2018年12月23日日曜日

八佾 第三 10

【その10】

子曰く、てい既にかんしてより而往のちは、われ之を観ることを欲せず。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。先祖を祭る大祭も神酒を地にそそぐまでは良い。だが、その後が見るに堪えない。



【解説】

まず禘の説明をすると、字の構成通り、帝によって示す行為を意味する。示の語源は台の上に犠牲となる羊をのせ、それを殺した時に血がしたたり落ちるという意味だ。示の上の横棒が犠牲の羊であり、丁が台を表し、点々がしたたり落ちる血となる。したがって、示は宗教的儀式を表し、それを家の中で行うと宗教の宗となるし、それを帝が行うと禘と書く。故に、帝である天子が天を祭る大祭を禘と言う。孔子のいた魯は特別に帝である天子と同格の祭りが許されていたため、魯で行われる先祖祭りの大祭も禘と呼んだと考えれば自然かと思う。



1、孔子が見るに堪えない理由

一言で言えば、魯の先祖祭りが礼に反していたからと考えられているようだ。孔子の生きた時代の魯では、王の跡目相続がすんなりいかなかったらしく、それが原因で礼が乱れたと言う話となる。事の発端はこうだ。まず16代目の王であった荘公には、嫡出子と非嫡出子がいた。最初は嫡出子である閔公びんこうが跡目をついで17代目となったのだが、閔公はわずか2年でこの世を去ってしまう。そこで再度跡目相続となり、そこで白羽の矢がたったのが荘公の非嫡出子であった 僖公きこうだった。

ただ、僖公は閔公の兄にあたったから話がややこしくなる。兄弟の序列から言えば、兄である僖公は弟である閔公より上だが、王位継承の序列から言えば、閔公は疑似的とは言え僖公の父にあたる。つまり、弟が兄の父になってしまうのだ。この事は19代目の文公の代の先祖祭りで問題となる。文公は僖公の子であったため、弟の下となる父を不憫に思ったのだろう。本来なら閔公・僖公の順で位牌を並べなければならない所を、逆の僖公・閔公の順に位牌を並べて先祖祭りを行ってしまった。父が自分の弟の下にならないよう配慮したのだ。だが、これは逆祀と言って、本来やってはいけない事だったため、孔子は見るに堪えないと嘆いている。礼を乱しておいて、何の礼ぞと言う気持ちだったのだろう。



<王位継承順>

荘公 ー 閔公(弟) ー 僖公(兄)

先祖祭りの祭、本来は位牌をこの順で並べねばならないが、文公は王位継承順では弟の下の序列となる父の僖公を不憫に思って、位牌を以下のように並べ替えてしまった。


荘公 ー 僖公(兄) ー 閔公(弟)

こう並べてしまうと、17代目と18代目が逆になってしまい、16代目荘公から18代目僖公に飛び、17代目閔公が最後にくるというアベコベになってしまう。故に、逆祀と言って礼を乱したとされる。



【参考】

地面にそそぐ神酒は鬱鬯うっちょうと言い、香草で香りがつけられ霊力に溢れた酒と考えられていた。祖先の霊に捧げる他、高貴な賓客にもてなされた。



【まとめ】

先例は、されど先例。


八佾 第三 9

【その9】

子曰く、の礼は吾能われよく之を言えども、杞徴きちょうするに足らざるなり。いんの礼は吾能く之を言えども、宋徴するに足らざるなり。文献足らざるが故なり。足らば則ち吾能く之を徴せん。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。私は夏の礼に通じているつもりだが、杞にはそれを証明する十分なものが無い。私は殷の礼に通じているつもりだが、宋にはそれを証明する十分なものが無い。文献が足りないからだ。足りていれば私の理解はより深まったはずだ。



【解説】

まず言葉の説明をすると、夏は中国最古の王朝の名で、その子孫が封じられた国が杞である。夏を滅ぼしたのが殷であり、その子孫が封じられた国が宋という関係にある。孔子は夏と殷の礼制に通じているつもりなのだが、それを証明するに十分なものが後継国である杞と宋には残っていないと嘆いている一節となる。孔子は古典の編纂もしていた事を考えると、資料として文献が無い事はさぞ嘆かわしかっただろう。



1、中国に文献が残らない理由

文化は辺境の地に残ると言う言葉通り、中国は文化が残りづらい土地柄である。理由は大きく2つ考えられる。まずは戦争が多く、平和が長く続かないからだ。特に負け戦では文献を保護する余裕もないため、文献が消失する事も多くなる。そして、中国人の歴史に対する考え方も大きい。彼らは歴史は時の支配者が自由に作り変えるものと考えている。故に、支配者にとって都合が悪い歴史は消される傾向にあり、当然その証拠となる文献も消される事も多くなる。歴史は作る物だから、客観的事実としての文献は重要でないと考えてもスッキリするだろう。



【参考】

文献の文は竹簡などの文物、献は賢人を意味する。



【まとめ】

失ってから気づく事もある。


2018年12月12日水曜日

八佾 第三 8

【その8】

子夏問うて曰く、巧笑倩こうしょうせんたり、美目盼びもくへんたり。素以ってけんを為すとは、何のいぞや、と。子曰く、絵事かいじは素を後にす、と。曰く、礼は後か、と。子曰く、予を起す者は商なり。始めてともに詩を言う可きのみ、と。



【口語訳】

子夏 「愛らしい笑顔、涼し気な眼差し、香るおしろい・・・。」
孔子 「絵で例えるなら、白の顔料は最後の仕上げにと言った所だね。」
子夏 「礼が最後の仕上げなのと同じですね。」
孔子 「商君には驚かされる。君とは共に詩を語り合えそうだ。」



【解説】

今回、2人は礼は化粧のようなものだと言っているが、その心は2度目のお声がけを考えて見れば良く分かる。人間、最初は試して見なければ分からないと付き合ってくれても、2度目のお声がけは結果次第となるもの。最初の結果が悪いのに、また貴方に頼みたいと言う物好きはいない。故に、礼が最後の仕上げの化粧となり、腕をつけなければいけないとなる。礼はお試しの一回となりはすれ、腕が無いとその後の関係が続かないからだ。逆に腕があるなら大概の事は解決してしまう。多少無礼者であっても貴方に頼むとなるものだし、無礼がその人の持つ個性だとすら解釈される。ここの大将は頑固者で口は悪いが、良い腕持ってんだよと言った具合に。

礼にこだわるのは教養人としては当然ながら、礼は化粧のようなもので崩れるのも早いと知らねば片手落ちになってしまう。人間はまず腕であり、その腕の見栄えを良くするのが礼だ。それは調度、内面からでる素の美しさを化粧が引き立てるようなものなのだ。



1、絵事は素を後にすについて

この部位の解釈がイメージが付きにくいが、絵を書くときには先ず色を染め、その後に白の顔料である胡粉を用いると言う話だ。恐らく、絵は重ね塗りをしながら完成させていくので、まずは色を塗り、その後に光が当たった事を表現するために白が用いられるという事なのだろう。調度、おしろいのようになる。






ただ、絵は白色を最後の仕上げにするとは限らないので、朱子学の朱子などは納得がいかなかったのだろう。絵事後素(原文)を絵事は素を後にすではなく、絵事は素より後にすと解釈し、下地を胡粉で作り、後で色を塗ると解釈している。その場合のイメージは下の動画だ。






この場合は白が人間としての中身で、色が礼となる。孔子の時代の絵画が失われ現物を視れないので、孔子の言わんとする事を想像するほかないのが残念だ。



【参考】

1、巧笑は愛らしい笑い方、倩は口元が美しいと言う意味。

2、美目は目元が美しい目、盼は白と黒がはっきりしたと言う意味。

3、素はおしろいの胡粉、絢は美しい綾模様の意味。

4、商は子夏の名。孔子の44歳年下で文学に優れていたとされる。



【まとめ】

化粧は長続きしない。

2018年12月8日土曜日

八佾 第三 7

【その7】

子曰く、君子は争う所無し。必ずやしゃか。揖譲ゆうじょうして升下しょうかし、しかして飲む。其の争いや君子なり。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。君子は争うような真似はしない。強いて言うなら、射礼くらいだろう。礼儀を以って譲り合いながら昇り降りし、負けた方が罰杯を飲む。争い方もやはり君子らしい。



【解説】




まずは語句の説明からすると、射礼は弓の競い合いの事で、具体的には上の動画となる。弓道には礼に始まり礼に終わると言う言葉あるが、動画を見ると作法が何かは分からなくても作法がある事は伝わるだろう。弓は唯撃てば良いというものでは無く、礼が大切なのである。そして、礼によって争いは単なる喧嘩ではなく、文字通りの射礼となる。

これと同様に、中国式の射礼にも礼儀があり、それが君子らしく立派であると孔子は言っているわけだ。では、その中国式の礼儀は何かとなるが、それが揖譲ゆうじょうになる。まずは、下の画像を見て欲しい。




この画像は孔子像だが、手に注目して欲しい。胸の前で手を合わせているだろう。この手の形を拱手きょうしゅと言い、拱手きょうしゅ胸の前にだした調度孔子像の姿勢をゆうと呼ぶ。揖譲ゆうじょうとは、この姿勢で相手に敬意を示すという作法となる。揖譲ゆうじょうの譲は、謙譲という意味だ。

次に、升下しょうかの説明だが、動画をみると分かる通り、弓を射る時は控え場所から弓を射る場所まで移動する。その様子を孔子は升下しょうかと言っている。動画には段差はないが、孔子の時代は弓を射る堂と控え場所の庭に段差があったため、堂と庭の間を登り降りすると言っている。そして、当時は弓の競い合いで負けたほうが、罰ゲームとしてお酒を飲むという風習があり、而して飲むとつながる。普段争う事がない君子は、争うとしても罰ゲームでお酒を飲むくらいという雰囲気を掴んで欲しい。君子は争っても血なまぐさいものにはならず、遊び心があり風流なのである。




---- 以下、君子が争わない理由 ----


1、手足と争う頭はない

君子が立派な官僚の事だとすれば、単に争う必要が無いから争わないという結論になる。為政者である官僚からすれば、どんなに秀でた者であれ、それは手足として働く者であり、自分と競うべき者でない。官僚同士の出世競争に勝ち抜くためにも手駒は優秀なほど良いのだから、自然と優秀な者を求めはすれ嫉妬などして争うなどあり得ない。逆に争っては仕事がはかどらないと考えるのが立派な官僚である。故に君子は争う所無しとなる。



2、恨らまれないように振る舞う

出世するにも、お金持ちになるにも、最後に物を言うのは結局は運である。途中までは頑張れば誰でもいけるが、トップまで上り詰めたり大金持ちになるならば、やはり運が良かったとしか言いようがない。

