2017年11月10日金曜日

孫子の兵法 九地編その3

3、領地内での作戦

孫子曰く。「およそ客たるの道、深く入れば則ち専らにして主人克たず。饒野に掠めて三軍食足る。勤み養いて労する勿く、気を併わせ力を積む。兵を運らし計謀して、測るべからざるをなす。これを往く所なきに投ずれば、死すとも且つ北げず。死いずくんぞ得ざらん。士人力を尽くさん。

兵士、甚だ陥れば則ち懼れず。往く所なければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。この故に、その兵修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ疑を去らば、死に至るまで之く所なし。吾が士、余財なきも貨を悪むにあらず、余命なきも寿を悪むにはあらず。令発するの日、士卒の坐する者は涕襟をうるおし、偃臥する者は涕頤に交わる。これを往く所なきに投ずれば諸・劌の勇なり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ敵地に進攻する場合(客)、敵地深くまで道を進むほど、兵の気持が戦う事のみに集中(専)するものである。そのため、敵(主人)がこれに打ち勝つ(克)のは至難となる。肥沃な土地(饒野)から食料を掠奪すれば、上、中、下軍(三軍)ともに食料は足りる。そこでは兵を養う事に力を尽くし(勤)、兵を疲れ(労)させないようにする。士気を高め(併)、力を蓄えるのだ(積)。

そして、兵を運用する際は計謀して、此方の意図を測れないようにする。こうしてから兵を逃げ場のない戦場に投入すれば、兵が死ぬ事はあっても敗北はない。死を賭して戦う者が、どうして勝ちを得られない事があろうか?将兵(士人)共に力を尽くしてくれるだろう。

兵士と言うものは、甚だ危険な状況に陥れば、返って恐(懼)れなくなる。往く所が無くなれば覚悟が固まるし、敵地深く進攻すれば一致団結し(拘)、止(已)むを得ない状況になれば必死で戦う。このように決死の覚悟が決まった兵士は、学んだ(修)わけでもないのに自らを戒め、求めなくても必死で戦い(得)、特に約束事を作らずとも互いに親しみ、命令されなくても信義を守る。占いや神だのみ(祥)の類を固く禁じ、勝利への疑念を取り去るなら、兵は死ぬまで逃げ出す事はないだろう。

吾が兵士たちが余分な財貨を持たないのは、財貨を悪いものだと考えているからではない。余命を気にする事なく戦うのは、長生き(寿)を悪いものと考えているからではない。出兵の命令が発せられた日には、兵士(士卒)の中で坐っている者は涙(涕)で襟元を濡らしただろうし、うつぶせで寝ている(偃臥)者は涙(涕)が顎(頤)で交わっただろう。こうした兵が逃げ場のない戦地に投入されると、伝説の勇士である専諸や曹劌のような勇ましさとなるのである。」






最大のポイントは、兵を戦う他ない状況に追い込む事が用兵の妙だと説いている事では無いだろうか?今でこそ兵は高度なスキルを持つプロフェッショナルが主となっているが、昔は兵は民衆から徴兵した。普段は農民をしている者に武器を持たせて戦わせたのだから、恐怖から逃げ出す兵も多かったのだろう。しかし、そういった者でも伝説の勇者のような働きをさせる事が可能だと孫子は言っている。

およそ兵というものは、故郷との距離と覚悟が比例する。故郷に近いほど故郷に戻りたくなるものだし、故郷から遠のくほど故郷への思いは薄れていく。故郷の色合いがなくなり、見知らぬ敵地の風景ばかりになると戦争を実感し、覚悟がきまっていくのだ。敵地深く進攻すれば、味方は戦う覚悟をしているため逃げ出そうと思わないが、敵方の兵は逃げ出そうと言う気持ちを捨てきれない。勝手を知っている土地では、どうしても逃げ道が頭をよぎる。戦うか逃げるか迷っている時に、決死の覚悟を持つ兵に迫られたら、怖くて逃げたくなるのは自然だろう。気持ちも定まらず死線に立てるわけがないのだから。

