2017年11月29日水曜日

大祓祝詞(中臣祓詞) その4

6、此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと

大祓祝詞を奏上するならば、天上の神は天の岩戸と押し開き、空に厚い雲がかかろうとも掻き分けて願いを聞いてくれるだろう。地上の神は高い山の上や、低い山の上に登り、山にかかる霧を掻き分けて願いを聞いてくれるだろう。そうして神々が願いを聞いてくれるなら、罪という罪はなくなってしまうだろう。


【解説】

天の岩戸開きは天照大神が笑い声につられ岩の戸を開く話だが、ここでは見て見ぬふりをする心の比喩となる。人間は悪いと分かっていても、見て見ぬをふりをする生き物だ。「天の磐門(岩戸)を押し披きて」はそういう気持ちを振り払って、神々が聞き耳をたててくれるというニュアンスとなる。

天つ神、國つ神は、天上の神と地上の神を言うが、自分は何方も太陽を意識している。天の神が話を聞いてくれるは、雲の隙間から光が差し込む姿をイメージし、地上の神が大小様々な山の上から話を聞いてくれるとは、山に登る朝日をイメージする。朝にかかる霧が朝日によって消えていく様を、伊褒理(霧)を掻き分けると表現している気がする。そして、朝日の美しさの前に立てば、感動して悩みなど忘れてしまうだろう。だから、罪という罪はなくなってしまうのだ。





7、科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと

科度の風が空にある雲を吹き飛ばすように、朝夕の霧が風によって払われるように、大きな港にある大船の船首船尾を解き放ち、大海原に押し放つように、生い茂る草むらを鎌で刈り取るように、罪という罪はなくなってしまうだろう。


【解説】

自分は綺麗さっぱり人間の悩み苦しみが取り払われると言う話と解釈している。綺麗さっぱりを4つの例え話で表現していると思えば良い。

その1、科戸の風
科戸の風は罪汚れを祓う性質がある風らしいが、要は空をみて雲が流れる様を言っているのだろう。どんより雲に覆われる日もあれば、雲ひとつない晴天の日もある。この移り変わりは気にもとめないほど当たり前の日常だが、この日常を自分はイメージしている。昨日はあった雲が今日はなくなっている。風によって運ばれたのだろう。


その2、朝夕の霧
朝夕は霧がかかりやすが、時間がたつと霧はいつの間にか無くなっている。特に朝5時頃にかかる霧は昼にはまず間違いなくない。朝日と風が霧を取り払うからだ。この様を自分はイメージしている。


その3、大船
大津辺は大きな港を言い、舳は船首の事で、艫は船尾となる。だから、「大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く」の意味合いとしては、大きな船を大海原に出したという情景となる。

大きな船が人々の悩み苦しみだとすれば、それを港(人間)から切り離し、海へ流したととれる。自分は自衛隊の誇る護衛艦「かが」をイメージしている。


その4、彼方の繁木
繁木は腰ほどまで生い茂った草木を言うため、「彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く」は草刈りをして綺麗にしたという意味になる。草を刈り終われば、清々しい気分になるだろう。自分は、そのまま草刈りをイメージしている。





8、祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと

祓い清めた後は高い山や低い山から滝に流すのだ。そして、滝の下を流れる速川にいる川の神様に海まで運んでもらおう。海についたなら今度は荒潮にいる海の神様に飲み込んでもらおう。そうして飲み込んでもらったなら、次は風の神様にお願いして黄泉の国まで吹き飛ばしてもらおう。黄泉の国についたなら、黄泉の神様にお願いして無くなるまでさすらってもらおう。そうすれば罪と言う罪はなくなってしまうさ。


【解説】

草刈りで言えば、草が罪汚れの例えとなる。草刈りをして綺麗になっても、刈り取った草は残るだろう。たき火をしたりして、燃やすはずだ。このたき火にあたる話を壮大な規模でしていると思えば良い。人間から罪汚れがきれいに取り払われたとしても、罪汚れは無くなりはしない。だから、罪汚れ自体を無くすために、草刈りのたき火にあたる行為をするのである。

まずは人の罪汚れを佐久那太理から流す。佐久那太理は滝の事だから、自分は奏上する時は大きな滝をイメージしている。そして、滝の下には川が流れ、川は海へつながる。だから、そう言う順番で祝詞が書かれている。滝から流した罪汚れは、瀬織津比賣(せおりつひめ)という川の神にお願いして海へ運んでもらおう。海へ着いたなら、次は速開都比賣(はやあきつひめ)という海の神にお願いして飲み込んでもらうのだ。それぞれ川や、海をイメージして奏上すればよいだろう。

なお、海の神に飲み込んでもらうという表現は、海の深淵な深さを言っているのでは無いだろうか?自分は海をみると畏怖を感じるため、恐らくこの畏怖をもって強大な力を表現しているのだと思う。

海の神様の次は、気吹戸主(いぶきどぬし)という風の神様である。風の神に罪汚れを黄泉の国まで吹き飛ばしてもらう。自分は普段ふいている風を感じながら奏上する。ここまで滝、川、海と日本の自然をリレーしてきた。ならば、普段吹いている風を想像するのが自然だと思う。

そして、最後は黄泉の国にいる速佐須良比賣(はやさすらひめ)だ。「根國 底國」は黄泉の国を言い、死人の世界となる。そこにいる神様にお願いして罪汚れを無くしてもらおうという訳だ。死人の世界のため、罪汚れにも死が訪れると祝詞は言いたいのだと思う。

ただ、自分が奏上する時は、死の国では無く四季をイメージしている。春に新緑だった葉は、夏は生命力に溢れ、秋には紅葉し、冬になれば枯れて落ちる。季節の移り変わりによって、自然は生まれて死ぬ。この姿を速佐須良比賣(はやさすらひめ)と言っていると思うのだ。だから、死ぬまでさすらってもらおうと祝詞はつづると。滝から流れされた罪汚れが、川を下り、海へ行き、風に運ばれ、四季の力によってなくなって行く。まさに日本という国を表現していよう。





9、祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す

このように祓い清めようと思っています。天上の神よ、地上の神よ、八百万の神達よ。どうかお聞き届けください。






---- 以下、余談 ----

奏上する回数が増えてくると、誇張されたイメージをもって奏上するのではなく、極ありふれた日常の情景をもって奏上したほうが良いと思うようになった。自分が想像をふくらませる必要はなく、日常の景色に祝詞の言葉が重なってくるのだ。

2017年11月28日火曜日

大祓祝詞(中臣祓詞) その3

あくまでも自分の解釈だが、自然の神々に人々を悩み苦しみを取り除くことをお願いすると説明してきた。科学が発達し夜も足元に困る事がなくなったせいか、現代では自然を恐れ敬う風潮がなくなったため、自然にお願いすると言うと変な話に見えるかも知れない。ただ、一概にそうとも言え無い節があるのだ。

本来、人間と自然は一体である。人間の吐くに二酸化炭素を木々は必要とし、木々の作る酸素がなくては人間は立ち行かない。木々に酸素を作らせるのは太陽のエネルギーであるから、昔の人が太陽、言い換えれば天照大神の恵みに感謝をしたのは、なんら不思議はないのである。太陽の光によって草が生え、草をたべる草食動物が生きる事ができる。草食動物が生きれるから、それを食べる肉食動物が生存を許され、その全ての過程をもって人間が生かされる。

無償の愛を知りたければ太陽を見ろと言われるが、まさにその通りだろう。お金を一切受け取ることなく、何よりも優れた恩恵をもたらし、文句ひとつ言わないのだから。太陽を人口で作るとなったら、天文学的数字の費用をかけても無理だ。どんなに苦しい状況であっても、すでに貴方は恵まれている。当たり前に感謝せよとは、これを言うのである。

人間が病気になる時は、血が酸化して黒ずんでいるという話を知っているだろうか?人間の不調は、血の色にでるのである。人間は血なのだ。そして、これを逆に見て考えて欲しい。血が黒ずむと病気になるのだから、黒ずんだ血を中和して元の赤色にもどせば調子も良くなるとも考えられないか?何せ原因を取り除いている。

では、どうしたら血を中和できるだろうか?結論を言うと、植物がとても有効な手段となる。病院に行かなくては病気は治らないと考えやすい現代に生きてると気づきづらいのだが、血の中和に植物は大きな役割を果たす。植物の近くにいるだけで、植物が出しているマイナスイオンによって血は中和されるものなのだ。だから、体の調子が悪いとか、鬱病などで気持ちがどんよりする時は、とりあえず森に行けと言われる。

特に樹齢数百年の巨木の近くが良く、巨木は長生きするだけあって生命力が強い。猫などを見ても分かるが、母猫が子猫を捨ててしまう事があろう。人間だったら、お前の子だろと言われるだろうが、猫の場合は母猫が特に冷たいのではない。この子は体が弱いから生き残れないと思ったら、平然とすてて次の子を作るのが自然界なのだ。生存力の弱い子を助けようにも、母猫には病院に連れて行く等の助ける手段がない。どうせ死ぬ子なら、次の子のために早い方が良いとDNAに刻まれているのだろう。

猫の例を見ても分かる通り、自然界は生命力のない生物が生き残れるように作られていない。長生きしてるならば、それだけ生命力が強い。そのエネルギーを体に取り込むのである。1時間から2時間くらい巨木の近くに座っていれば、それだけで血が中和され人間は上向く。酸素と二酸化炭素の例を見ても、人間と植物は互いに補う合う関係にあるが、体の健康状態をみても植物は人間を補ってくれている。我々人間が生きるために植物を大事にするように、植物も我々人間を補助しなければ生きづらい。だから、自然と共存関係ができあがったのでは無いだろうか?

自分は大祓祝詞を奏上する時、天地自然にお願いするようなイメージを持っていると説明してきたが、理由は人間が自然に生かされている側面を考えれば当然のように思うからだ。この事を肌で感じていたからこそ、1000年前の先祖は自然を八百万の神として讃えた気がする。当時の人に理由は分からなかっただろう。だが、科学が発達し色々解明された今だからこそ感じる合理性もあるのである。






---- 以下、余談 ----

樹齢数百年の巨木は、神社や寺にいけば珍しくない。

大祓祝詞(中臣祓詞) その2

4、安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の罪出でむ

平和で豊かな国にしようと頑張っては見たものの、人間がありとあらゆる罪を犯すのであった。


【解説】

皇御孫命は親神に仰せつかった通り、日本を平和で豊かな国にしようと頑張ったのだが、人間がありとあらゆる罪を犯すので困り果ててしまったと言っている。天の益人とは人間の事で、「天つ罪 國つ罪 許許太久の罪」とは考え付く限りの罪事と言う意味となる。考えてもみて欲しい。今の日本でも、悪い事をする人間は後を絶たないだろう?日夜、警察官が頑張ってはいるが、犯罪はゼロにはならない。そういうイメージだ。

自分が奏上する時は、罪事を心の悩みや苦しみだとしている。日本は豊かな国なれど、人々の心から悩みや苦しみがなくなる気配がない。自然の神々よ、どうかこの悩み苦しみを取り去ってもらえないだろうか?というイメージで奏上している。今、自分を囲む自然にお願いするのだ。




5、此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻を 本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝詞を宣れ

そうして人間が罪を犯すならば、高天原で行われていた祭りをしようではないか。ひのきを上下揃えて切り柱にし、岩の岩盤に打ち立て神宮を建てるのだ。麻を上下揃えて切り、祭祀の服やしめ縄、お祓いの棒を作ろうぞ。そして、大祓祝詞を奏上するのである。


【解説】

この部位は伊勢神宮を言ってると思えばわかりやすい。天つ宮事は伊勢の祭りであり、金木は堅い木の事だが要はひのきだ。千倉の置座はスサノオの置座が筋だが、岩盤の地層だと考えて見て欲しい。伊勢神宮が建てられている場所は、下が岩盤の地層なんだそうだ。菅麻は麻の事で、神主の服は麻製だし、しめ縄も麻である。麻を加工する事を「八針に取り辟きて」と言っている。太祝詞とは、つまりこの大祓祝詞の事だ。

こう考えて見ると、人々の悩み苦しみを取り除くために、伊勢神宮にて祭祀による祭りが始まったととれる。らしいではないか。奏上するときは伊勢の祭りを想像しても良いだろうし、自分が奏上する姿をかぶせてイメージしても良いだろう。自分が大切だと思うのは、人々の悩み苦しみを自然の神々に取り去るようお願いする姿勢である。自分は太陽、樹木、岩、建物と自分を囲んでいる全てを神と見立てお願いしている。






大祓祝詞(中臣祓詞)






水色が本文、以下に自分の解釈を書く。


1、高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を 安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき

高天原におられます親神様、神漏岐、神漏美の命が八百万の神達を集めた。そして話し合いをなされた結果、我らの皇御孫命様が、豊葦原瑞穂國を平和で豊かな国にしてきなさいと仰せつかった。


【解釈】

自分は神漏岐、神漏美を太陽、八百万の神は自然とイメージしている。つまり、自分が太陽の光を浴び、目に見える景色に囲まれた姿が、ここで言う話し合いだと思っている。皇御孫命は天皇陛下の事だが、イメージとしては自分の事でも、日本人全体でも良いように思う。日本民族は天照大神の子孫であるから、勿論筆頭は天皇陛下であるが、自分や日本人全体を皇御孫命として祝詞を読んでも良いだろう。

豊葦原瑞穂國は葦が生い茂る豊かな国という意味で、日本国を言っている。日本国を平和で豊かにするのは日本人の責務であるのだから、皇御孫命を自分や日本人全体と解釈するとその姿が美しいように思うのだ。世のため人のために生きると、日本人ひとりひとりが日々この祝詞で確認する様はご先祖様が望んだ姿だと思う。




2、此く依さし奉りし國中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし 磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて

平和で豊かな国にしてきなさいと言われたものの、それを好ましく思わない神達が荒ぶっていたので、場合によっては説得し、場合によっては取り除くこととなった。その結果、それまで不平不満を口にしていた岩や樹木、草や葉に至るまで言葉を話すのを止めた。


【解説】

そのまま解釈すれば、皇御孫命が日本を平和で豊かにする事を仰せつかったのを不満に思った神々が反抗したので、説得したり、場合によっては討伐してねじ伏せたという話だろう。その結果、言葉を話していた岩や樹木、草や葉までもがピタリと話す事を止めたと。

ただ、自分は荒ぶる神は台風をイメージしている。そこを祝詞を奏上する事によって、自然の怒りを沈めたと。台風が過ぎ去り、自然に穏やかさが戻った状態が、岩や樹木が言葉を話す事を止めたと状態だと思うとしっくりくる。




3、天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して

空を覆っていたぶ厚い雲がちりじりになり、皇御孫命が天より降りてきた。その地、大倭日高見國を平和で豊かな国にすると決め、まずは岩盤を基礎とし太く立派な柱の御殿を建てられ、そこに住まわれた。御殿の周りにある木々も天にまで届くかのような壮大さであった。


【解説】

最初の「天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき」は、晴れた日に空を見て欲しい。雲もあれば、光の差し込む姿も見れるはず。調度この状態を言っていると自分はイメージしている。極ありふれた日常の光景だが、空をみれば日雲の合間から光が差し込んでいる姿は、情景を思い浮かべるにピッタリではないかと思う。

「此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて」と続くが、これは自分の住んでいる場所をイメージすれば良いかと思う。見上げれば太陽があり、自分の住んでいる場所を見守るように光が降り注ぐというイメージだ。

「下つ磐根に宮柱太敷き立て」は、例えば家を建てる時、どんな家でも基礎があるだろう。その基礎の上に柱を建てるはずだ。それを言ってるだけだ。また、日本には昔から国誉めといって、天皇陛下が国を褒める風習があるが、それが調度「高天原に千木高知りて」だろう。木々に対して、何と壮大なんだと褒めてるわけだ。自分は身の回りにある木を褒めるような意識を持っている。

どんな神社であれ、どんな家であれ、岩盤の上に柱を建てるのに変わりはないし、周りに木々があるのも普通の事だ。それを御殿と例えて、日差しの日陰としましたと言ってると自分は想像している。自分の回りにあるものを賛美するという意識で、この部位を読むとしっくりくる。

2017年11月27日月曜日

孫子の兵法 用間編その7

5、上智をもって間となす

孫子曰く。「昔、殷の興るや、伊摯、夏に在り。周の興るや、呂牙、殷に在り。故にただ明主賢将のみよく上智を以って間となす者にして、必ず大功をなす。これ兵の要にして、三軍の恃みて動くところなり。」



【解説」

孫子曰く。「昔、殷の国が勢力を増してきた時(興)、伊摯は夏の国にいた(在)。周の国の勢力が増してきたとき(興)、呂牙は殷の国にいた(在)。故に聡明な君主や賢明な将のみが、伊摯や呂牙のごとき智恵(上智)をもつ者を起用でき(間)、必ず大きな成功を収めるのである。これこそ用兵の要にして、三軍が信頼(恃)して動く道標となる。」







古代中国において伊摯、呂牙はともに名宰相と呼ばれた人物である。実際は神話の域のようで出自を怪しむ声もあるようだが、孫子が言いたい事はこうだ。伊摯は夏王に命を狙われる経験から夏王の暴君ぶりを実感していたし、夏王朝の事情に詳しかった。その伊摯を重用すればこそ、夏王朝を滅ぼす事ができたと。呂牙(太公望)は殷に仕えていたが、王が無道であることに失望し去った経験がある。その呂牙を重用したから、殷を滅ぼすに至るのだと。

こういった敵国の事情に詳しい者を宰相に据えられるのが、名君や賢明な将の間となる。間と言うと、基本的には実行部隊をさす。だが、君主や将軍に間と言う字を当てはめるなら、それは敵国の事情に通じた者に実権を与える事となる。伊摯や呂牙のごとき智恵をもつ者が腕を振るえば、大きな成果があがるのは当然なのだから。これぞ兵の要であり、軍の拠り所とするべきものである。




---- 以下、余談 ----

現代でも新しい分野に進出事したい時は、ヘッドハンティングで人材を確保したり、その分野に詳しい者をアドバイザーとして雇ったりする。長らく続いていた定年退職した技術者による海外への技術流出が、日本でもようやく問題視しされ始めているが、これも孫子の兵法どおりと言える。日本はもはや技術先進国とは言えない。ものづくり日本というキャッチフレーズに酔う事なく、日本はもう先進諸国の技術を追う側にいる事を認識しなければならない。孫子のしたたかさを学ぶべきかも知れない。

孫子の兵法 用間編その6

4、反間は厚くせざるべからず

孫子曰く。「およそ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず先ずその守将、左右、謁者、門者、舎人の姓名を知り、吾が間をして必ずこれを索知せしむ。

必ず敵人の間の来たりて我を間する者を索め、因りてこれを利し、導きてこれを舎す。故に反間、得て用うべきなり。これに因りてこれを知る。故に郷間、内間、得て使うべきなり。これに因りてこれを知る。故に死間、誑事をなして敵に告げしむべし。これに因りてこれを知る。故に生間、期の如くならしむべし。五間の事、主必ずこれを知る。これを知るは必ず反間にあり。故に反間は厚くせざるべからざるなり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ敵軍を攻撃する場合、城を攻める場合、敵将(人)を殺す場合は、必ず先ずはその守将、左右の側近、取り次ぎ役(謁者)、門番、従者(舎人)の姓名を知り、間者を通じ必ずその動静を把握しなければならない(索知)。

必ず敵の間者は来るのだから、その間者を探し出し(索)、厚く遇してやると良い(利)。情報を与えるふりをしながら教えを施し(導)、良き家(舎)をあてがい味方に引き入れるのだ。こうして反間が得られれば、此方の間者として用いる事ができるようになる。反間を通じ、敵国の内情も知れるだろう。

そして、反間を通じて内通者を得られ、その内通者は郷間や内間として使える。死間に偽情報(誑事)を告げさせるにしても、敵情を知ればこそ敵が信じやすい情報を作れるのだ。生間も敵国の内情を知らずには勝手が分からない。生間が国境をこえて予定の期日どおりに往来できるのは、敵の内情を知ればこそである。五種類の間者の事を君主は必ず知らねばならないが、これを知る要は必ず反間となる。反間は特に厚遇しなければならない。」






受験勉強を思い出して欲しい。大学にはいるために過去問をやらなかっただろうか?大学時代は試験前、みんなで過去問を回し合わなかっただろうか?自分はコンビニにいき一生懸命コピーしたのを覚えている。いい思い出だ。

実は孫子が言っている事も、要はテストの過去問と発想は同じである。敵を攻撃する時に敵を知らなかったら、思わぬ伏兵がいて予定が狂ったらどうなるか?テストに落ちる所の騒ぎではなく、負けて命を落とすやも知れないのだ。城を下調べもせずに攻め、城の防備が予想をはるかに超えていたらどうするか?兵を動員した費用を考えれば、攻めるのを思いとどまっても大損害である。敵将を殺そうにも、敵将の動きを把握しなければ逃げられ未遂に終わる事だろう。

過去問を知っているかどうかは、合格率に影響しやすい。テストを作る先生の好みが傾向として現れるからだ。それと同じように、何をするにも、まず敵方の傾向と対策をしっかり練った後に攻めなさいと孫子は言っている。それを具体的に言うと、「守将、左右、謁者、門者、舎人の姓名を知り索知せしむ」、つまり関係者全員の氏名をリストアップし、それぞれ趣味や性格に至るまで動向を把握しておく事という訳だ。

これは世界では当たり前に行われている話で、アメリカの日本大使館も日本で発行されている本などを要約して、日本ではどんな話題が興味を持たれているかを国務省に報告する仕事があると言われるし、孫子の国である中国は日本の学界のリストさえ網羅しどの研究者がどういう意見かさえも把握しているとか、映画で有名なイギリス諜報部は漫画では貴方のはいているパンツの色さえ知っていると紹介されたりする。本当だと確証は得られないが、遠からずでは無いだろうか?




