2018年10月21日日曜日

為政 第二 11

【その11】

老先生が言われた。ふる きを温めて新しきを知る。そういう人こそ師たる資格がある。



【解説】

「故き」を真心とし、「温めて」を真心から離れないの意味とする。そのように生きていると、急に古人の言葉が頭に浮かび、新たな発見をする事が度々ある。そのため、温故知新は真心に気付いた者の実感に思える。「故きを温めて」を、潜在意識に真心が設置された状態としても良いかも知れない。



故 = 古典 

と解釈されるのが通例だが、その言葉の裏に目を向けるなら、

古典 = 真心の発露

と仮定したい。そこで、

故 = 真心 

と考える。


また、

真心 = 無心 ⇔ 無心 = 己を殺す事

であるから、

故 = 己を殺す事

これが古ではなく、故と言う理由と考えたい。



通例、「故きを温めて」を古典に習熟すると言ったほどの意味で解釈し、「新しきを知る」を古典を現代に応用する、又は新しい事柄にも精通すると言う解釈が施されている。


師 = 古典に習熟し、現代に応用できる者

但し、熟は真心を明らかにするの意味とする。




人間は何千年たっても変わらないようで、現在の悩みに意外にも古典が答えをくれたりする。今、自分が悩んでいる事は、往々にして昔誰かが悩んだ事である。そのため、識者が古典に通じるのは、単に酔狂という訳では無い。古典は言わば前例集であるから、ケーススタディとして学んでいるのである。自分が置かれた状況なら、昔の人はどう対応したのかを古典から探しだしヒントを得る。そこで、古きを温めて新しきを知ると言う。そして、そういった過去の前例に通じた人は、困難な状況を切り抜ける糸口を見つけられるから、周りの人の尊敬を受け、以って師となれる。



例えば、恋愛で困っているとする。不安になるときもあろう。こういう時は、友達に相談してみるのも一つの手である。友達ならどうするか聞いたり、友達の経験談を聞くと参考になるものだ。この感覚が「故きを温めて」である。そうして気持ちが落ち着けば、自分がどうすべきかも固まってくる。決心がつくかも知れない。「新しきを知る」のである。ただ、相談相手を友達に限る事はないだろう。書物も参考になる。それも今だけでなく、昔の書物でも良い。恋愛に今も昔も無く、同じことを同じように悩んでいるのが人間なのだから。



孔子の人生は、失われた過去の偉大な王の礼を復興させようとした人生だった事を考えるに、孔子の言う温故知新は、過去の偉大な王の礼は見直すほどに新しい素晴らしさがあると言う意味だったとも思う。儒家の師になるならば、同じ感覚を持ってほしいと考えるのは自然である。





【参考】

1、以て師為る可しを、自分が師となるのではなく、本を師とすると訳す人もいる。座右の書というイメージだろう。


2、温は、温めると訳す場合と、訪ねると訳す場合の両方ある。自分は字のまま温めると訳した。そのほうが、真心のもつ暖かいイメージも含まれると思うから。


3、日本では時代はどんどん良くなると言う方向で考えるが、中国ではその逆に昔は本当に良かったと考えるのが一般的と言う。そういう発想から温故知新を考えて見ると、また違った味わいがある。昔は本当に素晴らしい時代だったから、むしろ訪ねたいのだ。この感覚は日本人には少ないだろうから、その発想の違いが面白い。




【まとめ】

古典 = 前例集




------  仏教の立場からの考察  ------

温故知新の各文字を関数として扱うと、温故知新はその積となる。

温 × 故 × 知 × 新 = 0

∴ 温故知新 = 日々新又日新





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