2018年11月26日月曜日

為政 第二 24

【その24】

子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは勇無きなり。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。祭るべきでない魂を祭るのは、諂(へつら)いだ。正義と知りつつ為せないのは、勇気が無い。



【解説】

死者の魂を祭る話をしているため中国人の死生観から説明すると、中国人は人間は死んでも個性は失われず、地下の世界で生きていると考えている。その彼らにあって、祭るべきでない魂を祭る意味は何かという話を孔子はしているわけだが、素直に考えれば、地下の世界から自分を祟らないで欲しいという気持ちや、死後も貴方に従うから力を貸して欲しいという気持ちの現れであろう。故に、祭るべきでない魂を祭る事が諂(へつら)いとなる。

そして、本来祭るべきでない魂を祭るのは、道義に外れると知りつつも死者にすがりたい、又は死者を怖がるゆえなのだから、臆病者で勇気が無いとなる。



1、生まれ変わりとの比較

まず生まれ変わりの説明をすると、生まれ変わりは輪廻転生とも言い、今世の行いによって死後何に生まれ変わるか変わるという死生観である。その生まれ変わる先が6つあるため、六道輪廻とも言う。これは仏教や儒教より古くからあるインドに伝わる考え方であり、それが中国を通って日本に伝わった。

この生まれ変わりによれば、人は死後に生まれ変わってしまうのだから、死者の魂を祭っても何の利益も無い。なんせ生まれ変わり、別の姿で生きているのだから。そう考えるなら、死後に墓場を作る事も可笑しいとなるし、死者を祭ると言う話もしっくりこない。死者はすでに死者ではない可能性があるからだ。故に、生まれ変わりを信奉する人間からは、孔子のように死者に諂(へつら)うという言葉は出てこない。生まれ変わりと、中国人一般の死生観を比較して欲しい。孔子の言葉への理解が深まる気がする。



2、孝行に反するという視点

孔子は親の死後も3年は喪に服すのが良いと言っているし、親の意を汲んで生きるのが孝行であるとも言っている。その親は地下でご健在だと言うのに、親族以外の魂を祭る息子が孝行息子と言えるだろうか?中国では親孝行が最も尊ばれるため、孔子が諂(へたら)いと斬って捨てるには、孝行に反するという意味もある気がする。

なお、日本には仏壇に自分の家に関係の無い魂を祭ると、ご先祖様が居心地が悪いと霊障を起こすという伝承もある。家に関係のない魂は、例え親であっても同居していなければお寺にお願いするか、墓参りで済ますのが良いとか。



【参考】

1、鬼は死者の魂を意味する。

2、義は己の理想や志の上で正しい事であり、一般的な正しさとは違う。



【まとめ】

普通が一番。


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