その1、スパイの要は反間にあり

個人的には感心したのが、孫子がスパイの要は反間と考えている事だ。反間は今の言葉で言えば2重スパイであるから、2重スパイ自体は発想として難しいものでは無い。だが、2重スパイを得る事が、他の間者に派生していくというのだから聞いてみるものである。

反間は郷間や内間につながり、時には死間として利用でき、生間にとって有効な情報を提供すると孫子は言う。だから、国としてすべき事は先ずは反間を得る事となる。得られれば、他の種類の間者も自然と得て使う事ができるからだ。では、どうしたら反間を得られるだろうか?

まず最初のプロセスは、反間となる可能性のある敵のスパイを探す事となる。此方が敵の情報を調べあげ万全を期すように、敵も此方の情報を調べるために間者を送り込むだろう。それを徹底的に探すのである。今の日本で言えば、例えばジャーナリストには工作員が多いと言われている。ならば、ジャーナリストの言動や動きを公安当局なりに張り付かせればはっきりするだろう。この時、嘘を言ってくれれば分かりやすいが、嘘は言わないが大事な事を隠す人が危ないなんて言われたりする。ともかく、国をあげてやるならば、間者の判別くらいはつけられよう。

そしてスパイが見つかったならば、そのスパイを処分するのも一つの手だが、最も良いのは反間として利用する事だ。敵のスパイに良い家をあてがい、金を与え、情報を与えながら徐々に此方に引き込んでいく。兵は利によって動くの鉄則通り、利によって味方に引き入れるのである。そのスパイに気づかれている自覚があるかは時々だが、こうして反間を得られる。

反間は国に帰えれば、家族や親族、同郷の人を頼るだろう。敵の役人とも通じている。こうして郷間や内間を得るとっかかりを掴めるのである。あとはお金を融通するかの勝負となろう。そして、反間は敵方のスパイでもある事実は、敵方の信頼を意味しよう。その信頼を逆手にとれば、偽情報を信じ込ませやすく時には死間として大きな役割を果たせる。また、生間が敵国に侵入するにも、まずは敵国の状況をある程度知ったほうが良い。敵国はどういう地形で、時間はどれくらいかかるとか、スパイに対する警戒はどのようにされているとか、最低限これくらいは知らない怖くて仕事もしづらい。反間から得た敵国の情報が、生間に動きやすさを与えるのだ。生間が予定どおり往来できるならば、反間からもたらされる情報による部分が大きい。反間は生間の活動に寄与するのである。




その2、反間を特に厚遇すべし

君主は様々なスパイを使いこなさねばならないが、その中で最も大切なのは反間である。反間はスパイの要のような存在であるから、その待遇も最も厚く報いねばならないと孫子は言っている。

孫子の兵法を学んでみて思うのが、世界は反間によって動いているという事だ。いかなる国であれスパイによる情報を欲していて、そのためには反間の働きが欠かせない。国的には泳がせるという認識にもなろうが、反間とうまくやれねば国は立ちいかない。色々な国の情報が通過する反間は、情報を操作しやすいポジションであるのも事実で、反間を制する者が世界を制するのかも知れない。国が反間を用いようとする故に、反間によって国が動かされる。そう考えて見ると、新しい視点で世界を見れるような気がしないか?



2017年11月25日土曜日

孫子の兵法 用間編その5

間者との付き合いは人間性が物を言うとしても、間者が裏切っていないかは冷徹に見なければならない。もし偽情報を信じこめば、敵の術中にはまり国が亡ぶ可能性もある。言わば国の命運を背負うのだから、間者との信頼関係だけに頼るのではなく、情報の真偽を確かめるために徹底して裏を取る。間者は愛し子なれど、子供の言う事は子供の言う事と達観した見方も必要なのである。

そして、そこで大切となるのは、人情の機微であると孫子は言う。



その5、人情の機微

間者には親身に接するのだから考えたくは無いが、間者が裏切る事も想定しなければ管理者失格である。国は一度亡べば、それでおしまいである。この現実は重い。では、どうしたら間者の情報の真偽を計れるだろうか?これを考えて見たい。

明らかに虚偽と分かる情報が上がって来れば苦労は無いのだが、間者も情報のプロである。例え裏切っていても、裏切っていない体裁は整えるし、一目には偽物とわからないように細工もする。そこを看破して偽情報だと判断するのだから大変な作業となる。真偽を見抜くポイントは、間者自身の微妙な変化となろう。

間者がいくら装っても、嘘をついている以上、何処かに通常と違う変化が現れる。その微かな変化に気づき、いつもと違う違和感を敏感に感じ取れると良い。違和感を感じ取れれば、情報自体を嘘を意識しながら見れるため、情報の真偽をより疑ってかかれるのである。そうすると自然と嘘の判別もしやすい。だからこそ、孫子は「微妙にあらざれば間の実を得ること能わず」と説くのである。間者に現れる微妙な変化を逃さない事が、間者の虚実を暴くきっかけになるのだ。

この意味でも、愛し子のように接し間者の事を良く知る事が大切と言え、聖智という資質が活きるのである。これはまさに微すかな変化を見逃さない巧みの業となり、文字通り微妙と言えよう。孫子はこれを「微なるかな微なるかな」と賛美しているのだ。間者はプロだから嘘をついても微すかな変化しか出ないと、思い出しながら頷く孫子の姿が浮かぶようだ。

かくも手間がかかり扱いの難しい間者だが、情報を必要としない軍務は無いのだ。間者はどの種の軍務も見ても必ず必要となる。心してかかるようにと孫子は言っているが、間者も大人数を扱うようになれば、残念ながら裏切る間者も出てくる。現実には最初から裏切るつもり間者として雇われる工作員だっているのだ。では、実際に患者の裏切りが判明した場合はどうしたら良いだろうか?勿論、裏切者には死をと孫子は言っているが、兵法として考えた場合、管理者には感情以上の水準が求められる。



その6、口封じの準備

間者を扱う者は秘密は必ず何時かは漏れると言う意識が必要だ。「どんな秘密であれ、全ての人間に隠せる秘密はない」と言う言葉を知っているだろうか?どんなに上手く隠しても、絶対に気づく者はでてくる。昨今のパナマ文書しかり、パラダイス文書しかり、この世の全ての人間に騙し通せる秘密は存在しない事を知る事が肝要である。

そのため、間者の扱う者は信頼関係の構築や厚遇の他に、秘密が漏れた時の対応も予め考えて置く必要がある。そこで孫子が言っているのが、漏らした間者と間者が告げた者の双方を殺す事だ。機密が漏れたと気づいた時、まず気になるのは敵国まで伝わったかだろう。機密が漏れても、敵国まで伝わらなかったのならダメージも少ない。だから、機密を死守するために口を封じるのである。そして、機密を漏らした間者が死ぬ事は、他の間者へのメッセージともなる。自分が機密に触れている事を思い出させ、だからこそ厚遇されている事を確認させるのである。

なお、情報が漏れたと分かれば、TVドラマの定番になっているくらいだ。口封じは誰でも思いつくだろう。だから、孫子の兵法として真に伝えたいのは、漏れたらすぐ殺せる準備をしておく事に尽きる。戦争が戦う前に勝敗が決するように、情報管理も漏れる前に勝敗が決するのである。秘密が漏れる事を予め織り込めるかが、素人とプロを分かつのだ。

孫子の時代は、今のように電子メールですぐ情報が送れたり、飛行機で日帰りできる時代では無いから、敵の間者が機密を入手してから敵国に伝わるまでタイムラグが今より大分ある。そこで、速やかに口封じできれば事なきを得る事も多かったろう。今は漏れたと気づいたら、もう敵国に伝わっているのだから、情報の取り扱いは昔よりシビアになっている。







西郷隆盛の話をしよう。西郷隆盛は明治維新の最大の功労者として人気のある人物だが、彼が20代の頃は庭方役という役職についていたことも良く知られている。庭方役は名前の通りお城の庭を管理仕事だが、それは建前の話である。当時は身分制度が厳しかったため、殿様と直接話すには相応の位が必要だった。そこで庭掃除という理由をつける必要があったわけだ。庭方役とは庭掃除を理由に殿様の側に仕える間者の仮の姿だったのだ。

殿様が何か命ずる時は、命令を紙に書き、それをゴミとして庭に捨てる。それを庭方役が拾い、人目のつかない場所で見るのである。もっとも、西郷隆盛は島津公に大分きにいられたようで、膝を突き合わして話したとか、西郷と話す時は島津公も機嫌が大変良いようだったと言う逸話が残っているが。

知己を得た西郷は島津公の助けによって、色々な人と会う事になり、その見識をさらに広めていく。島津公が急死した時、西郷は殉死しようとした位だから、恩義を感じていたのも伝わってくる。この島津公と間者西郷の関係が、孫子の言う親密、厚遇の良い見本となる。

西郷は明治の英傑であるが、彼は間者だったことを踏まえると、また見え方が変わるのでは無いだろうか?西郷は150年の時を得て人気のある人物であり、彼を悪く言う人を見た事が無い。そんな彼だが僧月照と一緒に船から入水自殺をした事がある。何とか引き上げられたが、月照はすでに絶命し、西郷は息はあったが2日半も生死の境をさまよった。自殺の理由はこうだ。

当時は世上荒れていたというか、幕府は井伊大老が取り仕切るようになり、尊皇攘夷派への弾圧が強くなっていた。そこで京都の近衛家から、尊皇攘夷派の僧として有名な月照を世話して欲しいと西郷は頼まれた。だが間が悪く、鹿児島では西郷を可愛がってくれた島津斉彬が急死しており、変わって斉彬の政敵であった島津久光が政権を取っていた。島津久光は尊皇攘夷どころか幕府よりの人間である。尊皇攘夷派の月照の保護するわけもなく、月照は日向へ追放との決定がされる。

追放と言えば国から追い出される事だけを思いがちだが、日向では幕府方の役人が待っている。幕府方に身柄を拘束されれば、月照はその場で斬られるだろう。追放と言うが、要は罪人の引き渡しだったのだ。西郷は月照の命を救えなかったのである。それが申し訳なかったのだろう。日向へ向かう船の上で最後の宴をもよおし、詩を吟じた後、月照を抱きかかえて海に飛び込んだ。しかも、夜の暗い海へである。捜索は難航した。結果的には2日半生死をさまよって命をとりとめたが、その覚悟の度合いは伝わってこよう。月照の命を助けられなかった変わりに自分がお供をいたそうと、西郷は近衛家に詫びたのである。何という誠実さであろうか。

江戸城開城後、西郷は鹿児島に戻ると、頭を坊主にし犬5匹と悠々自適な生活をしていた。だが、明治政府としても最大の功労者である西郷に隠居されてはという思いがある。西郷の人気もさることながら、信賞必罰は武門のよって立つ所なのだから、最大の功労者には高い地位にいてもらわないと示しがつかないのだ。そこで、どうにか西郷を呼び戻そうとする。親友である大久保利通や岩倉具視を鹿児島までやり、再三の説得をした。これで西郷はようやく重い腰を上げる事になるのだが、上京した西郷が言う言葉が凄い。

政府の高官となった戦友が、賄賂づけの上に尊大、かと言って仕事はしていない姿をみて「悪く言えば、泥棒」と言い放つのだ。そして、征韓論で敗れたのを理由に、鹿児島へ帰ってしまうのである。西郷ほどの活躍を見せれば、地位も金も思いのままだったろう。普通の人間なら有難く頂戴するものだが、西郷と来たらまるで執着がない。最大の功労をあげて、なお全て入らぬと言いのける。この姿に人は惚れるのでは無いだろうか?無償の奉仕(愛)ほど人の心を動かすものはないのだから。

この後、親友であった大久保利通の策略から西南戦争になり、西郷は死ぬ事となる。「もう、ここらでよか」が西郷最後の言葉として残っている。西郷を下した大久保利通だったが、彼も西南戦争の翌年襲われ命を失う。襲った島田一郎は西郷の崇拝者であった。

孫子は、間者を扱う者は聖智と仁義の資質を持ち、人情の機微に長けた人間が良いと言っている。西郷が20代は庭方役をやっていたことを考えると、間者西郷は孫子の兵法の良いお手本なのかも知れない。西郷は孫子の推奨する全ての要素を兼ね備え、そして今なお悪くいう者がいない傑物である。



---- 以下、余談 ----

無償の愛が人の心を動かす理由は単純だ。金を払うと、奉仕は金の対価になるからだ。金のためにやったのだから、普通の仕事と同じになる。無償に人は心動かさる事が多い。金の性質を抑えると、役に立つ事もあるだろう。

良く金にならない事をする者は馬鹿と言う輩がいるが、本当にそうだろうか?それは倫理的な意味もあるが、こういった金の性質からも言えるのである。金は道具である。この道具はもらわないという選択をもって、一番輝く場合もある事も知らねば、金を十分に使いこなしたとは言えない。

孫子の兵法 用間編その4

3、事は間より密なるはなし

孫子曰く。「故に三軍の事、間より親しきはなく、賞は間より厚きはなく、事は間より密なるはなし。聖智にあらざれば間を用うること能わず。仁義にあらざれば間を使うこと能わず。微妙にあらざれば間の実を得ること能わず。微なるかな微なるかな、間を用いざる所なし。間事いまだ発せずして先ず聞こゆれば、間と告ぐる所の者とは、皆死す。」



【解説】

(間者を駆使するのが君主の業だから)

孫子曰く。「故に三軍あれども事に職においては、間者より親密性のある職はなく、間者より厚遇(賞厚)される職は無く、間者より機密性(事密)を求められる職は無い。そして、徳が高く(聖)正邪を判別する智恵がない者に間者を用いる事はできない。思いやりに溢れ(仁)義理を重んじる者でなければ間者を使う事は出来ない。人情の機微(微妙)に長けた者でなければ間者の心の底の正邪(実)を計れない。何と細やかな心遣いだろう(微なるかな)。しかし、間者を用いない所はないのだ。

間者からの情報(間事)が公表(発)される前に漏れ伝わって来たならば(先聞)、その間者と間者が情報を告げた者は、皆死んでもらわねばならない。」






前回までの話の流れ

  • 常勝の秘訣は間者の活用にある。
  • 間者は5種類あり、使いこなすのが君主の業


と言うわけで、今回は間者の運用面の注意となる。間者が戦の勝敗を決め、使いこなすのが腕の見せ所なのだから、では実際にどういった点に注意するのかと言う話に進んでいる。



その1、間者の地位

間者はその仕事柄、素性がばれては問題があるため、自然とごく限られた人とのみ情報交換するようになる。そのため、自然と君主や将軍など地位の高い者の側で、直に命令を受けながら仕事をする事が多くなるし、作戦立案の場に同席する事もある。直接話を聞きたくなるからだ。兵は皆我が子のごとき存在なれど、君主や将軍と直に接するのは間者のみ。よって、「間より親しきはなし」と言う。間者はその親密性において、最も高い仕事なのである。

また、間者は待遇面でも厚遇されねばならない。彼らは見つかれば拷問されるハイリスクの仕事となるため、待遇面を良くしなければ成り手がいない。そして、待遇に不満を持たれると、敵の2重スパイとして働きかねず、その辺を担保するためにも厚遇は必須である。仕事への感謝を厚待遇で示す必要があるのだ。戦争は戦争する前に勝敗が決すると孫子は度々ふれているが、その主役となって働くのは間者である。間者の働き如何で勝敗のほとんどは決まるのだから、間者が気持ちよく働けるよう苦心するのは当然である。



その2、間者の機密性

言わずもがな間者には機密性がある。間者は素性がばれては情報がとれなくなるばかりでなく、拷問から死ぬ可能性も高くなるし、命欲しさに国家機密を漏らされては目も当てられない。刑事物のTVや映画を見れば、口封じという言葉はお馴染みだと思うが、間者はどうしても口封じと縁の深い仕事となる。

口封じという発想自体は珍しくないため異論は無いと思う。そこで、次は間者の管理者側に立った場合、どういう点に注意するべきか考えて見よう。間者は親密性があり、厚遇しなければならず、機密性が高いという性質がある。では、このような間者はどう管理するべきだろうか?



その3、結局は人間性

間者が間者である事を知る者は限られるため、結局は人間性が物を言うようだ。単純に考えて欲しい。嫌な奴の下で、見つかれば拷問もある仕事をできるだろうか?勘弁してほしいというのが人情だろう。そして、嫌な奴の下で働くのは鬱憤がたまるものだ。長い間には爆発して、信頼できるスパイがいつの間にか2重スパイとなり、敵方のために働くようになるやも知れないのだ。

よく金を払えばと思う人がいるのだが、人間は金には慣れてしまう。特に生活に困らなくなってからが大変で、生活できる金はあるのに、どうして嫌な奴の下でと考えるようになる。やはり人間性に鍵があるのである。この人のために死んでやるとか、この人だけは裏切れないと言わせる人間性を身に着ける事が王道となる。

そこで孫子があげている条件の一つ目が聖智である。聖には徳が高いという意味があり、要は人気者という事となる。やはり間者という命の危険もあり、機密性の高い仕事を管理するには嫌な奴では出来ないと孫子も考えていたようだ。仕事をしないだけならまだしも、2重スパイとなる可能性にも目を向ければ当然だと思う。人気者になる秘訣は、具体的には利他の精神では無いだろうか?

