2017年11月11日土曜日

孫子の兵法 九地編その4

4、呉越同舟

孫子曰く。「故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは常山の蛇なり。その首を撃てば則ち尾至り、その尾を撃てば則ち首至り、その中を撃てば則ち首尾倶に至る。敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか。曰く、可なり。

それ呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済り風に遇うに当たりては、其の相救うや左右の手の如し。この故に馬を方べ輪を埋むるも、未だ恃むに足らず。勇を斉えて一のごとくするは政の道なり。剛柔皆得るは地の理なり。故に善く兵を用うる者は、手を携りて一人を使うがごとし。已むを得ざらしむればなり。」



【解説】

前提条件

  • 休息十分な決死の覚悟の兵がいる。
  • 敵には状況を悟られていない。


孫子曰く。「したがって、戦上手は例(譬)えるなら卒然のようである。卒然とは常山に住む蛇であるが、その蛇は首を攻撃すれば尾で反撃し、尾を攻撃すれば首で反撃し、真ん中を攻撃すれば首と尾の両方で反撃する。敢えて問う。兵を卒然のように出来るだろうか?答えるに、可能である。

呉国の人と越国の人は互いに嫌っているが(相悪)、同じ船に乗り合わせ渡(済)り風で船を煽られるなら(遇)、お互い救い合うかのように、左右の手のごとく協力しあうだろう。人間の心理とはこういうものだから、馬を並(方)べてつなぎ、戦車の車輪を埋めて陣を固めるだけでは、まだ頼(恃)りとするには足りない。

兵士全体の勇気を奮い立たせ一丸とするのは、軍の政治の力が必要である。剛強な者も、柔弱な者も合わせて力を発揮するには地の性質(理)を良く知る必要がある。この事を良く知っているが故に、戦上手は手を携えるが如く軍を連携させ、まるで一人の人間使うかのような用兵になる。兵を止(已)むを得ない状況に追い込むからだ。」






優れた用兵は蛇に例えられるそうだ。蛇は頭を攻撃されれば尾が巻き付いてくるし、尾を攻撃されれば頭に嚙みつかれる。では、腹ならどうかと言うと、頭と尾の両方から攻撃を受けてしまう。蛇の瞬発的な対応力には恐るべきものがある。もし、この蛇のごとく兵を動かせたなら、敵は何処かを攻撃すれば、別の場所から反撃を受ける事になり崩壊することだろう。

ただ、出来ればである。それが出来たら苦労はしないわけだから、「敢えて問う」と孫子が王に聞かれている。孫子は今も残っている呉越同舟の逸話で答えた。「呉国と越国は国民同士も仲が悪い事で有名ですが、彼らとて同じ船に乗り合わせた時に、船が強風で煽られたならどうするでしょうか?命を捨ててまで協力しないという訳にもいきますまい?恐らく、左右の手のごとく協力しあうはずです。」

人間の心理はこういうものだから、馬を杭につなぎ並べ、戦車の車輪を埋めて陣を固めても未だ頼りにするには足りない。どんなに屈強な砦を作っても、それを動かすのは人間である。人間に火を入れてやらねば、屈強な砦も全く機能しない。人を勇気づけ、奮い立たせるのは軍の政治の仕事である。そして、剛強な者も、柔弱な者も等しく力を発揮させるには地の性質を上手く利用する必要がある。例えば、死地に放り込めば、人は言われなくても獅子奮迅の働きをするのだ。

戦上手はこの事を良く知っているため、手を携えたが如く軍が連携するし、まるで1人の人間を指揮するかのような一糸乱れぬ用兵となるのだ。人はそうせざる得ない状況になれば、言われなくてもそうする事を上手く利用するからだ。

人間関係を考えて見よう。イジメはいけないから無くそうと昔から叫ばれているが、一向になくならないイジメだが、特効薬的なイジメの解決策に呉越同舟の戦略がある。例えば、イジメっ子とイジメられっ子を2人でキャンプに行かせるのだ。そうすると、2人で協力しないとキャンプは出来ないものだから、お互いが歩み寄るようになる。キャンプという状況がそうさせるのだから、呉越同舟である。

イジメていた側は気に入らないからイジめる。だが、2人でキャンプをしてみると、相手の良い処が段々見えてくる。そんな悪い奴じゃないと思うようになり、イジメがなくなるのである。これは昔から言われている事だが、孫子の兵法そのものと言えよう。可愛そうと慰めてあげるのも良いが、こういった実利に適った事も大切では無いだろうか?

仕事でも人間関係は大切だが、仕事は辞めても死にはしないため、呉越同舟という訳にもいかない事が多いだろう。だが、相手を気に入らない場合、それは先入観による場合が多い事は知っておきたい。考えてもみて欲しい。その嫌いな相手にも、家族がいて、友人がいて、恋人がいる。本当に存在そのものが嫌な奴なのだろうか?貴方が嫌だと思っているだけなのである。

相手を嫌っている人に、こんな話をしても中々聞いてもらえないが、貴方が楽になる話だから聞いて欲しい。騙されたと思って、「許します」と一日100回くらい唱えてから会社に行ってみて欲しい。一日では効果がないだろうが、1週間、1か月と続けると恐らく効果がでてくる。人間は意識の問題である。常に許すと意識するようにすると、勝手に相手を許せるポイントが見つかるもの。だから、無理やり許す事を意識づけるために、100回唱えるのである。(回数は50回以上は自由、人によっては千回唱える人も)

こういったテクニックを駆使すると、楽に生きれるようになるだろう。貴方は許すのが仕事で、やり返すのは天の仕事である。許せなくても何も変わりはしない。苦しいだけである。ならば、許してしまおう。後は天にお任せすると、自然と運が向いてくる。

0 件のコメント:

コメントを投稿