例えば、官僚として出世し、宰相にまで上り詰めるとしよう。そうすると、長い時間がかかるわけだが、その間に大病を患っては出世どころの話ではなくなる。病気はいくら気を付けていても、なる時はなるものである。健康な体と言うのも、一重に運としか言いようがない。また、出世するなら、自分を引き立ててくれる良き理解者との出会いも不可欠であるが、そんな理解者とは会おうと思って会えるものでは無い。たまたま配属された先で出会うものだから、理解者との出会いも運としか言いようがない。さらに言えば、数十年の間、国自体が戦乱に巻き込まれない事も大切だ。戦争で勝てばまだ良いが、戦争で負ければ、それまでの努力は無に帰してしまう。しかし、数十年先の戦乱など、予期しようにも予期できないのだ。ならば、自分が出世する間、戦乱が無い事を祈る他ない。これは一例だが、このように人生を長い目で考えると目の前の事のみ考える時とは違って、運が良かったとしか言えない事だらけなのである。

故に、成功者ほど運の大切さを感じているもので、げんを担いだり自分の運を良くする事には余念がないものだ。では、どう運を良くするかだが、その一つの答えは敵をなるべく作らないようにする事だろう。恨まれれば、それだけ足を引っ張られる事も多くなる。恨まれなければ、助けを借りられるかも知れない。官僚として出世するなら、こういった運を増やす努力も不可欠なのである。故に君子は争う所無しとなる。争えば争うだけ、運も逃げてしまうのだ。



3、自信がつくと自然と争わなくなる

金持ち喧嘩せずでは無いが、人は自分にゆとりがあると多少の事で腹を立てたりしないものだ。逆に弱い犬ほど良く吠えるで、自分に自信がなくゆとりが無いからこそ争ってしまう部分がある。君子と言われるほどになるなら当然自分にも自信があるから、弱い犬にはならず、故に君子は争う所無しとなる。基本的に、一芸に秀でた者同士は友達になりはすれ、相手に嫉妬して喧嘩はしないもの。立場があるから、問題を起こす事を好まない。



4、喧嘩はご法度

これは想像だが、官僚同士の喧嘩はご法度だったのでは無いだろうか?日本でも例えば、忠臣蔵では江戸城内での刃傷ざたはご法度で、それが原因となって浅野長矩は切腹となるのは有名だが、恐らく中国でも同じ状況だったろう。城内で最も大切な事は、王の安全であるから。もしこの想像が当たっていれば、君子が争わないのは単に法令に触れたために追い出されるのは困るからとも考えられる。



【まとめ】

喧嘩はいけない。


2018年12月6日木曜日

八佾 第三 6

【その6】

季氏泰山たいざんやままつりす。子冉有ぜんゆういて曰く、なんじ(汝)救うあたわざるか、と。こたえて曰く、あたわず、と。子曰く、嗚呼ああすなわ泰山たいざん林放りんぽうかず、とわんや、と。



【口語訳】

季氏が泰山で山祭りを行う。

孔子 「お前、止める事はできないのか?」
冉有 「できませんでした。」
孔子 「ああ、泰山が林放に及ばないとでも言うのか。」



【解説】



上の画像が泰山だが、この泰山は黄河の下流にある霊峰である。泰山では封禅ほうぜんと言う天と地に天下泰平を感謝する祭りが行われた。これは天子により行われる特別な儀式であったため、天子からすれば家臣のそのまた家臣に過ぎない季氏がする事は、当時の常識からは許されない行為であった。にもかかわらず、季氏は自らの権勢を誇るため祭りを強行し、その事を孔子が嘆いたというのが今回の状況である。

想像するに、孔子は季氏が山祭りをするという話を聞きつけたので、季氏の執事であった弟子の冉有を捕まえて尋ねたのだ。お前ほどの者がついていて何故止めなかったのか、と。そうすると、冉有は止められなかったと答えるので、泰山は天子にとって特別な霊峰であり、自らに地上の統治を委任した天に天下泰平を報告するための場所である事はお前も知っておろうと嘆いたのある。孔子にすれば、新築の家に糞尿をまき散らされたような思いがしただろう。

なお、泰山は林放に如かずと言う部分の訳が難しいが、過去の偉大な天子達が天下泰平を天に報告し、感謝してきた泰山の権威すら、林放に恐れ多いと感じさせるに至らないと考えればスッキリする。故に、泰山は林放に如かずとなる。



【参考】

1、旅は山祭りの意味。旅の語源を調べると、古くは家から出る事をすべて旅と称したらしい。故に、泰山へ行く事も旅と称する。泰山は霊峰であり、その目的は祭祀に限られるから、この場合の旅は山祭りの意味となる。

2、救は誰を救うか分からないが、泰山を救うと考えるのが自然かと思う。季氏の僭越から、聖地泰山を救う。よって、この場合は山祭りを止めさせるという意味になる。そして、季氏を救うという意味にもとれる事が味噌で、誰かに聞かれても良いように配慮がされているようにも思える。



【まとめ】

人生最大の病患は傲慢の一事に尽きる。

by 王陽明



2018年12月4日火曜日

八佾 第三 5

【その5】


(書き下し文が2つある)

(A)子曰く、夷いてききみ有るは、緒夏しょかきにかず。

(B)子曰く、夷狄いてきすらきみ有り。緒夏しょかきがごとくならず。



【口語訳】

(A)孔子先生がおっしゃった。野蛮人も君主を頂いておるが、君主なき中国にも及ばないな。

(B)孔子先生がおっしゃった。野蛮人ですら君主を頂いておる。君主なきが如き中国のようなものでは無い。



【解説】

(A)中華思想を典型的に示している。中華思想とは、世界で中国のみが唯一の文明国であり、中国文化の及ばない地域は野蛮人が住むとする考え方だ。この考え方によれば、野蛮人どもが君主を頂こうが、君主なき中国にも及ぶはずがないのは当然となる。野蛮人にそもそも文明など存在しないのだから。

中華思想は、特に孔子のような官僚としてやっていきたい者にとって必須の考え方となり、野蛮人を褒めるような真似をすれば仲間内から揚げ足を取られる。これを現代の中国では崇洋眉外と言う。



(B)君主のもとに臣下が集う姿を尊ぶ孔子が、中国ではそうなっていない事を嘆いた一節と考えられる。具体的には、魯の君主のもとに三桓氏が集うべきなのに、三桓氏が君主をないがしろに好き勝手やっている様を嘆いたのだろう。周公の礼の復興が悲願だった孔子らしい。

ただ、中国では給料という概念がなく、各々賄賂をとって生活していたなら、主従の関係も希薄にならざる得なかったと思う。全てを金で割りきる社会になると考えたほうがスッキリする。



1、総評

(A)とも、(B)とも解釈できるところに孔子の練達ぶりがうかがえる。孔子は官僚を目指す以上、中華思想を守らねばならないが、かと言って周公の礼が失われ乱世のようになってしまった中国を嘆いてもいる。この両方を上手くまとめているわけだ。

原文:子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。



【参考】

1、夷狄は中国文化の及ばない地域の蔑称であり、具体的には北狄、東夷、西戎、南蛮の総称。

2、諸夏は、中国という意味。



【まとめ】

能ある鷹は爪を隠す。

八佾 第三 4

【その4】

林放りんぽう礼の本を問う。子曰く、大いなるかな問いや。礼を其の奢らんよりは、むしろ倹せよ。そうは其のおさまらんよりは、むしいためよ、と。



【口語訳】

林放が礼の根本を尋ねた。孔子が答える。良い質問だ。儀礼は贅沢に飾るより、むしろ倹約したほうが良い。喪礼はおだやかに執り行われるより、むしろ深い悲しみがあったほうが良い。



【解説】

例えば、握手は代表的な儀礼だが、握手をする手が色とりどりの宝石で飾られていたら相手はどう思うだろう。親愛の証としての握手なのか、宝石を見せびらかすための握手なのか困惑させるかも知れない。ならば、宝石などで飾らず、むしろ素の手で握手したほうが誤解なく親愛の情が伝わる。故に、贅沢に飾るより、むしろ倹約が良いとなる。

例えば、葬式の祭、普段と変わらない調子だったらどう思われるだろう。人が死んだのに悲しんでもないのかと思われるに違いない。そして、中国では死人は地下の世界で生きている事になっているのだから、悲しまない事は死人のあらぬ誤解を招き祟られる恐れもある。故に、おだやかに行うより、むしろ悲しむが良いとなる。

林放は礼の根本を尋ねたわけだから、その答えは当然心となる。そもそも礼は、心を表現するために行われるのだから根本は心なのである。だから、孔子の言葉に、心が見えづらくなるからと言葉を足すと分かりやすい。儀礼を贅沢に飾ると、贅沢さに目がいき心が見えづらくなるから、倹約したほうが良い。喪礼がおだやかに行われれば、悲しみがあるはずの喪礼で悲しんでいないように見えるため、むしろ深い悲しみがあったほうが良い。



1、立派な官僚(君子)として

孔子の目指していた官僚の視点で考えて見る。官僚の世界で儀礼を贅沢に飾るとは、先輩官僚もしくは上役に目をつけられるという事だ。そう考えて見れば、何故孔子が儀礼は贅沢よりも倹約と言うかもスッキリする。官僚にとっての儀礼は、目上に一歩下がって合わせるべきもので、飾って自己を主張するようなものでは無い。例えば、歩く順番を間違っただけで、偉い騒ぎなのだから。

喪礼に際しては、例えば、父親の死に際して悲しむ様子が見て取れないならば孝行を疑われるだろう。孝行を疑われる事は反社会的を意味するのだから、王の謀反への猜疑心に火をつけかねない。それが他人の喪礼であれば、死を悲しんだ様子がなければ何と思われても仕方ない。悲しむべき時は悲しむが良いのである。



【参考】

1、林放は魯の人というだけで、孔子の弟子であったかは不明。

2、奢は過度に立派にする事、倹は無駄を省き倹約する事。

3、易の訳には議論があり、おだやかと訳す他に儀式が整うと訳す場合もある。この場合、葬儀が滞りなく進むより、多少の齟齬そごがあったほうが悲しんでいる様子が伝わって良いと訳す。

4、戚には親戚と言うように身うちと言う意味もあるが、今回は葬儀の話をしているので死事哀戚の戚として、深い悲しみという意味。



【まとめ】

見栄を張ると、大概は失敗する。

2018年11月29日木曜日

八佾 第三 3

【その3】

子曰く、人にして不仁ならば、礼を如何いかんせん。

人にして不仁ならば、楽を如何いかんせん。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。

思いやりに欠けた人の礼が、礼と言えるだろうか?

思いやりに欠けた人の楽が、楽と言えるだろうか?



