【その17】
老先生が言われた。由(子路)よ、君に知るを教えよう。知っている事は知っているとし、知らない事は知らないとする。これを知ると言う。
【解説】
老先生が言われた。由(子路)よ、君に知るを教えよう。知っている事は知っているとし、知らない事は知らないとする。これを知ると言う。
【解説】
①
由君、まずは知る事だ。だが、知識を得たからと言って、分かった気になってはいけないぞ。知ったならばよく実践する。すると時機に知らない事にも目がいくようになるだろう。知っていることだけではなく、知らない事にも目が届くようになればより知識がはっきりしてくる。その様をよく味わいなさい。これを知ると言うのだ。
②
まずは真心を掴む事だ(知之)。だが、実践にあっては意識しないことを目指しなさい(不知)。もし自然にできるようなら真心を知っていると言ってよい。
③
知之を真心を知ると解釈した場合、真心には知識としての側面と、体感としての側面があると考えても良い。知識としての真心をとらえれば知っている事は知っているとなるが、体感としての真心は何とも表現しようがなく、知らない事は知らないとする他ない。以って真心を知ると言う。
④
本を読む等、勉学に励めば物知りになると思われがちだが、得られる知識の中には不知も含まれる。それは例えば、白を黒が引き立たせるようなもので、白だけで構成するより、黒い部分があったほうがより白が際立つと言うような話と捉えても良いかも知れない。同じ知識でもその鮮明度には違いがある。
物を知るからこそ、知らない事が多いと意識するようになり、本を読む前より不知を実感する。知っている事は知っているとし、知らない事は知らないとするのは、勉学に励んだ者の持つ実感となる。知るとは、物を知ると同時に、知らぬを知る行為なのだ。物知りな人ほど知らない事は知らないとハッキリ言うし、自信が無い人ほど面子を気にして素直になれないものかも知れない。
⑥
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という諺があるが、勉学に励むほど不知を実感するのなら、自分が不知であるのは当然と軽く考えたほうが実践的かも知れない。
⑦
学んだ事が定着するに従い、あやふやな部分がなくなっていく。あやふやな部分がなくなると、分かっている事と分かっていない事にしっかり線が引かれるようになる。自然と知っている事は知っている、知らない事は知らないとなる。
⑧
由は、孔子十哲の子路の事。子路は名を由と言う。率直な人柄で親しまれたが、孔子が死ぬと予言した通り、衛で内乱に巻き込まれ命を落とした。享年63歳であった。
【まとめ】
意外だが、本を読むと知らぬを知る。
⑧
由は、孔子十哲の子路の事。子路は名を由と言う。率直な人柄で親しまれたが、孔子が死ぬと予言した通り、衛で内乱に巻き込まれ命を落とした。享年63歳であった。
【まとめ】
意外だが、本を読むと知らぬを知る。
------ 仏教の立場からの考察 ------
誰かに聞いた言葉ではなく、自分の体からでた言葉を大切にしよう。
体感 ≧ 知識
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