そして、敵地深く進攻した場合、補給線が伸びるため食料の補給が問題となる。間延びした補給線を敵に襲われ、もし輸送部隊が壊滅するようなことがあれば、前線の兵も壊滅する。そこで、孫子が提案しているのが、敵地にある食料を奪う事となる。敵地の肥沃な土地を襲い食料を収奪する。さすれば、補給線を襲われる恐れも無いし、軍の食料もまかなう事ができ一石二鳥となる。

また、兵が戦う前に疲れてしまっては勝てる戦も勝てないのだから、遠征で疲れたであろう兵には十分な休息を与え、士気を高めて力を蓄える必要がある。戦う際は敵の虚を突けるように、此方の意図を敵に知られてはならない。兵を動かす時は、必ず敵の動きにも配慮するのだ。偽情報を流したり、敵方のスパイを殺したり、逆にスパイを送ったり、兵を休めると同時に情報戦をする。これが成功するならば、兵に疲れがなく万全の状態で、敵には動きを悟られなく、兵は決死の覚悟で戦うのだから、どうして負ける事があろうか?いや、無いと孫子は言うのである。

兵というものは、通常は危険を恐れるものだ。危険な場所を好む人間などいない。だが、非常に危険な状態に追い込まれると返って危険を恐れなくなる。逃げ道がなくなり戦う以外ない状況になれば、教わらなくても一致団結し、言われなくても自らを戒め、生き残るために進んで協力するのである。この性質は信頼できる。存分に利用すべきであろう。死地に放り込めば、兵の士気に関する問題はあらかた解決するのだから。

兵の士気の問題が解決するなら、後は遠征で疲れた兵を休ませる事と、敵に此方の情報を知られない事であろう。兵の士気が高くとも、疲れた体では実力を発揮できない。十分な休息を与え、鋭気を養ってこそ兵本来の力を発揮できると言うもの。そして、兵が万全の状態にあっても、敵にも万全に身構えられては損害が増すばかり。だから、敵には此方の動きを悟られないようにする。敵の虚を突くための策を講じるのだ。

我が兵は余分な財貨を持っていないが、それは財貨が嫌いだからではない。我が兵は決死の覚悟で戦うが、それは長生きしたくないからでは無い。余分な財貨を持っていれば、例えば、財貨が地面に落ちた時に財貨に気を取られる。その隙を突かれて命を落とす事もある。決死の覚悟で戦うのは、それ以外に生存率の高い選択肢が無いからだ。逃げ道も分からず、軍から離れれば食料のあてもなく、故郷もはるか遠いとなれば戦いに生き残って帰る他ない。

我が兵は勇者ぞろいだが、そんな彼らとて出兵の命令が下った時は、座っているなら襟元を涙で濡らし、寝ているなら枕を涙で濡らした者ばかりだ。決して初めから勇者だったのではない。だが、逃げ道の無い場所に放り込めば、伝説の勇者の勇ましさを発揮するものなのだ。逃げ道の無い状況が、人を勇者にするのである。



まとめ

  • 逃げ道の無い状況が、人を勇者にする。
  • 食料は敵地から奪う。
  • 此方の動きを敵に悟らせない。

これが孫子の説く将の考えるべき事となる。





仕事で考えて見よう。孫子は逃げ場のない状況が人を作ると説いているが、現代でも孫子の兵法に則た方法が見受けられる。例えば、製造メーカーである。製品に誰が作ったのか分かるように、番号なりをふっておく。そうすると、故障で返品されてきた製品が、誰が作ったものかが分かるのである。これが逃げ場のない状況であろう。自分が作ったと識別されるとなると、人は気にするもので、自然と返品がすくなるそうだ。責任の所在を明らかにすることは、人を育てるのである。

例えば、道で倒れた人がいたとしよう。人どおりの多い道では、人が倒れても殆どの人は見て見ぬふりをして通り過ぎる。都会は世知辛いという訳だが、実はそうでも無い。都会でも周りに人が誰もいなければ、大丈夫ですか?と声を掛けたりするのである。人は責任の所在がはっきりしないと、自発的に動かないものなのだ。この話はよく心理学で引用されるが、孫子の兵法に適った話とも言えるのだ。

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