【解説】

形式ばかり追い求め、天子の真似事ばかりしている三桓氏を皮肉ったのだろう。


1、人を見て法を説け

人を見て法を説けと言うように、礼楽も人を見て行う事が肝要で、相手を思いやってこそ礼楽も活きる。例えば、朝の挨拶を考えて見よう。朝はおはようございますが礼儀だが、おはようございますの言い方一つで、相手の気分を良くする事も、害する事もできる。明るい笑顔でにこやかに挨拶すれば相手も気持ち良いが、面倒くさそうに明後日の方向を向きながら挨拶するなら非常に印象が悪いだろう。もし相手への思いやりがあれば後者の挨拶は選ばないし、選べない。故に、思いやりが大切となる。

例えば、朝に聞きたい音楽と言っても、その好みはそれぞれだ。音楽は聞きたくないと言う人もいれば、目を覚ましたいからアップテンポの音楽が良いという人もいる。にもかかわらず、相手の好みも把握せずに音楽を流したらどうなるだろう?音楽は聞きたくない人にはうるさいと思われるだけだし、スローテンポの曲を流すならアップテンポを好む人の好みには合わない。故に、音楽も相手への配慮があって初めて活きる。相手への思いやりが大切なのだ。



2、礼楽は心の所作

そもそも礼は、自分の敬意を相手に伝えるために作られたものだ。そして、楽は礼を引き立てるための音楽である。だから、作られた当初は相手への敬意がある事は当然だったはず。だが、礼楽がマニュアル化されるようになると、この敬意と言う部分が忘れ去られ、単なる形式としてだけ礼楽が行われるようになる。だが、相手への敬意がこもらない形式のみの礼楽では、殺風景で何ら心に訴えるものが無い。だから、心を大切にしろと孔子は言っている。言葉にださずとも、心は相手に伝わるから。

例えば、自分が相手を嫌っていれば、大概は相手も自分を嫌っている。自分が相手を好いていれば、大概は相手も自分を好いている。だから、礼楽の前に、まず自分の心を相手への敬意であふれさせねばならない。そうすると、敬意が相手に伝わり、礼楽が形式のみから本来の姿となる。そして、何故そこまで気を使えるかと言うと、相手への思いやりがあるからである。故に、思いやりに欠ける礼楽は、礼楽ではないとなる。



【参考】

楽は、祭祀で奏でられる音楽と舞の事。



【まとめ】

人は結局、心だ。



2018年11月28日水曜日

八佾 第三 2

【その2】

三家者さんかしゃようを以って徹す。子曰く、たすくるもの辟公へきこう(諸侯)あり。天子穆穆てんしぼくぼくたり、と。なんぞ三家の堂に取らん、と。




【口語訳】

三家老は、雍の詩で祭祀の供え物を下げた。孔子が言う。雍の詩には、祭祀を助ける諸侯がいて、天子は威儀を正し奥ゆかしいとある。この詩がどうして三家老にふさわしいものか。



【解説】

三桓氏(三家老のこと)は祭祀の終わりに雍の詩を用いているが、詩の内容と三桓氏の実態が一致していないと、孔子は批判している。まず詩には祭祀を助ける諸侯とあるが、格上である諸侯がまるで臣下のように大夫である三桓氏の祭祀のために集うわけがない。また、三桓氏は大夫として魯の昭公を助ける役目を担うはずが、助けるどころか討伐して魯から追い出している。こんな詩の内容と反する三桓氏が雍の詩を用いても、自らを天子と言わんばかりと言う所だけが鼻につくのだろう。

孔子から見れば、三桓氏は服を逆さに着ている事に気づかないようなものだから、逆さだよという言葉が喉まででかかったはず。実際、孔子は昭王が魯を追い出され斉に逃れたおり、後をおって自らも斉に行っている。序列を重んじる孔子には、序列を無視した振る舞いをする三桓氏が鼻持ちならなかったのだろう。孔子36歳の時だった。



1、三桓氏の視点から見る

三桓氏からすれば、雍の詩で供え物を下げるのは大変意義がある。周王朝から許された天子と同様の祭祀を自分達が行えば、自分たちこそが魯の正当な後継者にふさわしいと暗に言う事になるからだ。三桓氏は分家の流れとは言え、もともとは王族の一員であったわけだから血筋的にも何の問題もないし、宗家が没落し今権勢を誇るのは我らとなれば、次を望めば自らが王として諸侯の仲間入りをするくらいになる。そこで、力を誇示するために、雍の詩になるわけだ。

ただ、雍の詩を使うと、詩で歌うところの天子は自分達になるため、問題は魯だけにとどまらず、周王朝にすらたてついた事になる。序列を重んじる孔子には、とても許せるような話では無かった。なお、政治的には、周王朝に賄賂を贈れば何とでもなった問題だろうと思う。周王朝は魯に天子級の祭祀を許可していたわけだし、魯内の問題であるならば周王朝は眼をつぶれる。三桓氏が祖先である周公旦を祭りたいと、多額の賄賂を持参するなら周王朝も断れまい。賄賂がちらつくし、周公旦は建国の英雄であるから。



【参考】

1、雍は、詩経の周頌の篇名。

2、徹は、供え物を下げる事で撤饌(徹饌)の意味。

3、穆穆は、威儀があり奥ゆかしいの意味。

4、堂は、儀式を行う場所。寺の御堂の堂。






【まとめ】

表裏、両方から見ると理解が深まる。

2018年11月27日火曜日

八佾 第三 1

【その1】

孔子、季氏を謂う。八佾(はちいつ)庭に舞わしむ。是れ忍ぶ可くんば、敦(いず)れをか忍ぶ可からざらん、と。



【口語訳】

孔子が季氏について批評した。季氏は八佾(はちいつ)を庭で舞わせている。これが平気ならば、何が平気でないと言うのだろう。



【解説】

孔子が問題にしている八佾(はちいつ)は、天子だけに許された舞の名称である。その天子の舞を季氏が庭で舞わせるという事は、天子に比べればはるか格下であるはずの季氏が自分が天子だと主張してる事になる。故に、これが平気ならば何が平気で無いと言うのだろうと孔子は言っている。

現代で例えれば、平社員が社長と同じ待遇を要求したと言う話で、それを端から見ていた孔子が、お前は平社員だろと憤ったいう状況だと思えば良い。






1、舞楽で使える人数が序列を表す

八佾(はちいつ)の佾は舞の列を意味し、八佾(はちいつ)は縦横8列の舞を意味する。具体的に言うと、八佾(はちいつ)は8列×8列で64人の舞である。当時は舞に使える人数が序列を示したため、64人は天子のみに許され、これが諸侯になると6列×6列で36人となり、大夫になると4列×4列で16人までしか許されなかった。季氏は大夫であったから、当時の常識からすれば16人の舞が相応しく、大夫が64人も舞わせるなどとんでもない話なのである。



2、季氏が八佾(はちいつ)に至る経緯

魯の初代は周王朝建国の功績もある周公旦の子であったためだろう。周王朝から特別な待遇を受け、祖霊を祭るに八佾(はちいつ)を許されていた。そのため、季氏の祖先にあたる15代目の桓公も、国廟で八佾(はちいつ)によって祭られる。

だが、孔子の時代になると、すでに宗家から力が失われ分家の季氏が権勢を誇るようになっていた。そこで、季氏からすれば、今は此方のほうが力があるという事なのだろう。自らの祖先である桓公を祭るのに、庭で八佾(はちいつ)を舞わせたわけだ。王のもとに臣下が集う姿が美しいと考える孔子からすれば、季氏は許されるはずのない行為をしたと言える。

なお、季氏は単独で八佾(はちいつ)をしたわけでは無く、同じく桓公を祖先にもつ孟孫氏、叔孫氏と合同でしたようだ。季氏は桓公の正妻の流れ、孟孫氏と叔孫氏は側室の流れであったため、季氏が筆頭として取り仕切った。政治的には分家同士で結束を強める意味合いがあり、宗家である王に対抗する狙いもあったと思われる。



【参考】

1、忍は容認の意味する。

2、庭(てい)は舞が行えるような庭で、植木や池がある観賞用の庭ではない。季氏は、庭に桓公の廟(墓)をつくり祭っていた。



【まとめ】

礼を失すると綾が付く。

2018年11月26日月曜日

為政 第二 24

【その24】

子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは勇無きなり。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。祭るべきでない魂を祭るのは、諂(へつら)いだ。正義と知りつつ為せないのは、勇気が無い。



【解説】

死者の魂を祭る話をしているため中国人の死生観から説明すると、中国人は人間は死んでも個性は失われず、地下の世界で生きていると考えている。その彼らにあって、祭るべきでない魂を祭る意味は何かという話を孔子はしているわけだが、素直に考えれば、地下の世界から自分を祟らないで欲しいという気持ちや、死後も貴方に従うから力を貸して欲しいという気持ちの現れであろう。故に、祭るべきでない魂を祭る事が諂(へつら)いとなる。

そして、本来祭るべきでない魂を祭るのは、道義に外れると知りつつも死者にすがりたい、又は死者を怖がるゆえなのだから、臆病者で勇気が無いとなる。



1、生まれ変わりとの比較

まず生まれ変わりの説明をすると、生まれ変わりは輪廻転生とも言い、今世の行いによって死後何に生まれ変わるか変わるという死生観である。その生まれ変わる先が6つあるため、六道輪廻とも言う。これは仏教や儒教より古くからあるインドに伝わる考え方であり、それが中国を通って日本に伝わった。

この生まれ変わりによれば、人は死後に生まれ変わってしまうのだから、死者の魂を祭っても何の利益も無い。なんせ生まれ変わり、別の姿で生きているのだから。そう考えるなら、死後に墓場を作る事も可笑しいとなるし、死者を祭ると言う話もしっくりこない。死者はすでに死者ではない可能性があるからだ。故に、生まれ変わりを信奉する人間からは、孔子のように死者に諂(へつら)うという言葉は出てこない。生まれ変わりと、中国人一般の死生観を比較して欲しい。孔子の言葉への理解が深まる気がする。



2、孝行に反するという視点

孔子は親の死後も3年は喪に服すのが良いと言っているし、親の意を汲んで生きるのが孝行であるとも言っている。その親は地下でご健在だと言うのに、親族以外の魂を祭る息子が孝行息子と言えるだろうか?中国では親孝行が最も尊ばれるため、孔子が諂(へたら)いと斬って捨てるには、孝行に反するという意味もある気がする。

なお、日本には仏壇に自分の家に関係の無い魂を祭ると、ご先祖様が居心地が悪いと霊障を起こすという伝承もある。家に関係のない魂は、例え親であっても同居していなければお寺にお願いするか、墓参りで済ますのが良いとか。



【参考】

1、鬼は死者の魂を意味する。

2、義は己の理想や志の上で正しい事であり、一般的な正しさとは違う。



【まとめ】

普通が一番。


2018年11月25日日曜日

為政 第二 23

【その23】

子張問えらく、十世知る可きか、と。子曰く、殷は夏の礼に因り、損益する所知る可し。周は殷の礼に因り、損益する所知る可し。其れ或いは周に継ぐ者、百世と雖(いえど)も知る可きなり、と。



