2018年11月9日金曜日

為政 第二 18

【その18】

子張が禄の求め方を学ぼうとした。老先生が言う。多くを聞きなさい。すると時には疑わしい話を聞く事もある。そういう話は控えなさい。そして、慎んでその他の確かな事について発言すれば非難される事は少ない。また、多くを見なさい。すると時には危うい行いも目にする。そういう行いは控えなさい。そして、慎んでその他の確かな行いをすれば悔いは少ない。発言への非難が少なく、行いに悔いが少なければ、禄は自然と得られる。




【解説】

真偽の疑わしい話をすれば相手に迷惑がかかるかも知れない。危うい行為をしては相手に心配をかけるかも知れない。だから、そういう事はしない。真心から離れずに読むのが良さそうである。



確かな事を慎重にと孔子は言っているが、この慎重にという部分が大切だ。確かと思えば即採用するのではなく、慎重に採用する。間違いがあってはいけないからである。

慎 = 真心の在処




今回は若い子張が孔子に就職相談をした時の話である、士官するための良い方法は無いかと尋ねる子張に対し、孔子は実践的な回答をした。まず見聞を広め、その中から確かと思われるものだけを慎重に真似していれば自然と職は定まるよ、と。その心は、人柄が大切と考えると良いするかも知れない。どんな仕事でも日々の仕事の9割は瑣事である。瑣事をこなすのに特別な能力はいらない。特別な能力は必要ないのだから、求められる資質も責任感であったり、忠実な人柄だったりする。当たり前の事を当たり前にできる人こそ望まれるのである。



自分が誰かに頼み事をする場面を想像してほしい。相手の人柄を見て頼むのではないだろうか。就職も一種の頼み事である。



疑わしい話をしては揚げ足を取られる。危うい行為は人を不安にさせる。就職活動中にあっては選んでもらうために、就職後は後ろから刺されないように必要となる心掛けである。



子張は孔子より48歳若く、孔子から見れば孫かひ孫のような歳であったが、孔子の死後に儒家の一派をなしたほどの人物である。なお、有名な「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の過ぎたるを担当するのが子張でもある。孔子が単に確かな言動をしなさいと言わずに、慎んでしなさいと言葉を足したのには、こういう経緯も見て取れる。



孔子は尚古主義だったとされるが、結局は時の審判をえた言動が一番確かだったのだろう。時間とは残酷なもので、後世には確かな物しか残さない。確実なものにこだわれば、自然と古典にいきつくのだ。現代でも、新しいもので確かなものは少ない。新しいものは数年たつと否定され、悪いものに様変わりする事が多い。孔子の時代も同じだったに違いない。

確かなもの = 古典



葬儀屋という視点で考えると、求められているのは伝統に則った確かな事である。疑わしい言葉、危うい行為は先方を困惑させるだけという側面がある。役人も同じであろう。



地道が近道と思ってみれば、地道は昔道理という意味で使われていたようだ。なるほど、地道が近道は道理であった。



暗い人は暗い人も嫌いだという話がある。自分も暗いくせに、他人が暗いのをみると辛気臭いからあっちに行けとなるものだ。行いに悔いが少なければ、自信を持って明るく生きれるのではないだろうか。就職はつまるところ好き嫌いに決着するため、こういう側面も見ておきたい。





【まとめ】

奇をてらうと禄なことはない。





------  仏教の立場からの考察  ------

余 = 確 = 無心

疑 ⋃ 殆 = 思考




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