3、地形は兵の助けなり
孫子曰く。「それ地形は兵の助けなり。敵を料りて勝ちを制し、険阨遠近を計るは、上将の道なり。これを知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、これを知らずして戦いを用うる者は必ず敗る。故に戦道必ず勝たば、主は戦うなかれと曰うとも必ず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも戦うなくして可なり。故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、ただ民をこれ保ちて而して利、主に合うは、国の宝なり。」
【解説】
孫子曰く。「地形とは、兵の助けとなるものである。敵状を良く把握し(料)勝ちをおさめる(制)ためには、地形が険しいのか平坦なのか、狭(阨)いのか広いのか、遠いのか近いのかの各条件を計算した作戦を立案するのが良く、それが上将たる者の役目となる(道)。これを知り、地形を有利に活用できる者が戦えば必ず勝ち、これを知らず、地形を兵の助けにできない者が戦えば必ず負ける。
故に戦の道理に照らして必ず勝つのであれば、君主が戦うなと言おうとも必ず戦うべきである(可)。逆に戦の道理に照らしてまず勝てないならば、君主が戦えと言おうとも戦うべきではない。自ら進んで名声を求めるのではなく、退却するべき時は退却し罪を避けようとせず、ただ人民の安全を請け負い(保)当然のように(而)君主の利益となる(合)ような将は、国の宝である。」
地形には、有利と不利がある。端的に言えは、孫子が言わんとする事はこれだけである。有利と不利があるのだから、常に有利を心がければ勝ちやすいし、常に不利な状態で戦えば損害は大きくでる。そのため、将たる者は作戦立案の段階で、地形上の有利不利をしっかり考慮するようにと孫子は指摘している。これは地形によって勝敗が左右される事を知る者にとっては当然の話だし、知らなければ勝てないのも、地形によって勝敗は左右されるのだから当然となる。
そして、孫子は再度、君子の口出しを敗因としてあげている。戦に勝てるかどうかは戦の道理に照らして、例えば地形上の有利を得ているから勝てるのであって、君子が偉大だから勝てるのではない。したがって、勝敗は戦の道理に照らして判断するべきであり、君子の口出しで決めてはならない。勝てるのが道理なら戦い、負けるのが道理なら戦わない。
ただ、そうすると君子との関係がギクシャクするかも知れない。勝てば疎まれ、負ければ罰を覚悟せねばならない。しかし、兵の命をより多く助ける事、人民の命を助ける事こそ君子の利益なのだから、名声を得ようとするのではなく、罰を恐れるのでなく、唯々戦の道理に従う者こそが国の宝であると、孫子は指摘している。
孫子の言っている事は真にその通りだが、実際は絶対権力者の君子に逆らうのは好ましくない。名声云々もさることながら、下手すると命の危険まである。そのため、将たる自分の意見を君子が採用するように誘導できる将が、現実的には優れた将と言えるかも知れない。君子が口を出そうとも、自分と同じ考えであるならば問題ない。ここら辺が君子対策の抜け道となろう。
また、名将の生きる道は優れた敵あればこそである。通常、名声を得る事は良い事だが、敵がいなくなると国内の権力闘争では邪魔とされるようになる。名声の元に人望が集まるが、それを君子が見たらどう思うだろうか?自分に取って代わられるとおびえ始めるのも、過去の歴史を見れば明らかである。そのため、真の名将たるには引き際も心得ていなければならず、自分の身分は優れた敵あればこそと言う事も忘れてはならない。
中国の古代史を見ると、秦の中華統一に大きな貢献をした王翦と言う希代の名将がいる。彼は秦の始皇帝の疑い深さを見抜いて、戦の報酬を何度も確認し、自分は単に欲の深い人間で天下に興味はないと思わせたと言う逸話が残っている。戦場から使者を送ってまで、何度も繰り返し報酬の確認をする王翦に、始皇帝もあきれたそうだ。しかし、だからこそ始皇帝の警戒心を解く事ができたのだ。名将の存在は、優れた敵があればこそ。優れた敵のいなくなった名将など、ただ疎まれるだけの存在になると言う事を、王翦は良く知っていたのである。