【口語訳】

子張が訪ねた。十世後の事であっても知る事は出来るでしょうか?孔子が答える。殷の礼制は、夏の礼制を基にしている。周の礼制も殷の礼制を基にしている。例え周が亡びる事があっても、次の王朝は周の礼制を基にするのだから、百の王朝が変わったとしても分かるよ。



【解説】

この場合、百世たっても変わらない礼とは何かが問題となる。諸行無常という言葉の通り、世の中に永遠のもの等一つ足りと無い。世の常識など百年と言わずとも親と子ですら変わる。にもかかわらず、孔子は百の王朝が変わろうが知る事ができると言う。その心は、中国の本質は時代が変わっても変わらないと理解するとスッキリするかも知れない。

例えば、中国では皇帝が最も徳が高い人物であるから、天から地上の統治を委任されたと考える。そして、天から委任された事をもって、皇帝がする事は全て天の采配と独裁を敷く。基本的に皇帝は何をやっても許されるわけだが、何故そうなるかと言えば、それくらいの強力な権限が皇帝に無いと中国と言う地域は治まらないという事情がある。中国では50を超える民族が共生し、民族の数だけ常識があり、民族の数だけ利権がある。この状況で話し合いをしても、まとまるはずが無い。まとまらねば戦乱になるのだから、民はたまったものではない。故に、圧倒的絶対者の采配に委ねて戦乱を避けたほうが良いと考えるのである。

そして、この状況はいくら王朝が変わらろうが変わらないだろう。ならば、皇帝という絶対者の下で、中国がまとまるという中国の礼制も変わらないと考える。そして、これは統治者側に都合が良いルールであるため、尚の事、王朝が変われど去就される。故に、孔子は百の王朝が変わったとしても分かると言う。



1、曹操と劉備に見る中国の礼制

三国志に曹操が自分が他人に背こうとも、他人が自分に背く事は許されないと言ったという逸話がある。その理由は自分が天子(皇帝)だからである。それ以上でも、それ以下でもなく、曹操の強烈な個性と言うよりは、天子(皇帝)とはそういうものと解釈したほうが中華社会の考え方に近いだろう。

この曹操の発言に対し、劉備は自分は他人が自分に背こうが、自分は他人に背かないと言ったという逸話もある。これを日本では聖人のように紹介している様子だが、中国の文化を知れば、そのような解釈は出来ないのでは無いかと思う。劉備は50歳で諸葛亮を手に入れるまで、鳴かず飛ばずのゴロツキに過ぎなかった。その彼が頼れるのは漢王朝の血を引いているという事だけなのだから、他人が自分に背こうとも、自分は背かないとなる。むしろ、天下の主になるためには背けないと言ったほうが正しいかも知れない。この場合、他人とは漢民族の事であり、異民族は含まない事は当然という認識が良い。



2、時代が変わっても変わらない物を把握する

例えば、前王朝と現王朝の間で、変わったものと変わらなかったものを調べると、その歴史の変遷が見えてくる。前々王朝と前王朝でも同様にすると、前々王朝から現王朝まで変わらなかったものが分かる。変わった習わしより、変わらなかった習わしが特に大切で、今まで数百年と変わらない習わしなら、これから数百年も変わらないだろうと推測できる。故に、百の王朝が変わろうとも知る事ができるとなる。

例えば、中国では親孝行が最も大切な徳目だが、それが時代と共に変わるだろうか?恐らく今後も変わらないだろう。親孝行の在り方は変わるかも知れないが、親孝行が大切な徳目である事は変わらない。ならば、時代が変わっても、親孝行を基にした礼制になるに違いない。



【参考】

1、流行という言葉があるが、時代が変われば、時代に合わなくなったものが引かれ、時代に合うものが新たに加えられるもの。この様を損益と言う。損が引く、益が足すを意味する。


2、世は、王朝と捉えずに、30年と捉える説もある。後者によれば、百世は300年を意味するが、かなり長い時間というニュアンスは変わらない。



【まとめ】

時代が変わっても、人間の本質は変わらない。



2018年11月21日水曜日

為政 第二 22

【その22】

子曰く、人として信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車輗(げい)無く、小車軏(げつ)無くんば、其れ何を以て之を行らんや。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。言っている事とやっている事が違う人間が、信頼できた試しは無い。例えるなら、牛車や馬車に横木が無いようなもので、それでどうやって走ると言うのだ。



【解説】

一言で言えば、人間は言行一致が大切という話だが、現代人からすると特殊な比喩を使っているため、その比喩を解説する。下の画像を見て欲しい。






馬の胸の部分を見て欲しい。馬と馬とを繋いでいる横木があるだろう。横木がなければ、双方の馬が同じ方向に走るだろうかと考えて欲しい。素直に想像すれば、片方が右にそれ、もう片方は左にそれれば、前に進めないと考えるのが自然だ。つまり、横木があるからこそ、双方の馬が同じ方向に走り、馬車は安定して前に走れるのである。故に、言っている事とやっている事が違う人間は何をするか分からない事から、横木のない馬車のようなものと評する。

孔子の時代は人を運ぶ馬車を小車と呼び、小車の横木を軏(げつ)と呼んだ。次は大車を紹介する。下の画像を見て欲しい。






見ての通り、荷物を運ぶために小車のサイズが大きくなったものが大車であり、馬車から牛車になる。そして、しっかり横木が備わっている事を確認して欲しい。大車の場合は横木を輗(げい)と呼ぶが、小車の軏(げつ)と同じものだ。同じ横木でも小車と大車では呼び方は変わるという話となる。参考までに絵も紹介しておく。軏(げつ)と輗(げい)は、下の絵の右下の横木で軛(くびき)の事だ。






横木がなく言う事を聞かなくなった車を、言う事とやる事が違う人間に例えた孔子の比喩は秀逸である。言行一致の大切さをみなおすキッカケとしたい。



【参考】

日本人は農耕民族であるから、実るほど頭をたれる稲穂かなと、人を稲穂に例えたりする。だが、狩猟民族である中国では、牛や馬など牧畜の延長で人間を考えたりする。今回の孔子の例え話が何故出てくるのかと言うと、民族性の違いに発端があるのだ。中国と言えば宦官が有名だが、宦官は牧畜で数が増え過ぎないように去勢するように人間も去勢し始めたのが始まりと言われる。彼らは異民族を動物と考える傾向がある事も相まって、孔子も言行不一致の愚かしさを牧畜の延長で例えたわけだ。

日本では宦官がいなかったが、中国に限らず牧畜文化のある国ではアラブであれ、ヨーロッパであれ宦官の歴史がある。これはあくまで説だが、そう考えて見ると、孔子の考え方の一端が垣間見えるようである。



【まとめ】

信用は得難く失いやすい。

by 松下幸之助




2018年11月20日火曜日

為政 第二 21

【その21】

或るひと孔子に謂いて曰く、子奚(なん)ぞ政を為さざる、と。子曰く、書に云う、孝か惟(こ)れ孝、兄弟に友に、有政に施せ、と。是れ亦政を為すなり。奚(なん)ぞ其れ政を為すを為さん、と。



【口語訳】

ある人が孔子に尋ねた。何故貴方は政治をなされないのか?孔子が答える。書を見れば、孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せとあります。家庭もまた一つの政治なのです。すでに政治の場にいる私が、どうして政治をなす必要がありましょうか?



【解説】

書に云う家庭は所謂一般家庭では無く、言わば城であり、小国家となる。背が高い壁に囲まれ、中を見れば望楼と呼ばれる物見やぐらがあり、水濠と呼ばれる足止めの堀、雇われた私兵がいるというイメージになる。故に、家庭も一つの政治となる。



1、弟子を通じた政治参加

孔子は30歳ころから私塾を開き、74歳で死ぬまで弟子の育成に励んでいた。孔子の教えを受けた弟子達は、孔子に感化されて各々士官していった事だろう。ならば、孔子が政治の現場にいなくても、政治は孔子の影響を受ける事になる。故に、家庭(私塾)も一つの政治となる。弟子を通じて政治に参加する事もできるのだ。

この場合、親を孔子として孝、兄弟に友は兄弟子と弟弟子は仲良くと解釈する。



2、政治の基本は家庭にあり

家庭内は基本的に利害が一致する。例えば、父親が偉ければ息子は七光りを受けるものだし、息子が出世すれば父親も楽ができる。兄弟も他人の始まりという言葉こそあるものの利害が一致する事は多く、兄に力があるのに弟が虐められる事は少ないし、逆も然りである。しかし、利益が相反しやすい他人ではこうはいかない。

政治とはある意味で利害を調整する機関である。様々な人の不平不満や要望を、優先順位をつけて調整する。その調整がうまく行けば善政となるし、調整が一方的となり納得がいかない人が多ければ悪政となる。そう考えてみると、最も利害を調整しやすいのは親子間となるし、次いで兄弟間、そして他人の順番と分かる。つまり、親子間で上手くやれない人間が政治をするのは難しく、兄弟間で上手くやれない人間では、他人とも上手くやれないのが自然だ。故に孝行に励み、兄弟に友に、それを政治に施せと書は言う。



3、陽貨説について

ある人は陽貨ではないかと言う説がある。陽貨は孔子が48歳の時に士官させようとした人物であるため、確かにある人が陽貨だとしても自然かも知れないが、陽貨については陽貨編にまとまっているだろう。にもかかわらず、ある人と書くかと言う疑問もある。

個人的には、孔子は69歳まで士官先を探していたと考えているため、70歳以降のやり取りの記録とするのが自然と思う。70歳の孔子ならば、すでに士官を諦め弟子の育成と古典の編纂に集中していたし、弟子達も立派になっていた。そして、政治家としての実績もあり、その頃の孔子が家庭も一つの政治と言ったならば言葉に重みがある気がする。とは言え、若かりし頃のやり取りとしても可笑しくは無いが、70歳の孔子が言った場合とは言葉のニュアンスが変わる。



【参考】

孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せ。この言葉だけならば、親兄弟と接するように政治を行えという意味に思える。一方で、家庭も一つの政治と言われれば、家庭が小国家の意味ならば、士官しない理由はこれだけで十分である。現代風に言えば、仕事が忙しく政治家をする余裕がないと言ったわけだから。しかし、孔子は孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せと言った後に、家庭も一つの政治であると続けている。何故そう繋がるのか?この感覚が興味深い。

察するに、中国の個人主義の裏返しなのだろう。中国では親兄弟も政治の一部と考えるのが一般的ならばスッキリする。中国人を評して、親が亡くなっても泣かないが、お金がなくなれば大騒ぎする中国人と言った人がいたが、政治の一部ならば納得だ。優先順位の高い政治が親であり、優先順位が劣る政治が他人という感覚なのだろう。確かにそういう言い方も出来る。



