4、十をもって一を攻める。
孫子曰く。「故に人を形せしめて我に形なければ、我は専にして敵は分かる。我は専にして一となり敵は分かれて十とならば、これ十をもってその一を攻むるなり。即ち我は衆にして敵は寡なり。よく衆をもって寡を討てば、我ともに戦う所の者は約なり。
我ともに戦う所の地は知るべからず。知るべからざれば、敵の備うる所の者多し。敵の備うる所の者多ければ、我ともに戦う所の者は寡なし。故に前に備うれば後寡く、後ろに備うれば前寡く、左に備うれば右寡く、右に備うれば左寡し。備えざるところ無ければ、寡なからざる所無し。寡きは人に備うるものなり。衆きは人をして己に備えしむるものなり。
【解説】
孫子曰く。「敵を把握し、敵からは把握できないなら、此方からは敵の様子が分かるが、敵からは動きが察知できない。自軍は固まって一つとなり、敵は分散し10に分かれれば、敵は分散した部隊ごとに戦う事になる。即ち、わが軍と対する敵は、分散した分兵が少なくなるのである。敵全軍と戦うのではなく、分散した部隊と個別に戦えるからこそ、わが軍の労も少なくなるのである。
わが軍の戦う位置を敵に知られてはならない。敵が知らないからこそ、その分防衛に兵を分散してくれるからだ。敵が兵を分散してくれるほど、一度に戦う敵兵は少なくて済む。前に備えれば後ろが少なく、後ろに備えれば前が少なく、左に備えれば右が少なく、右に備えれば左が少なくなるもの。備えない場所が無いならば、必ず兵が少ない場所ができるのである。少なきは備えるために兵を分散するという事であり、多きは相手に己の備えをさせるという事なのだ。」
まず最初に驚いたのが、孫子と自分の言葉への感覚の差である。十をもって一を攻めると言うからには、圧倒的多数によって敵を包囲撃滅すると思った。しかし、孫子の言っている事は全く逆である。敵を10に分けてしまえば、敵の総数が多かろうが戦う数は少なくなる。敵を分散したうえで、各個に撃破せよと説いている。
また、それを実現するための情報戦の重要性も見逃してはいけない。敵に己を知らせず、己は敵を知るからこそ、敵は戦力分散の愚を犯す他ないのである。言わば情報戦の勝利が、敵の戦力分散につながり、後の各個撃破につながっていくのだ。
情報戦の勝利 ⇒ 敵が戦力分散 ⇒ 各個撃破
今回の孫子の教えのプロセスを簡単に示すと上になるが、如何にして敵を戦力分散に持っていくかが本当のポイントとなる。敵が戦力分散すれば、後は兵を集めて戦えば有利な戦いをできるのだから、結局、情報戦の勝利によって最終的な各個撃破という勝利が得られるのである。この構図をしっかりと肝に銘じたい。全体を広く捉える事が重要なのだ。
仕事で考えて見よう。ただ、戦力分散から各個に撃破と言ってもイメージが付かないため、身近な例として人付き合いを考えて見よう。例えば、上司に気に入られたいとする。何をするのが近道かと言えば、実は上司の猿真似をするのが良い。口癖、服装の趣味、ブランド、髪形とありとあらゆるものを真似するのだ。人間は自分と似ている人に好感をもつものである。上司が部下が自分の真似をするのを嫌がるはずもなく、可愛い奴と思ってくれるだろう。これが言わば情報戦の勝利である。こうなれば多少失敗しても大目に見てもらえるし、何かと気にかけてもらえよう。
経営者も情報戦が大事なのは言うまでもない。政商と呼ばれる方が何故儲かるのか?それは政治に口出しできるから、言い換えれば、情報戦で他より先んじているからである。ただ、今回は政商の良し悪しを言いたいのではなく、政商になれと言うのでもない。情報戦で勝利すれば、後はついてくるという構図で経営をとらえると良いという話を紹介している。参考になれば。