仕事で考えて見よう。大企業による不正のニュースが流れる事が多くなった。最近流されているニュースの大概は国際政治のあやであり、日本の政治的不甲斐なさを感じるものが多いが、それでも不正は不正である。大いに反省しなければならないだろう。
不正にも、まず初めがあるものだ。初め誰かが不正をし、大概はそれが見逃される事から始まる。見逃す側の気持は分らないでもない。余計な面倒ごとに巻き込まれたくないだろうし、上司の建前指摘出来ない事もあるだろう。だが、結果として、それがTVを騒がすニュースにまで発展させるのだ。面倒事に巻き込まれないはずが、大規模リストラである。何をやってるんだか分からないだろう。
孫子の兵法を活かすなら、罰則を恐れず不正を止め、例え相手が上司であれ不正はいけないと襟を正す。それが本当に会社の為になるのである。不正をし始めると、見つかるまで止めれないもの。止めれるなら、TVにかぎつけられる何てことにならない。何度も不正を繰り返すうちに、会社を面白く思わない内部の者からリークがあり、ああいった大ニュースに発展するのである。最初に止めて置けばかすり傷で済む事を忘れてはいけない。
本当の宝とは、名声のために仕事するのではなく、会社のために仕事をしていたら名声がついてきたという人物であり、罰則を恐れて判断を間違う事の無い人物である。孫子の言う事にも一理あろう。経営者は会社にとって大切な人物を間違えないよう、雇われる側は不正は絶対にばれるという認識をもち、特に上を上手く説得力する力を磨くのが現実的かと思う。
---- 以下、余談 ----
不正が見つかると言う話に関連するのだが、PCは情報がのぞき放題と言う話を知っているだろうか?スマートと名がつくものは持つなと警告されている事を知っているだろうか?どちらも公共のもので、情報は共有されているという認識の元で使わないといけない。決してプライベートなアイテムとは思わないほうが良いだろう。詳しくは検索して欲しい。参考までに。
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孫子曰く。「それ地形は兵の助けなり。敵を料りて勝ちを制し、険阨遠近を計るは、上将の道なり。これを知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、これを知らずして戦いを用うる者は必ず敗る。故に戦道必ず勝たば、主は戦うなかれと曰うとも必ず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも戦うなくして可なり。故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、ただ民をこれ保ちて而して利、主に合うは、国の宝なり。」
【解説】
孫子曰く。「地形とは、兵の助けとなるものである。敵状を良く把握し(料)勝ちをおさめる(制)ためには、地形が険しいのか平坦なのか、狭(阨)いのか広いのか、遠いのか近いのかの各条件を計算した作戦を立案するのが良く、それが上将たる者の役目となる(道)。これを知り、地形を有利に活用できる者が戦えば必ず勝ち、これを知らず、地形を兵の助けにできない者が戦えば必ず負ける。
故に戦の道理に照らして必ず勝つのであれば、君主が戦うなと言おうとも必ず戦うべきである(可)。逆に戦の道理に照らしてまず勝てないならば、君主が戦えと言おうとも戦うべきではない。自ら進んで名声を求めるのではなく、退却するべき時は退却し罪を避けようとせず、ただ人民の安全を請け負い(保)当然のように(而)君主の利益となる(合)ような将は、国の宝である。」
地形には、有利と不利がある。端的に言えは、孫子が言わんとする事はこれだけである。有利と不利があるのだから、常に有利を心がければ勝ちやすいし、常に不利な状態で戦えば損害は大きくでる。そのため、将たる者は作戦立案の段階で、地形上の有利不利をしっかり考慮するようにと孫子は指摘している。これは地形によって勝敗が左右される事を知る者にとっては当然の話だし、知らなければ勝てないのも、地形によって勝敗は左右されるのだから当然となる。
