2017年11月12日日曜日

孫子の兵法 九地編その5

5、人をして慮ることをえざらしむ

孫子曰く。「軍に将たるのことは静以て幽、正以て治。よく士卒の耳目を愚にして、これをして知ることなからしむ。その事を易え、その謀を革めて、人をして識ることなからしむ。その居を易え、その途を迂にし、人をして慮ることを得ざらしむ。

帥いてこれと期するや、高きに登りてその梯を去るがごとし。帥いてこれと深く諸侯の地に入りて、その機を発するや、舟を焚き釜を破りて、群羊を駆るがごとし。駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知るなし。三軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、これ軍に将たるの事と謂うなり。九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざるべからず。」



【解説】

孫子曰く。「軍の将に求められる資質は、冷静であり、人からは容易に知れない奥深さ(幽)を持ち、公正な判断をもって軍を統治出来る事である。士官や兵卒には本当のことを言う必要は無い。耳目を偽り(愚)、彼らに本当のことを知られないようにする。作戦に関する事は変(易)えながら、策謀を革新し、兵士(人)に本当の狙いを知(識)られてはならない。軍の駐屯地も変(易)えながら、辿る道順も迂回し、兵士(人)が本当の狙いを推察(慮)できるようではならない。

軍を率(帥)いて、作戦行動の目星がついたなら(期)、高い所に登らせて梯子を取り去るように逃げ道を無くすのが良い。軍を率(帥)いて、敵地(諸侯)へ深く進攻し、機会を捉え決戦に踏み切るならば(発)、舟を焼き(焚)、釜を破り、羊の群れを追い駆けるようにすると良い。兵士達は駆り立てられ、行(往)ったり来たりするが、どの場所に行(之)くのかは知らない。

上、中、下軍(三軍)を集(聚)めて、必死に戦う他ない危険な場所に投入する事が、将たる者の仕事となる。そのため、九種類の地形の違いによる戦術の変化、押すべきか退くべきかの利害(屈伸)、人情の機微(理)を察しない事があってはならない。」






今回は孫子が将に求められる資質や、将と兵の理想的な関係について説いている。



その1、将たる者の資質

将たる者は冷静であり、思慮深く、公正な判断で軍を治めねばならないそうだ。そして、作戦行動に関しては秘密主義を徹底し、兵が分かるようではならないらしい。作戦はその都度変化し、策謀は改められ、駐屯地は変わり、辿る道順も迂回し、兵にさえ狙いを知られてはいけないと孫子は説いている。それぞれ理由を考えて見よう。

まず冷静沈着であるが、逆に熱しやすかったら、すぐ挑発に乗ってしまうだろう。どんな時も冷静沈着であるのは、敵の謀略を防ぐ意味で当然求められる資質だと思われる。次は思慮深さであるが、これ説明するのに孫子は幽と言う字を使っている。幽には考えが推し量れないという意味があり、まさに将たる者に必須と言える資質かも知れない。考えを読まれてしまっては対策を打たれてしまうのだから、幽であることは大切である。

公正な判断は、えこひいきに関する懸念だろうか?人はルールが公正に適用されれば、例え負けても納得するものだが、ルールにえこひいきを感じると全く納得できなくなるもの。つまり、えこひいきは軍の士気に直結するから、士気の高い軍を作りたければ公正な判断は必須となる。

秘密主義は、一つはスパイに対する懸念もあるだろう。自軍に敵のスパイが紛れ込んでいる可能性を考えれば、作戦行動を懇切丁寧に教えてる場合ではない。そして、高度な戦術は一般人に理解できないから高度なのであるから、兵に理解してもらえるまで待って作戦に移るのでは、時間がかかりすぎて現実味がないとも言える。例えば、将棋の名人の手を読めたら名人と言う話だ。誰も読めないからこその名人である。

さらに、兵が逃げる事への懸念も考えられる。これから死地に向かうと伝えて、素直に死地までついてくる兵がどれくらいいようか?普段は農民をやっている者を兵にしているのだ。逃げられるのが落ちである。こういった諸々を見て、秘密主義は必須となる。



その2、将と兵の理想的な関係

一言で言えば、羊飼いと羊の関係と孫子は捉えているようだ。羊は何も考えない。ただ、前の羊について行くだけである。その姿に彼は理想的な兵の姿を見ている。ただ、そうは言っても兵は人間である。羊のようになれと言っても、なかなか上手くはいかない。そこで逃げ道を無くし、兵の選択肢を戦う一択にすれば羊も同然と孫子は説いている。

日本でも梯子を外すという言葉が政治の世界で良く使われているが、孫子も兵に対して梯子を外すことを薦めている。戦う時は船を焼き、鍋を壊し、逃げる事への未練を断つ。さすれば、兵は戦って生き残る以外に生きる術がないのだから、後は羊飼いの如く操作せよというわけだ。この時、兵は何も分からず、ただ生き残るために目の前の敵と戦う事になる。



その3、将軍の務め

孫子は、将の務めは全軍を危険な場所に投入する事だと説く。そのためには、9種類の地形ごとの戦術の違いを良く把握し、押したり引いたりの判断、人情の機微に長けていなければならないそうだ。

将棋の故・米長邦雄永世棋聖が生前、バランスだけが生命線という言葉を残している。察するに、苦しくてもバランスを失わなければ勝負は分からないという教えだろう。それこそ、敵は必ず間違えるの確信のもと、バランスだけは逸しないように指すのである。それだけ人間は間違える生き物なのだ。全て正解の手を指せば敵が勝つ。だが、真剣勝負の最中、さまざななプレッシャーを跳ねのけて正解の手を指し続けるのは難しい。これが孫子の説く、押したり引いたりの心だと思われる。

人情の機微は、時には兵の忠誠心を高めるし、時には敵の心情を計ることが作戦に役立つ。例えば、鼠とりなども、鼠の心理を読んだトラップとなる。罠は相手の心理をよく推し量ったほうが成功するのである。



現代で孫子の兵を羊に見立てる話と似た効果を発するものに、借金がある。借金には一つの効果がある。それは返さないと破産になるため、人を強制的に働かせるという点である。孫子流に言えば、借金と言う死地が、人を羊の如く働かせるのだ。そして、必死で働くから人間も成長しやすいが、破産して露頭に迷う人も出てくる。これが借金の促す効果である。孫子の兵法は、借金で使われていると言えるかも知れない。

教育ローンを例にとれば、借金を背負った学生がガムシャラに働くとも言える。だが、やる気をなくし社会に絶望するかも知れない。こういう視点を持つと視野が広がるだろう。冷徹な視点では、学生を死地に投入するという意味合いもあるのである。最近、教育費の国庫負担が叫ばれる大きな要因であろう。




---- 以下、余談 ----

孫子は兵を羊に見立て、兵を追い立てれば良いという説明をしているが、会社組織にはそぐわないような気がして、あえて借金の話を紹介した。孫子が前提としている状況は、10万の農民を即席で使える兵としなければならない状況だから、農民の能力に期待する事はせず、死地に放り込んで彼らの生存本能に働き替えたほうが良いという話となる。昨日まで素人だった農民に、今日は屈強な兵として戦えと言っても通常は栓無き事である。だから、死の恐怖によって、無理やり彼からの力を引き出す他ないのだろう。しかも、数も10万もいるのだから。

会社組織で10万人の従業員を抱える場合を考えて見よう。この場合のトップは追い立てるという表現よりは、従業員を信じて祈るという表現が適切だろう。従業員は昨日まで農民をやっていた人間では無い。言わば古兵である。古兵の力を信じ、後は神に祈る。それでこそ、従業員との信頼関係が築けよう。



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