そして、次は智だ。智には正しい行いをするという意味あり、つまり正邪の区別をしっかり付けられる人物が良いと孫子は言っている。恐らく普通すぎるくらい普通の人という事では無いだろうか?優れた管理者と言うと特別な能力が必要と考えがちだが、実は普通が何かを知っているという能力が最も大切である。自分が普通だからこそ、相手のどこが優れていて、どこに弱点があるのか分かるのである。正邪の区別を付けれぬ者には、相手の長所短所が分からない。間者を管理する側としては致命的だろう。普通の何たるかを知る事は優れた能力なのである。

さて、2つ目の条件の説明に入ろう。孫子があげている2つ目の条件は仁義である。まず仁だが、仁は思いやりと言う意味となる。間者と言っても人間であるから、気遣いが必要な事は言うまでもない。悩みがあれば相談にのってあげ、ストレスがたまっているようなら長めの休暇を与えてあげるとか、体が不調なら良い病院を手配し、家族の事で悩んでいるなら家族の問題をも解決してあげる。間者に対してどれだけ親身になって接するかが大切だと孫子は言う。間者を愛し子と思えばこそ、一緒に死地に赴いてくれるのである。

次は義だが、義は義理と義務の意味である。義理は人の歩むべき道を言うが、やはり人の道を踏み外さない事は大切だ。何せ間者は命のリスクを背負うのだから。例えば、弱い者いじめをする者のために死のうと思う人間がいるだろうか?これを考えて見ると良い。人は弱い者いじめから救ってくれた人のために死のうと思うのであって、弱い者いじめをする者のためには死にはしない。何故なら、それが人の道だからである。これを義理と言う。

義務は約束を守る事と理解すれば分かりやすい。あまりにも当然だが、約束を守らない人間に雇われるわけにはいかない。報酬を支払ってくれるかすら分からないのだから。管理者に当然求められる資質となる。孫子は管理者に求められる資質に聖智と仁義をあげているが、当然と言えよう。聖智なき者、仁義なき者に人はついて行かないのである。間者を管理するのだから、特別なスキルが必要と思いがちだが、人間と人間の付き合いには変わりない。求められる資質も、世間一般で求められる資質と同じなのだ。


(次回に続く)

2017年11月24日金曜日

孫子の兵法 用間編その3

(その2の続き)

その4、反間(はんかん)

反間とは、敵方が送り込んできたスパイを、反って此方のスパイとして利用してしまう事を言う。要は2重スパイである。スパイである事には気づかないふりをして利用する場合もあるし、スパイにきづいてる事を伝えて利用する場合もあるだろう。何方にせよ、優秀なスパイは2重スパイなものである。

スパイは機密性の高い情報を得られるほど腕が良いスパイとなるが、実際どうしたら機密性の情報を得られるだろうか?情報は機密性が高くなるほど、限られた人間しかアクセスできない。その情報を得たかったら、よほどの信頼を勝ちとる必要がある。という訳で必要になってくるのが、敵国の情報である。

例えば、敵の動きをピタリと教えてくれる人がいたらどうだろうか?それも一度ではなく、2度、3度とピタリと当てる。こう言う事が続くと段々と信頼関係が作られ、この人は私達の国を助けてくれるとなるわけだ。しかし、そうそう他の国の動きをピタリと当てられるもので無い。敵だって警戒しているし、情報を制限して工作も仕掛けている。それを全て看破してピタリと当てるとしたら、恐らくは敵のスパイなのである。敵のスパイだから敵の動きを知っている。こう考えたほうが単純明快なのである。

そのため、良い情報をくれるスパイは2重スパイの疑いがでるものなのである。こう考えて見ると、反間を通して国同士がキツネと狸の化かし合いをしているのが国際関係となるかも知れない。と、ここまで郷間、内間、死間、反間と説明してきたが、まだ肝心な部分が足りない。それは誰が本国との連絡役となるかである。どんな情報も本国に伝わらねば意味が無い。だから、本国との連絡役が担う人が必要となり、これを生間と言う。




その5、生間(せいかん)

生間とは、敵国に潜入し情報を得て、本国に生きて持ち帰るスパイを言う。一般に想像しやすいスパイの形では無いだろうか?スパイ映画などお馴染みの潜入捜査は、基本的に生間だろう。昔は俳句で有名な松尾芭蕉がスパイだったように、旅芸人であるとか、行商人などが調度この手のスパイだったと思われる。ふらっと訪れて、色々情報を得て本国に報告していたのだ。世界中にいるジャーナリストは、孫子の時代ならば生間と呼ばれていたかも知れない。

生間の各間者と本国のパイプ役としての役目は、とても大切となる。






今回はどんな人間が優秀なスパイとなるのかという話を紹介しよう。スパイ業界のリクルートも大変なもので、スパイとして雇った人が本当に一生懸命働いてくれるかは分からないそうだ。スパイになる事を了承したは言え、自分の所属する団体に唾をはくわけだし、良心から気乗りしないのが普通の人なのである。何せ自分の宿り木となる組織が潰れたら、自分だって困るのだ。当然ながらスパイ活動を適当に胡麻かす人が多くなる。

だが、そんな中やたら一生懸命にスパイ活動に勤しむ人種がいるのだ。それは所謂エリート層に多いと言われる。自分は優秀なのに活躍の場が与えられないとか、待遇に不満があるとか思っている時に、例えば敵国のエージェントが近寄ってきて言うのである。貴方の能力でこんな待遇は可笑しいと。私の国なら貴方に存分の活躍の場を提供するので、是非とも私ども力を貸してもらえないだろうか?と。

こうして優れたスパイが出来上がるのである。こういった層のスパイは、自分に低い評価をした組織に忠誠心というものは無い。そればかりか、自分を認めてくれた敵国に喜々として情報を提供するのである。孫子の時代も、こうやって勧誘していたのかと思うと面白い。



---- 以下、余談 ----

各間者の役割は特に限定はされないと思うが、説明の便宜上つなげて書いている。

孫子の兵法 用間編その2

2、五種類の間者

孫子曰く。「故に間を用うるに五あり。郷間あり、内間あり、反間あり、死間あり、生間あり。五間倶に起こりて、その道を知ることなし。これを神紀と謂う。人君の宝なり。郷間とは、その郷人に因りてこれを用うるなり。内間とは、その官人に因りてこれを用うるなり。反間とは、その敵の間に因りてこれを用うるなり。死間とは、誑事を外になし、吾が間をしてこれを知らしめて、敵に伝うるの間なり。生間とは、反り報ずるなり。」



【解説】

(間者を通じて情報を得るとして)

孫子曰く。「故に間者の用い方となるが、これは5つある。すなわち、郷間、内間、反間、死間、生間である。この5つの間者を駆使し(起)、その形跡(道)を知られないとすれば、神業(神紀)と言うべきものであり、君主の宝とすべきことだ。

郷間は、敵の郷の人間を間者として用いる方法となる。内間は、敵の内部事情に通じた役人(官)を間者として用いる方法となる。反間は、敵から送り込まれた間者を、逆にこちらの間者として利用する方法となる。死間は、敵を欺く工作(誑事)を外にあらわにした後、その偽情報を敵方に伝える役目をになう死ぬ可能性の高い間者となる。生間は、敵国から生還して戻り(反)、敵方の情報を報告する間者となる。」






前回、孫子は常勝の将の常勝たる所以は、スパイの活用にこそあるという話をしていた。そこで、今回は具体的にどのようなスパイの用い方があるのかという、スパイの種類に話が進んでいる。孫子が言うには、スパイと一言に言っても5種類あるのだそうだ。5種類のスパイを変化自在に使いこなし、その一切の形跡すら残さない事に理想の姿があり、君主ならば是が非でも身につけたいスキルと孫子は説く。では、それぞれ見て行こう。



その1、郷間(きょうかん)

郷と言う字の示すとおり、敵の郷(さと)の者をスパイとして用いるという意味となる。人の噂に戸は立たぬもので、例えば、誰と誰が仲が良いとか、誰と誰が喧嘩したという話はみんな好きなものである。そういう井戸端会議の情報も馬鹿にならないもので、敵国の内情のおおよその検討がついてくる。

町の人間に活気があるならば、まずは活気を落とさない事には攻めづらいし、逆に不満で溢れているならば、その不満にお金と武器を用意してあげれば革命運動を誘発できる可能性が高い。スパイとして活用される者に、スパイとしての自覚があるかどうかはその時々だが、敵国住民にスパイを作っておく事は無駄にはならない。現地工作のとっかかりとしても活用できるからだ。

日本も北朝鮮の日本工作員が2万人とも、3万人とも言われているが、彼らが郷間のいい例では無いだろうか?彼らは日本に入ってきて3世代目であるため、すでに朝鮮の言葉は話せないし、生まれも育ちも日本人であるが、常にスパイとして性質を持ち合わせている。北朝鮮を危険にさらさないよう、素性を隠しながら諜報活動しているのである。

このように郷間はとても大切な役目を担うのだが、実際に敵国の内情を知るには物足りない部分もある。所詮、普通の民間人であるから、政権中枢に近い情報は知る由もない。例えば、君主と将軍の仲が悪いと町の噂になっていても、それが本当かどうかという問題がある。噂話ほどあてにならないものも無いわけで、入院したという話が危篤で死にそうまで発展するのが井戸端会議である。そこで必要となってくるのが、内間である。




2、内間(ないかん)

内間とは、敵内部の事情に詳しい役人をスパイに仕立てる事を言い、例えば高級官僚などは典型的な内間となる。敵国の事情に最も詳しいのは、実務を行っている役人である。役人も、地方の役人から高級官僚までレベルがあるわけだが、彼らをスパイにできれば敵国がどう動くのかも分かる。何せ、彼らが実際に国を動かしているのだ。

高級官僚ともなれば君主の近くで実務をこなしている。当然、将軍と君主の仲も分かる。郷間から仕入れた町の噂の真偽が、内間を使うことで確証が得られるのである。もし、噂通り仲が悪いなら、その高級官僚にお金を渡して、君主と将軍の仲を割いてしまうのは歴史でも良く見られる工作である。

例えば、秦の始皇帝を見て見よう。彼はこの手の工作に長けていたようで、秦を散々苦しめた趙の李牧という名将を戦場では無く、謀略によって葬っている。その頃、趙王には郭開という大変可愛がっている寵臣がいた。そこで秦は郭開に大量に賄賂を渡し、趙王に李牧が謀反を企てていると嘘をつかせたのだ。それを間にうけた趙王は、希代の名将である李牧を誅殺してしまう。その3か月後に秦が趙に攻め入り、趙が亡ぶのである。内間の典型的な成功例となろう。

さて、このように内間はスパイ中のスパイであり、高級官僚ともなれば最も大切なスパイともなる。情報の信頼性が高いからだ。だが、その情報の信頼性を逆手にとって、偽の情報を流したらどうなるか?これが死間となる。





その3、死間(しかん)

死間とは、その名の示す通り、死ぬ事が前提のスパイとなる。何故死ぬのかと言うと、相手に偽の情報を流す役目を担うからである。本人がそう自覚して流す場合と、自覚してないで利用される場合のどちらもあるが、敵から見たら賄賂を受け取った挙句、騙されたわけだ。死間は言わば詐欺そのものであるから、敵の恨みを買い、一生狙われる事になるだろう。

戦争は国レベルで行う行為だが、その終わりは国レベルと個人レベルに分かれる。国は終戦したけれど、俺の戦争はまだ終わっていないという感情がある者もでてくるのだ。例えば、スナイパーだ。腕の良いスナイパーは恨まれやすく、終戦後に個人的に殺される事がある。国は負けたが、俺の上官を殺したアイツだけは許さない。そうして終戦後も狙われるのである。退役した軍人を、国が四六時中守る事は無理である。だから、戦後になっても付け狙われる彼らを守りきるのは難しく、戦争に勝ったはずが当人は殺されてしまうのである。死間はスナイパーと同じ状況となろう。

死間は使い捨てになるわけだが、それでも国から見れば大切なスパイとなる。例えば、陽動作戦をする時など、どうしても敵の目をそらすために偽の情報を流す必要がでてくる。その時は情報の信頼されている人間から流すのよく、逆に信用性の薄い所から流しても敵も信用してくれない。だから、スパイ通しの付き合いの中で、敵に信頼されたスパイから敵のスパイへ偽情報を流すのである。よって恨みも買いやすく、死間は死にやすいのだ。

死間が成功すれば、偽情報とは知らずに敵のスパイが上に報告するだろう。これは見ようによっては、敵方のスパイを上手く利用したとも言える。敵方のスパイを逆用して、陽動作戦を成功させるのだから。そして、これを反間と言う。



(次回に続く)



2017年11月23日木曜日

孫子の兵法 用間編

1、敵の情を知らざる者は不仁の至りなり

孫子曰く。「およそ師を興すこと十万、出征すること千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費し、内外騒動し、道路に怠り、事を操り得ざる者七十万家。相守ること数年、以って一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将にあらざるなり。主の佐にあらざるなり。勝の主にあらざるなり。

故に明君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆に出ずる所以のものは、先知なり。先知は、鬼神に取るべからず。事に象るべからず、度に験すべからず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ10万もの軍(師)を率いて(興)、千里のかなたまで出征するならば、百姓の出費や、公家の負担(奉)は一日千金を費やすほどになる。国内外が騒動となり、駆り出された人民は往来に疲れ道路にへたり込み(怠)、本業(事)に専念(操)できない者は70万家にのぼる。

戦争とは互(相)いに数年守りあい、勝敗が決する一日を争うものである。にもかかわらず(而)爵位と俸禄の百金を惜しみ、敵の内情を知ろうとしない者は、思いやりに欠けていると言わざる得ない(不仁)。およそ人の将たる器ではなく、君主の助(佐)けにならず、勝利も得られまい。

聡明な君主や賢明な将軍が動けば人に勝ち、はなばなしい(衆出)成功を収めるのは、敵の内情を先に知るからである。先に知ると言っても、鬼神のお告げ、占い(象事)、天体の動き(験度)から知るわけではない。必ず人を通じて敵の内情を知るのだ。」






結論を一言で言えば、スパイは大切という話だ。何故、スパイを使わねばならないのかを、懇切丁寧に孫子が説いている。孫子が言うには、戦争は大変金がかかるものだそうだ。10万もの民衆を集め、千里の彼方まで遠征すれば、一日千金と言う大量の金を消耗する。農民が兵に駆り出されれば、誰が田畑を耕すのだろう?歳入は減るに、歳出は膨大なのである。

そして兵が千里先へ遠征すれば、食料も千里先へ輸送する事になる。この負担も民衆に大きく降りかかる。長く伸びた補給路を警護するために民衆は駆り出され、道を何度も往来する内に疲労感に苛まれる。兵として戦わない者達までも地べたに座って休むようになり、70万もの家が本業に専念出来なくなるのだ。戦争とはかくも負担を強いるものなのだ。

戦争は押したり引いたり数年の膠着状態が続くものだが、最後に勝敗が決するのはたった一日だ。言わばその一日のために、様々な準備をするのが戦争なのである。にもかかわらず爵位や金を出し惜しみ、敵の内情を探ろうとしないなら、勝つための準備をしたと言えるだろうか?いや、してないと孫子は言うのである。

負ければ全てを失う兵や民衆に対して、思いやりがないと言わざる得ない。およそ人の上に立つ器では無いし、君主の補佐たる将軍の役は担えない。敵の内情も知らずに戦い、兵を無暗に殺す者が勝てるわけがないからである。聡明な君主や、賢明な将は戦えば常に勝ち、華々しい成功を収めるが、それは情報戦で先んじるだ。他の者が神頼み、占い、天体の動きに頼る中、彼らだけはスパイからの情報収集を徹底していると孫子は言っている。



仕事で考えて見よう。仕事でも情報は大切だ。特に情報の鮮度が大切で、活きの良い情報をどれだけ手に入れられるかが勝負の分かれ目かも知れない。だから、情報の価値を知っている経営者ほど、良い情報があったら先ず俺のところに持ってきてくれと言うものだ。何時の時代も情報に通じた者が有利に事を運ぶのであろう。

情報が大切な事には異論はないと思うが、問題はどうやったら手に入るかだ。それは、一つは買う事である。無料で良い情報は落ちていないのだから、自分で金を出して買う意識を持たねば良い情報には巡り合えない。孫子が言うように、爵禄百金を惜しんでは立ち行かないのである。今は質の高いのに無料のネット情報も多いので、大抵の事は無料でも十分な情報をえられる時代になったが、人に先んじてるならやはり有料の情報源が必要である。まずは情報は買うものと意識を変えると良いだろう。

そして、有料の情報に接するうちに、自分もその水準でものを考えられるようになっていくだろう。どれくらいが無料の水準で、どれくらいが有料の水準なのか判別がつくようになり目が肥えるはずだ。そうなったら、次の段階に進める。貴方独自の人脈を作れるのだ。

人脈づくりのポイントは、自分が情報の中継点になる意識だ。みんなに自分から良い情報を教えてあげると良い。情報を集める内に自分には使えない情報でも、知り合いには良い情報だったりする事がでてくる。あの人は興味ありそうだと思ったら、迷わず教えて上げると良い。そうしている内に、自分にも良い情報がまわってくるようになるのである。これが情報の中継点というイメージとなる。

「まずは与えよ」とは良く言ったもので、活きた情報をくれる人脈を作りたかったら、自分から発信する意識が欠かせない。貴方が周りを喜ばせるから、周りも貴方を喜ばせるために情報を教えてくれるのである。なお、腐った情報を勿体ぶって教える人がいるが、腐った情報をもらって喜ぶ人はいない。腐った情報をあげても、人脈にならない事には触れて置く。教えるなら相手にとって有益な情報を心がけて欲しい。



---- 以下、余談 ----

1、70万家について
井田の法と言って、古代中国では8家で1つの共同体をなしていたようだ。そのうち1つの家が戦争に駆り出されると、残りの7家でそのサポートをする。そうすると、他の7家も本業に支障をきたすようになる。10万の兵だと、単純に7倍の70万家という目算だろう。なお、この場合の本業は農業となろう。


2、事に象るとは?
卜筮という古代中国の占いの事を言ってると解釈している。トは亀の甲羅を焼いてできる亀裂をみる占いで、筮は筮竹と言われる竹の束を使う占いの事である。象るの意味を考えれば、これらの占いは事に象っているだろう。


3、度に験すとは?
度は天の度数の意味で、天体の動きとなる。実験でお馴染みの験には、結果が形となって現れるという意味がある。度に験すとは、つまり天体の動きに形となって現れるという事で、星占いと解釈している。


2017年11月22日水曜日

孫子の兵法 火攻編その4

4、利に合して動き、利に合せずして止む

孫子曰く。「それ戦勝攻取してその功を修めざるは凶なり。命づけて費留と曰う。故に曰く、明主はこれを慮り、良将はこれを修む。利にあらざれば動かず、得るにあらざれば用いず、危うきにあらざれば戦わず。

主は怒りて以って師を興すべからず、将は慍りを以って戦いを致すべからず。利に合して動き、利に合せずして止む。怒りは以って復た喜ぶべく、慍りは以って復た悦ぶべきも、亡国は以って復た存すべからず、死者は以って復た生くべからず。故に明主はこれを慎み、良将はこれを警む。これ国を安んじ軍を全うするの道なり。」



【解説】

孫子曰く。「そもそも、戦に勝ち手柄をたてたにも関わらず(攻取)、その手柄に正当な評価(修)を得られないなら不吉そのものである(凶)。名付けて(命)費留と言う。故に賢明な君主はこれを憂慮し、良将は正当な評価を受ける事ができる(修)。有利な状況にないならば動かず、戦って得るものもなく軍を用いず、危険が迫っていないならば戦わない。

君主は怒りにまかせて軍(帥)を興してはならないし、将は私憤(慍)から戦ってはならない。戦理(利)に適うなら動き、戦理(利)に反するなら止まるのだ。怒りならば再び喜ぶ事もできよう。憤(慍)りならば再び満足(悦)も得られよう。だが、国が亡べば再び存在する事はなく、死者は再び生き返ることは出来ないのである。故に賢明な君主は怒りに身をゆだねる事を慎み、良将は私憤に警戒する。これが国の平安を保ち、軍の力を発揮する道理、道徳となる。」






まず最初に、孫子が費留について警告している。手柄を立てたにも関わらず見合った褒美をもらえないなら不吉そのものであると。孫子はこれを費留と名付けていて、この言葉は孫子独自の言い回しのようだ。意味は字をそのまま解釈すれば、費用として留まり利益が得られないという事だから、日本の言葉で言えば、骨折り損の草臥れ儲けであろう。では、順次説明していく。



