2017年11月21日火曜日

孫子の兵法 火攻編その3

3、火攻めと水攻め

孫子曰く。「故に火を以って攻を佐くる者は明なり。水を以って攻を佐くる者は強なり。水は以って絶つべく、以って奪うべからず。」



【解説】

(火攻めの変化、注意点を網羅するとして)

孫子曰く。「故に火を攻撃の助(佐)けに出来る者は聡明である。水を攻撃の助(佐)けに出来る者は、水勢の強大な力を得よう。ただ、水は敵を断(絶)つ事はできるが、奪うには至らない。」






孫子が火攻めと水攻めを比べていると思え良い。ただ、結論を言えば、何方も一長一短だ。例えば、火は敵の資源を燃えて奪うが、敵の資源を奪いたい時に火攻めは適さないだろう。水攻めで敵の城が壊れる事はないかも知れないが、そのお陰で水が引けば城をそのまま利用できる。火と水の性質を良く知り、状況に応じて、火攻めと水攻めを使いこなせる者が有能と言えよう。



その1、火攻めの性質

火攻めはただ燃やせば良いという訳では無い。風など様々の要因を計算しなければならないため、聡明さを求められる攻撃となる。たき火で火をつけるのとは違うのだ。時には敵と内応しなければならないし、火を利用した罠の可能性も看破しなければならないし、風の吹き方も計算にいれねば不発に終わる事を知っておかないといけない。

ただ、成功すれば威力は甚大で、燃え盛る火は如何ともし難く、敵や物資を焼き尽くしてしまう事だろう。そして、敵兵からも徐々に士気がなくなって行く。ある者は焼かれる恐怖のあまり、ある者は食料が焼かれ尽きるのを見て。まさに奪うという文字がピッタリとくるような状況となるから、昔の人はこれを気を奪うと言った。気はエネルギーの事だと考えれば、火攻めはエネルギー(気)を奪う行為とも言えるのだ。



その2、水攻めの性質

水攻めの明快なイメージは、床上浸水では無いだろうか?大雨で洪水が来たことをイメージして欲しい。これを人為的に引き起こすのが水攻めである。水攻めをされると、人は瞬間に呆然とする。例えば、城攻めを考えて見よう。朝起きたら自分のまわりが水浸しになっている。逃げようにも動けないし、攻撃しようにも動きを封じられている。食料も水につかって食べれなくなる。なんせ肥溜めの糞尿まじりの水だ。そして、水が体温を奪うにつれ敗北を実感するのである。

これを気を断つと言う。補給路が断たれ、逃げ道が断たれ、備えが断たれ、攻撃が断たれ、気持ちが断たれる。人を含めすべてはエネルギー体と考えれば、エネルギー(気)の流れが断たれ、孫子の言うように強の文字にふさわしい攻撃となる。ただ、水による攻撃は城を流しはしない。城全体が水につかるだけである。そういうイメージを「奪うには至らず」と孫子は表現しているのだろう。



その3、コストによる比較

火攻めにくらべると、水攻めは手間がかかるかも知れない。城を攻めるなら、大河の流れを変える土木作業が必要だろうし、その作業中に敵の妨害をされないように警備も必要だ。火攻めは火をつけるだけなため、タイミングさえ計れるなら難しいことは無い。火矢でも良いし、薪をもって行き火をつけても良い。ただ、火攻めは敵の防衛部隊の隙を突いて、安全に火を放てる環境を整えるのが難しく、水攻めは土木工事さえできるなら人には防ぐ手立てがないだろう。

過去の歴史を見ても、水攻めより火攻めのほうが多いことから、火攻めのほうが準備が簡単なのは間違いない。日当たりの良い高地が基本の頓営への攻撃は、水攻めという訳にもいかないから火攻めが主になる気がするが、城攻めの場合は敵城を焼く事が良いかは何とも言えない。戦後処理を含めて考えれば、敵城を我が城として活用できるのが最も良いのだから、その点では水攻めが勝ろう。

こう考えて見れば、火攻めと水攻めは何方が良いというものでは無く、状況に応じて使いこなす性質のものなのである。なお、城を攻略した水攻めは、蒼天航路という漫画でも描かれた曹操の呂布戦、それ以外だと土袋1万で即席のダムを作った韓信が有名であろう。韓信は逃げるふりをしながら敵を誘い出し、十分に引き付けたのを見てダムを決壊させた。逃げ惑う韓信を追ったら、そこに大量の水がきたというから驚きである。敵は大半を飲み込まれたそうだ。こうした韓信の名声は麻雀になり、今なの国士無双の夢を提供している。



仕事で考えて見よう。仕事でも火攻めと水攻めを使いこなす感覚は大切だ。時には烈火のごとく無我夢中で働く事も必要だが、時にはダムが水をためるように力を蓄える時期も必要である。人生は山あり谷ありと言われるように、右肩上がりの時期があれば、停滞する時期も必ずある。この必ずという言葉に着目して欲しい。

失敗すると、こんなはずでは無かったと言う人がいる。子共なら志望校に落ちて、大人なら出世コースから外れて、事業に失敗してだ。しかし、考えてもみて欲しい。どんな人間も100戦して100勝とはいくまい。ならば、自分の人生は停滞するはずが無いと計算してはいけない。本来は停滞を避けられないのが人生である。

貴方は命ある存在だが、命と言う字はどう書くか?人の下に数字の一を書き、叩くと書くだろう。つまり、命ある人間は一回は叩かれる。停滞は人生にはつきものと字に書いてあるではないか。停滞せぬ人生など無いのだから、例え停滞しても肩を落とす必要は無い。必ず来るその時が、今来ただけ。無いという事が無いと気づく事が肝要なのである。ある時は烈火のごとく、ある時は水をためるがごとく。人生も火攻めと水攻めである。

なお、国士無双で有名な韓信は、股くぐりでも有名だ。若い頃何もしないでブラブラしていた韓信は、ある時暴漢に絡まれ、俺を斬るか股をくぐるか選べと言われる。そして、韓信は股をくぐって笑い者にされたのである。これが世の中に2人といない意をもつ国士無双の韓信の若かりし頃の姿である。その後、項羽に使えるが活躍の機会を得られず、ならばと劉邦の元に行ったが処刑されそうになったり、彼の人生は七転び八起である。だが、彼は時を得てなお、国士無双として麻雀になっている。火の如く輝かしい実績に、停滞が妙味を加えるのが人生なのである。



---- 以下、余談 ----

日本では秀吉の高松城への水攻めが有名だ。
http://www12.plala.or.jp/rekisi/takamatujyou.html


0 件のコメント:

コメントを投稿