2018年11月28日水曜日

八佾 第三 2

【その2】

三家者さんかしゃようを以って徹す。子曰く、たすくるもの辟公へきこう(諸侯)あり。天子穆穆てんしぼくぼくたり、と。なんぞ三家の堂に取らん、と。




【口語訳】

三家老は、雍の詩で祭祀の供え物を下げた。孔子が言う。雍の詩には、祭祀を助ける諸侯がいて、天子は威儀を正し奥ゆかしいとある。この詩がどうして三家老にふさわしいものか。



【解説】

三桓氏(三家老のこと)は祭祀の終わりに雍の詩を用いているが、詩の内容と三桓氏の実態が一致していないと、孔子は批判している。まず詩には祭祀を助ける諸侯とあるが、格上である諸侯がまるで臣下のように大夫である三桓氏の祭祀のために集うわけがない。また、三桓氏は大夫として魯の昭公を助ける役目を担うはずが、助けるどころか討伐して魯から追い出している。こんな詩の内容と反する三桓氏が雍の詩を用いても、自らを天子と言わんばかりと言う所だけが鼻につくのだろう。

孔子から見れば、三桓氏は服を逆さに着ている事に気づかないようなものだから、逆さだよという言葉が喉まででかかったはず。実際、孔子は昭王が魯を追い出され斉に逃れたおり、後をおって自らも斉に行っている。序列を重んじる孔子には、序列を無視した振る舞いをする三桓氏が鼻持ちならなかったのだろう。孔子36歳の時だった。



1、三桓氏の視点から見る

三桓氏からすれば、雍の詩で供え物を下げるのは大変意義がある。周王朝から許された天子と同様の祭祀を自分達が行えば、自分たちこそが魯の正当な後継者にふさわしいと暗に言う事になるからだ。三桓氏は分家の流れとは言え、もともとは王族の一員であったわけだから血筋的にも何の問題もないし、宗家が没落し今権勢を誇るのは我らとなれば、次を望めば自らが王として諸侯の仲間入りをするくらいになる。そこで、力を誇示するために、雍の詩になるわけだ。

ただ、雍の詩を使うと、詩で歌うところの天子は自分達になるため、問題は魯だけにとどまらず、周王朝にすらたてついた事になる。序列を重んじる孔子には、とても許せるような話では無かった。なお、政治的には、周王朝に賄賂を贈れば何とでもなった問題だろうと思う。周王朝は魯に天子級の祭祀を許可していたわけだし、魯内の問題であるならば周王朝は眼をつぶれる。三桓氏が祖先である周公旦を祭りたいと、多額の賄賂を持参するなら周王朝も断れまい。賄賂がちらつくし、周公旦は建国の英雄であるから。



【参考】

1、雍は、詩経の周頌の篇名。

2、徹は、供え物を下げる事で撤饌(徹饌)の意味。

3、穆穆は、威儀があり奥ゆかしいの意味。

4、堂は、儀式を行う場所。寺の御堂の堂。






【まとめ】

表裏、両方から見ると理解が深まる。

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