2017年11月14日火曜日

孫子の兵法 九地編その7

7、死地に陥れて然る後に生く

孫子曰く。「この故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林、険阻、沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。四五の者一を知らざれば、覇王の兵にはあらざるなり。それ覇王の兵、大国を伐たば、則ちその衆聚まることを得ず。威、敵に加うれば、則ちその交わり、合することを得ず。この故に天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、己れの私を信べ、威、敵に加わる。故にその城は抜くべく、その国は堕るべし。

無法の賞を施し、無政の令を懸け、三軍の衆を犯すこと一人を使うが若し。これを犯すに事を以ってし、告ぐるに言を以ってすることなかれ。これを犯すに利を以ってし、告ぐるに害を以ってすることなかれ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。それ衆は害に陥りて、然る後によく勝敗をなす。」



【解説】

前提条件

  • おかれている状況によって、用兵は変わる。(九地)
  • 兵は死地になれば、異常な力を発揮する。


孫子曰く。「したがって、外国(諸侯)の腹の内(謀)も知らない者では、予め外交して有利な戦況を作る事は出来ない。山林や絶壁などの険しい場所(険阻)、沼沢地(阻沢)を知らない者では、軍を行軍させる事もままならない。土地に詳しい者(郷導)を先導者として用いない者に、敵に先んじて地の利を得られるはずが無い。以上、戦場によって4者から5者と必要な要素は変わるが、この内一つでも知らないものがあれば覇王の兵とはなら無い(非)。

覇王の兵が大国に攻め入れば(伐)、その国は兵を集める事(衆聚)もままならない。威圧を敵国に加えれば、敵国は同盟(交)を結ぶ(合)事もままならない。そのため、諸外国(天下)と外交を争うことなく、天下の覇権を養わずとも、己の思いのままに振る舞えば(私信)、それが威圧となり敵を圧倒する(加)。だからこそ敵の城が落ち(抜)、敵国を滅ぼす事が出来るのだ(堕)。

通例(法)に無い報奨を与え(施)、臨時(無法)の規則や命令を駆使する事で(懸)、全軍(三軍)を一人の人間のように使う事が出来る。兵を動かす時は命令(事)のみを伝え、理由(言)を告げてはならない。兵を動かす時は有利な状況だけを伝え、不利(害)な状況を告げてはならない。兵は滅亡の危機に投じると、自然に存続するものであり、死を覚悟すると、自然に生き延びるのである。兵(衆)は危機的な状況(害)に陥ると、自然に勝敗を決するような戦いをするのだ。」






今回のテーマ

  • 将軍は九地を知らないでは済まされない
  • 覇王の軍
  • 常用外の報奨や罰則が軍を操るコツ
  • 兵は死地にて本領を発揮する

このうち、将軍は九地を知らないで済まれない事と、兵は死地にて本領を発揮する事は、以前の繰り返しとなるため割愛する。



その1、覇王の軍

覇王の覇という字には、武力によってという意味あいがある。王は天下を治める者の意味であるから、覇王とは武力をもって天下を統治する者を言う。覇王の軍とは、言わば常勝の軍という事だろう。

常勝の軍には、およそ欠点と呼べるものがあってはならない。外交が弱くては、戦う前に負けてしまう。九地の性質を知らないのでは、用兵の勝手が分からないだろう。土地に詳しい者を重用せずに、どうして地の利を得る事が出来ようか。全てを網羅してこそ、常勝の下地が作られるのである。

常勝という評判は、それだけで敵を震え上がらせる。敵国を攻めれば、敵国は兵を集めるのにも苦労する事になるし、同盟を結ぼうにも割りに合わないと断られてしまう。常勝と言う評判は、敵の弱体化を促すのである。

したがって、覇王の軍は思うままに振る舞えば良い。外交では相手から頭を下げてくるし、天下への覇権を積み上げずとも自ずとそうなる。常勝という評判に恐れをなした敵城は降伏し、他国から援助を受けれない敵国は滅亡すると孫子は説いている。



その2、常用外の報奨と罰則

そもそも戦争とは刻一刻と戦況が変わるものである。その戦争に対し、常に最適なルールなど存在しない。将の性格や集まったメンバーによっても違うし、戦況が有利か不利かによっても違う。臨機応変に賞罰を変える事も将の腕の見せ所なのだ。