【まとめ】

親を説得できない人間に、他人は説得できない。

2018年11月18日日曜日

為政 第二 20

【その20】

季康殿が尋ねられた。「民が私を敬愛し、進んで善行に励むようになる。そのような方法はないだろうか」と。老先生が答えられた。「堂々としている事です。そうすれば敬われます。親が子を慈しみ、子は孝に励む。そういう家庭の民は忠実なものです。自ら範を示されるのも良いでしょう。加えて、善人を登用し能力の乏しい者を教育させるのです。善行をするようになります」と。





【解説】

真心で生きていれば、自然と背筋が伸びる。この様を壮と言う。真心は親子の情愛のなかで確認しやすい。ゆえに孝慈が則忠となる。何事もまずは知ることから。教育なしでは始まらない。善を挙げて不能を教える所以である。



おおよそ人から敬愛され続けるには、力と人柄の両方が必要である。力だけでは反感を呼ぶ事はあっても敬われるのは難しい。人柄が良ければ敬われるかも知れないが、力に対し脆弱であり、敬われた状態の維持に難点がある。壮だけでもいけない、忠だけでも足らない。不能を教育するのは、共通の価値観を持つためである。何が善で、何が悪かを合わせなければ、何をもって敬愛したら良いかすら分からない。



敵ながら天晴と思う国を作れば、民も天晴と思うに違いない。



ビクビクしてたら舐められる。家庭が荒んでいたら人も荒む。荒んだ人に善行は期待できない。だから、その逆が良い。



葬儀屋として考えると、儀式が荘厳なれば民も敬いやすい。そこに孝慈があれば、その人柄を感じ民は忠実になる。自分もそうありたいと思うなら、人の心が芽生え善行をするようになる。



減点方式も分かりやすい。おどおどして何かやましい事があるのかと思われてはいけない。先祖供養ができなくても、親子関係がうまくいかなくても噂がたつ。善人を登用しなければ、自分まで不能と思われる。



孝慈には二つの意味がある。一つは季康子自身が先祖供養をし民を慈しむという意味、もう一つは民の家庭が円満と言う意味である。口語訳は民自身の利を重くみて後者を採用しているが、両面捉えたほうが妙味がある。






----- 以下、別解説   


魯国の大貴族である季康子が、孔子に政治の妙について質問した際のエピソードとなるが、見た目や風評を意識したアドバイスと捉えるとスッキリする。要は季康子が尊敬や忠義に値する立派な人だという風評を起こす事に成功すれば、自ずとそうなると言っている。ある種の情報戦と捉えても良いかも知れない。



1、威厳によって敬いが生まれる理由

利で考えると、民が敬うと言うより、敬わせるというニュアンスが適当だろう。民が敬わねばならない雰囲気があるから、民は敬う。人は見た目が9割という言葉があるが、人は見た目に影響されるから、実際に偉いかどうかより偉そうに見えるかで判断しやすい。だから、敬われたければ、偉そうに振る舞えとなる。例えば、いくら貴族とは言え、みすぼらしい恰好をして従者も従えなかったら、人は乞食と思い軽視する。本当は乞食でも、立派な服をまとい従者をしたがえた馬車に乗るなら、人はどこぞの貴族様が来たと思って平伏する。威厳によって敬いが生まれたのだ。民と大貴族では普段接点はなく、当時は今みたいに写真でどうこうという時代では無い。貴族の顔すら知らない民のほうが多いわけだから、民が敬うかどうかは初対面での印象か、立派だと言う風評による所が大きかったと考えてどうか。



2、親孝行はコミュニケーション

中国は50を超える多民族が入り混じる地域であり、言葉の統一が難しい。すると言語によるコミュケーションは期待できないから、言語外の手段で自分が敬愛するにふさわしいことを伝える必要がでてくる。そこでどうしたら良いかとなるが、孝行を示すのが良さそうというのが今回の趣旨である。中国では孝行が何よりも大切にされているため、孝行を実践して見せる事は民の感心を呼ぶと期待できる。言葉は分からなくても、孝行は感心となるから、まずは孝行を見せて反応を見るのが良い。立派な服装をして、従者を従えた馬車に乗り、堂々とすれば民は頭を下げる。だが、それだけでは冷酷な人間に違いないと思われるかも知れない。そこで親孝行なのだ。もし共感を得られるならば、逆らう気にならないのが人情である。



3、慈しみは実利

威厳によって逆らえない雰囲気ができ、孝行で共感が得られたとしても、実利に乏しければ盤石とは言えない。民自身の家庭生活が円満であればこそ、忠実であることに強い利が働く。そこで慈しみとなる。では、民を慈しむとは具体的に何かとなるが、鼓腹撃壌の故事の通り、結局は民の生活に干渉しない政治に尽きるのだろう。例えば、仕事があれば農閑期を選んで頼むとか、無下に戦争に駆り出さないとか、税は約束の額以上は取らないと言った配慮が喜ばれる。当然と言えば当然だが、中国では戦乱は普通の事であり平和は70年も続けば長いと言われる土地柄なため、干渉されない事がとても有難いのだ。そして、そういう統治であれば民は暮らしやすいと感じるから、この主の下で生きようとなり、忠実になるのが自然である。



4、利で釣る

善人を登用して、能力に乏しい者を教育させる理由は、利で釣ると考えるとスッキリする。要はどのような人間が良い思いするのかを登用によって示し、能力の乏しい者をそちらの方向に誘うのである。善行に励む者が増えるのは道理である。





【参考】

1、季康子は魯の大貴族であった季孫氏の当主で、康はおくり名。孔子が60歳の頃、父の季桓子の後を継いだようだ。


2、不能の者の訳には2通りあり、能力に乏しい者と訳す場合と、不善の者と訳す場合がある。




【まとめ】

風評は情報戦だ。






------  仏教の立場からの考察  ----

すべての原因は欲である。






2018年11月11日日曜日

為政 第二 19

【その19】

哀公がお尋ねになられた。「どうしたら民は心腹してくれるだろうか」と。老先生が答えられた。「真っ直ぐな人物を曲った者達の上に据えるのです。そうすれば民は心腹します。しかし、その逆では心腹いたしません」と。




【解説】

心腹を求めるなら、真心で生きている者を上に据えるのです。そうすればその者が民の不満をよく調整してくれます。民は反抗するより従ったほうが利に適うと考えるようになるでしょう。逆に、真心のない者を上に据えては上手くいきません。下心を見透かされるからです。民は従ったふりをするようになるでしょう。



諸君、人は行為を見るのではない。行為を通して其の者の心を見るのだ。邪な思いは見抜かれるから気をつけなさい。



人は上の者の真似をするもの。しかも、悪い行いほど良く真似る。例えば、上の者が仕事もせずに昼間から女遊びばかりしているなら、下の者は一所懸命に働く事が馬鹿らしくなるだろう。そして、自分も同じ立場になれば女遊びをするのが当然と考えるし、それを咎めるならば何で俺だけと反感を抱かれる。そういう役人の姿を見た民は俺らは俺らでやらせてもらうとなり、心腹からは遠ざかる。



葬儀屋という視点で考えると、亡くなった親族を曲った者の手に任せようと思う者はいまい。当然、真っ直ぐな者のもとで送り出してもらいたいとなる。真っ直ぐな者を挙げねば、民は心腹するはずがない。



役人と言う視点で考えると、民は何かしらの事務処理であったり、陳情があるときに役人を必要とする。となるとその応対が前向きな人が好ましいし、裏表なく接してくれなくては困るし、言動に嘘偽りがあってはもっての外と想像できる。話を素直に聞いてほしいし、もし誤りがあれば謝ってくれたほうが好感が持てる。これらの条件を一言で表すと、真っ直ぐとなる。民の心腹を望むなら、民の要望に適った人物を上に据えるのが望ましい。



木の中にも真っ直ぐな木と曲った木とがある。曲った木も曲がったなりの味わいがあるものだが、使いやすいのは真っ直ぐな木である。人物も同じであろう。計算が立ちやすいほうが気苦労がない。



例えば、上の者が真っ直ぐな人物だったとする。すると、下の者はこういう人間になれば出世できるのかと考えるし、同じ立場にたてば自分も同じように振る舞うようになる。そういう空気感が民の不満を抑える。




さて、真っすぐな人を上に置くべきなのは良いとして、何をもって真っすぐと言うかという問題がある。その答えは勿論、仁義礼智信を備える人間の事となるのだろう。思いやり深く、義務は守り、礼儀を重んじ、道理に通じ、約束をたがえる事が無いような人間ならば真っすぐと言えそうだ。




曲がった人とは何かを考えるに、撃壌歌が参考になるのかも知れない。堯を尊敬していた孔子は撃壌歌にある通り、王の力を農民が感じない事こそ最高の政治と考えていただろう。曲がったという言葉からは、民に積極的に絡み、徴税や高額な賄賂で民を虐めるという意味も感じ取れる。中国には官禍という言葉もある。




真っすぐな者を上にするとしても、現実には上に据えて見なければ、その者が本当に真っすぐか分からないという難点がある。下の者には誘惑が少ないが、上になれば誘惑される事も多くなる。そこで曲がらずに真っすぐいられるかは、実際にその場になって見なければ何とも言えない。権力を持った途端に人が変わると言うのはある話だ。



哀公の哀は若くして亡くなったと言う意味で、孔子が58歳の時に即位した君主。枉は道理を無理に曲げると言う意味。錯は交えると言う意味だが、単に置くと理解する。なお、曲った木の上に、真っすぐな木を重しとしてのせ、矯正するとの説もある。





【まとめ】

役目はお預かりするもの






------  仏教の立場からの考察  ------

人間まずは腰骨を立てなくてはいけないという座禅の基本を思い出す。



直 = 無心

枉 = 思考


2018年11月9日金曜日

為政 第二 18

【その18】

子張が禄の求め方を学ぼうとした。老先生が言う。多くを聞きなさい。すると時には疑わしい話を聞く事もある。そういう話は控えなさい。そして、慎んでその他の確かな事について発言すれば非難される事は少ない。また、多くを見なさい。すると時には危うい行いも目にする。そういう行いは控えなさい。そして、慎んでその他の確かな行いをすれば悔いは少ない。発言への非難が少なく、行いに悔いが少なければ、禄は自然と得られる。




【解説】

真偽の疑わしい話をすれば相手に迷惑がかかるかも知れない。危うい行為をしては相手に心配をかけるかも知れない。だから、そういう事はしない。真心から離れずに読むのが良さそうである。



確かな事を慎重にと孔子は言っているが、この慎重にという部分が大切だ。確かと思えば即採用するのではなく、慎重に採用する。間違いがあってはいけないからである。

慎 = 真心の在処




今回は若い子張が孔子に就職相談をした時の話である、士官するための良い方法は無いかと尋ねる子張に対し、孔子は実践的な回答をした。まず見聞を広め、その中から確かと思われるものだけを慎重に真似していれば自然と職は定まるよ、と。その心は、人柄が大切と考えると良いするかも知れない。どんな仕事でも日々の仕事の9割は瑣事である。瑣事をこなすのに特別な能力はいらない。特別な能力は必要ないのだから、求められる資質も責任感であったり、忠実な人柄だったりする。当たり前の事を当たり前にできる人こそ望まれるのである。