その1、国レベルの費留

戦争には大量の金がかかる。今の金額で言えば、数兆円をかけて戦争して何も得られないとしたらどうだろう?気でも狂ったかと言いたくもなるはず。戦争するならば、戦前より戦後が良くなるのは最低限の条件なのである。

軍は存在するだけで金がかかるものだ。普段は農民をやっている者を10万も集めて連れて行く事を想像して欲しい。食料は農民が作っているのである。戦争で兵として駆り出されれば、耕作放棄地が沢山出る事だろう。そして、兵は飯を食べねば生きれない。今まで食料を作ってくれた農民が、兵として食うだけになるのだ。この負担たるや、相当なものになる。

にもかかわらず、軍を意味も無く何処かに駐留させたらどうなるだろう?得られるものが無いのに、駐留させたらどうなるだろう?国は傾くに違いなく、不吉の前兆となる。だから、賢明な君主はこれを憂慮し、無駄な事はしないと孫子は言うのである。



その2、人的レベルの費留

将兵にしても、命を懸けて戦って褒美が少ないでは納得がいかない。それは必ず不平不満の温床となり、何時か王へ反旗を翻す者がでてくる。人は利によって動くのである。利を与えずに動かせば、それは騙したのと同義だ。騙された者は面従腹背となり、傾国の尖兵となってしまうだろう。

だからこそ賢明な君主は、開戦を考えると同時に褒美の目星もつけるし、褒美への心配がないからこそ将兵が安心して命をはれるのである。戦争は単に勝てば良いものでは無い。戦後に十分な報奨を与えるからこそ国がまとまる事を知らねばならない。なお、君主が将軍の働きに報いるように、将軍も兵の働きに十分に報いねばならない事は言うまでもない。



こう考えて見れば、孫子の言う「有利な状況にないならば動かず、戦って得るものもなく軍を用いず、危険が迫っていないならば戦わない。」も当然と言えよう。費留は御免だからである。しかし、人間は度し難い生き物だ。理屈は分かっていても、「分かっていたはずなんだけど・・・。」とミスを犯してしまう。それが顕著なのが怒った時である。冷静な時は犯さないミスも、怒れば話は別となる。短気は損気とは良く言ったもので、人間が落とし穴にはまるのは感情が乱れればこそである。だから、孫子は怒りについても警告している。



その3、怒りの制御

戦争は、戦後処理も含めて戦争である。怒りにまかせて戦争するならば、もし得るものが無かった場合、かかったコストはどう回収するのだろう?将兵への報奨はどうするのだろう?国がやせ細るばかりである。

ただ、それでも勝てればまだ良い。だが勝敗は個人の感情とは別の次元に存在する。戦理に適っているから勝てるのであり、怒っているから勝てるのではない。戦利に適っていなければ、怒っていても負けるのが現実である。怒りは時がたてば喜びにもなろう。憤りも時がたてば満足になろう。だが、国は負ければおしまいである。人は死ねば生き返ることは無い。

だからこそ、賢明な君主は怒りに身をゆだねる事を慎み、優れた将は憤りに警戒するのである。怒りで戦争を起こして、良い試しがない事を知っているからだ。これぞ国を平安にし、軍を屈強とする秘訣となる。



豊臣秀吉の逸話を紹介しよう。秀吉は恐ろしく気前の良い男だった言う。ある時、九州征伐で活躍した蒲生氏郷の処に、自分の愛馬を引かせていき、これに乗って本陣まで来いと気前良くプレゼントした事がある。そして、蒲生氏郷が馬にのって本陣に出向くと、今度はその活躍を褒めまくるでは無いか。秀吉の愛馬をもらい、みんなの前で褒められたのである。蒲生氏郷もさぞ鼻が高かったであろう。

だが、秀吉の気前の良さはこんなものではない。何と蒲生氏郷の家来をも呼び寄せて褒めちぎるのである。「お主が四方八方斬り進むのを見ていたぞ。この指物じゃな」と言いながら大喜びし、自分が来ている陣羽織をプレゼントしてしまう。かと思えば、他の家来には「お主も良く働いてたな。見ていたぞ。」と言って、自分の指物を渡して大盤振る舞いである。だからこそ、秀吉は人心を掴むのである。

そして、秀吉は何故こんなに褒美を与える事ができたのか?それも考えるのが孫子の兵法である。秀吉とて、先立つものも無く褒美を与える事はできない。秀吉の気前の良さは、戦争の対する優れたコスト意識の賜物だったはず。秀吉と言えば奴隷の身分からの立身出世だが、その過程は必ず利益が費用に勝っていた。だからこそ、勝てば勝つほど彼は栄え、そして気前良く褒美を取らせることができたのだ。

このように秀吉を数字の面から見て見ると、また違った印象を持てるのでは無いだろうか?彼は誰よりも気前が良かったが、破産していない。普通ならば破産していよう。彼の気前の良さは完璧なコスト管理に裏付けされていたのである。孫子が度々言っている戦争のコスト管理は、秀吉によって体現されているのである。

また、秀吉は怒りの制御も上手かった。私憤を持つどころか、相手を許す達人なのである。信長にどれだけ折檻された事だろう?猿と言われ、はげ鼠と罵られ、叩かれるなんて日常茶飯事である。普通なら嫌がりそうものだが、秀吉は「信長様も彼方此方に敵を抱えて気が休まらないのだろう。俺を怒る事で気が休まるならそれで良い。」と言って満面の笑みである。

次は三木の干殺しのエピソードを紹介しよう。秀吉は城攻めのために、敵方の武将である中村忠滋と内応しようと考えた。その中村忠滋は自分の娘まで人質にだし、秀吉を信用させる。秀吉もそこまでするなら裏切るまいと喜び、手筈どおりに約束の場所へ兵を送ったそうだ。そうしたら、どうだ?中村忠滋にまんまと裏切られ、送った兵を皆殺されてしまったではないか。何と言う失態だろうか。

三木城はその後壮絶な兵糧攻めにより落ちる事となる。中村忠滋は捕まり、秀吉の前に連れだされる事になった。秀吉が何を言うかと思ったら、「嵌めたお前を斬ってやろうと思っていたが、考えて見れば、お前も娘を出してまで忠義を尽くして立派である。」だ。そして、命を助けるばかりか、高禄をもって召し抱えてしまうのだから凄い。中村忠滋は感動して震えたと言う。

孫子は私憤による戦争は、絶対にしてはいけないと説いている。なぜ秀吉が天下人まで上り詰める事ができたのかを考えれば、孫子の言わんとする事の正しさも伺い知れるというものだ。秀吉は誰よりも論功行賞に長け、誰よりも許す達人で私憤と縁遠い男だったのである。



---- 以下、余談 ---

秀吉の三木の干殺し
http://ageofsengoku.net/pc/toyotomi/201605122241.html

2017年11月21日火曜日

孫子の兵法 火攻編その3

3、火攻めと水攻め

孫子曰く。「故に火を以って攻を佐くる者は明なり。水を以って攻を佐くる者は強なり。水は以って絶つべく、以って奪うべからず。」



【解説】

(火攻めの変化、注意点を網羅するとして)

孫子曰く。「故に火を攻撃の助(佐)けに出来る者は聡明である。水を攻撃の助(佐)けに出来る者は、水勢の強大な力を得よう。ただ、水は敵を断(絶)つ事はできるが、奪うには至らない。」






孫子が火攻めと水攻めを比べていると思え良い。ただ、結論を言えば、何方も一長一短だ。例えば、火は敵の資源を燃えて奪うが、敵の資源を奪いたい時に火攻めは適さないだろう。水攻めで敵の城が壊れる事はないかも知れないが、そのお陰で水が引けば城をそのまま利用できる。火と水の性質を良く知り、状況に応じて、火攻めと水攻めを使いこなせる者が有能と言えよう。



その1、火攻めの性質

火攻めはただ燃やせば良いという訳では無い。風など様々の要因を計算しなければならないため、聡明さを求められる攻撃となる。たき火で火をつけるのとは違うのだ。時には敵と内応しなければならないし、火を利用した罠の可能性も看破しなければならないし、風の吹き方も計算にいれねば不発に終わる事を知っておかないといけない。

ただ、成功すれば威力は甚大で、燃え盛る火は如何ともし難く、敵や物資を焼き尽くしてしまう事だろう。そして、敵兵からも徐々に士気がなくなって行く。ある者は焼かれる恐怖のあまり、ある者は食料が焼かれ尽きるのを見て。まさに奪うという文字がピッタリとくるような状況となるから、昔の人はこれを気を奪うと言った。気はエネルギーの事だと考えれば、火攻めはエネルギー(気)を奪う行為とも言えるのだ。



その2、水攻めの性質

水攻めの明快なイメージは、床上浸水では無いだろうか?大雨で洪水が来たことをイメージして欲しい。これを人為的に引き起こすのが水攻めである。水攻めをされると、人は瞬間に呆然とする。例えば、城攻めを考えて見よう。朝起きたら自分のまわりが水浸しになっている。逃げようにも動けないし、攻撃しようにも動きを封じられている。食料も水につかって食べれなくなる。なんせ肥溜めの糞尿まじりの水だ。そして、水が体温を奪うにつれ敗北を実感するのである。

これを気を断つと言う。補給路が断たれ、逃げ道が断たれ、備えが断たれ、攻撃が断たれ、気持ちが断たれる。人を含めすべてはエネルギー体と考えれば、エネルギー(気)の流れが断たれ、孫子の言うように強の文字にふさわしい攻撃となる。ただ、水による攻撃は城を流しはしない。城全体が水につかるだけである。そういうイメージを「奪うには至らず」と孫子は表現しているのだろう。



その3、コストによる比較

火攻めにくらべると、水攻めは手間がかかるかも知れない。城を攻めるなら、大河の流れを変える土木作業が必要だろうし、その作業中に敵の妨害をされないように警備も必要だ。火攻めは火をつけるだけなため、タイミングさえ計れるなら難しいことは無い。火矢でも良いし、薪をもって行き火をつけても良い。ただ、火攻めは敵の防衛部隊の隙を突いて、安全に火を放てる環境を整えるのが難しく、水攻めは土木工事さえできるなら人には防ぐ手立てがないだろう。

過去の歴史を見ても、水攻めより火攻めのほうが多いことから、火攻めのほうが準備が簡単なのは間違いない。日当たりの良い高地が基本の頓営への攻撃は、水攻めという訳にもいかないから火攻めが主になる気がするが、城攻めの場合は敵城を焼く事が良いかは何とも言えない。戦後処理を含めて考えれば、敵城を我が城として活用できるのが最も良いのだから、その点では水攻めが勝ろう。

こう考えて見れば、火攻めと水攻めは何方が良いというものでは無く、状況に応じて使いこなす性質のものなのである。なお、城を攻略した水攻めは、蒼天航路という漫画でも描かれた曹操の呂布戦、それ以外だと土袋1万で即席のダムを作った韓信が有名であろう。韓信は逃げるふりをしながら敵を誘い出し、十分に引き付けたのを見てダムを決壊させた。逃げ惑う韓信を追ったら、そこに大量の水がきたというから驚きである。敵は大半を飲み込まれたそうだ。こうした韓信の名声は麻雀になり、今なの国士無双の夢を提供している。



仕事で考えて見よう。仕事でも火攻めと水攻めを使いこなす感覚は大切だ。時には烈火のごとく無我夢中で働く事も必要だが、時にはダムが水をためるように力を蓄える時期も必要である。人生は山あり谷ありと言われるように、右肩上がりの時期があれば、停滞する時期も必ずある。この必ずという言葉に着目して欲しい。

失敗すると、こんなはずでは無かったと言う人がいる。子共なら志望校に落ちて、大人なら出世コースから外れて、事業に失敗してだ。しかし、考えてもみて欲しい。どんな人間も100戦して100勝とはいくまい。ならば、自分の人生は停滞するはずが無いと計算してはいけない。本来は停滞を避けられないのが人生である。

貴方は命ある存在だが、命と言う字はどう書くか?人の下に数字の一を書き、叩くと書くだろう。つまり、命ある人間は一回は叩かれる。停滞は人生にはつきものと字に書いてあるではないか。停滞せぬ人生など無いのだから、例え停滞しても肩を落とす必要は無い。必ず来るその時が、今来ただけ。無いという事が無いと気づく事が肝要なのである。ある時は烈火のごとく、ある時は水をためるがごとく。人生も火攻めと水攻めである。

なお、国士無双で有名な韓信は、股くぐりでも有名だ。若い頃何もしないでブラブラしていた韓信は、ある時暴漢に絡まれ、俺を斬るか股をくぐるか選べと言われる。そして、韓信は股をくぐって笑い者にされたのである。これが世の中に2人といない意をもつ国士無双の韓信の若かりし頃の姿である。その後、項羽に使えるが活躍の機会を得られず、ならばと劉邦の元に行ったが処刑されそうになったり、彼の人生は七転び八起である。だが、彼は時を得てなお、国士無双として麻雀になっている。火の如く輝かしい実績に、停滞が妙味を加えるのが人生なのである。



---- 以下、余談 ----

日本では秀吉の高松城への水攻めが有名だ。
http://www12.plala.or.jp/rekisi/takamatujyou.html


2017年11月20日月曜日

孫子の兵法 火攻編その2

2、臨機応変の運用

孫子曰く。「およそ火攻は、必ず五火の変に因りてこれに応ず。火、内に発すれば、則ち早くこれに外に応ず。火発してその兵静かなるは、待ちて攻むることなかれ。その火力を極め、従うべくしてこれに従い、従うべからずして止む。

火、外に発すべくんば、内に待つことなく、時を以ってこれを発せよ。火、上風に発すれば、下風を攻むることなかれ。昼風は久しく、夜風は止む。およそ軍は必ず五火の変あるを知り、数を以ってこれを守る。」



【解説】

火攻めの5つの変化

  1. 人民を焼く
  2. 食料などの積み荷を焼く
  3. 輸送部隊を焼く
  4. 倉庫を焼く
  5. 頓営を焼く

孫子曰く。「およそ火攻めは必ず5つの変化に起因し、状況に応じた臨機応変な対応が必要となる。火の手が敵陣内から上がった時は(発)、速やかに呼応して外からも攻める。ただ、火の手が敵陣内から上がっているにも関わらず、敵陣が静かであるならば、ひとまず待って攻めてはならない。その火力を見極め、火勢に従い攻めたほうが良さそうなら攻め、火勢に従うのが危ないなら攻めるのを止める。

火攻めが外から可能ならば(発)、敵陣内の動きを待つまでも無く、機会を探って実行すべきである。火の手が風上で上がったなら、風下から攻めてはならない。昼の風は長くつづくが(久)、夜の風は止まりやすい。およそ軍は火攻めの5つの変化を知り、これら火攻めの注意点を守らねばらない。」






今回は火攻めをする時の注意点を孫子が説いている。火は風の影響を強くうけるため、火攻めは風に注意しないと自分が焼かれる事にもなりかねない。そこで、まず火攻めの大前提となる風を考えて見たい。とは言え、要は火の風下は危ないという事だけだ。風下から攻撃すると、風によって火が自軍に迫ってくるように燃えあがるため、何方が火攻めをしたのか分からない状況になる。言わば自爆防止の観点から、孫子は風下に警告している。

加えて、風は昼にふくと長く続くが、夜の風は続かない事が多いそうだ。こういった時間的な視点も抑えておくと、質の高い作戦を立案できる。昼に火攻めをするべきか、夜に火攻めをするべきかはその時々で変わるが、続くと思った風が急に止んだり、止むと思った風が止まないのでは作戦が失敗しかねない。

例えば、火は風がなければ上にあがるだけなため、風が吹かないと燃え広がりづらい。風が止みやすい夜に火攻めをすると、思った以上に燃え広がらないかも知れない。風が長く続きやすい昼に火攻めをすると、逆に思った以上に火が燃え広がってしまい収拾がつかなくなる恐れがある。相手を全焼させるときと、降伏を促すときでは何方の状況が良いかも違うだろう。

このように風だけで考えても、その時々の目的や状況によって、好ましい火攻めは変わるのである。孫子は火攻めの5つの変化を知り、火攻めの注意点をしっかり守らねばならないと言っているが、その言わんとする事も何となく伝わっただろうか?実際は風の変化に、他の要因が重なり複雑な変化となるのである。

さて、話を続けよう。火攻めと一言に言っても、敵陣内の中から火の手をあげるか、敵陣の外から火矢などによって火の手をあげるかの大きく2つある。




その1、敵陣内から火の手があがる

敵陣内から火の手が上がった場合、此方の工作が成功したか、若しくは謀反なり敵に良からぬ事が起きたはずだ。どちらにせよ火事で敵は慌てている事が容易に想像できるため、絶好の攻め時となる。敵は火に気をとられ、とても強く戦える心理状態にないはずだ。

ただ、火の手が上がっても、敵が静かな時がある。これは妙な状況で、普通は逃げるなり、消火なりで騒がしくなるはずだ。それが静まり返っているという事は、罠の可能性も疑わねばならない。そこで、それを見極めるために、一先ず攻めるのを止めたほうが無難となる。とは言え、火の手が上がってる事には違いない。絶好のチャンスの可能性もあるのだから、火の勢いを見て攻めるかどうか再考すると孫子は言っている。

典型的な罠としては、敵がすでに陣内にいない場合だ。敵を攻めさせるために火の手を上げて誘われた場合、攻め入ると逆に閉じ込められ火攻めを食らってしまう。火事の最中に敵が静なのは、それくらい可笑しい事だ。例えチャンスに見えても、用心深く攻め入らないほうが良い事はある。大戦果をあげるより損害を出さない事を念頭におき、確実に勝てる時だけに勝つ。それが名将と言うものだろう。



その2、敵陣の外から火攻めをする

そもそもの話、敵陣の外から火攻め出来るなら、敵陣内への工作は必要ない。敵陣内から火の手があがらずとも、外から機会を見て火攻めをするのは当然だ。この場合、敵陣内への工作したなら目くらましの意味が強くなるだろう。外から火攻め出来ないから、中へ工作を仕掛けるのに、中から上がる火の手を待っては本末転倒となる。




仕事で考えて見よう。孫子は火攻めの注意点をあげているため、今回は仕事の注意点を紹介したい。仕事の注意点は様々あるだろうが、感覚の基礎は先憂後楽の精神であろう。先憂後楽は後楽園の語源になった言葉だが、人より先に憂いて、後に楽しむという意味となる。人が心配してない事を先に心配し、人が楽しんだ後に自分は楽しむ。そういう人間にこそ最後に福が来るものだ。

人より先に楽しんだもの勝ちという風潮があるが、やっかみの対象となって恐らく長くは続かない。人より後に楽しむと一見損するようだが、そんな事はない。理由は単純で、人より後に楽しめば良いという人間にはストレスがないのだ。人より先にという人間は、一見上手くやっているようだが、意外とストレスにあふれていたりする。人より先に楽しみたいのに、周りに邪魔をされてしまうのだから、心は穏やかになれないのである。見た目とは裏腹なのだ。

天国と地獄と言う法話を紹介しよう。地獄は厳しいというイメージがあると思うが、そんな地獄も食事だけは豪勢だったりする。意外な事に、地獄は食事だけは自分の好きな食べ物を食べれるのだ。ラーメンが食べたければラーメンがでてくるし、高級コース料理が食べたければ高級コース料理がテーブルに並べられる。はっきりと羨ましい状況となる。

ただ、そこは地獄、自由には食べさせてはもらえない。何と身の丈もある箸を手にくくりつけられ、それで食べなさいと言うのである。もし手づかみで食べようとしたり、口を近づけて食べようとすれば、鬼が出てきて金棒で殴られる。しょうがないから地獄の住民は身の丈もある箸で、どうにか料理を口に運ぼうとする事になる。だが、長さが身の丈もあって口に運べるだろうか?

