情報を得られなかったために兵力を分散したなら、後は勝機を探るだけである。その結果、もし勝機を見出せるなら、どんなに遠くの敵であろうと会戦に踏み切るべきだ。だが、逆に勝機を見出せないなら、絶対に戦線を開いてはならない。勝機も無いのに戦っては無駄な犠牲を払うだけであるし、むやみに戦線を開かれては友軍が援軍に駆けつける事も難しい。友軍とは言え、近くて数里、遠ければ数十里の距離があるのだ。
情報戦の勝利 ⇒ 敵の兵力分散 ⇒ 勝機を探る ⇒ 会戦
プロセスを書けば上の順序となる。ここで注目すべきは、会戦に踏み切るまでの準備こそが勝敗の行方を左右すると、孫子が言っている点である。誰でも勝てる状況を作った上で会戦すれば勝てるのは当然だ。ならば、まずは誰がやっても勝てる状況を作りだす。
戦争はまずは情報戦から始まる。情報戦で勝利した場合、つまり相手に情報を与えず相手の情報を一方的に得るならば、相手は四方八方に備えるために兵力分散する事になる。兵力分散をもって情報戦の勝利を確認できるのだ。ただ、兵力分散したからと言って、浮かれてはいけない。ここで浮かれて攻め急いでは、情報戦の勝利が水の泡となってしまう。
敵の兵力が分散された事を確認したら、次は綿密に勝機を探るのである。戦うべき時間はいつか?戦うべき場所は何処か?全ての条件をみて勝機を探るのだ。そして、勝機に確からしさを感じた時、そこで会戦に踏み切ると孫子は言っているのである。
ここで学ばねばならない事は、一つ一つのプロセスをしっかり踏めば、勝利は約束されるという構図である。初心の内は会戦でどうこうして勝利をもぎ取ろうと考えるものだが、孫子はそういう事をしてはいけないと言っている。勝敗は会戦に踏み切る前に決しているのだから、会戦に踏み切る前の準備をしっかりすれば、自ずと勝ちは転がってくると彼は説いているのである。そのため、勝機を探っても見つからないなら、会戦に踏み切るべきでは無い。そう援軍のくだりで説明しているのである。大切なのは情報戦の勝利が全てをもたらすという構図で理解する事だ。
将棋の話を紹介する。故・大山康晴永世名人は、一度目のチャンスは見送ると言う言葉を残している。名人の真意は自分には計りかねるが、恐らくチャンスに見える局面は、同時に罠である可能性も高いと言っているのだろう。ここが勝負の難しい処だ。
自分ではチャンスと思っても、それは相手がそう見せかけているだけかも知れない。何せ相手は日々研究に余念のない百戦錬磨なのだ。そこで、大山名人は一度目は見送って相手の様子をみるわけだが、こういった勝負巧者の技も見習いたいものだ。孫子は勝機を見出してから戦えと言っているが、勝機が本当に勝機なのかの判断もまた大変となるのである。
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