自分が誰かに頼み事をする場面を想像してほしい。相手の人柄を見て頼むのではないだろうか。就職も一種の頼み事である。



疑わしい話をしては揚げ足を取られる。危うい行為は人を不安にさせる。就職活動中にあっては選んでもらうために、就職後は後ろから刺されないように必要となる心掛けである。



子張は孔子より48歳若く、孔子から見れば孫かひ孫のような歳であったが、孔子の死後に儒家の一派をなしたほどの人物である。なお、有名な「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の過ぎたるを担当するのが子張でもある。孔子が単に確かな言動をしなさいと言わずに、慎んでしなさいと言葉を足したのには、こういう経緯も見て取れる。



孔子は尚古主義だったとされるが、結局は時の審判をえた言動が一番確かだったのだろう。時間とは残酷なもので、後世には確かな物しか残さない。確実なものにこだわれば、自然と古典にいきつくのだ。現代でも、新しいもので確かなものは少ない。新しいものは数年たつと否定され、悪いものに様変わりする事が多い。孔子の時代も同じだったに違いない。

確かなもの = 古典



葬儀屋という視点で考えると、求められているのは伝統に則った確かな事である。疑わしい言葉、危うい行為は先方を困惑させるだけという側面がある。役人も同じであろう。



地道が近道と思ってみれば、地道は昔道理という意味で使われていたようだ。なるほど、地道が近道は道理であった。



暗い人は暗い人も嫌いだという話がある。自分も暗いくせに、他人が暗いのをみると辛気臭いからあっちに行けとなるものだ。行いに悔いが少なければ、自信を持って明るく生きれるのではないだろうか。就職はつまるところ好き嫌いに決着するため、こういう側面も見ておきたい。





【まとめ】

奇をてらうと禄なことはない。





------  仏教の立場からの考察  ------

余 = 確 = 無心

疑 ⋃ 殆 = 思考




2018年11月7日水曜日

為政 第二 17

【その17】

老先生が言われた。由(子路)よ、君に知るを教えよう。知っている事は知っているとし、知らない事は知らないとする。これを知ると言う。





【解説】

由君、まずは知る事だ。だが、知識を得たからと言って、分かった気になってはいけないぞ。知ったならばよく実践する。すると時機に知らない事にも目がいくようになるだろう。知っていることだけではなく、知らない事にも目が届くようになればより知識がはっきりしてくる。その様をよく味わいなさい。これを知ると言うのだ。



まずは真心を掴む事だ(知之)。だが、実践にあっては意識しないことを目指しなさい(不知)。もし自然にできるようなら真心を知っていると言ってよい。



知之を真心を知ると解釈した場合、真心には知識としての側面と、体感としての側面があると考えても良い。知識としての真心をとらえれば知っている事は知っているとなるが、体感としての真心は何とも表現しようがなく、知らない事は知らないとする他ない。以って真心を知ると言う。



本を読む等、勉学に励めば物知りになると思われがちだが、得られる知識の中には不知も含まれる。それは例えば、白を黒が引き立たせるようなもので、白だけで構成するより、黒い部分があったほうがより白が際立つと言うような話と捉えても良いかも知れない。同じ知識でもその鮮明度には違いがある。





物を知るからこそ、知らない事が多いと意識するようになり、本を読む前より不知を実感する。知っている事は知っているとし、知らない事は知らないとするのは、勉学に励んだ者の持つ実感となる。知るとは、物を知ると同時に、知らぬを知る行為なのだ。物知りな人ほど知らない事は知らないとハッキリ言うし、自信が無い人ほど面子を気にして素直になれないものかも知れない。



聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という諺があるが、勉学に励むほど不知を実感するのなら、自分が不知であるのは当然と軽く考えたほうが実践的かも知れない。



学んだ事が定着するに従い、あやふやな部分がなくなっていく。あやふやな部分がなくなると、分かっている事と分かっていない事にしっかり線が引かれるようになる。自然と知っている事は知っている、知らない事は知らないとなる。




由は、孔子十哲の子路の事。子路は名を由と言う。率直な人柄で親しまれたが、孔子が死ぬと予言した通り、衛で内乱に巻き込まれ命を落とした。享年63歳であった。





【まとめ】

意外だが、本を読むと知らぬを知る。





------  仏教の立場からの考察  ------

誰かに聞いた言葉ではなく、自分の体からでた言葉を大切にしよう。

体感 ≧ 知識





2018年11月5日月曜日

為政 第二 16

【その16】

老先生の教え。異端をおさめるのは害あるのみ。



【解説】

諸君、私心を育てるなよ。害ばかりとなる。



異端 = 私心

聖人の道 = 真心



時と共に変わるものと、変わらないものがある。変わるものを無視はできないが、変わるものは修めても変わる。変わらないものは軽視されやすいが、修めると生き方に軸ができる。



まずは10年一処に腰を据えよう。どんな分野でも一人前になれる。雑学はその後で良い。

異端 = 雑学



葬儀屋としても、役人としても、正統と認められたもの以外は使えない。異端を専攻しては学んだ事が無駄になるばかりか、往々にして周囲の拒否反応を呼ぶ。



この手の話は先生が弟子に浮気をさせないためにする場合が見受けられる。そして、見込んだ弟子に一層の精進を期待するのだ。孔子が30歳の頃から私塾を開いていた事情に鑑みると、こういう側面を捉えても良いかも知れない。



一事が万事、万事が一事、如何なるか是一事。



新しい事には注意しなさい。古い事を尊びなさい。





------  仏教の立場からの考察  ------

異端 = 思考



2018年11月4日日曜日

為政 第二 15

【その15】

老先生の教え。学んでも思索しなければくらい。思索しても学ばなければ危うい。




【解説】

諸君、真心を忘れてもらっては困るぞ。注意しないと私利私欲だけになるから気をつけなさい。



知識は使い方次第で善にも悪にもなるが、学ぶ者はこれを忘れやすく、学ばぬ者はこれに気づかない。

真心 ∩ 知識 = ∅

罔 ∩ 危 = 私利私欲 



学んだことを思索すると理解が深まり応用が効くようになる。思索するだけで学ばないと独りよがりになりやすい。



学即是思、思即是学。これがコツである。



葬儀屋としては、学んだことの意味合いを腑に落とさねば儀式に心が入らないし、自己流の葬儀など誰も求めていないとも言える。



思索は新たな疑問を呼び、自らの至らなさを明らかにする。学びは新たな発想を呼び、考える幅を広げる。学ぶ者は思索しなさい、思索する者は学びなさい。



実務で使うために学ぶのであるから、誰かに教えるためにという前提を置くと理解しやすい。実務上の事を全て自分で考えていては、時間がいくらあっても足らない。前例に則るのが現実的である。



学んでも思索しなければ型は破れない。思索しても学ばなければ形なしだ。




簡単な例を示すと、料理を考えて見よう。料理を学ぶとしたら、本なり、師なりについて教わるだろう。自分で一から考えていたら、とてもとてもとなるはず。美味しい料理が食べたければ、まずは基本のレシピを学び、その上でもっと美味しくするための工夫をするのが良いのである。






【まとめ】

初心忘るべからず。





------  仏教の立場からの考察  ------

道不属知、不属不知、知是妄覚、不知是無記。




2018年11月3日土曜日

為政 第二 14

【その14】

1、老先生の教え。君子は周を好み、小人は比を好む。

周 = あまねく、公平、平等
比 = ならべる、仲間内、閥



2、老先生が言われた。君子の付き合いは満遍ないものだ。かえって小人は利害損得で仲間を作る。





【解説】

その発想の根本にあるものを見つめよう。それは真心か、それとも利害損得か、是非諸君には真心のある人間になって欲しい。



「君子は周して比せず」と言うと、なにか周と比という選択肢があって何方かを選ぶように見えてしまうが、その発想は比そのものである事に注意がいる。比と周はコインの裏表の関係にあり、周は裏からみると不比であり、不比だからこそ周である。孔子が不と強く否定した理由はここにあると思われる。「小人は比して周せず」もこれと同じである。比という発想を脱却しなければ、周とはならない。比ゆえに不周と理解したほうが良い。

周 = 不比  ⇔  周 ∩ 比 = ∅  ⇔  比 = 不周



歴史的に国が民を守らなかった中華では、民は自分の利を守るために閥を作った。閥は利によって結びつき、もし出世などで立場が変わり利の勘定が合わなくなれば、今所属している閥を抜け新しい閥に所属する。これを繰り返して生きているのが中華の民となる。こういう背景を「小人は比して周せず」と考えると自然かも知れない。閥に所属して自分の利を守っているのだから、利の対立する他の閥とは仲良くしづらい。競り合って当然となる。

 

葬儀屋が選り好みしては、商売に差しさわりがでる。満遍なく付き合い、なるべく敵を作らないようにしなさい。




例え苦手な相手であっても尊敬の念を持って交わりなさい。苦手な人に助けられ、仲良かったはずの人に裏切られる。そういう事もあるのだから。




多くの人と交われば、自然と色々な情報が集まる。




人脈は自慢の種である。





【まとめ】

無為自然




------  仏教の立場からの考察  ------

1、真心には周と言う性質があり、そこには比の及ばない唯一絶対がある。


2、君子は真心に付けられた尊称である。真心は無心であり、無心は自己が無い状態を自己とするという事だ。これはすべてが自己であることを意味し、ゆえに君子は周となる。このとき比を離れる。

君子 = 真心 = 無心 = 周 = 不比





2018年10月31日水曜日

為政 第二 13

【その13】

子貢が君子を問うと、老先生が言われた。先ず行い、然る後に言葉が従う、と。




【解説】

真心に言葉は野暮である。この一言に尽きるが、現実的には巧言令色と言うように、言葉が相手のいらぬ詮索を呼ぶ面も抑えておきたい。本当は自分のためと言うのが本音だろう、と。こう思われては、せっかくの真心が疑念の種になってしまう。行動も同じように疑われるが、どうせ疑われるなら余計な事はしないほうが良い。聞かれたら答えるくらいで良い塩梅と考える。



人間にはポジティブな時もあれば、ネガティブな時もある。そこでポジティブな思考を+1とし、ネガティブな思考を-1とする。すると心は+1から-1の間を動くように表現できる。これを日々の感情の起伏を表す不等式とする。


ー1 ≦ 心 ≦ 1


では次に、心がどの状態のときに最も好ましいかを考えて見る。これは古来答えは決まっていると言ってよく、所謂平常心が一番宜しい。これは例えば、自分が浮かれていたために、相手の微妙な変化には気づけなかった場合を考えて見ると良い。もしくは、心が沈んでいたために、相手どころではなかったような場合を想定すれば良い。後になって後悔した経験がある人も多いだろう。こういう状況は取返しがつかない事があるため出来れば避けたいが、そのためには冷静に相手の事だけに集中できるのが好ましい。平常心が望まれるのである。平常心は不等式上は数字の0で示される。


max 心 = 0 (= 真心)



