2018年11月20日火曜日

為政 第二 21

【その21】

或るひと孔子に謂いて曰く、子奚(なん)ぞ政を為さざる、と。子曰く、書に云う、孝か惟(こ)れ孝、兄弟に友に、有政に施せ、と。是れ亦政を為すなり。奚(なん)ぞ其れ政を為すを為さん、と。



【口語訳】

ある人が孔子に尋ねた。何故貴方は政治をなされないのか?孔子が答える。書を見れば、孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せとあります。家庭もまた一つの政治なのです。すでに政治の場にいる私が、どうして政治をなす必要がありましょうか?



【解説】

書に云う家庭は所謂一般家庭では無く、言わば城であり、小国家となる。背が高い壁に囲まれ、中を見れば望楼と呼ばれる物見やぐらがあり、水濠と呼ばれる足止めの堀、雇われた私兵がいるというイメージになる。故に、家庭も一つの政治となる。



1、弟子を通じた政治参加

孔子は30歳ころから私塾を開き、74歳で死ぬまで弟子の育成に励んでいた。孔子の教えを受けた弟子達は、孔子に感化されて各々士官していった事だろう。ならば、孔子が政治の現場にいなくても、政治は孔子の影響を受ける事になる。故に、家庭(私塾)も一つの政治となる。弟子を通じて政治に参加する事もできるのだ。

この場合、親を孔子として孝、兄弟に友は兄弟子と弟弟子は仲良くと解釈する。



2、政治の基本は家庭にあり

家庭内は基本的に利害が一致する。例えば、父親が偉ければ息子は七光りを受けるものだし、息子が出世すれば父親も楽ができる。兄弟も他人の始まりという言葉こそあるものの利害が一致する事は多く、兄に力があるのに弟が虐められる事は少ないし、逆も然りである。しかし、利益が相反しやすい他人ではこうはいかない。

政治とはある意味で利害を調整する機関である。様々な人の不平不満や要望を、優先順位をつけて調整する。その調整がうまく行けば善政となるし、調整が一方的となり納得がいかない人が多ければ悪政となる。そう考えてみると、最も利害を調整しやすいのは親子間となるし、次いで兄弟間、そして他人の順番と分かる。つまり、親子間で上手くやれない人間が政治をするのは難しく、兄弟間で上手くやれない人間では、他人とも上手くやれないのが自然だ。故に孝行に励み、兄弟に友に、それを政治に施せと書は言う。



3、陽貨説について

ある人は陽貨ではないかと言う説がある。陽貨は孔子が48歳の時に士官させようとした人物であるため、確かにある人が陽貨だとしても自然かも知れないが、陽貨については陽貨編にまとまっているだろう。にもかかわらず、ある人と書くかと言う疑問もある。

個人的には、孔子は69歳まで士官先を探していたと考えているため、70歳以降のやり取りの記録とするのが自然と思う。70歳の孔子ならば、すでに士官を諦め弟子の育成と古典の編纂に集中していたし、弟子達も立派になっていた。そして、政治家としての実績もあり、その頃の孔子が家庭も一つの政治と言ったならば言葉に重みがある気がする。とは言え、若かりし頃のやり取りとしても可笑しくは無いが、70歳の孔子が言った場合とは言葉のニュアンスが変わる。



【参考】

孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せ。この言葉だけならば、親兄弟と接するように政治を行えという意味に思える。一方で、家庭も一つの政治と言われれば、家庭が小国家の意味ならば、士官しない理由はこれだけで十分である。現代風に言えば、仕事が忙しく政治家をする余裕がないと言ったわけだから。しかし、孔子は孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せと言った後に、家庭も一つの政治であると続けている。何故そう繋がるのか?この感覚が興味深い。

察するに、中国の個人主義の裏返しなのだろう。中国では親兄弟も政治の一部と考えるのが一般的ならばスッキリする。中国人を評して、親が亡くなっても泣かないが、お金がなくなれば大騒ぎする中国人と言った人がいたが、政治の一部ならば納得だ。優先順位の高い政治が親であり、優先順位が劣る政治が他人という感覚なのだろう。確かにそういう言い方も出来る。



【まとめ】

親を説得できない人間に、他人は説得できない。

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