例えば、報奨だが、やはり金払いの良さは人をやる気にさせる。金は面白いもので、長期的には多く出せば良いと言うものでは無い。人は金額に慣れるからだ。普通より多い金額をもらっているはずなのに、慣れると不平不満を言い出すのが人間である。だが、短期的には起爆剤となるもの。規則で決まっている額より多く出せば、兵はここぞとばかりに頑張る事だろう。うちの将は話が分かるとなり、結束が強まるのである。

次は罰を考えて見る。常識とはその地域によって違うもの。ある地域では掠奪が良いとされても、他の地域では略奪が悪いとされたりする。例えば、盗賊を兵として雇った時に、掠奪はいけないと諭して何になるか?近日中に戦いをしなければならないのに、火に水をくべるような真似であろう。規則も相手を見て臨機応変にすべきなのだ。

中国の古代史を見ると、漢の時代に李広と、程不識という名将がいた。李広はもらった報奨を兵に与えたし、衣食住を共にし、規則もゆるやかで兵が自由奔放だったようだ。ただ、李広のためなら喜んで命を投げ出す者ばかりだったと言う。通常そういう軍では隙を突かれ瓦解しそうなものだが、彼は斥候を上手に用いたらしく、不意を突かれる事は無かったようだ。言わば、メリハリのついた軍だったのだ。

一方、程不識のほうは、厳しい管理の元で軍を統治した。帳簿はしっかり付けたし、夜も厳重な警戒を怠らず、まさに鉄壁と呼べる軍であったと言う。兵は常にピリピリして、緊張していたそうだ。李広と比べると息苦しい軍であるが、程不識も常勝の軍である。信賞必罰は武門のよって立つ所だが、その程度は将の采配であり、絶対のやり方は無いと知る事が兵を動かすコツになると、孫子は説いているのである。



その3、兵は騙すもの

兵には作戦行動の理由は伝えず、命令のみを下す。有利な状況のみを伝え、不利な状況は伝えてはならないと孫子は説く。孫子の時代の兵士は、昨日まで農民だった者が大半である。字も読めないのに詳しい説明をして分かるはずが無い。不利な状況を伝えないのは、兵の恐怖を煽らないためであろう。兵とて命が惜しくないわけではない。止むを得ないから兵として参加しているのだ。そこに不利な状況を伝えるなら、恐怖から逃げ出してしまうだろう。兵には有利な状況のみを伝え、逃げ道を断ってから本当の事を言うのである。



仕事で考えて見よう。仕事でも孫子の説く、通例にこだわらない変化こそが人を動かすという感覚は大切となる。一言で言えば、ゲーム性である。お客さんの視点に立てばワクワク感は大切だ。この店にはかゆい所に手が届くものがあるとか、面白いものがあると思えば、足を運ぶものだ。この典型的なものには遊園地がある。つまり、遊園地は孫子の兵法を上手く適用していると言える。例えば、ディズニーランドを考えて見よう。

ディズニーランドは永遠に未完成なのを知っているだろうか?ディズニーランドは絶対に完成はしない。もう数十年はやってるのだ。完成してもよさそうなものだが、一向に完成しない。その理由は人は飽きるからである。どんなに面白いアトラクションでも、人は必ず飽きてしまう。だから、ディズニーランドでは常に未完成で何かしら工事中なのだ。お客さんが来るたびに新しい発見があるようにしているのである。

孫子は有能な将軍は通例にとらわれず、臨機応変に報奨と罰則を設けると説いているが、会社は戦争よりも長い戦いが想定される。その中では、こういった飽きさせない処方箋も必要となってくるのである。人は飽きる生き物だが、ワクワクする事を望む。この2つの気持を上手く満たすのが商売上手なのだ。

なお、これはお客さんに対してだけでなく、従業員に対しても同じ事が言える。従業員の士気を高く保ちたかったら、飽きるという人間の性質にも目を向けて、常に更新していく心構えが必須だ。そして、後手になるのではなく、先手を打つことを心掛ければ働きたい会社になるだろう。そういう考え方を紹介してみた。



---- 以下、余談 ----

孫子の言う「三軍の衆を犯すこと」の犯すのニュアンスが良く分からなかったが、恐らく法を犯すと言う意味だと思われる。通例や規則にない報奨や罰則が、兵を手足のごとく動かす秘訣となるという話をしているため、兵に法を犯させるというニュアンスではないだろうか?臨時とは言えば聞こえは良いが、将軍の都合で法を犯す事には変わりない。



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