平常心が良いと分かったならば、常に平常心でいれば一番良いとなるが、実際はそう簡単にはいかない。心はコロコロ変わるから心と名付けられたように、心はコロコロ変わる。そこで実際は、コロコロ変わる心をその都度平常心に戻すような心内作業が必要になる。この作業を「先に行い」の解釈とするのも面白いと思う。そう考えて見れば、「然る後に言葉が従う」のは自然な流れだ。


先 = 平常心(真心)

行 = 行蘊

言 = 説明(言葉と行動)



葬儀屋の側面を考えるに、実際にやりながら覚えたほうが早いし理解も進むだろう。頭だけで儀式の内容と意味を覚えようにも、煩雑で覚えきれるものでは無いだろうし、覚えられても表面だけの浅い理解で物にならない。そんな背景からの言葉かも知れない。まずはやってみる事だ、と。



子貢は魯や斉で宰相を歴任した人物で、その弁舌には定評があり、経済的にも財神と崇められるほど豊かであった。その彼が何か行動する時に誰かに伺いをたてる必要があったかと言うと、無かったと考えるのが自然であるから、いちいち行動の説明をしたとは考えにくい。的を得た質問があれば答えるくらいのバランスになりそうである。



論より証拠である。例えば、中国語を勉強するとしよう。橘子という字が気になったので、これは何の事かと聞いたとする。そうすると、大きさは握りこぶしくらいで、色はだいだい色で、食べると甘酸っぱい味がすると言われた。この説明でも橘子が何か察しはつくかも知れないが、言葉だけでは断定はできないはずだ。だが、橘子はこれですと現物を見せられれば、橘子が何か疑う余地は無い。橘子と書くと中国では蜜柑を意味すると分かる。






例えば、乞食のような恰好をして、自分は一国の宰相をつとめてると言っても誰も信用しないだろう。だが、宰相らしい立派な格好で従者を従えていれば、何も言わずとも只者では無いと伝わる。その上で相手から質問された時に、どこそこの国の宰相と言えば納得してもらえる。服装や従者が言葉に説得力を持たせたのだ。



人は話した言葉に縛られる。例えば、飲み屋で今日は驕るからジャンジャンやってくれと言った場面である。みんなはご馳走になりますと言って、ジャンジャン注文するだろう。タダ酒は美味い。そうして宴もたけなわとなり、そろそろ会計でもとなるわけだが、思いのほか会計が高くなってしまった何てことがある。値段を見た貴方は高いと驚くわけだが、驕ると言った建前、やっぱりお金を出して欲しいとは言いづらい。そして反省するのだ。驕るのは会計の金額を見てから決めても遅くなかったんだよな、と。



揚げ足を取られるような形は避ける。



人が何かしていると興味をそそられ、心を開くのが人情だ。説明はその後で良いと捉えるのも実戦的かも知れない。





【まとめ】

平凡は妙手にまさる。

by 大山康晴





------  仏教の立場からの考察  ------

鈴虫や ああ鈴虫や 鈴虫や



2018年10月23日火曜日

為政 第二 12

【その12】

老先生の教え。君子は器では無い。

老先生が言われた。君子は一技一芸の者では無い。

先師が言う。君たちは機械になるなよ。



【解説】

君子は真心につけられた尊称である。器物のように特定の姿形があるわけでは無い。なお、姿形が無いゆえにその変化に限りなく、その変化はどれも真心の顕れという性質を持つ。ここが掴めると、「器では無い」を一技一芸の者では無い、もしくは機械になってもらっては困ると訳す理由がしっくりくる。



大器晩成を考える。この場合の器は心の度量の大きさを例えたものにつき、器は必ずあると仮定しよう。すると器が無い状態が一番大きい器となる。と言うのも、器に姿形があれば、必ずその外側が存在することになる。その器がどんなに大きくとも、外側が存在すれば、当然もっと大きな器が作れる。では、どうしたら外側がなくなるかと言えば、器に姿形が無ければ良い。姿形が無ければ、その外側も存在しないから。しかし、姿形が無ければどこまでが器として良いか分からなくなるが、器は必ずあると仮定したのだから、外側がない状態が器と言うのがその答えとなる。つまり、すべてが器なのだ。

0 = ∞ and 真心 = 0

∴ 真心 = ∞



儒者は今で言う葬儀屋にあたるが、儒の語源が興味深い。まず儒の旁である需という字には、雨が止むのを待つと言う意味がある。これが人間化すると儒となり、儒は雨が上がるのを待つ人たちを意味する。当時、儒者が葬儀のために雨が上がるのを待っている姿が印象的だったのだろう。儒は儀式のために雨が上がるのを待つ葬儀屋という意味になる。また、雨が上がるのを待つのは何も葬儀屋だけではない。勿論、親族も待っている。その親族からすると、葬儀屋が儀式を始めないで天気ばかり窺っている姿は大変もどかしかったようだ。だから儒はグズグズするなと悪口を言われている葬儀屋という意味を持つに至った。しかし、これではまるで道具扱いであろう。この辺の事情が、孔子が「君子は器では無い」と言った背景かも知れない。普通の葬儀屋はまるで道具扱いだが、君子はそんなぞんざいな扱いは受けない、と。



器は道具である。道具に使われる人間はいない。同じように、器を使うのが君子であって、器ではない。



古来中国では役人を官吏と言うが、官と吏は違う。官は言わば公務員であり王に雇われるが、吏は言わば私兵であり官に雇われる。官吏は確かに一まとめだが、その雇用形態は全く異なるのだ。例えば、官が地方に派遣された場合、その出身地は外すのが慣わしなので、行った先では言葉すら分からない。すると何もできないため、現地で通訳を雇う。この通訳が吏にあたる。通例、器を一技一芸の者と解釈するが、この吏を一技一芸の者と考えると分かりやすい。

君子 = 不器




人体で例えれば、君子は頭、手足では無い。



例えば、官になると、仲良くして欲しいと言って商人が賄賂を持ってくる。綺麗な服を仕立ててくれるし、任地にいくまでの馬車から何まで至れり尽くせりである。では、何故そこまでしてくれるのかとなるが、官は徴税権を持つからである。徴税権がある以上、とりっぱぐれる事はないため色々融通してくれる。この話を商人の視点で見るとどうなるかと言うと、官は金もうけの種だ。金を生む器のようなものとも言える。流石に高級なだけに取扱が慎重になるのである。こういう背景を察するに、器のように使われるなよと諭した場面を想像しても面白いかも知れない。



情を失っては道を誤る。



お金を使っているのか、お金に使われているのか、それが問題だ。





【まとめ】

結局、心なのよな。





------  仏教の立場からの考察  ------

道具と言う字は、道を具えると書くのか・・・。






2018年10月21日日曜日

為政 第二 11

【その11】

老先生が言われた。ふる きを温めて新しきを知る。そういう人こそ師たる資格がある。



【解説】

「故き」を真心とし、「温めて」を真心から離れないの意味とする。そのように生きていると、急に古人の言葉が頭に浮かび、新たな発見をする事が度々ある。そのため、温故知新は真心に気付いた者の実感に思える。「故きを温めて」を、潜在意識に真心が設置された状態としても良いかも知れない。



故 = 古典 

と解釈されるのが通例だが、その言葉の裏に目を向けるなら、

古典 = 真心の発露

と仮定したい。そこで、

故 = 真心 

と考える。


また、

真心 = 無心 ⇔ 無心 = 己を殺す事

であるから、

故 = 己を殺す事

これが古ではなく、故と言う理由と考えたい。



通例、「故きを温めて」を古典に習熟すると言ったほどの意味で解釈し、「新しきを知る」を古典を現代に応用する、又は新しい事柄にも精通すると言う解釈が施されている。


師 = 古典に習熟し、現代に応用できる者

但し、熟は真心を明らかにするの意味とする。




人間は何千年たっても変わらないようで、現在の悩みに意外にも古典が答えをくれたりする。今、自分が悩んでいる事は、往々にして昔誰かが悩んだ事である。そのため、識者が古典に通じるのは、単に酔狂という訳では無い。古典は言わば前例集であるから、ケーススタディとして学んでいるのである。自分が置かれた状況なら、昔の人はどう対応したのかを古典から探しだしヒントを得る。そこで、古きを温めて新しきを知ると言う。そして、そういった過去の前例に通じた人は、困難な状況を切り抜ける糸口を見つけられるから、周りの人の尊敬を受け、以って師となれる。



例えば、恋愛で困っているとする。不安になるときもあろう。こういう時は、友達に相談してみるのも一つの手である。友達ならどうするか聞いたり、友達の経験談を聞くと参考になるものだ。この感覚が「故きを温めて」である。そうして気持ちが落ち着けば、自分がどうすべきかも固まってくる。決心がつくかも知れない。「新しきを知る」のである。ただ、相談相手を友達に限る事はないだろう。書物も参考になる。それも今だけでなく、昔の書物でも良い。恋愛に今も昔も無く、同じことを同じように悩んでいるのが人間なのだから。



孔子の人生は、失われた過去の偉大な王の礼を復興させようとした人生だった事を考えるに、孔子の言う温故知新は、過去の偉大な王の礼は見直すほどに新しい素晴らしさがあると言う意味だったとも思う。儒家の師になるならば、同じ感覚を持ってほしいと考えるのは自然である。





【参考】

1、以て師為る可しを、自分が師となるのではなく、本を師とすると訳す人もいる。座右の書というイメージだろう。


2、温は、温めると訳す場合と、訪ねると訳す場合の両方ある。自分は字のまま温めると訳した。そのほうが、真心のもつ暖かいイメージも含まれると思うから。


3、日本では時代はどんどん良くなると言う方向で考えるが、中国ではその逆に昔は本当に良かったと考えるのが一般的と言う。そういう発想から温故知新を考えて見ると、また違った味わいがある。昔は本当に素晴らしい時代だったから、むしろ訪ねたいのだ。この感覚は日本人には少ないだろうから、その発想の違いが面白い。