やはり地獄は地獄なのである。自分の前には食べたいご馳走が並べられ、腹もすいている。なのに料理は食べられずに、手の届く範囲にある料理を見ているだけ。地獄の住人は欲が深いことを考えれば、想像しただけで恐ろしい仕打ちだ。焦らされすぎて、身を焼かれる思いだろう。そのため、地獄ではうめき声が止まないのだ。食事もとれないから、地獄の住民は手足はガリガリになり、腹だけがでた栄養失調の姿となりはてる。常に空腹のなかで、食べられそうで絶対食べれないご馳走を目の前にして暮らすしかないのである。

では、天国はどうかと言うと、流石に天国である。住民はふくよかだし、笑い声に絶えない。さぞ良い処だろうと思ってしまうが、実はそうでも無い。なんと地獄と同じ場所である。地獄と同じで身の丈もある箸を渡されるし、手づかみや口を近づけて料理を食べようとすれば鬼に殴られる。どうして天国の住民は笑っていられるのだろう?

それは、自分の箸では他人に食べさせるからだ。身の丈もある箸では自分の口には運べないが、他人の口に運ぶなら調度良い長さとなる。だから天国の住人は、自分の箸で他人の食べたい料理を他人の口に運んでいたのだ。好きな料理を食べると、美味しさのあまりご返杯という心境になるものだ。だから、自分もご返杯で好きな料理を食べさせてもらえる。これが笑顔の秘密である。

同じ場所で食事をしておきながら、地獄の住民は自分の事ばかり考えるために飢え苦しみ、天国の住民は福を分け与える事を知るために、食べたいものを腹いっぱい食べ幸福に過ごせる。これが先憂後楽の心である。



---- 以下、余談 ----

孫子の言う「数を以ってこれを守る」の部分が良く分からなかった。火攻めの注意点を一つではなく、全て網羅するという事で数という表現を使ったと予想して訳文を書いた。実際の火攻めを考えれば、その目的も状況に応じて5種類の組み合わせとなるわけだし、注意点も組み合わせの中で存在する。



2017年11月18日土曜日

孫子の兵法 火攻編

1、火攻めのねらい

孫子曰く。「およそ火攻に五あり。一に曰く、人を火く、二に曰く積を火く、三に曰く、輜を火く、四に曰く、庫を火く、五に曰く、隊を火く。火を行なうには必ず因あり。煙火は必ず素より具う。火を発するに時あり、火を起こすに日あり。時とは天の燥けるなり。日とは月の箕、壁、翼、軫に在るなり。およそこの四宿は風起こるの日なり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ火攻めの目的は5種類ある。一に人民を焼く事。二に物資や食料などの積み荷を焼く事。三に輸送部隊(輜)を焼く事。四に倉庫を焼く事。五に頓営を焼くなど隊を攻撃する事だ。

火攻めを行うには、必ず事前の準備(因)が必要となる。発火装置(煙火)は必ず予め備えなくてはならない(素具)。火をはなつ(発)には適した時期があり、火攻め(火起)に適した日がある。時期は乾燥した時期が良い(天燥)。日は月が箕、壁、翼、軫に在る時だ。およそこの星座に月がかかる時は(四宿)、風が起きる日となる。」






火攻めと言って誰でも思い浮かぶのは、城や宿舎を焼く事だろう。城を焼けば、城下町にいる人民は勿論焼け死ぬし、宿舎を焼けば保管されていた食料などの積み荷や、財宝や財貨、駐屯する部隊にそれぞれダメージがあるはず。当然のように輸送車両も燃えるし、武器も燃える。そして、そこは倉庫としても使えなくなる。

これはTVドラマや、歴史小説を見ればお馴染み話だが、実際に火攻めをやる側にたって考えて見れば、火攻めをする目的も当然敵が受けるダメージの部分になる。孫子が火攻めの目的を5つあげているが、目的から見るより、火攻めを想像してみるほうが得心がいくだろう。考えて見れば、当たり前の話をしているだけだ。

加えるなら、最近はトランプ大統領や、金正恩でお馴染みとなったマッドマン・セオリーにも一役買う。例えば、織田信長は比叡山焼き討ちが有名だが、坊主をも殺すのでは何をされるか分からないとなれば、その名前を聞いただけで逃げたくもなる。これは戦国武将としては、相手の降伏を引き出す大きなメリットともなる。むごい事もできないのでは、相手に舐められ粘れると思われてしまい、戦争が長引いて被害が増すばかりだ。むごい事をするからこそ取引における譲歩が活き、戦争は早く終結する面も知らねばならない。火攻めはマッドマンの演出になるのである。

さて、では実際に火攻めをすると考えて見よう。どうしたら良いだろうか?敵だって防御はしているわけだから、単に宿舎に出向いて行って火をつけては見つかってしまう。敵の防備を掻い潜るには、敵に内応者が必要になるかも知れないし、スパイによる入念な現地調査が必要かも知れない。実際、歴史上の大戦果をあげる補給基地攻撃は、敵方の補給基地の役人が待遇への不満から情報提供者になっていたりする。

そして、火攻め出来るとしたら、次は当然どう火をつけるかという問題がでてくる。例えば、火矢なのか、薪を現地までもっていって油をかけて火をつけるのか、現地の状況によって用意するものも変わってくるだろう。こういった諸々を考えて、孫子は火攻めには事前の準備が必要だし、発火装置も予め用意しておかねばならないと説いているのである。

そして、火攻めは名前の通り火を利用した攻撃だから、天候の状態によって大きな影響をうける。例えば、雨の日に火をつけられるだろうか?このように火攻めを最大限有効にするためには、天候も考えねばらならない。そこで孫子があげているのは、以下2つとなる。



その1、乾燥する時期を選ぶ。

日本で言えば、梅雨時から夏と秋から冬では燃え方が全然違う。自分の感覚では火の勢いが2倍から3倍は違う。戦争は相手あっての事なため、乾燥する時期に戦争できるかは分からないが、乾燥した時期の火攻めはより強力な攻めとなる事は間違いない。恐らく消せなくなってしまうだろう。



その2、風を読む。

たき火をすると良く分かるのだが、火はちょっとした風にも横になびく。強風ともなれば、地面を這うように火が横に行くなびくのだから、たき火は風のない日に限る。ただ、逆に言えば火攻めは強風の日に限るわけだ。火が地面を這うよう横に流れるのを火攻めに利用しない手はない。孫子が言うには、風が起きる日はだいたい決まっていて、星座と月の位置関係で風が読めるそうだ。月が箕、壁、翼、軫にかかると次の日は風が起きると言うのだから恐ろしいものだ。箕、壁、翼、軫は中国の星座名となる。(二十八宿と言う。)



仕事で考えて見よう。火攻めを成功させる秘訣は、言わばインエリジェンスにあり、火攻めをする前の情報管理こそが勝敗の決め手となっている。単に火をつけにいって成功するはずがない。火をつけられるように敵の隙を窺うからこそ、火攻めという大技が成功するのである。火攻めの見た目の派手さに目を取られるのではなく、事前準備に目をやると見え方が変わるだろう。火攻めが威力よりも、火攻めを成功するべく成功させた準備こそが立派なのである。

仕事も同じで、準備8割と思って仕事に臨むと良い。いい仕事は下準備が決める。スーパープレーに目をやるのではなく、当たり前のことを当たり前にこなす凄さに気が付く事が孫子の兵法である。という訳で、今回は何が仕事の下準備なのかという話を紹介しよう。

思うに、仕事で最も大切な準備はプラス思考である。プラス思考ほど貴方を助けるものは無いだろう。究極のプラス思考を前にしたら、悪い事なんて起きようが無い。良い事しか起きない人生を送れるはずだ。こう言うと、そんなうまく行かないというかも知れない。確かにそうかも知れない。凹むのも人間味というものだ。

ただ、身に着けられるとしたらどうだろう?いきなりプラス思考のみの人間になるのは難しくても、人間はトレーニング次第でそなれるとしたらどうだろう?やってみる価値があると思わないか?

具体的な例を紹介しよう。例えば、笑ってみて欲しい。嘘の笑いで良いから、しばらく嘘笑いをして欲しい。楽しくなって来ないか?陽気にならないか?これが人間である。人間は楽しいから笑う動物と言うより、笑っていると楽しくなる動物なのである。だから、故・中村天風翁は言う。悲しい時は、努めて笑いなさい。そうすれば、悲しみのほうから逃げていくと。笑いは数多く動物がいるなかで、人間だけに与えられた特権だと言う。その特権を使わないのは、勿体ない。

例えば、暑い時は体はだれるかも知れない。だが、心までだれてはいけない。暑いからこそ余計に元気が出てきたと言う人間が良い。失敗した時、普通の人は凹むかもしれない。だからこそ、今日はこれを学ぶ機会を得たのかと言う人間が良い。そう言えるようになるポイントは笑ってしまう事。笑って心が陽気に傾けば、自然とそういう言葉も言えるようになる。ちょっとしたテクニックだが、覚えておくと役に立つ事もあるだろう。




---- 以下、余談 ----

織田信長の比叡山焼き討ちは無かったという説も有力の様子。焼き討ちすれば大量にでるはずの白骨が出てなかったり、当時の比叡山のボスは天皇の弟君であったので、比叡山焼き討ちをすると朝敵として四方八方から攻撃されかねない。でも、されていないのだからという訳だ。最近は織田信長も働き者で努力家だったと評価が見直される向きもあるが、葬式で親父の死体に灰をぶっかけるなど異常といわれる行動も、今で言えばマッドマンセオリーを考えての事だったのかも知れない。

何をするか分からないと思えばこそ相手は怖がるし、うつけと思われるからこそ油断を引き出せる。孫子の兵法に適った行動にも見える。

2017年11月16日木曜日

孫子の兵法 九地編その8

8、始めは処女の如く、後は脱兎の如く

孫子曰く。「故に兵をなすの事は、敵の意に順詳し、敵を一向に併せて、千里に将を殺すにあり。これを巧みによく事を成すと謂うなり。

この故に政挙がるるの日、関を夷め符を折りて、その使を通ずることなく、廊廟の上に厲まし、以ってその事を誅む。敵人開闔すれば必ず亟やかにこれに入り、その愛する所を先にして微かにこれと期し、践墨して敵に随い、以って戦事を決す。この故に始めは処女の如くにして、敵人、戸を開き、後には脱兎の如くして、敵、拒ぐに及ばず。」



【解説】

孫子曰く。「そして、兵を動かす時は、敵の意にはまったふりをし(順詳)、敵のひたすら(一向)思い通りにしてやる(併)。油断を誘いながら千里先の敵将を殺すのである。これを巧妙な戦い方と言う。

開戦の日には(政挙)、関所を閉(夷)め通行許可証(符)を無効にし(折)、敵の使者を通す事をやめ、廊堂(廊廟)にて厳格に(厲)、敵の討伐に関する取り決めをする(誅)。敵が関所を開くなら(開闔)必ず速(亟)かに侵入し、敵の重要(愛)な拠点を先ず抑えるために密(微)かに狙いを定め(期)、墨縄を踏(践)むように敵に従ったふりをしながら(随)、勝敗(戦事)を決するのである。

初めは処女のように振る舞い、油断した敵が戸を開いたなら、脱兎のごとき素早さで攻め入ると、敵は防ぐことは出来ない。」






結論を言えば、敵を油断させた処を攻撃すると良いという話を孫子がしている。だから、油断させるために処女のような振る舞いをし、チャンスが来たら脱兎のごとき素早さで攻撃すると。身近な例と言えば、忠臣蔵のエピソードなどは典型例かも知れない。赤穂浪士は村人に馬鹿にされながらも、一切情報を漏らさずに決起の時を待つ。そして、決起するならば、脱兎のごとく吉良上野介を討った。

他には例えば、詐欺師を考えて見よう。詐欺ってのも頭を使うものらしい。何せいきなり詐欺の話をしても、誰も引っ掛からない。だから、詐欺師は最初の3分の2くらいは本当の話をするのを知っているだろうか?彼らはそうやって相手の信用を勝ちとり油断を誘い、油断をした処を見計らって詐欺に移るのである。TVで詐欺師の回りの人に、何故気づかなかったんですか?と聞くと、あの人が詐欺師には見えなかったと言ったりする。孤独な老人を世話する良い人が、実は腕の良い詐欺師だったりするのだ。これが処女を装うというイメージとなる。

人を見たら盗人と思えと言う言葉があるが、孫子はこれを裏から捉え、処女のように振る舞い敵を油断させろと言っている。では、以下解説する。



その1、やられたふりをする。

敵を倒したいならば無防備を突くのが良いのは言うまでもないが、現実には難しい問題となる。何せ相手は百戦錬磨の将軍である。こちらが嘘をつく事などお見通しだ。だが、そんな百戦錬磨の将軍も嘘のつき方によっては、つい油断する時がある。例えば、自軍が勝勢のときに、敗勢である敵の将軍が秘密裡に降伏してきて、身の保証と引き換えに財宝を贈って来た場合だ。ここまでされては油断するなと言う方が難しいと思わないか?

これは中国の古代史に歴然と輝く名将、田単の嘘である。流石と言えよう。通常では無防備になりえない敵を無防備にするのだから、智恵を絞らねばならない。智恵を絞られたしと孫子が言っている。



その2、あまりにも思った通りだと危ない。

恋人同士の会話でも、幸せすぎて怖いというセリフがあるだろう。いつか悪い事が起きるなんて甘い話もあるが、勝負事では実際に怖いという話をしよう。

あまりにも思った通りに事が運ぶと危ない。順調な時ほど慎重になったほうが良く、大抵は読み抜けがある。考えてもみて欲しい。敵は此方の嫌がる事をするはずなのに、自分が思った通りになっている。普通は狙いを外してきて、その都度、作戦を修正するのにその必要が無い。具体的にどこと言えないが、感覚的には気持ち悪くなる。大概こういう時は罠にはまっているものだ。それは何故か?

敵の思った通りにやらせて隙を窺うのが戦巧者だと、孫子が言ってるでは無いか。勝ったと、勝てそうは全く違うのである。



その3、情報戦

孫子は「敵人開闔すれば必ず亟やかにこれに入り」と言っているが、実際問題、何もせずに敵が関所の門を開く訳もなく、もし開いたなら謀を疑わねばならない。敵の関所の門が開くとすれば、兵の力で無理やり開いたか、情報戦の勝利を意味しよう。そこで情報戦に焦点をあてて考えて見たい。

戦争が始まったら、先ずは此方の情報を相手に与えないように情報を統制する。関所を閉め、通行許可証を無効にし、敵国の使いの往来を禁止する。廊堂とは聞きなれない言葉だが、政治を行う場所の事だ。そこで作戦会議をし、役割と責任を決たりする。要するに戦争に入る手順を説明している。こうして戦争準備が整っていくわけだが、特に重要なのは情報を外国に漏らさないようにする点である。

関所が通れなくなったのだから、敵国も異常事態にすぐ気付く。では、敵が戦争だと勘づいたとして、次は何をするだろうか?勿論、情報を集めたいと思うに違いない。誰が指揮をとり、兵の数はどれくらいで、新しい兵器はあるのか等詳細に戦争の情報を集めたいはず。そうなると、スパイを送ってくるか、予め潜入させておいたスパイから情報を得るのが自然である。

そこで、敵に嘘の情報を意図的に流すわけだ。ただ、敵に嘘を流すにも、あまりにも嘘すぎてはスパイが信じてくれない。だから、半分以上は本当の事で構成された情報を流す。本当の事をスパイは最も知りたいのだから、スパイの意に沿ってあげるために、本当のような嘘をつくのである。

とは言え、スパイから得た情報と此方の動きが一致しているかも、敵はチェックしている。だから、スパイに与えた情報どおりに、此方も動く必要がある。だから、与えた情報どおりに動き、敵を安心させて油断を誘うのである。しかし、あくまでも勝敗を決するタイミングを計っているだけと言うのが、孫子の言わんとしている「始めは処女のごとく、後は脱兎のごとく」のイメージとなる。



さて、仕事で考えて見よう。沈黙は金、雄弁は銀という言葉があるが、自分の意思を表示する事は良い事では無い。欧米流の考えが浸透するにしたがって、意見を言う人が尊ばれるようになる風潮だろうが、それでも勘違いしてはいけない。意見を言う人の主語が抜けているだろう?この場合の主語は自分では無く、上司である。どんな時代も自分の意見を言わぬ者こそが、やはり出世するのである。

YESマンは褒め言葉では無いが、逆に言えば、それだけYESマンは出世する。それだけYESマンは好かれる。日々YESマンに徹し、チャンスが来た時に飛べるように実力を磨くと良い。処女のごとく、脱兎のごとくである。遠くへ行く者は敵を作るなと言われる。努々注意するように。



---- 以下、余談 ----

1、開闔は開いて閉じるという意味で、通常は関所が開いて閉じる事を言うが、何故開いて閉じるかと言えば、偽情報に敵が油断するからであろう。開闔はスパイを表す隠語とも解釈できる。

2、「愛する所を先に」はスパイの欲する情報を先ず与えると解釈もできる。

3、践墨は、墨を踏む書いてあるが、墨縄の事だろう。縄に墨をつけて踏むと後が残る。それを目印に大工さんが木を加工したりする。それが転じて、践墨は規則とか決まりという意味合いを持つようになった。つまり、スパイに渡した情報どおり、もしくは約束どおりに動く事とも解釈できる。


2017年11月14日火曜日

孫子の兵法 九地編その7

7、死地に陥れて然る後に生く

孫子曰く。「この故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林、険阻、沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。四五の者一を知らざれば、覇王の兵にはあらざるなり。それ覇王の兵、大国を伐たば、則ちその衆聚まることを得ず。威、敵に加うれば、則ちその交わり、合することを得ず。この故に天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、己れの私を信べ、威、敵に加わる。故にその城は抜くべく、その国は堕るべし。

無法の賞を施し、無政の令を懸け、三軍の衆を犯すこと一人を使うが若し。これを犯すに事を以ってし、告ぐるに言を以ってすることなかれ。これを犯すに利を以ってし、告ぐるに害を以ってすることなかれ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。それ衆は害に陥りて、然る後によく勝敗をなす。」



【解説】

前提条件

  • おかれている状況によって、用兵は変わる。(九地)
  • 兵は死地になれば、異常な力を発揮する。


孫子曰く。「したがって、外国(諸侯)の腹の内(謀)も知らない者では、予め外交して有利な戦況を作る事は出来ない。山林や絶壁などの険しい場所(険阻)、沼沢地(阻沢)を知らない者では、軍を行軍させる事もままならない。土地に詳しい者(郷導)を先導者として用いない者に、敵に先んじて地の利を得られるはずが無い。以上、戦場によって4者から5者と必要な要素は変わるが、この内一つでも知らないものがあれば覇王の兵とはなら無い(非)。

覇王の兵が大国に攻め入れば(伐)、その国は兵を集める事(衆聚)もままならない。威圧を敵国に加えれば、敵国は同盟(交)を結ぶ(合)事もままならない。そのため、諸外国(天下)と外交を争うことなく、天下の覇権を養わずとも、己の思いのままに振る舞えば(私信)、それが威圧となり敵を圧倒する(加)。だからこそ敵の城が落ち(抜)、敵国を滅ぼす事が出来るのだ(堕)。

通例(法)に無い報奨を与え(施)、臨時(無法)の規則や命令を駆使する事で(懸)、全軍(三軍)を一人の人間のように使う事が出来る。兵を動かす時は命令(事)のみを伝え、理由(言)を告げてはならない。兵を動かす時は有利な状況だけを伝え、不利(害)な状況を告げてはならない。兵は滅亡の危機に投じると、自然に存続するものであり、死を覚悟すると、自然に生き延びるのである。兵(衆)は危機的な状況(害)に陥ると、自然に勝敗を決するような戦いをするのだ。」






今回のテーマ

  • 将軍は九地を知らないでは済まされない
  • 覇王の軍
  • 常用外の報奨や罰則が軍を操るコツ
  • 兵は死地にて本領を発揮する

このうち、将軍は九地を知らないで済まれない事と、兵は死地にて本領を発揮する事は、以前の繰り返しとなるため割愛する。



その1、覇王の軍

覇王の覇という字には、武力によってという意味あいがある。王は天下を治める者の意味であるから、覇王とは武力をもって天下を統治する者を言う。覇王の軍とは、言わば常勝の軍という事だろう。

