2017年11月25日土曜日

孫子の兵法 用間編その4

3、事は間より密なるはなし

孫子曰く。「故に三軍の事、間より親しきはなく、賞は間より厚きはなく、事は間より密なるはなし。聖智にあらざれば間を用うること能わず。仁義にあらざれば間を使うこと能わず。微妙にあらざれば間の実を得ること能わず。微なるかな微なるかな、間を用いざる所なし。間事いまだ発せずして先ず聞こゆれば、間と告ぐる所の者とは、皆死す。」



【解説】

(間者を駆使するのが君主の業だから)

孫子曰く。「故に三軍あれども事に職においては、間者より親密性のある職はなく、間者より厚遇(賞厚)される職は無く、間者より機密性(事密)を求められる職は無い。そして、徳が高く(聖)正邪を判別する智恵がない者に間者を用いる事はできない。思いやりに溢れ(仁)義理を重んじる者でなければ間者を使う事は出来ない。人情の機微(微妙)に長けた者でなければ間者の心の底の正邪(実)を計れない。何と細やかな心遣いだろう(微なるかな)。しかし、間者を用いない所はないのだ。

間者からの情報(間事)が公表(発)される前に漏れ伝わって来たならば(先聞)、その間者と間者が情報を告げた者は、皆死んでもらわねばならない。」






前回までの話の流れ

  • 常勝の秘訣は間者の活用にある。
  • 間者は5種類あり、使いこなすのが君主の業


と言うわけで、今回は間者の運用面の注意となる。間者が戦の勝敗を決め、使いこなすのが腕の見せ所なのだから、では実際にどういった点に注意するのかと言う話に進んでいる。



その1、間者の地位

間者はその仕事柄、素性がばれては問題があるため、自然とごく限られた人とのみ情報交換するようになる。そのため、自然と君主や将軍など地位の高い者の側で、直に命令を受けながら仕事をする事が多くなるし、作戦立案の場に同席する事もある。直接話を聞きたくなるからだ。兵は皆我が子のごとき存在なれど、君主や将軍と直に接するのは間者のみ。よって、「間より親しきはなし」と言う。間者はその親密性において、最も高い仕事なのである。

また、間者は待遇面でも厚遇されねばならない。彼らは見つかれば拷問されるハイリスクの仕事となるため、待遇面を良くしなければ成り手がいない。そして、待遇に不満を持たれると、敵の2重スパイとして働きかねず、その辺を担保するためにも厚遇は必須である。仕事への感謝を厚待遇で示す必要があるのだ。戦争は戦争する前に勝敗が決すると孫子は度々ふれているが、その主役となって働くのは間者である。間者の働き如何で勝敗のほとんどは決まるのだから、間者が気持ちよく働けるよう苦心するのは当然である。



その2、間者の機密性

言わずもがな間者には機密性がある。間者は素性がばれては情報がとれなくなるばかりでなく、拷問から死ぬ可能性も高くなるし、命欲しさに国家機密を漏らされては目も当てられない。刑事物のTVや映画を見れば、口封じという言葉はお馴染みだと思うが、間者はどうしても口封じと縁の深い仕事となる。

口封じという発想自体は珍しくないため異論は無いと思う。そこで、次は間者の管理者側に立った場合、どういう点に注意するべきか考えて見よう。間者は親密性があり、厚遇しなければならず、機密性が高いという性質がある。では、このような間者はどう管理するべきだろうか?



その3、結局は人間性

間者が間者である事を知る者は限られるため、結局は人間性が物を言うようだ。単純に考えて欲しい。嫌な奴の下で、見つかれば拷問もある仕事をできるだろうか?勘弁してほしいというのが人情だろう。そして、嫌な奴の下で働くのは鬱憤がたまるものだ。長い間には爆発して、信頼できるスパイがいつの間にか2重スパイとなり、敵方のために働くようになるやも知れないのだ。

よく金を払えばと思う人がいるのだが、人間は金には慣れてしまう。特に生活に困らなくなってからが大変で、生活できる金はあるのに、どうして嫌な奴の下でと考えるようになる。やはり人間性に鍵があるのである。この人のために死んでやるとか、この人だけは裏切れないと言わせる人間性を身に着ける事が王道となる。

そこで孫子があげている条件の一つ目が聖智である。聖には徳が高いという意味があり、要は人気者という事となる。やはり間者という命の危険もあり、機密性の高い仕事を管理するには嫌な奴では出来ないと孫子も考えていたようだ。仕事をしないだけならまだしも、2重スパイとなる可能性にも目を向ければ当然だと思う。人気者になる秘訣は、具体的には利他の精神では無いだろうか?

そして、次は智だ。智には正しい行いをするという意味あり、つまり正邪の区別をしっかり付けられる人物が良いと孫子は言っている。恐らく普通すぎるくらい普通の人という事では無いだろうか?優れた管理者と言うと特別な能力が必要と考えがちだが、実は普通が何かを知っているという能力が最も大切である。自分が普通だからこそ、相手のどこが優れていて、どこに弱点があるのか分かるのである。正邪の区別を付けれぬ者には、相手の長所短所が分からない。間者を管理する側としては致命的だろう。普通の何たるかを知る事は優れた能力なのである。

さて、2つ目の条件の説明に入ろう。孫子があげている2つ目の条件は仁義である。まず仁だが、仁は思いやりと言う意味となる。間者と言っても人間であるから、気遣いが必要な事は言うまでもない。悩みがあれば相談にのってあげ、ストレスがたまっているようなら長めの休暇を与えてあげるとか、体が不調なら良い病院を手配し、家族の事で悩んでいるなら家族の問題をも解決してあげる。間者に対してどれだけ親身になって接するかが大切だと孫子は言う。間者を愛し子と思えばこそ、一緒に死地に赴いてくれるのである。

次は義だが、義は義理と義務の意味である。義理は人の歩むべき道を言うが、やはり人の道を踏み外さない事は大切だ。何せ間者は命のリスクを背負うのだから。例えば、弱い者いじめをする者のために死のうと思う人間がいるだろうか?これを考えて見ると良い。人は弱い者いじめから救ってくれた人のために死のうと思うのであって、弱い者いじめをする者のためには死にはしない。何故なら、それが人の道だからである。これを義理と言う。

義務は約束を守る事と理解すれば分かりやすい。あまりにも当然だが、約束を守らない人間に雇われるわけにはいかない。報酬を支払ってくれるかすら分からないのだから。管理者に当然求められる資質となる。孫子は管理者に求められる資質に聖智と仁義をあげているが、当然と言えよう。聖智なき者、仁義なき者に人はついて行かないのである。間者を管理するのだから、特別なスキルが必要と思いがちだが、人間と人間の付き合いには変わりない。求められる資質も、世間一般で求められる資質と同じなのだ。


(次回に続く)

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