【まとめ】

古典 = 前例集




------  仏教の立場からの考察  ------

温故知新の各文字を関数として扱うと、温故知新はその積となる。

温 × 故 × 知 × 新 = 0

∴ 温故知新 = 日々新又日新





2018年10月19日金曜日

為政 第二 10

【その10】

孔子先生がおっしゃった。何をしているのかを視て、何故しているのかを観る。どこで心が安らぐのかまで察するなら、どうして隠し事ができようか。いや、できまい。


老先生が言われた。現在は注意深く、過去は広く、未来は細かく、このように心がけるならば、どうしてその人となりを隠せようか。いや、隠せまい。




【解説】

一言で言えば、人を見るときのコツとなるが、この精度をあげるのが真心である。人は欲目があると、自分にとって都合の良い状況を、客観的な状況と混同させやすい。こうであったらと思いたいがために、そう思える根拠として都合の良い情報ばかりが目につき、自分にとって不都合な情報は軽視しやすいのだ。こういった事は恋人関係で考えると分かりやすい。例えば、あばたもえくぼと言う言葉があるが、恋愛真っ盛りのとき、恋人は何をしても可愛らしく見えるものである。だが、客観的に、あばたはあばた、えくぼはえくぼであろう。恋愛ならば甘酸っぱい経験として微笑ましい部分もあるが、人を見るときにこれでは判断を誤ってしまう。



仮に自分が相手を把握した部分を、

自分 ∩ 相手 

と表すとする。これをXとするならば、

X ⊆ 相手 

よって、

X = 相手 

の時、Xは最大値となる。この時、

自分 = 0 ⇔ 真心




例えば、泣いている子で考えて見よう。子供が泣いていると一言にいっても、泣いている理由は様々で、玩具を買ってもらえずに泣く子もいれば、転んで泣いている子もいる。だから、泣き止まそうにも、まずは泣いている経緯を知らなければとなる。経緯さえ分かれば、どうしたら心が安まるのか察する事ができるから。玩具が欲しければ買ってあげれば良いかも知れないし、転んで擦り傷があるなら治療してあげれば良い。これで子共の考えている事は大よそ検討がついたわけだ。



中国では騙されたほうが悪いと言う話がある。日本では騙す方が悪く、騙されれば被害者と言うのが一般的だが、中国ではその常識が逆だと言う。中国では騙すのは当然で、騙されたほうが間抜けなのだ。そんな調子だから、中国で生きるには、日本以上に相手の嘘を見抜かなくてはならない。基本的に相手はだますのだから、相手がどのように嘘をついているのか見抜く知恵が必須となる。




人は利によって動くと言うが、嘘を見抜く場合も利が決め手となる。例えば、ブランド物が定価の半額だと思って喜んで買ったら、実はまがい物だった何てことがある。残念なかぎりであるが、本来なら何故半額で売れるのかと疑ってかからねばならなかったはずだ。それは、店側に利が無いからで、店は素人ではないのだから、そんなミスをするはずが無い。利で考えれば、半額で売れる事はとても疑わしい状況だが、多くの人は値段の誘惑に負けて、まがい物を掴まされるのである。

では、どんな時も半額で買ってはいけないかと言うと、そうでは無い。店側に半値で売りたい理由、つまり、利があれば良い。例えば、貴方が役人だったとしよう。店側も商売の邪魔をされたくない。役人との揉めごとだけは避けたいとなれば、特別に貴方との取引は半値でお受けしたいとなる場合もある。この場合、店側は少々の事は見逃して欲しいと言っているわけだが、確かに半値で売っても利があるのである。役人である貴方にまがい物を掴ませては目的を達成できないから、本物での取引になりやすい事も大きい。




利が分かれば取引ができる。例えば、玩具を買って欲しくて泣いている子ならば、玩具を買ってあげる代わりにテストで100点を取ったらと条件を付けて見る。そうすると、子は玩具で釣られて勉強を頑張るかも知れない。例えば、ブランド物を半額で譲る代わりに、何かお願いをする。ブランド物が欲しい人ならば、引き受けるだろう。人生は人にお願いしなければならない時もある。騙されないためにと言うだけでなく、相手にお願いするためにと言う方向でも理解しておきたい。




今回、口語訳を2つ示したが、慎重をきすならば過去、現在、未来としっかり抑えたほうが間違いが少ない。点で捉えるのではなく、線で捉えるイメージだ。




【参考】

視は注目、観は広く、察は細かく見ると言う意味。





【まとめ】

相手と一つになると良くわかる。





------  仏教の立場からの考察  ------

欲がなくなってくると、我に邪魔される事が少なくなり、その分相手の欲している事をそのまま受け取れる気がする。

2018年10月16日火曜日

為政 第二 9

【その9】

老先生が言われた。顔回と話していると、終日頷いてばかりで、愚のようだ。しかし、別れた後に省みて、その生活を観察してみると、新たな発見がある。顔回は愚ではない。




【解説】

感覚は言葉には出来ない。例えば、真心が大事と一言に言っても、人によって想像する内容は微妙に異なってくる。真心と言う言葉を使うだけでは、自分の想定している真心が、相手と共有されているかは分からないのである。では、真心の感覚を直に伝える方法は無いのかとなるが、結局のところ生活態度で示すしかない。知識は人を分かった気にさせるが、それは錯覚を含むという示唆を受け取りたい。



真心とは無心、無心とはなりきる事、その時自己は無くなる。よって、これを数字の0で表す。もし、その時、顔回が純なる真心であったと仮定するならば、顔回は孔子と一つである。これを頷くばかりの心と考えて見たい。

真心 = 0 and 顔回 = 真心 

∴ 孔子 + 顔回 = 孔子 



徳行第一と言われた顔回(顔淵)と孔子のやり取りである。顔回は孔子が後継者と目したほどの人物であり、その聡明さには敵わぬとしたほどの男だった。彼は孔子の言った事をきちんと咀嚼し、自分の血や肉としているばかりか、自らの工夫も加えていた。その姿を見て、孔子すら教えられる事しばしばと言う話である。顔回は享年41歳と早世であった。死因は貧しい生活がたたっての栄養失調とされる。




賢者は自分より知恵者の前では口を開かないと言う。恐れを知るからである。




処世術の側面を考えて見る。例えば、後輩なり、部下なり、目下の者が反論してきた場面を想像して欲しい。時と場所を選ばずに反論されるなら、上の者としての面子もある。可愛くない奴と思われても仕方がない。何時の世もイエスマンほど気に入られるものだ。顔回はイエスマンだったから気に入られたわけでは無いだろうが、省みればきちんと基本を守っている点には注目したい。これを君子は事に敏にして、言に慎むと言う。




行動してみると、頭だけで考えていた時には見えなかった事が見えてきて、新たな発見があるものである。理解が進むし、自分なりに工夫もできるようになる。その姿を孔子は端から見ていて、まず教えを守っている事に感心し、次に顔回が加えた工夫を見て啓発された。ここに学ぶべき者の見本を見る。



賢者はどんな者からも学べると言うが、弟子から学ぶ孔子の姿勢も学びたいもの。





【参考】

1、現在では、西洋文化の影響なのだろう。話を聞いているかどうかは、的確な質問によって証明されるとするのが一般的かも知れない。きちんと合槌を打ち、話の合間には質問をする。先生に限らず目上の者は、話した内容を分かってくれたかを心配するもの。その気持ちを察する事ができてこそ良い学生と考えて見たいが、中国の古典の世界では行動にこそ重きが置かれるように思う。この違いに東西の文化の差を感じて興味深い。


2、回は、顔回の事。名を子淵と言うため、顔淵とも言う。


3、発するは、発明と言う意味だが、啓発とも訳す。なお、発するをイメージで捉えると、発明や啓発と訳す雰囲気が味わえる。





【まとめ】

行動は口より雄弁




------  仏教の立場からの考察  ----

言葉の外にでるのが、修行の目的ではなかろうか。頷くばかりの解釈だが、仏教的には、顔回が孔子になりきったと考えても面白い。







2018年10月13日土曜日

為政 第二 8

【その8】

子夏が孝を尋ねると、老先生は言われた。「態度が難しい。仕事があれば弟子はその労に服す。食事があれば先生に差し上げる。同じように接したとして、それで孝と言えるだろうか」と。




【解説】

楽しめるなら上、戒めなら良い調子、真心に気づいて初心としたい。




真心 ⇒ 形式  真

形式 ⇒ 真心  偽

真心 ⊂ 形式



同じ事をしているはずなのに、かたや立派と評され、かたや全然と評される。同じ行動をしても、人によってその印象は変わるものだ。では、それは何故かとなるが、つまるところ、日々の心がけを観られている。何をするかより、どのようにするかが肝なのだ。



弟子に求められるものと、子に求められるものは違う。



君子としての親孝行を考えて見る。例えば、親の仕事の手伝いをし、食事の世話をする子共がいたとしよう。普通は親孝行で感心な子となるはずだ。だが、これが子共では無く、君子だったらどうなるかと言えば、仕事の手つだいや身の回りの世話は召使や女中にやらせるべき仕事となる。だが、身の回りの世話を他人に任せているだけだと、ほったらかしにされていると親は不満を持つかも知れない。かと言って、官僚である自分に身の回りの世話をする時間もない。そこで、態度が難しいともなる。官僚としての親孝行を考えるに、恐らく出世が第一となるのだろう。たまに故郷に錦を飾る瞬間が最高の親孝行だ。そう考えて見ると、弟子が先生の世話をするように親に仕えるようでは、親孝行と言わないのも当然となる。




態度が悪ければ意味が無いという視点で考えて見る。例えば、つまらなそうに仕事の手伝いをしたり、面倒くさそうに食事の支度をしても、親から見れば感じが悪いと言うほかない。だから、親への態度をしっかりしなければ、何をしても親孝行にならないとなる。親の仕事を手伝い、食事の世話をするのは結構な事なれど、嫌な顔せずにとか、さりげなくと言う言葉を忘れては元も子もない。




して欲しい事をしないと意味が無いという視点で考えて見る。例えば、お受験ママだ。彼女にとっては、子を良い学校に入れる事こそ本願である。となれば、子に仕事の手伝いを求めるかという問題がでてくる。親の手伝いをしていたら志望校に合格できないとなれば、彼女はそんな事しなくて良いから勉強して欲しいと言うだろう。すると、親の手伝いをする傍目には感心な子が、彼女からは不良息子に見えてしまう。




余談だが、弟子が先生に対してするように奉仕できれば、孝行と言って良かろうと訳す人もいる。世の中は不思議なの物で、他人だと簡単なのに、親子だと難しいという事がある。先生だと簡単にできても、親となるとそうはいかない。意地を張ってしまったり、恥ずかしかったり、中々素直になれないもの。だから、素直に孝行出来た時、大人と言うのかも知れない。親子は縁が深いだけに色々あるものだ。





【参考】

1、「色難し」の色は見た目の事として、顔つきより広く意味をとって態度と訳した。理由は、体全体のしぐさも意味に含めたかったから。ただ、顔つきとする訳文も多い。また、個人的には、印象を整えるのが難しいと訳したい気持ちもある。


2、「色難し」は主語がないため、誰にとって色難しなのか分からない。そのため、主語が君子の場合、子の場合、親の場合と分けて解釈を示した。





【まとめ】

錯覚いけない、よく見るよろし

by 升田幸三






------  仏教の立場からの考察  ----

本物になると、鐘をつく音で和尚に呼ばれるという話を思い出した。