常勝の軍には、およそ欠点と呼べるものがあってはならない。外交が弱くては、戦う前に負けてしまう。九地の性質を知らないのでは、用兵の勝手が分からないだろう。土地に詳しい者を重用せずに、どうして地の利を得る事が出来ようか。全てを網羅してこそ、常勝の下地が作られるのである。

常勝という評判は、それだけで敵を震え上がらせる。敵国を攻めれば、敵国は兵を集めるのにも苦労する事になるし、同盟を結ぼうにも割りに合わないと断られてしまう。常勝と言う評判は、敵の弱体化を促すのである。

したがって、覇王の軍は思うままに振る舞えば良い。外交では相手から頭を下げてくるし、天下への覇権を積み上げずとも自ずとそうなる。常勝という評判に恐れをなした敵城は降伏し、他国から援助を受けれない敵国は滅亡すると孫子は説いている。



その2、常用外の報奨と罰則

そもそも戦争とは刻一刻と戦況が変わるものである。その戦争に対し、常に最適なルールなど存在しない。将の性格や集まったメンバーによっても違うし、戦況が有利か不利かによっても違う。臨機応変に賞罰を変える事も将の腕の見せ所なのだ。

例えば、報奨だが、やはり金払いの良さは人をやる気にさせる。金は面白いもので、長期的には多く出せば良いと言うものでは無い。人は金額に慣れるからだ。普通より多い金額をもらっているはずなのに、慣れると不平不満を言い出すのが人間である。だが、短期的には起爆剤となるもの。規則で決まっている額より多く出せば、兵はここぞとばかりに頑張る事だろう。うちの将は話が分かるとなり、結束が強まるのである。

次は罰を考えて見る。常識とはその地域によって違うもの。ある地域では掠奪が良いとされても、他の地域では略奪が悪いとされたりする。例えば、盗賊を兵として雇った時に、掠奪はいけないと諭して何になるか?近日中に戦いをしなければならないのに、火に水をくべるような真似であろう。規則も相手を見て臨機応変にすべきなのだ。

中国の古代史を見ると、漢の時代に李広と、程不識という名将がいた。李広はもらった報奨を兵に与えたし、衣食住を共にし、規則もゆるやかで兵が自由奔放だったようだ。ただ、李広のためなら喜んで命を投げ出す者ばかりだったと言う。通常そういう軍では隙を突かれ瓦解しそうなものだが、彼は斥候を上手に用いたらしく、不意を突かれる事は無かったようだ。言わば、メリハリのついた軍だったのだ。

一方、程不識のほうは、厳しい管理の元で軍を統治した。帳簿はしっかり付けたし、夜も厳重な警戒を怠らず、まさに鉄壁と呼べる軍であったと言う。兵は常にピリピリして、緊張していたそうだ。李広と比べると息苦しい軍であるが、程不識も常勝の軍である。信賞必罰は武門のよって立つ所だが、その程度は将の采配であり、絶対のやり方は無いと知る事が兵を動かすコツになると、孫子は説いているのである。



その3、兵は騙すもの

兵には作戦行動の理由は伝えず、命令のみを下す。有利な状況のみを伝え、不利な状況は伝えてはならないと孫子は説く。孫子の時代の兵士は、昨日まで農民だった者が大半である。字も読めないのに詳しい説明をして分かるはずが無い。不利な状況を伝えないのは、兵の恐怖を煽らないためであろう。兵とて命が惜しくないわけではない。止むを得ないから兵として参加しているのだ。そこに不利な状況を伝えるなら、恐怖から逃げ出してしまうだろう。兵には有利な状況のみを伝え、逃げ道を断ってから本当の事を言うのである。



仕事で考えて見よう。仕事でも孫子の説く、通例にこだわらない変化こそが人を動かすという感覚は大切となる。一言で言えば、ゲーム性である。お客さんの視点に立てばワクワク感は大切だ。この店にはかゆい所に手が届くものがあるとか、面白いものがあると思えば、足を運ぶものだ。この典型的なものには遊園地がある。つまり、遊園地は孫子の兵法を上手く適用していると言える。例えば、ディズニーランドを考えて見よう。

ディズニーランドは永遠に未完成なのを知っているだろうか?ディズニーランドは絶対に完成はしない。もう数十年はやってるのだ。完成してもよさそうなものだが、一向に完成しない。その理由は人は飽きるからである。どんなに面白いアトラクションでも、人は必ず飽きてしまう。だから、ディズニーランドでは常に未完成で何かしら工事中なのだ。お客さんが来るたびに新しい発見があるようにしているのである。

孫子は有能な将軍は通例にとらわれず、臨機応変に報奨と罰則を設けると説いているが、会社は戦争よりも長い戦いが想定される。その中では、こういった飽きさせない処方箋も必要となってくるのである。人は飽きる生き物だが、ワクワクする事を望む。この2つの気持を上手く満たすのが商売上手なのだ。

なお、これはお客さんに対してだけでなく、従業員に対しても同じ事が言える。従業員の士気を高く保ちたかったら、飽きるという人間の性質にも目を向けて、常に更新していく心構えが必須だ。そして、後手になるのではなく、先手を打つことを心掛ければ働きたい会社になるだろう。そういう考え方を紹介してみた。



---- 以下、余談 ----

孫子の言う「三軍の衆を犯すこと」の犯すのニュアンスが良く分からなかったが、恐らく法を犯すと言う意味だと思われる。通例や規則にない報奨や罰則が、兵を手足のごとく動かす秘訣となるという話をしているため、兵に法を犯させるというニュアンスではないだろうか?臨時とは言えば聞こえは良いが、将軍の都合で法を犯す事には変わりない。



2017年11月13日月曜日

孫子の兵法 九地編その6

6、情況に応じた戦い

孫子曰く。「およそ客たる道は、深ければ則ち専に、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて師する者は、絶地なり。四達する者は、衢地なり。入ること深き者は、重地なり。入ること浅き者は、軽地なり。固を背にし隘を前にする者は、囲地なり。往く所なき者は、死地なり。

この故に、散地には吾まさにその志を一にせんとす。軽地には吾まさにこれをして属せしめんとす。争地には吾れまさにその後を趨らしめんとす。交地には吾れまさに守りを謹まんとす。衢地には吾まさにその結びを固くせんとす。重地には吾れまさに其の食を継がんとす。圮地には吾れまさに其の塗を進まんとす。囲地には吾れまさにその闕を塞がんとす。死地には、吾まさにこれに示すに活きざるを以ってせんとす。故に兵の情、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。」



【解説】

孫子曰く。「およそ敵地に進攻する場合(客)、深く入り込むほど兵は戦う事のみに集中し(専)、まだ浅い段階では故郷を思い出し兵の意識は散漫となる。本国を去って、国境を越えれば、そこは全て絶地だ。そのうち、四方に通じた場所(四達)を衢地と言う。敵地深く入った場所を重地、浅く入った場所を軽地と言う。要害(固)を背後に控え、前方が狭い(隘)場所を囲地と言い、逃げようにも行(往)く所がない場所を死地と言う。

そのため、散地では兵の志を一つにして団結する。軽地では連絡を密にとり兵を繋ぎとめようとする(属)。争地では敵に遅れないよう後方部隊を急がせる(趨)。交地では敵の進撃を警戒し守りに気を配る(謹)。衢地では諸外国との結びつきを固めるために同盟をする。重地では補給路が伸びるため、敵地から奪うなど食料の調達に注意する(継)。圮地では素早く進み、留まらないことを心がける。囲地では自ら逃げ道(闕)を塞いで、兵を死地に追い込む。死地では戦う以外に生(活)きる道が無い事を示す。

兵の心情と言うのは、囲まれれば防ぎ(禦)、止(已)むを得ないなら必死で闘い、いよいよ危ない状況(過)となれば素直に従うものである。」






最初に結論から言うと、兵士は囲まれれば抵抗するし、止むを得ないなら必死で戦い、いよいよ危ないとなれば素直に命令に従うもの。ならば、この性質を積極的に利用したほうが良い。時には兵を自ら死地に追いやるのも、用兵の妙であると孫子は言っている。

窮鼠猫を嚙むならば、味方を窮鼠にしてしまえば良い。死中に活ありと言うように、なんだかんだ生存率が一番良い方法は味方を死地に誘う事になるとは思う。だが、味方を死地に追いやるという発想はとても思いつきづらい。何せ指揮する自分も死地にいるのだから。しかし、だからこそ孫子の妙と言える部分かも知れない。後は以前の繰り返しとなるが、他の部分を3つに分けて解説する。



その1、散地、軽地、重地

兵は敵地深くに進攻するほど自然と結束するものだが、それは兵が逃げられなくなった裏返しとも言える。敵地深くでは、逃げても食料のあてもないし、無事に故郷にたどり着ける保証も無い。となれば、戦って生き残るのが、生存率から現実的な選択肢となる。

という訳だから、逆にまだそれほど敵に侵入していない場合、例えば国境付近であるなら、兵は命欲しさに逃げようか迷う事になる。逃げても故郷はすぐだから餓死もしないだろうし、土地勘もあり勝手が分かっている。職業軍人では無く、昨日まで農民だった者を兵として強制的に連れて行くのだから、こう言った兵の心理状態に気を使わないと、兵が散り散りになる可能性がある。これが自国内での戦いになれば、可能性はより一層高まる。

そこで孫子は何と言っているかと言うと、自国内で戦う時は、兵が離散する可能性が高いのだから、兵の志を一つにまとめる事に努めるそうだ。志を一つに出来たなら、確かに兵は逃げないはずだ。人は志もなしに命は掛けれないが、志のためには命の危険もおかせるもの。国境付近など自国に近い場所で戦う場合も同じで、兵が逃げてしまう可能性があるから、連絡を密にって兵を繋ぎとめるそうだ。

敵地深く進攻して戦う場合は、兵が逃げる心配はなくなり、兵が結束し士気も高くなるが、食料の問題が起きる。自国から補給しようにも、補給路が長く伸びるため警備が大変だし、出来れば敵地から奪いたい。こういった食糧を安定供給するための問題に知恵を絞らねばならない。



その2、絶地、交地、衢地、圮地

国境を越えて進攻する場合を、自国から隔絶された地と言う意味で絶地と言うが、絶地と一言にいっても色々な土地がある。交通の便が良い場所もあれば、3か国以上の利害が交錯する場所があったり、沼沢地などぬかるんだ地域や、戦局を左右しかねない土地もある。そのため、その場所ごとの特質を把握しないと大きな失敗を犯す事になる。交通の便に焦点を当てて見よう。

交通の便が良い場所は、此方も攻めやすいが敵も攻めやすい。そのため、敵の攻撃には常に警戒しなければならない。勝負に待ったは無いのだから、ちょっとした油断から、取り返しのつかない損害がでてしまうかも知れないのだ。交通の便が良い場所は、それだけスピードが出る。その事を忘れてはならない。

ただ、交通の便が良い場所でも、全てが慎重に行軍すれば良いかと言うとそうでも無い。例えば、3カ国以上の利害が交錯する四方に通じた場所では、軍を行軍させると敵対行為と判断され、第3者の予定だった国の虎の尾を踏みかねない。外野のはずの国の機嫌を損ねて、敵国につかれでもしたら大変だ。だから、様々な国の利害が交錯する交通の要所では、外交による解決が先決となる。敵に援軍を送られれば大変だが、此方が援軍を受けられれば大いに有利となる。外交の腕の見せ所だろう。

次は逆に交通の便が悪い場所を考えて見る。例えば、沼沢地など水が邪魔となる場所が典型となる。沼沢地は水でぬかるんでいるため、駐屯地には適さない。兵が病気になるし、水に長くつかりすぎて壊疽したり、戦うにも足場が悪くて戦いにくい。泥のなかで、どうして本来の力を発揮できようか。沼沢地は素早く通り過ぎるのが当然なのだ。交通の便が悪い場合、その動きにくさから敵を待ち伏せする場合は良いが、逆に待ち伏せされるため、その点からも素早く通り過ぎたほうが良くなる。



その3、争地、囲地、死地

争地とは、文字通り争う地の意味となるが、では何故に争うのか?それは先着したほうが有利になるからである。そのため、先着するために足の遅い後方の部隊を急がせるのは当然となる。例えば、見晴らしのいい高台をイメージして欲しい。

囲地は大きな川や、岩山、敵兵に囲まれ身動きがとりづらい地を意味するが、敵があえて逃げ道を用意する事がある。敵に決死の覚悟をされると窮鼠とかし異常な力を発揮するため、そうさせないために逃がすわけだ。兵は逃げ道があると、心が揺れるため決死の覚悟をしづらくなる。そこで孫子は策を講じ、自ら逃げ道を塞ぐと言う。さすれば味方は窮鼠とかし奮迅の活躍をしてくれる。

死地は、万策つき絶対絶命の意である。そのため、隠しても仕方ない。先ずは兵にその事を伝えて、戦う他生き残る術はない事を理解してもらう。窮鼠猫を嚙むかどうかの勝負となろう。普段は秘密主義が用兵の基本だが、死地では秘密にしない。敢えて教える事で、兵の生存本能に火をつけるのだ。



仕事で考えて見よう。今回は孫子が兵士の性質を語っている事にあやかった話を紹介する。仕事ではよくメモを取れと言われるが、上司と部下との会話はメモを取ると良い。これは勿論同じこと2度言われないようにと言う意味だが、もう一つ大切な意味がある。会話をできるだけそのまま再現してみて欲しい。そうすると、聞いた時は気付かなかった事が、メモを通して見えてきたりする。

例えば、部下を怒ってしまったとする。その時はしょうがない部下だと思ったが、改めて会話をメモにして見たら、自分の勘違いに気づく事がある。メモとして文字化する事で、会話を冷静に見る事ができ、会話中には気付かなかった部下の考えが透けて見えてくるのである。人間は先入観で物事を判断しがちなので、こういったテクニックを利用すると良いだろう。あらぬ誤解からミスしないためにもメモは大切なのだ。

2017年11月12日日曜日

孫子の兵法 九地編その5

5、人をして慮ることをえざらしむ

孫子曰く。「軍に将たるのことは静以て幽、正以て治。よく士卒の耳目を愚にして、これをして知ることなからしむ。その事を易え、その謀を革めて、人をして識ることなからしむ。その居を易え、その途を迂にし、人をして慮ることを得ざらしむ。

帥いてこれと期するや、高きに登りてその梯を去るがごとし。帥いてこれと深く諸侯の地に入りて、その機を発するや、舟を焚き釜を破りて、群羊を駆るがごとし。駆られて往き、駆られて来たるも、之く所を知るなし。三軍の衆を聚めてこれを険に投ずるは、これ軍に将たるの事と謂うなり。九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざるべからず。」



【解説】

孫子曰く。「軍の将に求められる資質は、冷静であり、人からは容易に知れない奥深さ(幽)を持ち、公正な判断をもって軍を統治出来る事である。士官や兵卒には本当のことを言う必要は無い。耳目を偽り(愚)、彼らに本当のことを知られないようにする。作戦に関する事は変(易)えながら、策謀を革新し、兵士(人)に本当の狙いを知(識)られてはならない。軍の駐屯地も変(易)えながら、辿る道順も迂回し、兵士(人)が本当の狙いを推察(慮)できるようではならない。

軍を率(帥)いて、作戦行動の目星がついたなら(期)、高い所に登らせて梯子を取り去るように逃げ道を無くすのが良い。軍を率(帥)いて、敵地(諸侯)へ深く進攻し、機会を捉え決戦に踏み切るならば(発)、舟を焼き(焚)、釜を破り、羊の群れを追い駆けるようにすると良い。兵士達は駆り立てられ、行(往)ったり来たりするが、どの場所に行(之)くのかは知らない。

上、中、下軍(三軍)を集(聚)めて、必死に戦う他ない危険な場所に投入する事が、将たる者の仕事となる。そのため、九種類の地形の違いによる戦術の変化、押すべきか退くべきかの利害(屈伸)、人情の機微(理)を察しない事があってはならない。」






今回は孫子が将に求められる資質や、将と兵の理想的な関係について説いている。



その1、将たる者の資質

将たる者は冷静であり、思慮深く、公正な判断で軍を治めねばならないそうだ。そして、作戦行動に関しては秘密主義を徹底し、兵が分かるようではならないらしい。作戦はその都度変化し、策謀は改められ、駐屯地は変わり、辿る道順も迂回し、兵にさえ狙いを知られてはいけないと孫子は説いている。それぞれ理由を考えて見よう。

まず冷静沈着であるが、逆に熱しやすかったら、すぐ挑発に乗ってしまうだろう。どんな時も冷静沈着であるのは、敵の謀略を防ぐ意味で当然求められる資質だと思われる。次は思慮深さであるが、これ説明するのに孫子は幽と言う字を使っている。幽には考えが推し量れないという意味があり、まさに将たる者に必須と言える資質かも知れない。考えを読まれてしまっては対策を打たれてしまうのだから、幽であることは大切である。

公正な判断は、えこひいきに関する懸念だろうか?人はルールが公正に適用されれば、例え負けても納得するものだが、ルールにえこひいきを感じると全く納得できなくなるもの。つまり、えこひいきは軍の士気に直結するから、士気の高い軍を作りたければ公正な判断は必須となる。

秘密主義は、一つはスパイに対する懸念もあるだろう。自軍に敵のスパイが紛れ込んでいる可能性を考えれば、作戦行動を懇切丁寧に教えてる場合ではない。そして、高度な戦術は一般人に理解できないから高度なのであるから、兵に理解してもらえるまで待って作戦に移るのでは、時間がかかりすぎて現実味がないとも言える。例えば、将棋の名人の手を読めたら名人と言う話だ。誰も読めないからこその名人である。

さらに、兵が逃げる事への懸念も考えられる。これから死地に向かうと伝えて、素直に死地までついてくる兵がどれくらいいようか?普段は農民をやっている者を兵にしているのだ。逃げられるのが落ちである。こういった諸々を見て、秘密主義は必須となる。



その2、将と兵の理想的な関係

一言で言えば、羊飼いと羊の関係と孫子は捉えているようだ。羊は何も考えない。ただ、前の羊について行くだけである。その姿に彼は理想的な兵の姿を見ている。ただ、そうは言っても兵は人間である。羊のようになれと言っても、なかなか上手くはいかない。そこで逃げ道を無くし、兵の選択肢を戦う一択にすれば羊も同然と孫子は説いている。

日本でも梯子を外すという言葉が政治の世界で良く使われているが、孫子も兵に対して梯子を外すことを薦めている。戦う時は船を焼き、鍋を壊し、逃げる事への未練を断つ。さすれば、兵は戦って生き残る以外に生きる術がないのだから、後は羊飼いの如く操作せよというわけだ。この時、兵は何も分からず、ただ生き残るために目の前の敵と戦う事になる。



その3、将軍の務め

孫子は、将の務めは全軍を危険な場所に投入する事だと説く。そのためには、9種類の地形ごとの戦術の違いを良く把握し、押したり引いたりの判断、人情の機微に長けていなければならないそうだ。

将棋の故・米長邦雄永世棋聖が生前、バランスだけが生命線という言葉を残している。察するに、苦しくてもバランスを失わなければ勝負は分からないという教えだろう。それこそ、敵は必ず間違えるの確信のもと、バランスだけは逸しないように指すのである。それだけ人間は間違える生き物なのだ。全て正解の手を指せば敵が勝つ。だが、真剣勝負の最中、さまざななプレッシャーを跳ねのけて正解の手を指し続けるのは難しい。これが孫子の説く、押したり引いたりの心だと思われる。

人情の機微は、時には兵の忠誠心を高めるし、時には敵の心情を計ることが作戦に役立つ。例えば、鼠とりなども、鼠の心理を読んだトラップとなる。罠は相手の心理をよく推し量ったほうが成功するのである。