そして、孫子は再度、君子の口出しを敗因としてあげている。戦に勝てるかどうかは戦の道理に照らして、例えば地形上の有利を得ているから勝てるのであって、君子が偉大だから勝てるのではない。したがって、勝敗は戦の道理に照らして判断するべきであり、君子の口出しで決めてはならない。勝てるのが道理なら戦い、負けるのが道理なら戦わない。
ただ、そうすると君子との関係がギクシャクするかも知れない。勝てば疎まれ、負ければ罰を覚悟せねばならない。しかし、兵の命をより多く助ける事、人民の命を助ける事こそ君子の利益なのだから、名声を得ようとするのではなく、罰を恐れるのでなく、唯々戦の道理に従う者こそが国の宝であると、孫子は指摘している。
孫子の言っている事は真にその通りだが、実際は絶対権力者の君子に逆らうのは好ましくない。名声云々もさることながら、下手すると命の危険まである。そのため、将たる自分の意見を君子が採用するように誘導できる将が、現実的には優れた将と言えるかも知れない。君子が口を出そうとも、自分と同じ考えであるならば問題ない。ここら辺が君子対策の抜け道となろう。
また、名将の生きる道は優れた敵あればこそである。通常、名声を得る事は良い事だが、敵がいなくなると国内の権力闘争では邪魔とされるようになる。名声の元に人望が集まるが、それを君子が見たらどう思うだろうか?自分に取って代わられるとおびえ始めるのも、過去の歴史を見れば明らかである。そのため、真の名将たるには引き際も心得ていなければならず、自分の身分は優れた敵あればこそと言う事も忘れてはならない。
中国の古代史を見ると、秦の中華統一に大きな貢献をした王翦と言う希代の名将がいる。彼は秦の始皇帝の疑い深さを見抜いて、戦の報酬を何度も確認し、自分は単に欲の深い人間で天下に興味はないと思わせたと言う逸話が残っている。戦場から使者を送ってまで、何度も繰り返し報酬の確認をする王翦に、始皇帝もあきれたそうだ。しかし、だからこそ始皇帝の警戒心を解く事ができたのだ。名将の存在は、優れた敵があればこそ。優れた敵のいなくなった名将など、ただ疎まれるだけの存在になると言う事を、王翦は良く知っていたのである。
仕事で考えて見よう。大企業による不正のニュースが流れる事が多くなった。最近流されているニュースの大概は国際政治のあやであり、日本の政治的不甲斐なさを感じるものが多いが、それでも不正は不正である。大いに反省しなければならないだろう。
不正にも、まず初めがあるものだ。初め誰かが不正をし、大概はそれが見逃される事から始まる。見逃す側の気持は分らないでもない。余計な面倒ごとに巻き込まれたくないだろうし、上司の建前指摘出来ない事もあるだろう。だが、結果として、それがTVを騒がすニュースにまで発展させるのだ。面倒事に巻き込まれないはずが、大規模リストラである。何をやってるんだか分からないだろう。
孫子の兵法を活かすなら、罰則を恐れず不正を止め、例え相手が上司であれ不正はいけないと襟を正す。それが本当に会社の為になるのである。不正をし始めると、見つかるまで止めれないもの。止めれるなら、TVにかぎつけられる何てことにならない。何度も不正を繰り返すうちに、会社を面白く思わない内部の者からリークがあり、ああいった大ニュースに発展するのである。最初に止めて置けばかすり傷で済む事を忘れてはいけない。
本当の宝とは、名声のために仕事するのではなく、会社のために仕事をしていたら名声がついてきたという人物であり、罰則を恐れて判断を間違う事の無い人物である。孫子の言う事にも一理あろう。経営者は会社にとって大切な人物を間違えないよう、雇われる側は不正は絶対にばれるという認識をもち、特に上を上手く説得力する力を磨くのが現実的かと思う。
---- 以下、余談 ----
不正が見つかると言う話に関連するのだが、PCは情報がのぞき放題と言う話を知っているだろうか?スマートと名がつくものは持つなと警告されている事を知っているだろうか?どちらも公共のもので、情報は共有されているという認識の元で使わないといけない。決してプライベートなアイテムとは思わないほうが良いだろう。詳しくは検索して欲しい。参考までに。
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