2017年11月9日木曜日

孫子の兵法 九地編その2

2、先ずその愛する所を奪え

孫子曰く。「所謂古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相い及ばず、衆寡相恃まず、貴賎相救わず、上下収めず、卒離れて、集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合して動き、利に合せずして止む。

敢えて問う、敵衆整いて来たらんとす。これを待つこと若何。曰く、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速やからなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道に由り、その戒めざる所を攻むるなり。」



【解説】

孫子曰く。「所謂、古の戦上手は、敵の前衛と後衛の連絡(及)を絶ち、大隊(衆)と小隊(寡)が互いに連携(恃)できないようにしたものだ。貴い身分の者と卑(賎)しい身分の者が互いに救い合わないようし、上司と部下をまとめさせず(収)、兵(卒)が離れるよう仕向け、集まるのを邪魔をした。兵がまとまっても(合)隊列は整(斉)わせなかった。そして、自軍に有利ならば動き、自軍が不利ならば有利になるのを待ったのである(止)。

敢えて問う。敵が大軍をもって整然と攻めて来たとしよう。これをどう迎え撃てば(待)良いだろう(如何)?答えるに、先ず敵の大切なもの(愛)を奪えば、敵は言う事を聴くだろう。兵の実情を見れば、速度が大切となる(主)。敵の配慮が及ばない点に乗じ、思いもつかない道を通り、警戒していない所を攻めるのだ。」






戦争とは、相手の嫌がる行為をするもの。それを徹底的にできる者が優れた将となる。敵にとって嫌な奴が名将なのである。この当たり前を確認すると理解しやすい。敵の行為には狙いが必ずあるのだから、基本的には狙いを外すように仕向けるのが良い。

例えば、敵の前衛と後衛の連絡を断ち、大隊と小隊が連携できなくし軍編制の構想自体を無駄にする。貴族と平民、士官と兵卒などの身分の違いによる確執を露見させ、お互い助け合おうとしないよう仕向ける。兵が集まると面倒だから、集まらないよう策を講じ、集まっても隊列の合理性を欠くよう手を入れる。どの行為もやられると嫌な行為だが、これを徹底的にできるのが名将だと孫子は言っている。その上で自軍が有利になった時だけ戦い、不利なうちは徹底的に戦わない。戦争は負ければ全てを失うのだから当然の判断となろう。

だが、此方の思い通りに全て事が運ぶわけでは無い。敵が此方の工作を看破し、整然と堂堂と攻めてきたらどうしたら良いか?その時は、敵の大事なものを奪うと良いそうだ。代表的なものには、例えば補給基地がある。腹がへっては戦は出来ぬという諺があるが、逆に言えば補給基地を壊滅させれば、敵は戦を断念せざる得ないという事だ。ならば、補給基地を攻撃してしまえば良いと孫子は言っているのである。そうすれば、敵は此方の言う通り、撤退しなければならなくなると。

中国の歴史を見てみよう。項羽と劉邦の楚漢の戦いでは、負け続きだった劉邦が項羽側の補給基地攻撃に成功した処から形勢が逆転した。三国志の曹操も袁紹との官渡の戦いでは、鳥巣の食料基地を焼き払う事から圧倒的不利を逆転する糸口をつかんだ。このように補給基地を壊滅させる事からドラマチックな展開が生まれ、現代でも人気のエピソードが生まれている。これぞ勝負の怖さであり、孫子の言わんとする事だろう。

そして、これらを成功させる秘訣は、何よりもスピードである。とろとろやっていたら、敵に身構えられてしまう。劉邦や曹操も、敵の補給基地が手薄だという情報を得て、速やかに攻撃したことを忘れてはいけない。これを孫子の言葉を借りて説明すれば、補給基地を手薄にした敵の至らなさに乗じ、敵が思いもよらなかった方法で、無警戒な所を攻めたのである。こう歴史を振り返ってみると、人は圧倒的有利に立つと、相手をなめて兵糧基地を手薄にする事があるようだ。勝って兜の緒をしめよとは日本の諺だが、なんとも言葉の重みを感じるではないか。

仕事で考えて見よう。今回は忍耐の大切さと言う、少し古めかしい感じもする話を紹介したい。どの種の成功を見ても、忍耐ほど必要とされるものは無いと言われるのを知っているだろうか?我慢しなくて良いと言われたりする時代なので、時代遅れの感覚と思うかも知れないが、成功するのに忍耐が必要なのは間違いない。

例えば、曹操だ。官渡の闘い一つとっても、曹操1万の兵に対し、袁紹は7万である。普通の武将なら諦めたのでは無いだろうか?しかし、曹操は諦めなかった。ここが彼の凄さなのである。曹操は孫子を自ら編集するほどの孫子通であるから、恐らく孫子の兵法の「先ず敵の愛する所を奪えば、則聴かん」を意識したことだろう。絶体絶命の中、彼だけは必死で敵の愛する所を奪う算段をしていた。そして、鳥巣の食料基地が手薄という情報を掴むのである。これが忍耐が勝利を呼び込むという事だ。

そして、忍耐を育む土壌となるのが、一所懸命の精神である。この言葉は今でこそ全力を出すという意味で使われるが、本来は命を懸けて一つの場所を守り抜く決意の意味だ。命を懸けても、この場所は離れない。そういう気持ちで諦めずに戦う姿勢こそが勝利を呼び込むからこそ、今に伝わり様々な場面で重宝されている。本来の意味を知ると、一所懸命と言う言葉への意識も変わるのでは無いだろうか?愚直で不器用な感じではあるが、一所懸命やる。これが基本であり極意なのである。一所懸命から忍耐が生まれ、忍耐が勝利を呼び込む。これが勝利の方程式である。

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