現代で孫子の兵を羊に見立てる話と似た効果を発するものに、借金がある。借金には一つの効果がある。それは返さないと破産になるため、人を強制的に働かせるという点である。孫子流に言えば、借金と言う死地が、人を羊の如く働かせるのだ。そして、必死で働くから人間も成長しやすいが、破産して露頭に迷う人も出てくる。これが借金の促す効果である。孫子の兵法は、借金で使われていると言えるかも知れない。

教育ローンを例にとれば、借金を背負った学生がガムシャラに働くとも言える。だが、やる気をなくし社会に絶望するかも知れない。こういう視点を持つと視野が広がるだろう。冷徹な視点では、学生を死地に投入するという意味合いもあるのである。最近、教育費の国庫負担が叫ばれる大きな要因であろう。




---- 以下、余談 ----

孫子は兵を羊に見立て、兵を追い立てれば良いという説明をしているが、会社組織にはそぐわないような気がして、あえて借金の話を紹介した。孫子が前提としている状況は、10万の農民を即席で使える兵としなければならない状況だから、農民の能力に期待する事はせず、死地に放り込んで彼らの生存本能に働き替えたほうが良いという話となる。昨日まで素人だった農民に、今日は屈強な兵として戦えと言っても通常は栓無き事である。だから、死の恐怖によって、無理やり彼からの力を引き出す他ないのだろう。しかも、数も10万もいるのだから。

会社組織で10万人の従業員を抱える場合を考えて見よう。この場合のトップは追い立てるという表現よりは、従業員を信じて祈るという表現が適切だろう。従業員は昨日まで農民をやっていた人間では無い。言わば古兵である。古兵の力を信じ、後は神に祈る。それでこそ、従業員との信頼関係が築けよう。



2017年11月11日土曜日

孫子の兵法 九地編その4

4、呉越同舟

孫子曰く。「故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは常山の蛇なり。その首を撃てば則ち尾至り、その尾を撃てば則ち首至り、その中を撃てば則ち首尾倶に至る。敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか。曰く、可なり。

それ呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済り風に遇うに当たりては、其の相救うや左右の手の如し。この故に馬を方べ輪を埋むるも、未だ恃むに足らず。勇を斉えて一のごとくするは政の道なり。剛柔皆得るは地の理なり。故に善く兵を用うる者は、手を携りて一人を使うがごとし。已むを得ざらしむればなり。」



【解説】

前提条件

  • 休息十分な決死の覚悟の兵がいる。
  • 敵には状況を悟られていない。


孫子曰く。「したがって、戦上手は例(譬)えるなら卒然のようである。卒然とは常山に住む蛇であるが、その蛇は首を攻撃すれば尾で反撃し、尾を攻撃すれば首で反撃し、真ん中を攻撃すれば首と尾の両方で反撃する。敢えて問う。兵を卒然のように出来るだろうか?答えるに、可能である。

呉国の人と越国の人は互いに嫌っているが(相悪)、同じ船に乗り合わせ渡(済)り風で船を煽られるなら(遇)、お互い救い合うかのように、左右の手のごとく協力しあうだろう。人間の心理とはこういうものだから、馬を並(方)べてつなぎ、戦車の車輪を埋めて陣を固めるだけでは、まだ頼(恃)りとするには足りない。

兵士全体の勇気を奮い立たせ一丸とするのは、軍の政治の力が必要である。剛強な者も、柔弱な者も合わせて力を発揮するには地の性質(理)を良く知る必要がある。この事を良く知っているが故に、戦上手は手を携えるが如く軍を連携させ、まるで一人の人間使うかのような用兵になる。兵を止(已)むを得ない状況に追い込むからだ。」






優れた用兵は蛇に例えられるそうだ。蛇は頭を攻撃されれば尾が巻き付いてくるし、尾を攻撃されれば頭に嚙みつかれる。では、腹ならどうかと言うと、頭と尾の両方から攻撃を受けてしまう。蛇の瞬発的な対応力には恐るべきものがある。もし、この蛇のごとく兵を動かせたなら、敵は何処かを攻撃すれば、別の場所から反撃を受ける事になり崩壊することだろう。

ただ、出来ればである。それが出来たら苦労はしないわけだから、「敢えて問う」と孫子が王に聞かれている。孫子は今も残っている呉越同舟の逸話で答えた。「呉国と越国は国民同士も仲が悪い事で有名ですが、彼らとて同じ船に乗り合わせた時に、船が強風で煽られたならどうするでしょうか?命を捨ててまで協力しないという訳にもいきますまい?恐らく、左右の手のごとく協力しあうはずです。」

人間の心理はこういうものだから、馬を杭につなぎ並べ、戦車の車輪を埋めて陣を固めても未だ頼りにするには足りない。どんなに屈強な砦を作っても、それを動かすのは人間である。人間に火を入れてやらねば、屈強な砦も全く機能しない。人を勇気づけ、奮い立たせるのは軍の政治の仕事である。そして、剛強な者も、柔弱な者も等しく力を発揮させるには地の性質を上手く利用する必要がある。例えば、死地に放り込めば、人は言われなくても獅子奮迅の働きをするのだ。

戦上手はこの事を良く知っているため、手を携えたが如く軍が連携するし、まるで1人の人間を指揮するかのような一糸乱れぬ用兵となるのだ。人はそうせざる得ない状況になれば、言われなくてもそうする事を上手く利用するからだ。

人間関係を考えて見よう。イジメはいけないから無くそうと昔から叫ばれているが、一向になくならないイジメだが、特効薬的なイジメの解決策に呉越同舟の戦略がある。例えば、イジメっ子とイジメられっ子を2人でキャンプに行かせるのだ。そうすると、2人で協力しないとキャンプは出来ないものだから、お互いが歩み寄るようになる。キャンプという状況がそうさせるのだから、呉越同舟である。

イジメていた側は気に入らないからイジめる。だが、2人でキャンプをしてみると、相手の良い処が段々見えてくる。そんな悪い奴じゃないと思うようになり、イジメがなくなるのである。これは昔から言われている事だが、孫子の兵法そのものと言えよう。可愛そうと慰めてあげるのも良いが、こういった実利に適った事も大切では無いだろうか?

仕事でも人間関係は大切だが、仕事は辞めても死にはしないため、呉越同舟という訳にもいかない事が多いだろう。だが、相手を気に入らない場合、それは先入観による場合が多い事は知っておきたい。考えてもみて欲しい。その嫌いな相手にも、家族がいて、友人がいて、恋人がいる。本当に存在そのものが嫌な奴なのだろうか?貴方が嫌だと思っているだけなのである。

相手を嫌っている人に、こんな話をしても中々聞いてもらえないが、貴方が楽になる話だから聞いて欲しい。騙されたと思って、「許します」と一日100回くらい唱えてから会社に行ってみて欲しい。一日では効果がないだろうが、1週間、1か月と続けると恐らく効果がでてくる。人間は意識の問題である。常に許すと意識するようにすると、勝手に相手を許せるポイントが見つかるもの。だから、無理やり許す事を意識づけるために、100回唱えるのである。(回数は50回以上は自由、人によっては千回唱える人も)

こういったテクニックを駆使すると、楽に生きれるようになるだろう。貴方は許すのが仕事で、やり返すのは天の仕事である。許せなくても何も変わりはしない。苦しいだけである。ならば、許してしまおう。後は天にお任せすると、自然と運が向いてくる。

2017年11月10日金曜日

孫子の兵法 九地編その3

3、領地内での作戦

孫子曰く。「およそ客たるの道、深く入れば則ち専らにして主人克たず。饒野に掠めて三軍食足る。勤み養いて労する勿く、気を併わせ力を積む。兵を運らし計謀して、測るべからざるをなす。これを往く所なきに投ずれば、死すとも且つ北げず。死いずくんぞ得ざらん。士人力を尽くさん。

兵士、甚だ陥れば則ち懼れず。往く所なければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。この故に、その兵修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ疑を去らば、死に至るまで之く所なし。吾が士、余財なきも貨を悪むにあらず、余命なきも寿を悪むにはあらず。令発するの日、士卒の坐する者は涕襟をうるおし、偃臥する者は涕頤に交わる。これを往く所なきに投ずれば諸・劌の勇なり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ敵地に進攻する場合(客)、敵地深くまで道を進むほど、兵の気持が戦う事のみに集中(専)するものである。そのため、敵(主人)がこれに打ち勝つ(克)のは至難となる。肥沃な土地(饒野)から食料を掠奪すれば、上、中、下軍(三軍)ともに食料は足りる。そこでは兵を養う事に力を尽くし(勤)、兵を疲れ(労)させないようにする。士気を高め(併)、力を蓄えるのだ(積)。

そして、兵を運用する際は計謀して、此方の意図を測れないようにする。こうしてから兵を逃げ場のない戦場に投入すれば、兵が死ぬ事はあっても敗北はない。死を賭して戦う者が、どうして勝ちを得られない事があろうか?将兵(士人)共に力を尽くしてくれるだろう。

兵士と言うものは、甚だ危険な状況に陥れば、返って恐(懼)れなくなる。往く所が無くなれば覚悟が固まるし、敵地深く進攻すれば一致団結し(拘)、止(已)むを得ない状況になれば必死で戦う。このように決死の覚悟が決まった兵士は、学んだ(修)わけでもないのに自らを戒め、求めなくても必死で戦い(得)、特に約束事を作らずとも互いに親しみ、命令されなくても信義を守る。占いや神だのみ(祥)の類を固く禁じ、勝利への疑念を取り去るなら、兵は死ぬまで逃げ出す事はないだろう。

吾が兵士たちが余分な財貨を持たないのは、財貨を悪いものだと考えているからではない。余命を気にする事なく戦うのは、長生き(寿)を悪いものと考えているからではない。出兵の命令が発せられた日には、兵士(士卒)の中で坐っている者は涙(涕)で襟元を濡らしただろうし、うつぶせで寝ている(偃臥)者は涙(涕)が顎(頤)で交わっただろう。こうした兵が逃げ場のない戦地に投入されると、伝説の勇士である専諸や曹劌のような勇ましさとなるのである。」






最大のポイントは、兵を戦う他ない状況に追い込む事が用兵の妙だと説いている事では無いだろうか?今でこそ兵は高度なスキルを持つプロフェッショナルが主となっているが、昔は兵は民衆から徴兵した。普段は農民をしている者に武器を持たせて戦わせたのだから、恐怖から逃げ出す兵も多かったのだろう。しかし、そういった者でも伝説の勇者のような働きをさせる事が可能だと孫子は言っている。

およそ兵というものは、故郷との距離と覚悟が比例する。故郷に近いほど故郷に戻りたくなるものだし、故郷から遠のくほど故郷への思いは薄れていく。故郷の色合いがなくなり、見知らぬ敵地の風景ばかりになると戦争を実感し、覚悟がきまっていくのだ。敵地深く進攻すれば、味方は戦う覚悟をしているため逃げ出そうと思わないが、敵方の兵は逃げ出そうと言う気持ちを捨てきれない。勝手を知っている土地では、どうしても逃げ道が頭をよぎる。戦うか逃げるか迷っている時に、決死の覚悟を持つ兵に迫られたら、怖くて逃げたくなるのは自然だろう。気持ちも定まらず死線に立てるわけがないのだから。

そして、敵地深く進攻した場合、補給線が伸びるため食料の補給が問題となる。間延びした補給線を敵に襲われ、もし輸送部隊が壊滅するようなことがあれば、前線の兵も壊滅する。そこで、孫子が提案しているのが、敵地にある食料を奪う事となる。敵地の肥沃な土地を襲い食料を収奪する。さすれば、補給線を襲われる恐れも無いし、軍の食料もまかなう事ができ一石二鳥となる。

また、兵が戦う前に疲れてしまっては勝てる戦も勝てないのだから、遠征で疲れたであろう兵には十分な休息を与え、士気を高めて力を蓄える必要がある。戦う際は敵の虚を突けるように、此方の意図を敵に知られてはならない。兵を動かす時は、必ず敵の動きにも配慮するのだ。偽情報を流したり、敵方のスパイを殺したり、逆にスパイを送ったり、兵を休めると同時に情報戦をする。これが成功するならば、兵に疲れがなく万全の状態で、敵には動きを悟られなく、兵は決死の覚悟で戦うのだから、どうして負ける事があろうか?いや、無いと孫子は言うのである。

兵というものは、通常は危険を恐れるものだ。危険な場所を好む人間などいない。だが、非常に危険な状態に追い込まれると返って危険を恐れなくなる。逃げ道がなくなり戦う以外ない状況になれば、教わらなくても一致団結し、言われなくても自らを戒め、生き残るために進んで協力するのである。この性質は信頼できる。存分に利用すべきであろう。死地に放り込めば、兵の士気に関する問題はあらかた解決するのだから。

兵の士気の問題が解決するなら、後は遠征で疲れた兵を休ませる事と、敵に此方の情報を知られない事であろう。兵の士気が高くとも、疲れた体では実力を発揮できない。十分な休息を与え、鋭気を養ってこそ兵本来の力を発揮できると言うもの。そして、兵が万全の状態にあっても、敵にも万全に身構えられては損害が増すばかり。だから、敵には此方の動きを悟られないようにする。敵の虚を突くための策を講じるのだ。

我が兵は余分な財貨を持っていないが、それは財貨が嫌いだからではない。我が兵は決死の覚悟で戦うが、それは長生きしたくないからでは無い。余分な財貨を持っていれば、例えば、財貨が地面に落ちた時に財貨に気を取られる。その隙を突かれて命を落とす事もある。決死の覚悟で戦うのは、それ以外に生存率の高い選択肢が無いからだ。逃げ道も分からず、軍から離れれば食料のあてもなく、故郷もはるか遠いとなれば戦いに生き残って帰る他ない。

我が兵は勇者ぞろいだが、そんな彼らとて出兵の命令が下った時は、座っているなら襟元を涙で濡らし、寝ているなら枕を涙で濡らした者ばかりだ。決して初めから勇者だったのではない。だが、逃げ道の無い場所に放り込めば、伝説の勇者の勇ましさを発揮するものなのだ。逃げ道の無い状況が、人を勇者にするのである。



まとめ

  • 逃げ道の無い状況が、人を勇者にする。
  • 食料は敵地から奪う。
  • 此方の動きを敵に悟らせない。

これが孫子の説く将の考えるべき事となる。





仕事で考えて見よう。孫子は逃げ場のない状況が人を作ると説いているが、現代でも孫子の兵法に則た方法が見受けられる。例えば、製造メーカーである。製品に誰が作ったのか分かるように、番号なりをふっておく。そうすると、故障で返品されてきた製品が、誰が作ったものかが分かるのである。これが逃げ場のない状況であろう。自分が作ったと識別されるとなると、人は気にするもので、自然と返品がすくなるそうだ。責任の所在を明らかにすることは、人を育てるのである。

例えば、道で倒れた人がいたとしよう。人どおりの多い道では、人が倒れても殆どの人は見て見ぬふりをして通り過ぎる。都会は世知辛いという訳だが、実はそうでも無い。都会でも周りに人が誰もいなければ、大丈夫ですか?と声を掛けたりするのである。人は責任の所在がはっきりしないと、自発的に動かないものなのだ。この話はよく心理学で引用されるが、孫子の兵法に適った話とも言えるのだ。

2017年11月9日木曜日

孫子の兵法 九地編その2

2、先ずその愛する所を奪え

孫子曰く。「所謂古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相い及ばず、衆寡相恃まず、貴賎相救わず、上下収めず、卒離れて、集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合して動き、利に合せずして止む。

敢えて問う、敵衆整いて来たらんとす。これを待つこと若何。曰く、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速やからなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道に由り、その戒めざる所を攻むるなり。」



【解説】

孫子曰く。「所謂、古の戦上手は、敵の前衛と後衛の連絡(及)を絶ち、大隊(衆)と小隊(寡)が互いに連携(恃)できないようにしたものだ。貴い身分の者と卑(賎)しい身分の者が互いに救い合わないようし、上司と部下をまとめさせず(収)、兵(卒)が離れるよう仕向け、集まるのを邪魔をした。兵がまとまっても(合)隊列は整(斉)わせなかった。そして、自軍に有利ならば動き、自軍が不利ならば有利になるのを待ったのである(止)。

敢えて問う。敵が大軍をもって整然と攻めて来たとしよう。これをどう迎え撃てば(待)良いだろう(如何)?答えるに、先ず敵の大切なもの(愛)を奪えば、敵は言う事を聴くだろう。兵の実情を見れば、速度が大切となる(主)。敵の配慮が及ばない点に乗じ、思いもつかない道を通り、警戒していない所を攻めるのだ。」






戦争とは、相手の嫌がる行為をするもの。それを徹底的にできる者が優れた将となる。敵にとって嫌な奴が名将なのである。この当たり前を確認すると理解しやすい。敵の行為には狙いが必ずあるのだから、基本的には狙いを外すように仕向けるのが良い。

例えば、敵の前衛と後衛の連絡を断ち、大隊と小隊が連携できなくし軍編制の構想自体を無駄にする。貴族と平民、士官と兵卒などの身分の違いによる確執を露見させ、お互い助け合おうとしないよう仕向ける。兵が集まると面倒だから、集まらないよう策を講じ、集まっても隊列の合理性を欠くよう手を入れる。どの行為もやられると嫌な行為だが、これを徹底的にできるのが名将だと孫子は言っている。その上で自軍が有利になった時だけ戦い、不利なうちは徹底的に戦わない。戦争は負ければ全てを失うのだから当然の判断となろう。

だが、此方の思い通りに全て事が運ぶわけでは無い。敵が此方の工作を看破し、整然と堂堂と攻めてきたらどうしたら良いか?その時は、敵の大事なものを奪うと良いそうだ。代表的なものには、例えば補給基地がある。腹がへっては戦は出来ぬという諺があるが、逆に言えば補給基地を壊滅させれば、敵は戦を断念せざる得ないという事だ。ならば、補給基地を攻撃してしまえば良いと孫子は言っているのである。そうすれば、敵は此方の言う通り、撤退しなければならなくなると。

中国の歴史を見てみよう。項羽と劉邦の楚漢の戦いでは、負け続きだった劉邦が項羽側の補給基地攻撃に成功した処から形勢が逆転した。三国志の曹操も袁紹との官渡の戦いでは、鳥巣の食料基地を焼き払う事から圧倒的不利を逆転する糸口をつかんだ。このように補給基地を壊滅させる事からドラマチックな展開が生まれ、現代でも人気のエピソードが生まれている。これぞ勝負の怖さであり、孫子の言わんとする事だろう。

そして、これらを成功させる秘訣は、何よりもスピードである。とろとろやっていたら、敵に身構えられてしまう。劉邦や曹操も、敵の補給基地が手薄だという情報を得て、速やかに攻撃したことを忘れてはいけない。これを孫子の言葉を借りて説明すれば、補給基地を手薄にした敵の至らなさに乗じ、敵が思いもよらなかった方法で、無警戒な所を攻めたのである。こう歴史を振り返ってみると、人は圧倒的有利に立つと、相手をなめて兵糧基地を手薄にする事があるようだ。勝って兜の緒をしめよとは日本の諺だが、なんとも言葉の重みを感じるではないか。

仕事で考えて見よう。今回は忍耐の大切さと言う、少し古めかしい感じもする話を紹介したい。どの種の成功を見ても、忍耐ほど必要とされるものは無いと言われるのを知っているだろうか?我慢しなくて良いと言われたりする時代なので、時代遅れの感覚と思うかも知れないが、成功するのに忍耐が必要なのは間違いない。

例えば、曹操だ。官渡の闘い一つとっても、曹操1万の兵に対し、袁紹は7万である。普通の武将なら諦めたのでは無いだろうか?しかし、曹操は諦めなかった。ここが彼の凄さなのである。曹操は孫子を自ら編集するほどの孫子通であるから、恐らく孫子の兵法の「先ず敵の愛する所を奪えば、則聴かん」を意識したことだろう。絶体絶命の中、彼だけは必死で敵の愛する所を奪う算段をしていた。そして、鳥巣の食料基地が手薄という情報を掴むのである。これが忍耐が勝利を呼び込むという事だ。

