2018年11月25日日曜日

為政 第二 23

【その23】

子張問えらく、十世知る可きか、と。子曰く、殷は夏の礼に因り、損益する所知る可し。周は殷の礼に因り、損益する所知る可し。其れ或いは周に継ぐ者、百世と雖(いえど)も知る可きなり、と。



【口語訳】

子張が訪ねた。十世後の事であっても知る事は出来るでしょうか?孔子が答える。殷の礼制は、夏の礼制を基にしている。周の礼制も殷の礼制を基にしている。例え周が亡びる事があっても、次の王朝は周の礼制を基にするのだから、百の王朝が変わったとしても分かるよ。



【解説】

この場合、百世たっても変わらない礼とは何かが問題となる。諸行無常という言葉の通り、世の中に永遠のもの等一つ足りと無い。世の常識など百年と言わずとも親と子ですら変わる。にもかかわらず、孔子は百の王朝が変わろうが知る事ができると言う。その心は、中国の本質は時代が変わっても変わらないと理解するとスッキリするかも知れない。

例えば、中国では皇帝が最も徳が高い人物であるから、天から地上の統治を委任されたと考える。そして、天から委任された事をもって、皇帝がする事は全て天の采配と独裁を敷く。基本的に皇帝は何をやっても許されるわけだが、何故そうなるかと言えば、それくらいの強力な権限が皇帝に無いと中国と言う地域は治まらないという事情がある。中国では50を超える民族が共生し、民族の数だけ常識があり、民族の数だけ利権がある。この状況で話し合いをしても、まとまるはずが無い。まとまらねば戦乱になるのだから、民はたまったものではない。故に、圧倒的絶対者の采配に委ねて戦乱を避けたほうが良いと考えるのである。

そして、この状況はいくら王朝が変わらろうが変わらないだろう。ならば、皇帝という絶対者の下で、中国がまとまるという中国の礼制も変わらないと考える。そして、これは統治者側に都合が良いルールであるため、尚の事、王朝が変われど去就される。故に、孔子は百の王朝が変わったとしても分かると言う。



1、曹操と劉備に見る中国の礼制

三国志に曹操が自分が他人に背こうとも、他人が自分に背く事は許されないと言ったという逸話がある。その理由は自分が天子(皇帝)だからである。それ以上でも、それ以下でもなく、曹操の強烈な個性と言うよりは、天子(皇帝)とはそういうものと解釈したほうが中華社会の考え方に近いだろう。

この曹操の発言に対し、劉備は自分は他人が自分に背こうが、自分は他人に背かないと言ったという逸話もある。これを日本では聖人のように紹介している様子だが、中国の文化を知れば、そのような解釈は出来ないのでは無いかと思う。劉備は50歳で諸葛亮を手に入れるまで、鳴かず飛ばずのゴロツキに過ぎなかった。その彼が頼れるのは漢王朝の血を引いているという事だけなのだから、他人が自分に背こうとも、自分は背かないとなる。むしろ、天下の主になるためには背けないと言ったほうが正しいかも知れない。この場合、他人とは漢民族の事であり、異民族は含まない事は当然という認識が良い。



2、時代が変わっても変わらない物を把握する

例えば、前王朝と現王朝の間で、変わったものと変わらなかったものを調べると、その歴史の変遷が見えてくる。前々王朝と前王朝でも同様にすると、前々王朝から現王朝まで変わらなかったものが分かる。変わった習わしより、変わらなかった習わしが特に大切で、今まで数百年と変わらない習わしなら、これから数百年も変わらないだろうと推測できる。故に、百の王朝が変わろうとも知る事ができるとなる。

例えば、中国では親孝行が最も大切な徳目だが、それが時代と共に変わるだろうか?恐らく今後も変わらないだろう。親孝行の在り方は変わるかも知れないが、親孝行が大切な徳目である事は変わらない。ならば、時代が変わっても、親孝行を基にした礼制になるに違いない。



【参考】

1、流行という言葉があるが、時代が変われば、時代に合わなくなったものが引かれ、時代に合うものが新たに加えられるもの。この様を損益と言う。損が引く、益が足すを意味する。


2、世は、王朝と捉えずに、30年と捉える説もある。後者によれば、百世は300年を意味するが、かなり長い時間というニュアンスは変わらない。



【まとめ】

時代が変わっても、人間の本質は変わらない。



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