孫子曰く。「故に人を形せしめて我に形なければ、我は専にして敵は分かる。我は専にして一となり敵は分かれて十とならば、これ十をもってその一を攻むるなり。即ち我は衆にして敵は寡なり。よく衆をもって寡を討てば、我ともに戦う所の者は約なり。
我ともに戦う所の地は知るべからず。知るべからざれば、敵の備うる所の者多し。敵の備うる所の者多ければ、我ともに戦う所の者は寡なし。故に前に備うれば後寡く、後ろに備うれば前寡く、左に備うれば右寡く、右に備うれば左寡し。備えざるところ無ければ、寡なからざる所無し。寡きは人に備うるものなり。衆きは人をして己に備えしむるものなり。
【解説】
孫子曰く。「敵を把握し、敵からは把握できないなら、此方からは敵の様子が分かるが、敵からは動きが察知できない。自軍は固まって一つとなり、敵は分散し10に分かれれば、敵は分散した部隊ごとに戦う事になる。即ち、わが軍と対する敵は、分散した分兵が少なくなるのである。敵全軍と戦うのではなく、分散した部隊と個別に戦えるからこそ、わが軍の労も少なくなるのである。
わが軍の戦う位置を敵に知られてはならない。敵が知らないからこそ、その分防衛に兵を分散してくれるからだ。敵が兵を分散してくれるほど、一度に戦う敵兵は少なくて済む。前に備えれば後ろが少なく、後ろに備えれば前が少なく、左に備えれば右が少なく、右に備えれば左が少なくなるもの。備えない場所が無いならば、必ず兵が少ない場所ができるのである。少なきは備えるために兵を分散するという事であり、多きは相手に己の備えをさせるという事なのだ。」
まず最初に驚いたのが、孫子と自分の言葉への感覚の差である。十をもって一を攻めると言うからには、圧倒的多数によって敵を包囲撃滅すると思った。しかし、孫子の言っている事は全く逆である。敵を10に分けてしまえば、敵の総数が多かろうが戦う数は少なくなる。敵を分散したうえで、各個に撃破せよと説いている。
また、それを実現するための情報戦の重要性も見逃してはいけない。敵に己を知らせず、己は敵を知るからこそ、敵は戦力分散の愚を犯す他ないのである。言わば情報戦の勝利が、敵の戦力分散につながり、後の各個撃破につながっていくのだ。
情報戦の勝利 ⇒ 敵が戦力分散 ⇒ 各個撃破
今回の孫子の教えのプロセスを簡単に示すと上になるが、如何にして敵を戦力分散に持っていくかが本当のポイントとなる。敵が戦力分散すれば、後は兵を集めて戦えば有利な戦いをできるのだから、結局、情報戦の勝利によって最終的な各個撃破という勝利が得られるのである。この構図をしっかりと肝に銘じたい。全体を広く捉える事が重要なのだ。
仕事で考えて見よう。ただ、戦力分散から各個に撃破と言ってもイメージが付かないため、身近な例として人付き合いを考えて見よう。例えば、上司に気に入られたいとする。何をするのが近道かと言えば、実は上司の猿真似をするのが良い。口癖、服装の趣味、ブランド、髪形とありとあらゆるものを真似するのだ。人間は自分と似ている人に好感をもつものである。上司が部下が自分の真似をするのを嫌がるはずもなく、可愛い奴と思ってくれるだろう。これが言わば情報戦の勝利である。こうなれば多少失敗しても大目に見てもらえるし、何かと気にかけてもらえよう。
経営者も情報戦が大事なのは言うまでもない。政商と呼ばれる方が何故儲かるのか?それは政治に口出しできるから、言い換えれば、情報戦で他より先んじているからである。ただ、今回は政商の良し悪しを言いたいのではなく、政商になれと言うのでもない。情報戦で勝利すれば、後はついてくるという構図で経営をとらえると良いという話を紹介している。参考になれば。
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