2016年7月9日土曜日

モンスターペアレンツへの対処方法

ここ何年もモンスターペアレンツに脚光が集まっている。ひどいものになると、集合写真の真ん中に自分の子供がいないからと、写真を撮りなおさせるケースもあるのだとか。そうなると、唯の害悪にすぎないのだが、モンスターペアレンツは気にならないのだろう。日本的な感覚では恥を知れと言った処のはずだが、恥を知らないのだから仕方ない。そこで、どうやったらモンスターペアレンツを少なく出来るか考えて見る。

例えば、集合写真のケースを考えて見る。思うに、モンスターペアレンツにとっては、中央に我が子を映っている事が素晴らしい事だと思っているのだろう。だからこそ、中央に自分の子供がいないと駄々をこね、写真を撮りなおさせる。ならば、集合写真の中央に映る事は、特に良い事では無いと教えてあげれば良い事になる。

まず、子供が中央にいないと親が駄々をこねた場合、親的には子供のためを思っているのだろう。だが、本当に子どものためになっているだろうか?思春期の子供には、集合写真を面倒と言ってしまう子が何人かはいるもので、そういう子がクラスで目立つ子だったりする。その目立つ子の親が自分の子を中央にと言うのなら、まだ治まりがつくが、そういう子は親に干渉された事をかっこ悪いと感じるだろう。その目立つ子以外の子の親が我が子を中央にと駄々をこねるなら、イジメの対象になるのが予想できる。集合写真なんて面倒なものは早くすませろという空気があるなかで、わざわざ撮影を中止させて、写真を撮りなおすのだ。その報復がないと考えるほうがおかしい。

親は子に良かれと思って、思い出は大事だからと写真を撮りなおさせる。もしくは、単に親の面子で写真を撮りなおさせるわけだが、その弊害は子に及ぶ。だが、自分の子の立場を悪くしたいと思う親はいないだろう。こういう状況をモンスターペアレンツは分かっていないのだ。なら、写真撮り直しから想定できる未来を教えてあげるのが対応策の一つとなる。

さて、次にもっと直接的な対応方法を書いてみる。モンスターペアレンツにとっては、集合写真の中央に子供が載っていると、クラスの中心人物的なイメージがあるのだろう。だからこそ、中央におきたがり、何で家の子は端っこなの?となる。だが、果たして、集合写真の中央はそんなに美味しいポジショニングだろうか?

大人になったときを考えて欲しい。自分は子供時代から集合写真を撮ればいつも真ん中で載ってましてという人間と、自分は子供時代の集合写真では隅っこに載ってばかりでという人間がいたとして、どちらが好ましく思われるだろう?人は自慢話が嫌いだ。恐らく中央に載ってたという人間はいけ好かない奴と思われ、端っこに載ってばかりという人間は微笑ましく思われる。もっと、具体的に状況を想定して見よう。

貴方の子は大人になって、偉くなったとする。その時の会話だ。貴方の子が講演する事になり、壇上にのぼり子供時代を話す機会があったとする。自分は今はこうして壇上から話す機会を頂けるようになりましたが、子供の頃はと言えば、集合写真ではいつも隅っこに映っていてと言うなら、恐らく柔らかい雰囲気になるだろう。だが、自分は子供のころから写真を撮れば中央でと話を始めたなら、はいはいそうですかとなる。

自分の失敗談等をおおっぴらに話せる人が人物だと言う。そして、失敗談を話せる人はみんなに好かれる。モンスターペアレンツ的には集合写真の中央こそが美味しいポジショニングだと思い込んでいるのだろうが、将来の話のネタになる処まで考えた時、中央が本当に良いポジションとなるだろうか?勿論、悪いポジションでは無いが、端っこでさえ話し方のコツさえ知っていれば、美味しいポジションなのだ。少なくとも、写真を撮りなおさせるほどのメリットは無い。将来みんなに好かれる話のネタを作ってあげるという意味では、逆に中央から端に子を移動させても良いくらいだろう。

親は木の上に立ってみると書く。子供には子供の社会があり、そこは親のいる社会とは全く隔離されている。親の社会のルールで、子の社会へ干渉すると、良い事はない。24時間つきっきりというのは不可能なのだし、子供の事は基本的に子供に任せるしかない。親という字から、親のあり方を見直して見るのも良いかも知れない。親と言う字は、親が木の下にのこのこ降りて良いとは書いてない。





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