2017年9月22日金曜日

孫子の兵法 兵勢編その3

3、奇正の変は、勝げて窮むべからず。

孫子曰く。「音色は5音を基とするが、その変化は限りが無い。色は5色を基とするが、その変化は限りが無い。味は5味を基とするが、その変化は限りが無い。奇正も同じである。戦勢は奇正を基として作られるが、奇は正となり正は奇となり、まるで円環さながらに限りがない。故に、その変化を誰も知りつくすことは出来ないのである。」

解説すると、書いてある通り、奇正の変化は無限という事だ。教えとしては、大きく2つあろう。守りにおいては行住坐臥気を抜かない事が大切と言う教えとなる。特に油断こそが大敵であることを見直しておきたい。勝ったと思っていると、奇の入る余地が生まれ負けてしまう事があるのだから。人間は勝ったと思うと、急に自分に都合の良い展開しか見えなくなる。そして、自分で足を踏み外す生き物なのである。

攻めにおいては、奇と正の両方を駆使し、正から奇、奇から正と攻めを繋げろという教えとなる。孫子は「奇正は円環さながらに限りなし」と言っているが、要はそのように攻めろという事だ。正で戦っている時に奇の機会をうかがい、奇で戦っている時に正の機会をうかがう。将棋で言えば、詰み将棋のような深い読みをもとにした戦い方が大切だ。




将棋の話を紹介しよう。将棋では盤面を宇宙になぞらえ、その変化の膨大さを訴える事があるが、そんな将棋もコンピュータソフトによって変化がもたらされた。ある開発者が言う。将棋は変化こそ無限に近いものがあるが、良い攻め方にこだわるなら選択肢は多くは無い。強い人の指す手は同じ傾向があると。

それでも戦況を深く読もうとすれば大変な事に変わりはないが、取り得る選択肢の中には悪手と呼べるものも多分に含まれる。良手にこだわるなら、その時々2つか、3つにまで選択肢が絞られるのが実際となる。よって、変化の総数は無限なれど、実際はいくつかのパターンの組み合わせで指しているに過ぎないのだ。

また、将棋では故・大山康晴永世名人を尊び「読むのは5手先まで良い。その代わり、盤面全体を広く見ろ。」と教えられるが、これを合わせて考えるとどうだろうか?その時々3つまでの選択肢があり、それを5手先までなのだから、自分の手は1手目と3手目だけになる。感覚としては3×3で9通りの選択肢の中で最良を選ぶゲームが将棋という事になる。

これが名人の感覚なのである。プロにとって30手先を読むことも雑作も無い事だが、実際は9通りの選択のなかで、どれが最良か選んでいるのだ。こう考えて見ると、将棋と言うゲームの見え方が変わるのでは無いだろうか?このどの手を最良と判断する感覚を大局観と言い、実力がさほど変わらない棋士の中にあって、棋士の差は大局観の差とも言えるのである。

孫子は戦勢は奇正により作られ無限の変化と言っているが、良い手と限定するなら、実際はいくつかのパターンの組み合わせとなる。その時々3つの方策をあげ、その後の展開を予想し例えば9通りで物事を判断すると良い参謀と言えるかも知れない。特に上に報告する際は説得力が増すのではないか?ざっくばらんにとらえるより、具体的に考えて見ると見え方が変わるだろう。

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