そして、忍耐を育む土壌となるのが、一所懸命の精神である。この言葉は今でこそ全力を出すという意味で使われるが、本来は命を懸けて一つの場所を守り抜く決意の意味だ。命を懸けても、この場所は離れない。そういう気持ちで諦めずに戦う姿勢こそが勝利を呼び込むからこそ、今に伝わり様々な場面で重宝されている。本来の意味を知ると、一所懸命と言う言葉への意識も変わるのでは無いだろうか?愚直で不器用な感じではあるが、一所懸命やる。これが基本であり極意なのである。一所懸命から忍耐が生まれ、忍耐が勝利を呼び込む。これが勝利の方程式である。

2017年11月7日火曜日

孫子の兵法 九地編

1、戦場の性格に応じた戦い


孫子曰く。「兵を用いるの法に、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、圮地有り、囲地有り、死地有り。諸侯自らその地に戦うを散地となす。人の地に入りて深からざる者を軽地となす。我得れば則ち利あり、彼得るもまた利ある者を争地となす。我以って往くべく、彼以って来たるべき者を交地となす。諸侯の地三属し、先に至れば天下の衆を得べき者を衢地となす。

人の地に入ること深く、城邑を背にすること多き者を重地となす。山林、険阻、沮沢、およそ行き難きの道を行く者を圮地と為す。由りて入る所の者隘く、従りて帰る所の者迂にして、彼寡にして以って吾が衆を撃つべき者を囲地となす。疾く戦えば則ち存し、疾く戦わざれば則ち亡ぶ者を死地となす。

この故に散地には則ち戦うことなかれ。軽地には則ち止まることなかれ。争地には則ち攻むることなかれ。交地には則ち絶つことなかれ。衢地には則ち交わりを合す。重地には則ち掠む。圮地には則ち行く。囲地には則ち謀る。死地には則ち戦う。」



【解説】

孫子曰く。「兵を用いる方法は土地の状況によって変わり、散地、軽地、争地、交地、衢地、重地、圮地、囲地、死地がある。諸侯が自らの領土内で戦う場合を散地と言う。敵領内で戦うも、まだ深くは進軍していない場合を軽地と言う。味方が得れば味方が有利になり、敵が得れば敵が有利となる場所を争地と言う。敵味方ともに往来できる場所を交地と言う。諸侯の地に3方で通じ(属)、先に押さえれば(至)天下の万民(衆)の助けを得られる場所を衢地と言う。

敵領地に深く進攻し、多くの城下町(城邑)を背後にするようになった場合を重地と言う。山林や難所(険阻)、沼沢地(阻沢)など通行の難しい場所を圮地と言う。入ろうにも入口が狭くなっていて(隘)、戻ろうにも迂回をしなければならない。そして、少数(寡)の敵が味方の大軍(衆)を撃破しうる場所を囲地と言う。迅速に戦えば生存できるが、迅速に戦えなければ亡ぶ場所を死地と言う。

したがって、散地では戦ってはならなず、軽地では止まってはならない。争地では敵が先に占有したなら攻めてはならなず、交地では部隊間の連絡を絶ってはならない。衢地では外交を重んじ、重地では掠奪する。圮地は出来るだけ早く通り過ぎ(行)、囲地は奇策謀略を用いる。死地では勇戦あるのみ。」






孫子が地形の種類ごとに対応を説いているため、地形ごとに見ていく。


その1、散地

散地の散のイメージは、徴兵した兵が散って逃げてしまうと言う事のようだ。自国領内で戦いが起きた場合、家が近いし勝手を知っている。そのため、兵が命惜しさに逃げ出してしまう恐れが高く、兵が散り散りになる様を見て散地と言う。

兵が逃げ出しやすい散地では、戦ってはならない。戦う時は命を懸ける踏ん切りが必要と言えば良いか、少なくとも逃げようか迷ってる兵では強く戦えない。兵の気持に2心を抱かせる散地では、戦いは避けるのは自然な成り行きだろう。



その2、軽地

軽地の軽のイメージは、戦う覚悟が軽いというイメージのようだ。敵地に入ったものの、それほど深く進攻していない時は、逆に考えれば自国に近いとも言える。兵は命を懸けて戦うのだから、逃げ出したいと言う気持ちが全くないわけでは無い。自国が近い時はそれが未練となりやすい。そのため、なるべく早く通りすぎるのが良いと孫子は言っている。



その3、争地

獲ったほうが有利になるため、敵味方ともに争う地を争地と言う。獲ったほうが有利になるのだから、敵に先に占有されたなら攻めてはならない。戦争は大逆転勝利を狙うものではなく、有利な態勢を築き何のドラマも無く勝つのが上策だ。そう考えて見れば、相手に有利な態勢を築かれた後に攻めるのは下策以外の何物でもない。



その4、交地

交地の交は、道がいくつも交わる場所と言うイメージだ。敵味方ともに往来しやすい交地は、今の言葉で言えばアクセスが良い場所という事だろう。アクセスが良い場所での注意点は、味方から遠く離れてしまうと、すぐ敵が来るという事だ。そのため、部隊間の連絡を密にし、敵への警戒を怠ってはならない。アクセスが良い分敵の隙もつきやすいが、敵からも隙をつかれやすい。



その5、衢地(くち)

3か国以上の国の利害が交錯する交通の要所を衢地と言い、衢という見慣れない字には、四方に通じると言う意味がある。国の境にある十字路のようなイメージだろう。衢地では様々な国の利害が対立するのだから、無鉄砲に攻めて良い場所では無く、それをすると他の国の連合を相手にしなければならなくなる。そのため、外交で解決を模索するのが自然な成り行きとなる。

外交で勝利するならば、交通の要所という事で援軍を受けやすく優位に立てるが、外交で失敗すると敵に援軍が送られる事になる。良くも悪くもそういう特徴を持つ場所となる。



その6、重地

重地は軽地の反対で、兵の覚悟が重く動きづらくなる、言い換えれば覚悟が決まる場所と言うイメージとなる。何故、兵士の覚悟が決まるのか?それは敵領地内に深く進攻したからである。敵地内では逃げようにも逃げれない。ならば、覚悟を決めるしかない。故郷を思い浮ついていた心が重く沈むのである。

敵地深く進攻した場合に問題となるのは、まずは兵糧である。補給線が伸びるため狙われやすく、補給路が絶たれる事になれば餓死の可能性まである。そこで、孫子は兵糧を現地で調達するようにとアドバイスしているようだ。敵からの掠奪である。出来れば補給線の心配をしなくても良いし、確かに理に適っている。



その7、圮地(ひち)

圮地の圮には、中国語で崩れるという意味合いがある。恐らく、圮地に軍を置くと、軍が崩れるというイメージだろう。山林、絶壁など険しい場所、沼沢地などに布陣したらどうだろう?山林では火攻めの危険があるし、敵も隠れやすい。絶壁など険しい場所では、自ら動きづらくなるようなものだし、沼沢地のような場所は兵が壊疽するし、地盤も悪くて動きづらい。とても長く留まるべき場所では無いのだ。孫子が早く通り過ぎるべきと言っているのも頷けるはず。



その8、囲地

囲地は囲の字が示す通り、囲まれた地と言うイメージとなる。前に進もうにも狭く、後ろに引こうにも険しい難所であったり、河川が邪魔をして引けない。こう言った場所は、敵が少数でも味方の大軍がやられる危険があるため、何か策を講じねば不利となる。例えば、身動きがとれない点を利用して、入口に蓋をされたらどうだろう?狭い入口に弓矢を集中させれば、出るに出られない。出られないと言っても、腹はへる。ならば、輸送部隊を撃滅し兵糧攻めも合わせれば、なお厳しい攻めとなる。やられた側は餓死するかも知れない恐怖と、弓矢の恐怖で参ってしまう。

しかし、背水の陣の逸話にもある通り、絶体絶命と分かると兵は決死の覚悟ができ、普段より良い働きをする。兵のそういった心理を上手く利用し勝利に結びつけた例も実際にあるが、だからこそ囲地では逃げ道を作ってやれという教えもある。ここら辺のせめぎ合いが囲地での頭脳戦になろう。囲地に入ってしまった側は、圧倒的に不利であるため、何か謀をしなければ勝てないのは間違いない。



その9、死地

死地は、そのまま絶対絶命というイメージとなる。万策つき、絶対絶命のピンチにいる時どうしたら良いか?覚悟を決めて勇戦あるのみと、孫子は言っている。絶体絶命なのだから、隠してもしょうがない。先ずは絶体絶命の状況を兵に伝える。そして、ご馳走を食べさせ、炊飯道具を壊し未練を無くす。窮鼠とかせるかどうかが、勝負の分かれ目となる。

日露戦争の折、東郷平八郎元帥が発した「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」と言う言葉が残っているが、これぞ死地における作法だろう。




仕事で考えて見よう。長い人生では貴方にも色々な事が起きる。順風満帆だと思っていたら、急に落とし穴に落ちたり、良い上司に巡り合えたと思ったら、配属が変わり馬の合わない上司に当たったり、時には仕事が嫌になり、または会社が潰れ、他の仕事を探すかも知れない。これが孫子の言う九地であろう。そこで、良い時と悪い時の臨むべき心構えを紹介しよう。


その10、良い時はどうしたら良いか?

うまく行っている時は、勝って兜の緒を締めよの格言どおりに慢心しない事だ。禍福糾える縄の如しと言って、幸せと思っている時に不幸が近寄ってきているもの。これからずっとうまく行くと思っていると、思わぬところで足をすくわれる事になる。では、どうしたら良いか?それは福をみんなに分け与える事である。出し惜しんで貧しくなる者もいれば、与えてなお富む者がいる。喜ばす者が喜ばされるという事を肝に銘じ、うまく行ってるからこそ、みんなにご返杯の気持で過ごすと良いだろう。

そして、今の自分はみんなの助けがあればこそと言う心がけで過ごすと良い。自分がうまく行ってるのは単に運が良かったと言えるような人間になると良い。人はうまく行くと自分は凄いと自慢したくなるものだが、自慢をすると反感を買う。その反感が不幸の温床となるのだ。俺が凄いではなく、みんなのお陰。これが作法となる。



その11、悪い時はどうしたら良いか?

悪い時は、結局のところ、その状況を受け入れる他ない。ただ、我慢しろと言いたいのではないので注意して欲しい。それより、今置かれた状況に対する解釈を変えるのが良い。例えば、転んで擦りむいたとしよう。血が出てしまった。運が悪かったと思う人もいるだろう。だが、これくらいの傷で済んで良かったと思う人もいる。前者は不幸な人で、後者は幸福な人だ。しかし、同じ転んで擦りむいた人である。解釈を変えるとは、つまりこう言う事だ。

また、血が出たことを嘆くかも知れない。だが、血がでなかったらもっと最悪だ。血が何故でるのか?それは傷口にいるばい菌を洗い流すためである。だから、血がひとしきり出たらカサブタができ仮止めをしてくれる。そして、下に皮膚ができれば、カサブタも自然となくなるのだ。分かるだろうか?貴方に悪い事は起きていない。全て最善の処置がなされている。血が出なかったら傷口が膿んでもっと最悪だった事を考えて見れば、血が出たことも気にならなくならないか?要は解釈ひとつなのだ。

仏教では、この世で起きる事は全て自分が決めてきたと言う。今、どんなに最悪な状況にあっても、それは天にいる時自分で決めた事なのである。何故、自分で最悪な状況になるように決めたのか?自分で自分を虐めるはずは無いだろう。今の最悪の状況は、必ず自分のためになるように出来ている。つまり、何かを学ぶために、自分で自分にその最悪な状況を用意したのである。

その事に気づけば、最悪としか捉えられなかった状況を、前向きに捉えられるようになっていく。自分は何故この状況を用意したのか?そう状況を受け入れた時、悪い状況はさほど悪い状況ではなくなる。最悪だと思っていた状況が、実はベストな状況で、ベスト事がベストなタイミングで起きている。そう考えられる癖をつけると良いだろう。人生に悪い事は起きない。これは真実であって、嘘ではない。


2017年11月5日日曜日

孫子の兵法 地形編その5

5、兵を知る者は動いて迷わず

孫子曰く。「吾が卒の以て撃つべきを知るも、敵の撃つべからざるを知らざれは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知るも、吾が卒の以って撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知り、吾が卒の以て撃つべきを知るも、地形の以て戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。故に曰く、彼れを知り、己れを知れば、勝、乃ち殆うからず。天を知りて地を知れば、勝、乃ち窮まらず。」



【解説】

孫子曰く。「我が兵(卒)に攻撃するべき態勢が整っても(知)、攻撃するべきでない敵かどうかを知らないなら、勝つ可能性は半分である。敵方を見て攻撃するべきと判断しても(知)、我が兵(卒)が攻撃するべきでない態勢かどうかを知らなければ、勝つ可能性は半分である。敵方を見て攻撃するべきと分かり、我が兵(卒)に攻撃するべき態勢が整っていても(知)、戦うべきでない地形かどうかを知らなければ、勝つ可能性は半分である。

故に兵法に精通(知)している者は、動いてから迷う事は無いし、挙兵してから窮地に追い込まれる事もない。だから言うのである。敵を知り、己を知れば、勝ちが危(殆)い事は無い。天候を把握し、地形の状態を把握するならば、勝ちに困窮することは無いと。」






自分がどんなに最善をつくしても、相手の状態を知らなければ勝てるかは分からない。相手が自分より強い場合もあるし、相手が自分より弱い場合もあるからだ。それが分からない以上、この2択のうちどちらか、つまり5分である。逆も然り。相手の状態を見て弱いと思っても、自分がそれより弱い可能性もあろう。それが分からない以上、結局は5分である。己を知り、敵を知るからこそ、正確な見通しが立つのである。何方かが欠けて良いわけでは無いと、孫子は言う。

そして、相手の状態が攻め時であり、自分も攻めれる態勢が整っていても、地形の状態が分からなければ勝敗は5分である。戦力が優勢でも地の利が相手にあるために負ける事もあるし、戦力が劣勢でも地の利があったために勝つ事もあるからだ。

兵法に精通した者は、自分を知り、相手を知り、地形を知り、天候をも味方につける。これらを予め計算した上で動くから、動いた後で迷う事は無いし、挙兵後に窮地に追い込まれる事も無い。勝ちと分かった上で全てなされているからである。兵法に長けた者にとって戦争は詰み将棋のようなものであり、相手がどう動こうと詰んでいるから迷わないし、追い込まれもしない。

最近はトランプ大統領が来日し、いよいよ北朝鮮情勢も大詰めとなってきたが、何故彼らが攻めれないのかを考えて見よう。その一つは戦後処理にある。北朝鮮を崩壊させるまでなら、アメリカの軍事力をもってすれば雑作も無い。だが、北朝鮮を崩壊させた後、その国民はどうするのだろう?ここが問題となる。

まさか飢えさせて殺すわけにもいかないため、何処かの国ないし、国連で保護するわけだが、そのお金の工面はどうする?北朝鮮の国民は2千万人もいるのだ。大変な費用負担となる。このように、戦争難民の問題一つとっても北朝鮮をただ倒せば良いと言う訳にはいかないのだ。ひと昔前なら攻め滅ぼして奴隷にするなり、孫子の時代なら皆殺しも普通にあったわけだが、今の時代にそれをやると国際的批判がやまないだろう。特に民主主義の国では、選挙を考えればそれはできない。そこで戦後処理も含めた検討が綿密に必要とされるのである。

孫子は兵法に長けた者は戦いが始まってから迷わないし、挙兵した後に窮地に追い込まれる事は無いと言っている。アメリカの今の姿が調度そのイメージに適うかも知れない。何故、迷わないし、追い込まれないのか?微調整はあれど、全て計算ずくだからである。

仕事で考えて見よう。孫子は己を知る事が大切と言っているが、仕事でも同じであろう。自分が他人からはどう見えていると言う部分を知っておいたほうが、役に立つ事はある。では、どうやったら知れるだろうか?そういう話を紹介したい。

面白いもので、自分で自分の長所や短所を考えると、他人が考えるそれとは違くなる。例えば、自分が短所だと思って嫌で嫌で仕方なかった点が、他人からはとても魅力的なポイントだったりする。人は短所によって愛され、長所によって尊敬される。短所こそが貴方を魅力的にしてたりするのだ。短所だと思っている所は、本当に短所なのか?恐らく違うだろう。

さて、それはさておき、どうしたら本当の自分を知れるだろうか?結論を言うと、親に聞くのが良いそうだ。親は子共の事は小さい頃からよく見ている。貴方の事を良く知っているのである。3つ子の魂100までとは良く言ったもので、人間は年をとっても小さい頃の面影があるもの。親が悪いと思ってる点が、恐らくは貴方の短所となるだろう。貴方は小さい頃はこういう子共でと言う話がでたら、そこは良くチェックしたほうが良い。その話題に他人から見た貴方が現れるのである。(長所も同じ)

2017年11月4日土曜日

孫子の兵法 地形編その4

4、卒を視ること嬰児のごとし

孫子曰く。「卒を視ること嬰児のごとし、故にこれと深谿に赴くべし。卒を視ること愛子のごとし、故にこれと倶に死すべし。厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子のごとく、用うべからざるなり。」



【解説】

孫子曰く。「兵(卒)は赤子(嬰児)にするように目(視)をかけてやると良い。そうすると、深い谷底であっても行動を共にしてくれる(赴)。兵(卒)は最愛の子のように目(視)をかけてやると良い。そうすると、共(俱)に死んでくれる。

厚遇しても使う事が出来ず、愛情をもって接するも命令出来ない。軍規を乱しても従(治)わせられないのであれば、例えて言うなら(譬)付けあがった子供(驕子)のようなものである。使い物にならなくなる。」






この世は鏡のようなものと言われるが、人の世は全くもって不思議なもので、映し鏡と思って良い。自分が悲しければ、景色も何処か悲し気に見えるし、自分が楽しければ、普段は嫌な雨さえも陽気な彩を放つ。自分が誰かの悪口を言えば、相手も大概は悪口を言っているし、自分が好ましく思っていれば、相手も大概は好ましく思ってくれる。世界は鏡なのである。

では、将が兵を親身になって育てたらどうだろう?どんな危険な処へも共に行ってくれるようになるし、一緒に死線を超えてくれると孫子は言うのである。まるで自分の子のように手塩にかけられた兵は、将を親父と思うようになる。さもあらんだろう。厳しく愛情を持って育てられるほど、後々になって世話になったと思うものである。

ただ、甘やかしてはいけない。躾のされない子供を想像して欲しい。動物と同じである。兵もかくのごとし。甘やかして育てれば、言う事を聞かなくても良いと勘違いするようになり、兵としては役に立たなくなってしまう。躾とは、裁縫で縫い目が狂わないようにするために、仮に荒く縫い合わせる事である。躾るとは、甘やかす事では無く、痛くてもある状態に固定する事を言うのだ。可愛い我が子と思えばこそ、例え痛くても、親は子共を躾けるのだ。

仕事で考えてみよう。最近は怒ってはいけないとか言われている様子だが、怒らないとは要は躾の放棄である。躾をすれば痛いに決まっている。それをしてはいけないとは、会社が若者を育てる事を放棄したという事だ。時代遅れと言われそうな感覚かも知れないが、昔から伝わってきた躾の在り方をしっかり見直すべきだろう。

何故、怒られると若者が続かないのか?それは、この手の話をちゃんと教えないからだ。そんな手取り足取りと思う人もいるだろうが、孫子ですら赤子に接するようにと言っているでは無いか?育てるとは、何時の時代もそういうものなのである。

余談だが、厳しく育てられるほど、人は後々になってから世話になったと思うもの。親子で言えば、一番出来の悪い子と思っていた子が、一番世話をしてくれる。逆に出来が良いからと、手のかからなかった子は最後に世話はしてくれない。世話になった記憶が無いからだ。怒られた回数が、世話になった回数と思うのが人情なのである。躾は痛いものだが、痛いからこそ記憶に残る。