2016年8月5日金曜日

天才はある時代、場所に集中する

天才と呼ばれる人達は特定の時代、場所に集中する傾向があるという話がある。今回はこれを考えて見たい。何故、そういう傾向が出てしまうのだろうか?思うに、天才は時代を変えたような大きな変化を起こした人に与えられる事が多いように思う。政治の変動は70年周期と言われるように、時代の変化はそうそうあるものでは無いため、天才がある時代に偏るのは自然な成り行きだろう。天才どうしがお互い切磋琢磨しあって、もしくは協力しあう事を考えれば場所が偏るのも頷ける。天才がある時代に偏るのは、天才という称号が与えられる条件自体にその理由の最たる処があるのでは無いだろうか?

天才と呼ばれる人は時代を変える。時代が変わった後は、しばらくはその模倣によって時が流れる。天才に憧れた人達が、天才の真似をしていく時代が続くのだ。だが、どんな事でも時間がたてば閉塞感が漂うようになると言えば良いか、壁にぶつかってどうしようもなくなる時が来る。そして、その壁を破る者の出現を待つようになり、その者こそが次の時代の天才と呼ばれるようになる。そして、また彼を真似するものであふれ時代が移り変わるため、天才はある時代に集中してしまうのだろう。場所が偏るのは、天才に近寄る人が増えるためと思えば当然の成り行き。



---- 以下、余談 ----

ネットで検索すると、他にも色々意見があるようだ。常に既存の考え方や方法に疑いを持つ思考を大切にしなさいと言う教えとしても良いかも知れない。時代の変化は既存の常識を壊す事から生まれやすいのだから。日本では明治維新の時に天才が多く出現したという事になっている。江戸の常識を壊したからこそ、彼らは天才と呼ばれるわけだ。


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