2018年11月21日水曜日

為政 第二 22

【その22】

子曰く、人として信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車輗(げい)無く、小車軏(げつ)無くんば、其れ何を以て之を行らんや。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。言っている事とやっている事が違う人間が、信頼できた試しは無い。例えるなら、牛車や馬車に横木が無いようなもので、それでどうやって走ると言うのだ。



【解説】

一言で言えば、人間は言行一致が大切という話だが、現代人からすると特殊な比喩を使っているため、その比喩を解説する。下の画像を見て欲しい。






馬の胸の部分を見て欲しい。馬と馬とを繋いでいる横木があるだろう。横木がなければ、双方の馬が同じ方向に走るだろうかと考えて欲しい。素直に想像すれば、片方が右にそれ、もう片方は左にそれれば、前に進めないと考えるのが自然だ。つまり、横木があるからこそ、双方の馬が同じ方向に走り、馬車は安定して前に走れるのである。故に、言っている事とやっている事が違う人間は何をするか分からない事から、横木のない馬車のようなものと評する。

孔子の時代は人を運ぶ馬車を小車と呼び、小車の横木を軏(げつ)と呼んだ。次は大車を紹介する。下の画像を見て欲しい。






見ての通り、荷物を運ぶために小車のサイズが大きくなったものが大車であり、馬車から牛車になる。そして、しっかり横木が備わっている事を確認して欲しい。大車の場合は横木を輗(げい)と呼ぶが、小車の軏(げつ)と同じものだ。同じ横木でも小車と大車では呼び方は変わるという話となる。参考までに絵も紹介しておく。軏(げつ)と輗(げい)は、下の絵の右下の横木で軛(くびき)の事だ。






横木がなく言う事を聞かなくなった車を、言う事とやる事が違う人間に例えた孔子の比喩は秀逸である。言行一致の大切さをみなおすキッカケとしたい。



【参考】

日本人は農耕民族であるから、実るほど頭をたれる稲穂かなと、人を稲穂に例えたりする。だが、狩猟民族である中国では、牛や馬など牧畜の延長で人間を考えたりする。今回の孔子の例え話が何故出てくるのかと言うと、民族性の違いに発端があるのだ。中国と言えば宦官が有名だが、宦官は牧畜で数が増え過ぎないように去勢するように人間も去勢し始めたのが始まりと言われる。彼らは異民族を動物と考える傾向がある事も相まって、孔子も言行不一致の愚かしさを牧畜の延長で例えたわけだ。

日本では宦官がいなかったが、中国に限らず牧畜文化のある国ではアラブであれ、ヨーロッパであれ宦官の歴史がある。これはあくまで説だが、そう考えて見ると、孔子の考え方の一端が垣間見えるようである。



【まとめ】

信用は得難く失いやすい。

by 松下幸之助




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